第29話 どん底

『今朝、アヤナちゃんが学校の屋上から飛び降り自殺をした』


 事実を書き込むのが精一杯で、何もコメントできなかった。


 しばらくして通知音が鳴ったが、確認する勇気もなく、いつきは携帯を机に放り出したまま頭を抱えた。


(受け止めきれない。このまま逃げ続けたい。どうしていいかわからない!)


 ひとしきり泣いたあと、ドアをノックする音が聞こえた。

「お姉ちゃん、大丈夫?」


 鈴が帰ってきたらしい。時計を見ると、もう夕方だった。


 立ち上がって、ウェットティッシュで顔を拭く。鏡に映った自分は、目が腫れて別人のようにひどい顔をしている。泣きすぎて、脱水症状で頭が痛かった。

 ドアを開けると、めかし込んだ鈴が、服に似合わない深刻な表情で立ち尽くしている。言葉が出てこなくて、しばらく見つめ合ってしまう。


「ごめん、まだちょっと混乱してて……」

 いつきはまた涙が出そうになるのをこらえ、絞り出すように言った。


「無理もないよ。あたしも、画伯も、すごく悲しいし、悔しい」

 二人も、アヤナにじかに会っている。やはり彼女の自殺のことは……、と考えて違和感に気付く。


「なんで康博くんも知ってるの?」

 まさかと思って、いつきは机に放り出したままの携帯を手に取った。


「見ない方がいいよ」

 押し殺した声で言う鈴の忠告を無視して、Twitterを開き、パイドパイパー関係のリストを表示させる。


パイドパイパー @Pied_Piper

幽世かくりよへ赴いた英霊に敬礼! みんなもアヤナのように勇気を出せ』


 アヤナの「バイバイ」という最後の写真付き投稿を、引用リツイートしている。


 腹の底が急激に熱くなる。

「死んでまで……こんな扱いを受けて……!」


 混乱していた感情が、「許せない」という想いに集約していく。


「落ち着いたら話そう。とりあえず、また後で」

 鈴が部屋を出て行く。


 扉が閉まると、いつきは枕を殴りつけてパイドパイパーへの怒りをぶつけた。

 怒ったり茫然としたりを繰り返していると、ドアをノックする音が聞こえた。


「大丈夫か、いつき」

 父の声だ。顔を拭いてドアを開けると、父はまだ袴姿のままだった。

 もう閉門の時間だが、仕事が残っているのか。


「申し訳ありません、ご迷惑をおかけしました。もう大丈夫です。白作務衣に着替えて社務所に戻りますので」

 いや、無理はして欲しくないのだが、と父が口ごもる。


「葬祭の依頼が入った。氏子さんの紹介で、初めての方だ。年祭まできちんとできるのか確かめたいし、葬祭詞を書くのに故人の経歴も必要だ。今からご自宅へ出かけて、枕直しの儀を行ってくる。留守番は鈴に頼むのだが」


 父はいつきに、明日からの通夜祭や告別式に副斎主として勤められるか、と訊きたいのだ。


 ふと、アヤナの顔が浮かんだ。


「もしかして、亡くなられた方は、高校生の女の子では」


 父がうなずく。

「ああ。今朝、校舎の屋上から飛び降りたそうだ」


 目の前が真っ白になり、いつきは足の力が抜けてその場にしゃがみこんだ。


「大丈夫か、いつき」

 足の裏に力を入れて、なんとか自力で立ち上がる。


「少し……知り合いだったのです。だから」


 続く言葉を、父がさえぎる。

「では、副斎主は別の神社に依頼して来てもらおう」


「いえ、あの、私にやらせてください」


 断るのは逃げだと思った。アヤナの最期に向き合わなくては。

 しかし、父は低い声で「だめだ」と告げた。


「知り合いで、思い入れがあるなら特に。……我々神職は、常に動じず、大樹のように泰然としていなければならない。でないと、ご遺族の方々の支えになれないのだ。我々まで一緒に嘆き悲しんでしまっては、故人を送ることも、ご遺族を徐々に立ち直らせて日常へ導くことも、できなくなってしまう」


 わかっている。穂積教本院の神職となったときに、何度も言われた。


「我々に悲しむ権利はない。故人が後の世で平安を得るため、ご遺族のため、粛々と、全力で葬祭を執り行わなくてはならない。……それができないなら、参列者として故人の死を悼みなさい」


 父の声は厳しかった。

 上司であり、神様や亡くなった方の霊に仕える神職の台詞だった。


 正直、理性的に勤めを全うできる自信はない。

 けれども、これは自分がなさねばならない仕事だ、と直感する。


 葬儀場やお寺がたくさんある中、わざわざマイナーな穂積教本院に依頼が来た。アヤナが仕向けたとしか思えない。

 引き受けなければ。


「どうしても、私がやらなければいけないんです」

 いつきは頭を深く下げた。


「……前に言っていた、洗脳されているから保護したい子だったのだな。では、なおさら副斎主は無理だ」


「私情ははさみません。お願いします!」

 断られても、何度も頼み込む。やがて、父が根負けしたように言った。


「わかった。その代わり、葬祭は滞りなく、毅然と執り行うように。ミスや感情の揺らぎは、幽世かくりよの大神様や故人への重大な不敬だ」


「ありがとうございます。肝に銘じます」


 まだ人前に出られる状態ではないからと、枕直しの儀には同行させてもらえなかった。正直動揺が納まらないので、ほっとした部分はある。


 白作務衣に着替えて、社務所で準備にかかる。

 葬祭専用の鈍色にびいろの衣冠を出し、衣桁にかける。白木の霊璽れいじを取り出す。仏式でいう位牌で、アヤナの霊魂をこの依代よりしろに遷すのだ。

 表札程度の大きさのそれは、人一人の人生を集約するにはあまりにもちっぽけだ。


 夜、父が帰宅した。高校生の一人娘を突然亡くした悲しみで遺族も動転しており、なかなか話が進まなかったようだ。

 通夜は明日、告別式は明後日で、親族のみで密葬するとのことだ。


 父が書類を取り出す。クリアファイルの中には、故人の経歴を書き取った用紙、卒業文集のコピー、そして何枚かの写真があった。


 少しぎこちない笑顔を向ける制服姿の少女は、やはりアヤナだった。


 胸が締め付けられる。つい一昨日会ったばかりだったのだ。

 そのときは、ちゃんと歩いて、少し戸惑った表情をして、会話を交わしたのだ。背中を見送ったときは、また会えると思っていた。

 それなのに。


「祭詞はすべて、いつきが書きなさい。……それで気持ちの整理をしておくように」

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