036 再会

「――わぁ、懐かしい。ここの景色も久しぶりです」


 表彰からさらに数日後、領主館での用事の帰り道。見晴らしのいい高台に足を運んだフェルトは感嘆の声を上げた。


 西陽に照らされた美麗な面差しが、幼い少女のように輝く。幼少の頃と変わらない、自身の根源に根付く、その光景。


「隊長の惚気話にあった高台ってここのことだろ? そんなに来ていなかったのか?」


 護衛として同行していたランディが背後から声をかける。


 フェルトは微かに瞳を伏せ、


「わたしは自由に出回ることができない立場でしたから。滅多に来れなかったんですよ」


 周囲に人影はない。小走りに落下防止用の手摺へと近づき、手をついて身を乗り出す。


 山吹色に染まる世界、想い出の中の優しい情景。


「本当に変わらない……。あれ、ランディ……?」


 一心に落ち日を眺めていたフェルトは、やがてランディの気配がないことに気付いた。見回してみても、高台に少年の姿はない。


「……気を使ってくれたのですかね」


 小さな笑みを浮かべ、山向こうに沈みゆく夕陽へと視線を戻す。


 そのままどれほど時間が経過しただろうか。陽が半分ほど尾根の向こうに消えた頃、高台に足音が響いた。


 はっと顔を上げて振り返ったフェルトは、想定外の人物との邂逅に目を瞬かせる。朝方から仕事で外へと出かけていた――


「あれ、カーレルさん?」

「フェルト? どうしてここに?」


 向こうも意外そうに目を瞬かせ、そう問いかけてくる。フェルトはしっとりとした笑みを浮かべて手摺をなぞり、


「少し、想い出のある場所なんですよ。カーレルさんこそどうして? 今日はアルギュロスのお手伝いがあったはずでは?」


 殉職したゲーリックに代わり、オズワルドが正式な総長となったアルギュロス。ヒュドラルギュロスとかの組織、そして行政府はようやく足並みを揃え始めた。その橋渡しとして選ばれたのが、元アルギュロスで、領主とも面識のあるカーレル。


