第36話 優しさに慣れない





 二日酔いで頭が痛い。

 割れるような痛みを抱えながら、俺はゆっくりと起き上がる。

 ここまで酷いのは初めてで、あまりの気持ち悪さに口を押さえた。


「……う……」


「大丈夫か、真。水と味噌汁、どっちが飲みたい?」


「……とりあえず、水を……うう……」


 先に起きていた守は、俺以上に飲んでいたはずなのに、いつも通りである。

 ふらふらの俺を心配してか、ペットボトルを差し出してきた。

 味噌汁のいい香りもする。


 何て出来た友達だろうか。


 口を大きく開けたら何かが出そうになる。

 だから小さな声でペットボトルを受け取ったが、動いた瞬間痛みが走った。

 頭を押さえれば、守が背中をさすってくれる。


「大丈夫か。随分飲んだからな。昨日のことは覚えている?」


「……最後の方はあまり。迷惑かけてすまない。何かやってしまったか?」


「いいや。随分楽しませてもらった」


「……楽しんだ?」


 楽しんだという言葉を、素直に喜んでいいものか。

 何を楽しませたのか分からないが、気分を害していないのなら聞かなくても別にいいだろう。


 水を少しずつ飲めば、気分も落ち着いてきた。


「なんだか、いい夢を見た気がする」


「いい夢? どんな?」


「……透真様が出てきた」


「ぶふっ。げほっ、げほっ……マジか」


「大丈夫か?」


 透真様の名前を出せば、別のペットボトルで水を飲んでいた守が吹き出す。

 そんなに驚くことかと、今度は俺が守の背中をさすった。


「やはりありえないよな。透真様がここに来るわけがない」


「けほっ。……うん、そうだな」


「でも、あんなに優しい透真様を見られたのは嬉しい。夢だとしても、幸せだった」


「大丈夫だって。きっと夢だけじゃなくなるから」


「そうか? いや、そんなわけない。絶対に」


 あんな優しい透真様が現実に存在するわけがない。

 まだ痛む頭を抱えながら力無く首を振れば、守が大きく息を吐いた。


「前途多難だねえ」


「何がだ?」


「こっちの話。真は、そのままでいればいい。きっと周りが変わっていくから」


「? 分かった」


「ま、その内分かるさ」


 意味は分からなかったけど、優しい顔をしていたから、悪い意味じゃないということは理解出来た。

 守がその内分かると言っているのだから、俺はそのままでいればいいのだろう。


 夢の中の透真様は名残惜しいけど、所詮は夢だ。

 温かい記憶を頭の中から消し去り、俺はベッドから出た。


「守特製の味噌汁が飲みたくなった」


「分かった。美味しすぎて涙を流すなよ」


「それは、とても楽しみだな」


 軽口を叩いていれば、守が俺の頭をくしゃくしゃになるぐらい撫でてきた。





 俺は、まだ夢を見ているのだろうか。

 信じられないことが起きていて、夢か幻覚としか思えなかった。


 いや、夢や幻覚であった方が、まだ良かったかもしれない。


「これは、新たな嫌がらせか?」


 そう思ってしまうぐらい、今の状況が処理出来なかった。


「病院を予約した方がいいのか。精密検査が必要かもしれない。最高峰の医療機関に診てもらわなくては」


 この場合、頭を重点的に調べてもらうべきか。

 俺は調べながら、どこに予約を入れるか考える。


「一体、どうしたんだろう。急にあんな……」


 守と飲み会をして、その後からの透真様の様子が明らかにおかしい。

 因果関係は無いと思いたいけど、それでもあまりにもタイミングが良すぎる。


「……俺の知らない間に、頭でもぶつけたのかもしれないな。よく頭を調べておこう」


「どうした。眉間にしわを寄せて」


「と、透真様?」


 パソコンを前にため息をついていれば、後ろから覆うように透真様が覗き込んできた。

 あまりの近さに肩が跳ねかけるが、彼を怪我させるわけにはいかないと、気合いで体を止めた。


「ど、どうしてこちらに?」


「今日の仕事は終わった。だから迎えに来た」


 俺達の今までの関係からしたら、そんなことはありえない。

 透真様が先に終わった時は、俺以外の誰かがマンションまで送っていたのに。

 どういう風の吹き回しなのだろうか。


 体温を感じられる距離に、俺は全身固まってしまう。

 今日の分の仕事は終わらせていたけど、出来る限り一緒にいる時間を減らしたくて、明日以降でもいいものに手をつけていたのに。


 頭が真っ白になってしまい、画面を見てもなんの情報も入ってこなくなった。


「透真様、少し距離が」


「距離がどうした?」


「近いような気がするんですが」


「近い? 気のせいじゃないか?」


 気のせいなわけがない。


 普通の上司と部下の関係だったら、この距離はおかしすぎる。

 恋人か本当に親しい友人でなければ、許されない距離感だろう。


 未だに背後にいる透真様は、耳元でささやいてきた。


「何を考えているんだ?」


 何と言われたら、あなたのことですけど。

 そう言いたかったけど、口には出さなかった。


 その代わり、何とか体を動かし、彼の腕の中から抜け出した。


「透真様こそ、一体何を考えているんですか?」


「お前のことしか考えていない」


 嘘だ。

 こんなに優しい態度をとって、後で馬鹿にするつもりだろう。


 甘い雰囲気を信じることが出来ず、目をそらしパソコンの画面を見る。



 やはり、病院に連れて行くべきだ。




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