終章

035 アイグレーの領主

「この服、堅っ苦しい。動き辛い。早く脱ぎたい」

「もう、ランディったら。ちょっとは我慢しなさいよ」

「そんなこと言ったって。レイチェルは大丈夫なのかよ」

「確かに少し慣れないけど、デザインも可愛いし、これはこれでありかもしれないわね。……それに、そんな服を着たランディも、その……かっこいいし」

「ん? 何か言ったか?」

「な、何でもないわ」


 異形の侵攻を乗り切って数日。超常の回復力で傷を癒したヒュドラルギュロスへと、領主館から呼び出しがかかった。


 内容は、今回の異変解決に尽力した者たちへの表彰。他の参列者がいないとはいえ、初めて招かれる公式の場だ。


 突貫で儀礼服を用意され、作法を叩き込まれたランディたちは辟易していたのだが。


「おふたりは領主様と面識があるんですよね。どんな方なんですか?」

「ふふふ、そうですねぇ……」

「それは会ってからのお楽しみだな。けど、一つ言えることは」

「言えることは?」

「お前たちは間違いなく驚くだろうな、ってことだ」

「どういうことだよ」

「ヒュドラルギュロスの皆さま。どうぞこちらです」


 やがて時間が来たのか、案内の人間が待機室に顔を出し、フェルトたちを先導する。移動の最中で緊張が高まってきたのか、ランディとレイチェルの顔が強張ってゆく。


 そんな彼らを見守るカーレルとフェルトは顔を見合わせ、苦笑しあっていた。事実を知ったとき、ふたりはどんな反応を返すのだろう、と。


 カーレルの後任たちが警護する、両開きの扉。たどり着いた部屋の前で案内係がノックし、


「オルハ様、ヒュドラルギュロスの方々をお連れ致しました」

『案内ご苦労。通してくれ』

「失礼致します」


 一行を代表してフェルトが挨拶し、豪奢な扉を潜って案内された室内へと入ってゆく。その頃になるとランディとレイチェルは固まっており、動きがぎくしゃくしていた。


 部屋の奥には、豪奢なドレスを纏ってこちらへと背を向けるハニーブラウンの髪の女性。補佐であろうスーツ姿の銀髪の女性は腰を折って頭を下げ、表情は伺えない。


 木製の執務机を挟み、双方が対面した。


 室内に他の人影がないことを確認したカーレルが悪戯を思いついたように口元を上げる。視線でフェルトを制した後に、少年の耳元へと口を寄せ、


(ランディ。お前が代表で挨拶だ)

「へぅあっ⁉ な、なんで俺がっ⁉」


 想定外の無茶ぶり。今いる場がどこかすら忘れてしまったように、ランディが素っ頓狂な声を上げた。


 やり取りを聞いていたであろう領主と補佐の肩がぷるぷると震え出す。それを怒らせてしまったと解釈したランディの頭の中は、真っ白になった。場を取り繕うように、必死に頭を働かせて、


「あ、あ、いや、悪、失礼しま……致しました。俺――ワタクシたちは、その――」

「ちょっとランディ、落ち着きなさい。何言ってるか全然分からないわよっ」

「じゃあお前が変わってくれよ。俺こういうのすげぇ苦手なんだよっ」

「こっちに振らないでよっ。私だってどうしたらいいのか――」

「――くくく」


 幼馴染組のアワアワと慌てる声を聞き、押し殺したような笑い声が聞こえる。はっと今いる場所を思い出し、我に返ったランディたちの顔面が蒼白になり、


「カーレル、悪戯が過ぎるぞ」

「貴方ほどではありませんよ。オルハ様」


 忍び笑いの主――領主オルハが振り返った。


「え……おい、冗談だろ」

「まさか、貴方は……」


 ランディとレイチェルに、驚愕が浮かぶ。視線は一点、眼前の女性に注がれ――


「改めて自己紹介をしよう。私はオルハ、オルハ・アイグレ―。この街で領主の立場に就いている。――ランディ、レイチェル、よく無事に帰ってきてくれた」

「ハル、先生……」


 ハルが――オルハが、優しい眼差しをふたりへと向けていた。


 状況を静観していたフェルトが呆れたような表情を浮かべ、


「紹介しますね。こちら正真正銘の、この街の領主様ですよ」

「……フェルト隊長。言葉に少し棘がないか?」

「悪戯の発起人が何を偉そうに言いますか。ですよね、ミレーナさん」

「そうですねフェルト隊長。私もオルハ様が悪いかと」


 ジト目を向けるオルハに対応したフェルトと領主補佐ミレーナはしかし、すまし顔だ。


「……ドッキリ、って訳じゃないですよね」


 ようやく事態を飲み込んできたレイチェルが微かに目を細め、


「どういうことだよ。俺たちを騙していたのか?」


 ランディの言葉に、明らかな剣呑さが混ざっていた。


 教え子たちからの非難を甘んじて受け入れたオルハは目を軽く伏せる。


「先ずは謝罪を。私の本来の立場では、今回のような機会でもない限りお前たちと接触できないんだ。その意味で、カーレルの申し出を利用したことは認める」


 机を回り込んでふたりの前に立ち、身を屈めて目を合わせ、


「だが、お前たちと交流するうちに愛着が湧いたのも事実だ。今更信じてもらえないかもしれないが、お前たちが無事に帰ってきてくれて本当に嬉しく思っている」


 向けられる真摯な瞳には、確かな安堵が浮かんでいた。


 オルハの言葉に嘘偽りはない。そのことは確かにふたりへと伝わっている。


「……無事、なんかじゃありません」


 切り出したレイチェルと視線を合わせ、


「俺たちは、あの戦闘で死にかけたんだ。だからハル先生との約束を守れていないんだよ」


 合流した直後に意識を失ったランディと、寄り添うように眠ったレイチェル。その負傷はカーレル以上で、よく死ななかったものだと感心されたくらいだ。


 ランディが気まずげに顔を逸らし、頬をぽりぽりと掻き始める。


「ですから、私たちはカーレルさんと同じ落第生なんです。そんな私たちが貴方に文句を言える筋合いはありません」

「だからこれでお相子だ。また、俺たちに勉強を教えてくれよ、その……ハル先生」

「お前たち……」


 照れの混じった教え子たちの言葉に、オルハが目を見開いた。そのまま感極まったかのように、ふたりの生徒を優しく抱きしめ、


「……ああ、ああ。もちろんだ」


 領主の瞳には、微かに光るものが浮かんでいた。

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