第26話 寄り添う――記憶④

 魔女の力とはとどのつまり、願いを叶えるための力だ。己のなかで強く願えば、世界がそれに応えてくれる。

 しかし、大戦時代における魔女とは、未熟な娘の別称でもある。彼女たちには、力を行使するための方程式、つまり「魔法」を体系的に学ぶ機会が与えられず、そのために備わった力を思うように応用できなかった。

 技法を持たない能力は、常に暴力的だ。だからこそ、彼女たちは戦争兵器として「発明」され、その破壊的な力を遺憾なく発揮することになる。

 幼い子どもが積み木をうまく積み上げられないように、形あるものに手を伸ばし無邪気に突き崩していくように、魔女たちは破壊と殺戮の使者となっていった。



 『幽霊船』は索敵を避けるために夜間飛行を続けて、作戦開始位置の上空まで到着した。

 降下用のハッチが開けられると、身を切るような冷たい風が吹き付けてきて、魔女たちは小さく悲鳴を上げた。「時間がない」とクルーが焦った声で言う。

「追尾が厳しくなってきている。連携を取って敵を撃ち、作戦を遂行してくれ」

 魔女たちは表情いくらか引き締めつつも、互いの顔を見合わせて笑い合うほどには余裕があった。自分たちには圧倒的な力があると自負している。雑魚ならいくらでも蹴散らしてやろうと思っていた。

 魔女たちは見送るクルーに手を振り、一人また一人とハッチから飛び降りていく。暗視装置を身につけている者なら、闇夜のなかを黒装束の少女たちがばらばらと自由落下していく光景が見えただろう。魔女たちは箒を使わず、マントを羽のように広げたり畳んだりして飛翔する。

 そんな魔女たちのひと群れへ、戦闘機の轟音が滑り込んできた。機銃が闇夜の空気を裂いて飛ぶ。

 魔女たちの叫び声は機械音にかき消されてしまう。それが悲鳴なのか、それとも、戦闘態勢へ移行する合図なのか、聞き分けられるのは魔女たちだけだ。

 六人の魔女のうち三人がマントを広げて旋回を始めた。残りの三人は自由落下を続け、地上へと近付いていく。

 戦闘機の編隊は魔女たちのあいだを通過し、旋回して再び機銃の射線に彼女らを捉える。戦闘機は魔女たちより遙かに素早い。しかし、小さな標的を捉えるのに、小回りの利かないその速さは時として徒となる。なにより、人が機械を操作するというその一手間が、致命的な命取りだった。

 戦闘機の一機に、頭上から雷が飛来したのはその直後だった。魔女の一人が手を高く掲げて雷雲を呼び、戦闘機を貫かせた。その瞬間、金色の髪が縁取る幼い顔がぱっと輝き、そこに浮かぶ不適な笑みが浮かび上がる。

 また別な一機は、内側から爆発した。暗闇を赤く舐めるように燃え盛る炎と黒煙が機体を完全に覆い尽くし、推進力を失った鉄の塊は地上へ向かって流星となって墜ちていく。

 六機編隊で魔女を迎え撃った戦闘機は、一機また一機と沈められ、ものの五分ほどで決着した。派手な爆発と共に光を伴って墜落する戦闘機に紛れて、黒装束の少女が一人、爆発に煽られて飛行のコントロールを失いどこかへ吹き飛ばされていったが、そのときにそれを見つけられた者はいなかった。

 やがて、地上から幾筋もの火柱が上がった。激しく燃える炎に照らされて、そこにある街の景観が浮かび上がる。空高くから見るそれはミニチュアのおもちゃのようだ。

 そのときになってようやく対空砲が街の上空へ向かって一撃を放ったが、魔女たちは既に地表近くへ達しており、彼女たちはそのあまりに愚鈍な動きを見てきゃらきゃらと笑った。

 街は昼間のような明るさで燃え上がり、そこに見えない巨大な拳が振り下ろされるように建物が打ち砕かれて瓦礫の山になっていく。魔女はその上空を飛び回って、徹頭徹尾、大量破壊兵器の役割を果たした。



 朝が来て、魔女たちが煤にまみれながら『幽霊船』へ帰り着くと、地上へ降りていた『幽霊船』の厚い装甲には痛々しい砲撃の後が刻まれていた。

 『幽霊船』は魔女という切り札を運搬するために技術の粋が詰め込まれている。索敵にはそうそう引っかからず、そのずんぐりとした見た目に反して、逃げるのは大得意だ。

 だが、敵が『幽霊船』に目をつけ始めている。これを見つけて墜とすことができれば、魔女による攻撃を格段に減らせると踏んだのだ。確かに『幽霊船』は、魔女を使った作戦におけるアキレス腱だった。