 今日はその業務があったはずだが――


「こっちも似たようなものだ。オレにとっても想い出の場所なんだよ。頼まれた仕事のあと、直帰していいって言われてな。ここが近くだったからどうせならって」

「そう、だったんですか」

「隣、いいか?」

「ええ、どうぞ」


 フェルトの横に、カーレルが並び立つ。それ以上の言葉はなく、ただ共に夕陽を見る。


 フェルトはちらりと目を向けた。


 夕映えに照らされたカーレルの銀髪が、淡い黄金に染まっている。確かあの少年の髪も、今の彼のように輝いていたはずだ、と。


「その、カーレルさんはこの場所にどんな想い出があるんですか」


 深い意図のない、なんとなく口を衝いて出た質問だった。


 何事かを思案したカーレルは、


「……まぁ、前にも話す約束をしたからな」


 と前置きし、



「十年以上前に、ここで初対面の女の子と約束したことがあるんだ」



「――え?」


 想定外の言葉に、フェルトの思考が固まった。


「それから何回もここに足を運んだけど、結局それきり会うことはできなかったな」

「……そのお話、詳しく聞かせてもらってもいいですか?」

「……つまらない話だぞ」

「お願いします」


 若干食い気味にカーレルへと迫るフェルト。やがて青年は前髪を弄り、ちょっと恥ずかしいなとはにかみながら、


「当時冒険のつもりで行ったことないところを散策していたとき、迷子になったことがあったんだ。そうして迷い込んだ建物で、虐められていた女の子を見かけて咄嗟に庇った」


 手摺に身を預け、瞳に夕陽を映したカーレルが口にする。


 だがフェルトの内心はそれどころではない。


「その子が泣いていたから、綺麗な景色を見せてあげたいって思って連れ出して、気が付いたらここにいた。確かあのときもこんな夕陽の時間帯だったな」


 その情景は、少女のよく知っている景色だった。


「『少なくともオレは君の味方だよ。だから、困ったときはまたオレを頼って欲しい』――今にして思うと、恥ずかし過ぎるセリフだったって自覚している」


 なぜならフェルトは同じ光景を、


「そのときいろいろあってオレは気絶してしまったから、その子とはそれきり。その建物――孤児院だったんだけど、そこから他に移ったらしくて詳しい話は聞けなかったんだ」


 女の子の視点で見てきたのだから。


「オレはあのとき、その子の瞳に一目惚れしていたんだ。じゃないとあんな衝動的に連れ出したりはしなかったんだろうな」


 当時を懐かしむようなカーレルの面差しに、想い出の中の少年の姿が重なって、


「っと、すまない。つまらない話を聞かせたな」

「……嘘」


 口元を覆うフェルトの指先が、知らず小さく震えた。


「……大丈夫か? 顔が赤いけど」


 こちらの反応を訝しんだのだろうカーレルが、フェルトと視線を合わせてくる。


 至近距離にある青年の顔。風にそよぐ髪を透かして僅かに覗く、額右側の生え際。手を差し伸ばし、優しく髪を掻き分けたフェルトがひと際大きく目を見開いた。


 今まで気付かなかったほどに小さな――


「この傷……」

「ん? ああ、これはそのときに負った、いわば名誉の負傷だな。それでその子を心配させたんだから世話ないけど」


 擽ったそうに目元を細めるカーレルの言葉は、フェルトの心に最後のピースをはめた。


「……あのときの男の子は、カーレルさんだったんですね」

「……え?」

「こんなに近くにいたなんて……やっと再会できました」


 目頭が熱くなり、眦から熱い雫が溢れ出てくる。困惑するカーレルだが、はたと何かに気付いたような表情を見せて、


「……もしかして。けど、あの女の子は確か瞳の色が――」

「わたしの瞳は、体質が判明してから徐々に今の色へと変色していったんです。元は母と同じ、エメラルドの瞳でした。わたしだってあの男の子は金髪だとばかり思っていましたよ」

「……なるほど、夕陽に染まっていたのか」


 カーレルが納得したような表情で前髪を弄って苦笑する。道理で互いに気付かない訳だとフェルトも苦笑し、カーレルの頬に手を添えた。


「当時のわたしは母の死に立ち会ったばかりの頃で、研究施設に移されるまでの短期滞在だったんです」


 どれほどこのときを願って来ただろうか。


「孤児院の人たちから異物と恐れられて、敵意を向けられて。人間という存在に絶望しかけていました」


 十数年、フェルトが己の裡で大きく膨らませてきた、


「でも、そんなわたしの心を、初対面の男の子が救ってくれました。味方になると言ってくれたんです」


 募り続けた感謝が、喜びが――愛しさが一気に溢れ出て、


「本当に、逢いたかった……」


 衝動的に、カーレル想い出の中の少年の胸へと縋りついていた。


「ちょっとフェルトっ?」

「……いけませんか?」


 軍服のコートに顔を埋めて、上目遣いの言葉。身を寄せる青年の高鳴りが、ダイレクトにフェルトへと伝わる。


 やがて息を小さく吐いたカーレルと目が合った。記憶の中の彼とは違う、逞しい腕がフェルトを優しく包み込み、


「……いや、突然のことで驚いただけだ。オレもずっと逢いたかったよ」


 遠い過去の想い出が、夕陽の下で結ばれる。


 夕陽に照らされたふたりの影が、そっと静かに重なった。



  §



 やがて影たちはゆっくりと、名残惜しそうに身を離す。発覚した事実、そして衝動的な行動が気恥ずかしく、互いの視線が合わせられない。


 居た堪れなくなった空気を誤魔化すように、


「そ、そろそろ帰ろう。皆も心配するだろうし」

「え、ええ、そうですね。わたしも一緒に来ていたランディと、合流……」


 そこでフェルトは、はたと我に返って顔を上げる。そうだ、そういえば一緒に来ていたはずの少年が――


 弾かれたように素早く周囲を見回し、フェルトは見つけた――見つけてしまった。


 

