第25話 幽霊船――記憶③

 家の修繕が終わり村人たちが引き揚げていく。まだ小舟は出来上がっておらず、明日からも数日は誰かしらが訪れて作業をすることになっているが、ハナはようやく一人の時間を取り戻した。

 三日間、張り詰めていた糸がぷつりと途切れたように、ハナはベッドに腰かけてしばらく立ち上がることができなかった。ムニンはいつもの慣れ親しんだとまり木に戻ったからか、全体的に丸いシルエットになってくつろぎモードに入っている。

 一人の時間はしんと静まり返って、そのことに心から安らぎを覚える。

 決して、村人たちと過ごすことが嫌なわけではない。この三日のあいだも、村人たちはハナを気遣い、村では申し訳ないほど厚遇してくれた。付き合いの長い彼らと常になく身近に過ごした時間は、それはそれで幸せなひとときだったが、それでも、ハナの心に堆積した不安が容易に消えることはない。

 ハナは魔女で、彼らは人間なのだから。

 ハナの見つめる正面には、本棚に立てかけられた額縁があった。

 随分前に失くして、失くしたことさえもはや忘れていた。

 ハナはおもむろに立ち上がると、本棚に歩み寄って額縁を持ち上げる。なかに収まる写真に写る十二人の人物。魔女装束の少女が六人に、彼女らより年上の若い大人たちが六人。ハナは目を眇めて思案するが、シュネー、ルシル、エトワールの三人以外の名前をどうしても思い出すことができない。もう二百年以上前に出会って、そしてほどなく死別してしまったからだ。あの頃は絶対に忘れまいと思っていたのに、降り積もった時間は、そんな決意さえいまや忘却の彼方に押しやってしまった。

 けれど、名前はわからなくても部分的に覚えていることは多い。

『昔は『幽霊船』で雑魚寝なんてざらだったじゃない。ハナも、あたしとなら構わないでしょ?』

 最近聞いた言葉を思い出す。シュネーが言っていた。



 自分たちの移動手段である輸送機を、魔女たちは『幽霊船』と呼んでいた。黒一色に染め上げられた機体はずんぐりと太った胴体と短い羽という不格好な見た目で、最初は皆で不平不満の声を上げたものだ。飛翔するものといえば戦闘機の美しいフォルムが思い浮かんだし、それでなくても、せめて民間の飛行機のような細長いシルエットが良いと思った。

 けれど、長期間の居住も視野に入れて設計された『幽霊船』の乗り心地は捨てたものでもなく、飛行時にゴォン、ゴォンと常に重苦しく響くエンジン音にさえ慣れてしまえば、あとは魔女たちの快適な住処となった。

 魔女の適合訓練を無事終えると、魔女たちは作戦遂行のためのチームへ配属されていく。チームは必ず魔女六人、クルー六人の計十二人で結成され、以後を家族のように過ごす。

 『幽霊船』への初搭乗前に記念写真を撮ったのは、チームの初顔合わせから間もなくだっただろうか。この頃から既にお互い忌憚なく笑い合ったりしていたのだから、随分と気楽なものだったが、いまにして思えば、子供なりの防衛本能が働いたのだろう。つまり、不安に押し潰されそうな心を皆で守ろうと一致した結果が、あの写真に写った笑顔だったのだ。

 魔女たちには二人で一部屋が与えられていたが、狭苦しく、大抵は談話室と呼ばれた大きな部屋で過ごすことが多かった。『幽霊船』内部の狭く無骨なほかの空間と違い、そこだけはふかふかの絨毯が敷かれ、天井からは強化ガラスのシャンデリアが暖色の照明を灯していた。絨毯の上や座り心地の良い椅子に座ってお喋りやカードゲームに興じながらお菓子をつまむのが、談話室での主な楽しみ方だった。

 初め、就寝の時間は皆自室に戻っていたのだが、あれは最初の作戦を皆で無事に成功させたあたりからだろうか、段々、談話室に寝袋を持ち込んで眠る者たちが出てきた。それでいつの頃から、全員が談話室に枕を並べて眠る暗黙のルールが出来上がったのだった。無論、年頃の少女だから体調や心理面が不調を起こせば部屋で眠ることもあった。

 ハナが談話室で眠るようになったのは、魔女たちのなかでも最後のほうだったように思う。辺鄙な田舎育ちで同年代の友人もおらず、引っ込み思案だったハナは、皆で賑やかに過ごすことに内心でかなり気疲れを感じていた。

 友達ができたのは嬉しかったし、もっと仲良くできたら良いなと思っていたが、それと同じくらいには一人でぼんやりする時間も欲しくて、よく迷路のような『幽霊船』の廊下を歩き回って、人気のない物陰にしゃがみ込んだりしていた。

 そんなハナにやたらと付きまとったのがシュネーだった。

 シュネーは当時から華やかなオーラを持っていて、良くも悪くも注目を集める存在だった。教養もあって話も面白いが、そういうところが鼻持ちならないと言う魔女もいた。

「こんな所でなにしてるの?」

 機関室付近の廊下の暗がりに座り込んでいたハナに、シュネーはそう声をかけてきた。機関室は廊下のどん詰まりにあるから、偶然通りかかったなんてあり得ない。絶対に、ハナの後をつけてきていた。

 ハナは「えへへ、迷子」と適当に笑って誤魔化そうとした。一人で過ごすほうを好むなんて、この『幽霊船』のなかでは言ってはいけないような気がした。

 けれどシュネーはハナの隣に腰を下ろして、三角座りした膝小僧に鼻先を埋めながら、くぐもった声で言った。

「やんなっちゃうよね」

「へ?」

「みんな内心じゃ不安で不安で仕方ないのにそれを隠して馬鹿騒ぎして。一人になるといろんなものに押し潰されそうだから、誰かと一緒じゃないと夜も寝られない。あたしたち、いっそこの船の幽霊になっちゃったらいいのになって思うよ」

「『幽霊船』の幽霊?」

 ハナの問いかけに、シュネーは頷いた。

「少なくとも幽霊になったら死ないから。皆、次はないと思って誰かとくっつきたがるんだから、死んでもここでまた会えるってなったら、こんなに馬鹿騒ぎしないしくっつかないんじゃないかな?」

 「どう?」とシュネーは、片頬を膝にくっつけてハナを見上げた。暗いところのない、ごくごく自然な微笑みで、それがハナには少し恐ろしかった。彼女は、自分の闇をひけらかすでもなく、こんなことを発言してしまえる。

 けれど、そんなシュネーのことを、ハナは好ましいと思った。

「幽霊になってまで、この船に乗らなくても良くない?」

 どうせ皆で過ごすなら、戦争のない場所に行けたら良いと思う。そんな場所が、この世界のどこかに残っているのかどうかはわからないけれど。

 シュネーは驚いたように形の良い瞳を見開いて、そのまま短いあいだ固まってから、「ふっ」と噴き出した。

「確かに、言えてる」

 それから二人して談話室に言って、シュネーは当然のように集う魔女たちの輪に加わっていった。ハナの手を引いて、彼女をその輪のなかに自然に招き入れて。それからは、ハナも殊更に気負うことなく皆と過ごすことができるようになった。

「ハナ、あたしとなら構わないでしょ?」

 それは、雑魚寝でいきなり誰かと枕をくっつけることに抵抗を覚えたハナに、シュネーが言った言葉だった。

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