 結局、この作戦でチームは一人のクルーが重傷を負い、二人の魔女が行方不明になった。

 魔女がどれだけ破壊を繰り返しても、世界は広大で、破壊した先にはまた新たな破壊対象が現れた。昏迷を極め長期化する戦況のなかで、敵も次第に魔女への理解と対策を深めていき、魔女と『幽霊船』は真っ先に敵から狙われる対象になっていた。

 新たな魔女を次々に『生産』しても、常に前線に立つ彼女たちの消耗は止まらない。

 チームは減るたびに補充されて十二名を保っているが、いまでは作戦のたびに死者や行方不明者を一人、二人と出している。残酷な行いに心が耐えきれずに精神を壊すものや、敵側に寝返ろうとする者も後を絶たない。

 戦果の損害の報告をぼんやりした顔で終えて、魔女たちはシャワー室で体を洗い、清潔な服に身を通すと、談話室へ向かう。夜通しの作戦ですぐにでも眠ってしまいたいほど疲れていたが、真っ赤に燃え上がる街の光景と焦げ臭い匂いが、まだ強く頭を支配していて、目を閉じても眠れそうになかった。

 絨毯に座ったりソファに腰かけたりしながら魔女たちが揃い、夜の作戦前には六人いた場所が四人になるだけで、空間がすかすかになった気がした。

「いつまで続くのかなぁ?」

 ハナは思わず呟いた。

 当初は、すぐに終わるのだと思っていたし、そう言い聞かされていた。圧倒的戦力を誇る魔女の投入で、世界はその力にひれ伏すことになる、と。だが、蓋を開けてみれば、世界が選んだのは圧倒的な力へのあらん限りの抵抗だった。誰一人としてその勝負の盤上から降りることは許されず、けれど盤上に立つ駒は敵味方とも着実に減り続けている。

 なんのための戦争なのか、どうすれば終わらせられるのか、それを考えられるほどの余力のある者が、あとどれほど残っているだろうか。

「……わたしたちがいるから、戦況が膠着しているんじゃないの?」

 暗い顔で言ったのはルシルだった。

「わたしたちみたいな兵器がいるから、降伏した瞬間に焼かれるんじゃないかって、それが怖くて戦争をやめられないんだ、きっと」

「違うわ」

 ルシルの語尾に被せるようにして強い口調で言ったのは、エトワールだった。

「わたしたちは兵器じゃない」

 皆、作戦直後で疲労しているはずなのに、ソファに浅く腰かけ背筋を伸ばしたエトワールは疲れを感じさせない凜とした気配を纏っていた。まだ水に濡れた金髪は艶々と輝き、洗い立ての白い室内着と相俟って眩しささえ感じる。

 エトワールはいつもそうだ。魔女に対してネガティブなことを一切肯定しない。

「私たちは心を持った一つの生きている存在なんだって、それを諦めちゃだめなんだ」

 魔女が戦争のあり様を一変させたのは疑いのない事実だ。しかし、魔女の本質はあくまでも生きている少女たちだ。

「戦争のための兵器じゃない。平和のために戦う戦士なんだよ、わたしたちは。わたしたちが魔女でいるのは、戦争が終わるまで。戦争が終わったら、普通の暮らしに戻らなきゃいけないんだよ?」

 エトワールの言葉が夢物語なことくらい、この場の全員が気付いている。けれど、彼女のきらきらした瞳や声で語りかけられると、皆は魔女ではなくなった自分たちを想像して、思わず頬が緩んでしまう。

「魔女でなくなっても、また皆で過ごせたら楽しいだろうね」

 ハナが言った。自然と、横に座るシュネーに目が行く。一方のシュネーは眠そうにあくびをしながら、「お腹すいたぁ」とあやふやな声で言う。

「ねえ、厨房でクリームソーダ作ろうよ」

 そう提案するシュネーを、ルシルが険のある目で見つめる。

「食事が先じゃないの?」

「作戦のあとはクリームソーダが最高なのよ。クリームソーダしか考えられない!」

 言うが早いが、シュネーは立ち上がって談話室を出て行こうとする。その背を見ながらエトワールが「あははは」と軽やかに笑った。

「皆、好きなものを食べようよ。わたしもお腹空いちゃった」

「あ、わたしもー」

 ハナは手を上げ、立ち上がってシュネーの後を追った。

 エトワールは傍らのルシルに手を差し出す。

「ルシルも。なに食べたい?」

「……ハンバーガー……」

 恥ずかしそうに小さく呟きながら、ルシルはエトワールの手を取った。

「わたしもそう思ってた」

 厨房までの狭く短い廊下を賑やかな声で埋め尽くしながら、少女たちは身を寄せ合って今日も生きていく。

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