 物陰からこちらを注視する、五対のまなこ



 ランディ、レイチェル、オルハ、ミレーナ、そしてオズワルドの視線と目が合い――


「「あっ」」

「「「「「どうぞどうぞ、お気になさらず続けてください」」」」」


 盛大に気を使われた。


 各々の手には、ご丁寧に望遠具が握られている。思わず静止してしまったふたりの前に、見知った面々が並び立つ。


「隊長のの経緯は知ってたけど、相手がカーレルだったとはな。その想い出の言葉と同じのを聞いたときからもしかしてと思ってはいたんだが」

「――えっ」

「ちょっとランディっ」


 頭の後ろで手を組んだ少年の暴露にカーレルが仰け反り、フェルトが慌てて制止する。


「この子たちから相談を受けていたとある人探しの件なのだけど……すでにご存じの通り、フェルト隊長の想い人はそこにいるカーレルです」

「施設移動の時期や経緯を調べるのに私も協力したぞ。間違いない」


 特務調査悪戯同盟として相談を受けていたミレーナとオルハが情報を裏付け、


「そして話を聞きつけて、場のセッティングを依頼したのが私だ」


 なぜかいるオズワルドが鷹揚に首肯する。


 どうやらこの場の再会は、謀られていたものだったらしい。


「……というかオズワルド総長はどうしてここに?」

「私はふたりから相談を受けていたからな。もちろん君たちの関係も知ってて黙っていた。カーレルにフェルト隊長絡みの任務と関わらせなかったのも意図的だ。なぜなら――」


 すぅ、っと息を吸い込み、


「――その方が面白そうだったからだっ!」


 渾身の一喝。


「それに君たちが互いの正体を知ったら、すぐにくっついてしまうだろう」


 ジェスチャーを交えての丁寧でお節介な解説に、カーレルとフェルトが硬直する。しかし悲しいかな、ふたりの受難は始まったばかりだ。


「フェルト隊長は以前私に、『この部隊は任務に支障のない範囲での恋愛は自由』と仰っていましたけど、このための布石だったんですね。私感動しましたっ」

「レイチェルそれはそういう意味ではっ」


 徹底的に状況を楽しむ翡翠の瞳。さんざん聞かされた惚気の鬱憤を晴らすように、緋髪の少女は口元をにんまりと歪めて、


「カーレルさんはこの街の『守護者』だったんですねー」

「いや……やめて……」


 幼子のように首を振るフェルトを無視し、レイチェルは隣のランディをひっ捕まえる。困惑する少年の胸に縋りつき、上目遣いで、


「『……いけませんか?』」

「もういやぁっ」


 過去最高の取り乱しで、フェルトが顔を覆いその場にしゃがみ込んでしまう。巻き添えを喰らったのは、同じく衝撃に打ちのめされたランディだ。


 街を救った立役者のヒュドラは、仲間からの波状攻撃に敢え無く轟沈した。


「カーレルには面倒ご……やってもらいたい仕事が沢山あったからな。その段階でヒュドラルギュロスへと引き抜かれるのは得策ではなかったのだよ」

「オズワルド総長、今面倒ごとって――」

「ん、いや違ったか。『竜のつがい』として引き抜かれるのは得策ではなかったのだよ」

「そこじゃない上に言い方の問題でもないっ」


 状況に押され、カーレルもとうとう普段の冷静さをかなぐり捨ててしまう。


「それで機を図っていたところにそちらのミレーナ嬢から相談があって、今回のゴタゴタの解決だ。これ幸いと情報を共有するついでにこの場を調整してもらったのだ」


 ばしっと親指を立て、歯を輝かせて、


「お陰でが見れたぞ」


 オズワルドの言葉に、後ろの面々がうんうんと頷く。


 想い合った恋人同士の告白劇は、人類共通の娯楽である。だがそれは、衆人環視の中で観測される当事者たちからすれば、たまったものではない。


「お前らぁ……っ」

「やべっ、カーレルが怒り出したぞ」

「ふむ、ここは逃走一択だな」


 憤慨したカーレルが皆を追いまわし、高台の上が騒がしくなる。


 その中心で、


「……あわわ。わたしは今後どうやってカーレルさんと、その、お付き合いを……」

「あぁ? 隊長、何言ってんだよっ」

「フェルト隊長。そこは健全で、順序だった付き合いに、決まっているでは、ないかっ」

「カーレル、今こそ、男の甲斐性を、見せるときよっ」

「幼少期からの、想い人同士……私、応援しますっ」

「お前たちは、今回の立役者だからな。挙式は盛大に、執り行おうっ」

「他人事、だからって、おちょくってるんじゃ、ないだろう、なっ」

「「「「「え、もちろんその通りですが」」」」」

「……ああ、そうか」


 キャッチアンドラン追いかけっこ中の会話に、カーレルの中で何かがぷつんと切れた。


 すらりと腰に佩いている剣を抜き放つ。据わった眼が無粋なギャラリーを捉え、刃が分裂して宙を舞う。九の竜爪が、落ち日を跳ね返して煌めいた。


「――やべぇ、あいつ本気で剣を抜きやがったっ⁉」

「え、ちょ、ちょっと、どうするんですかっ⁉」

「あー、こういうときに切れやすいのは昔から変わらないわねぇ」

「少々遊び過ぎたか。では後は若き戦士たちに任せて古兵は撤退しよう」

「ランディ、レイチェル。あとは頼んだぞ」

「「ふぁいっ⁉ ちょっと待ってっ⁉」」


 迅速な逃げ足を発揮し、三名が場を離脱。悪い大人たちに見捨て……栄光ある殿しんがり託された押しつけられたランディたちが素っ頓狂な声を上げる。


「覚悟はいいなお前ら……」

「……おい、あいつ目が据わってるんだが」

「……ランディ行くわよ。この死地を、切り抜けるっ!」

「ああもう畜生っ! やってやるよっ!」


 各々の武器を構え、三人の蒼銀の眷属ヒュドラ・ブリードが対峙する。その、騒がしくも優しい夕映えの空の下。


 目を回し、口元をもにょもにょさせるフェルトの呟きは、意味を成さない。


 ひとり蹲る蒼銀の竜は、陽が沈みゆく空同様の茜色に染まっていたのだった。

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蒼星のイストリア ~ヒュドラルギュロス~ Noacht @Noacht

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