第38話 俺の本心は





「そんなに、そんなに俺が憎いのか」


 後ろから抱きしめられたままで、透真様の温もりを感じる。

 それを心は嬉しく思うけど、どこか冷静な頭が駄目だと警告していた。


「あなたを憎いだなんて、そんなこと思うわけがございません」


「それなら」


「分かってください。透真様、あなたの立場というものを」


 もし好き合っていたとしても、この恋が実ることはない。


「立場があるから伝えられないのか」


「申し訳ありません」


「謝るな」


 抱きしめる力を強くして、透真様は声を震わせる。


「謝られたらどうしていいのか分からなくなる。……くそ。どうして。どうして」


「……それが、俺達の運命なんです」


 悲しいことだけど、この気持ちは一時の気の迷いと考えるしかない。


「真」


「はい、透真様」


「……今だけでいいから、この時だけでいいから立場を忘れてくれ。頼む」


 その願いを叶えるべきかどうか、少しだけ迷った。

 しかし気づけば頷いていたのは、俺もこの狂わしいほどの感情を抑えられなかった。


「真。様をつけずに名前を呼んでくれ」


「…………透真」


「真……」


 息が止まりそうなほど抱きしめられたかと思ったら、体を正面に向けさせられる。

 透真様の表情は熱を持っていて、その目を見てしまったら駄目だった。


 顔が近づいてきたかと思えば、静かに唇が触れ合う。

 しっとりとした柔らかさ、ただ唇がついただけなのに、胸が苦しい。

 でもそれ以上に、幸せだった。


 この腕の中にずっといられたのなら、どんなにいいのだろうか。

 叶わない願いを胸に秘めて、俺は必死に彼にこたえる。


 離れたくない。

 離れたら終わってしまう。

 彼もそれが分かっているのか、苦しいぐらいに抱きしめてくる。



 この時間が終わってほしくないと思っても、無理な話だ。

 今、涙があふれるぐらい幸せな時間だからこそ、離れた時に耐えられない。


 キスをしない方が良かったんじゃないか。

 そう後悔してしまう。

 この感触を味わってしまったせいで、どんどん欲張りになる。


「真」


「透真さま……もう」


「違う。様はつけるなと言っただろ。透真だ」


「透真」


 時間が長引けば長引くほど離れがたくなる。

 だからもう止めてもらおうと、唇が離れた時に胸を押したが、逆に腕を掴まれた。


「もう少しこのままで。頼む」


 拒否することは出来なかった。

 俺だってずっとこのままでいられるのなら、何を引き換えにしても構わない。


 幸せなのに、胸が痛い。

 涙が自然と零れて、彼の肩を濡らした。

 こんなにも好きなのに、どうして結ばれないのだろう。


 でも俺がいくら好きでも、彼を幸せにすることは出来ない。

 この世界の不条理に涙を流し続けながら、最後の時間を過ごした。





 あんなことがあったとはいえ、仕事を辞めるという選択肢は無かった。

 透真様を傍で支えると決めたのだ。

 それをもう違えるつもりはない。


 彼と顔を合わせるたびに胸が苦しくなるけど、時間が解決してくれることを願っている。

 たまに物言いたげな表情を彼は浮かべるが、気づかないふりをしてやり過ごした。


 そうして、表面上は何事もなく日々は過ぎた。



 しかし小さなほころびは修復されることなく、徐々に大きくなっていたのだ。




「解雇……ですか」


 久しぶりに実家に呼び出されたかと思ったら、突然そう伝えられた。

 どうしてそんなことを言われるか分からず、俺は訝し気に尋ねる。


「理由は分かっているだろ」


「身に覚えはございません」


 本当に身に覚えが無い。

 しかし父親の顔が怒りで真っ赤に染まった。


「身に覚えが無いだと? ふざけるんじゃない! お前と透真様との関係はすでにバレているんだ!」


 動揺が顔に出てしまったのがまずかった。

 俺のその表情の変化に、目ざとく気づかれてしまい胸倉を掴まれる。


「美春のこともそうだが、お前達には呆れた! お前に至っては、なんて馬鹿なことを仕出かしたんだ! 一体どうするつもりだ!」


 どうしてバレたのか分からないが、問題はそこではない。

 父親にバレているということは、どこまでも広がっていると考えていい。

 御手洗家も、すでに周知のことだろう。


 透真様の方は大丈夫だろうか。

 胸倉を掴まれながら、俺は彼の心配をする。

 俺のことはどうでもいい。

 もしも彼が俺のせいで責められているのだとしたら、そっちの方が大変である。


「何とか言わないか!」


 父親の顔をこんなに間近で見るのはいつぶりだろう。

 記憶の中の父親は偉大だった。

 いつも堂々としていて、昔は尊敬していた。


 しかし、今の姿はどうだろうか。

 俺よりも小さく、そして弱々しい。

 怒鳴ってはいるが、全く恐ろしいとは思わなかった。

 むしろ滑稽に見えてきた。


 この人は妹の件が分かった時、惨めにも透真様に何とかしてもらおうとした。

 あまりにも愚策で、話を聞いた時は頭がおかしくなったのかと思った。


 昔はもっと御手洗家に忠誠を誓っていて、仕事に誇りを持っていたはずだ。

 それなのに欲に目がくらみ、自分の保身のことしか考えていない。



 すっかりと威厳を失ってしまった父親の姿に悲しみを覚えながら、俺はこれからどうするべきかと目まぐるしく頭を回転させた。




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