第28話 無力
なぜアヤナは、待ち合わせ時間になって、あんな罵倒メッセージを送ってきたのか。本当に鬱陶しいと思っているなら、もっと早くブロックするはずなのに。
ぎりぎりまで迷っていたのか。しかし、他人との接触を断ちたがるような子が、わざわざ暴言を吐いてくるだろうか。黙ってブロックすればいいだけの話なのに。
もしかして、無視したらいつまでも待っているだろうから、気を遣ってくれたのかもしれない。怒らせて、もうあんな子知らないと思わせて、心理的負担がかからないようにという意図だったのかも。
社務所に戻ったいつきは、自宅に内線電話をかけた。「康博くんに、アヤナちゃんが無事がどうか確かめてもらえないかな」と、鈴にお願いする。
社務所で本日の業務を父と分担する。
参道をほうきで掃いていると、鈴が自宅から出てきた。一瞬期待したが、妹の表情はあまりかんばしくない。
「画伯から連絡あったけど」
そう言って、鈴がスマートフォンの画面を見せる。
『お姉さんと知り合いだってことはばれてるから、ストレートに「穂積教本院の神主さんが心配してたけど、大丈夫?」ってDMしてみた。「既読」はついたけど、レスはない……』
やはりだめか。余計に鬱陶しがられたかもしれない。
もう七時半だ。今日は日曜日だし、寝ている可能性もある。
「そっか。ありがと。……鈴ちゃんもそろそろ出かけるでしょ? 頑張ってきて」
携帯を返して、掃除に戻る。
そういえば、アヤナの状況を何も知らない。
ツイートを見た限り、親の手前登校しているようだが、連日の寝不足のせいで体調を崩していたかもしれない。
そもそも、どうして「この世なんて大嫌い」になったのかも知らないのだ。
小一時間ほど掃除をして、社務所に戻った。
ダミーのアカウントから、アヤナのツイートを見る。
『バイバイ! 暗かったあたし。 #092』
短いツイートに、自撮りした写真が添えられていた。
制服をきっちりと着込み、寂しげな笑みを浮かべた顔が、隠されることなく写っている。
どこか建物の上で撮ったのだろう、後ろに山や家並み、そして校庭が見える。段ボールで出来た白い門のようなものも写っている。文化祭のアーチだろうか。
ということは、撮影場所は校舎の屋上だ。投稿時間は、八時十分。
制服がわかったから、通っている高校が割り出せる。
しかし、「バイバイ」というのはどういう意味だろう。心機一転、生まれ変わったつもりで、というのならいいけれど──。
嫌な予感がする。
「管長!」
社務所の事務机で
「申し訳ありません、急用ができました。一時間ほど外出します」
ちょっと待ちなさい、という父を振り切って、いつきは携帯と財布と車のキーを持って、袴のまま飛び出した。
駐車場まで走り、車のエンジンをかける。あの制服は、市内のS高校だ。こんな近くに通っていたとは。
信号待ちのたびにいらいらしながら、S高校を目指す。
サイレンの音が近づいてきて、対向車線に救急車が現れる。道をあけてください、というアナウンスに、両車線の車がそれぞれ端に寄る。いつきも車を路肩に寄せ、救急車がすれ違うのを見送った。
冷たい手で背中を撫でられた気がした。
全身が総毛立っている。
嫌な予感を、必死で「気のせい」と言い聞かせながら、先を急ぐ。
高校が見えてきた。
校門前に人だかりがある。生徒も一般の人もいる。
すすり泣く声や、体育館へ行くよう誘導する先生の声が聞こえる。
何かあったのだ。
路肩に車を停め、校門前へと急ぐ。
すれ違った中年女性二人組の話し声が聞こえた。
「飛び降りなんてねぇ。しかも文化祭の日に」
「親はたまらないでしょうね」
全身から一気に血の気が引く。
空っぽになった頭の中に、「バイバイ!」というアヤナの声が何度も響く。
校門にたどりつく。校舎正面にはロープが張られ、警察官が立っている。
その中では、現場検証が行われているのか、複数の人たちが地面に屈みこんで作業をしている。
その中央に、見える。
地面に叩きつけられたアヤナの残像が。
そして、立ち尽くしているアヤナの幽体が。
一昨日会った女の子と同じ顔の女子高生が、制服を着て、首をかしげている。
彼女は、いつきに気づくと、「バイバイ」と口を動かした。
とたんに、額が割れて鮮血がどくどくと顔に流れる。
「アヤナちゃん!」
いつきが叫ぶと、彼女は寂しそうにほほえんで、消えた。
どうやって家に帰ったのか、覚えていない。
校門前で倒れたいつきは、近所の人に介抱されて目を覚ました。
休んでいきなさいと勧める初老の女性に、「ご迷惑をおかけしました。大丈夫です大丈夫です」とうわごとのように繰り返し、ふらふらしながらその場を辞した。
神社に戻ったはいいが、目眩と吐き気が止まらず、しばらくトイレに籠もった。
(助けられなかった。絶対守ると誓ったのに!)
体の震えが止まらず、とても神前でお勤めできる状態ではなかった。現実を認めるのを、全身が拒否していた。
休ませて欲しいと父に頼んで自室に下がると、白衣と袴を脱いで衣桁にかけた。「神主」の状態がオフになったとたんに、いつきは足の力が抜けて泣き崩れた。
悲しいのか悔しいのか申し訳ないのか、わからない。とにかく混乱していた。枕に顔を押しつけ、言葉にならない感情をすべて叫び声に変えた。
どうして待ち合わせを今朝にしたのだ。せめて昨日にしていれば。あのとき住所を聞いておけば。もっと早く行動していれば。
ようやく思考を言語化できるようになって、いつきはこのことを報告するために携帯電話を取った。
LINEの第五十四期生グループを開くと、みんなが今朝のアヤナの投稿について「大丈夫か」と心配する書き込みをしているのに気づいた。
(みんなに協力してもらったのに、助けられなかった)
再び無力感に襲われてうずくまる。
すべて無かったことにできればいいのに。
しかし、寂しそうにほほえんだアヤナの顔が、消えることなくまぶたの裏に張りついている。
いつきは身を切られるような思いで、事実のみを書き込んだ。
『今朝、アヤナちゃんが学校の屋上から飛び降り自殺をした』
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