第26話 前夜

 約束では、明日の朝四時半頃に、アヤナと河原で会うことになっている。


 彼女は来てくれるだろうか。

 それに、彼女も康博と同じ課題を受け取っていたとしたら、いつきと会話をしてくれるだろうか。


「明日が勝負か……」


「お姉ちゃん、あたしたち一緒に行かなくて大丈夫?」

 そう言って携帯電話の画面を切る鈴の後ろに、康博と約束を交わしている場面が見えた。


「でも鈴ちゃん、明日は康博くんと出かけるんでしょ?」

 言ってから、しまった、と思った。


 鈴は何も話していない。いつきが霊視しただけだ。

 が、妹は少し不思議そうな顔をしただけで、頭をかいて話を続けた。


「あれ、あたし言ったっけ。明日、画伯が大学へ行くのに付きそうんだ。転部を考えてるから、学生センターに話を聞きに行くんだって。学祭だから日曜日でも開いてるらしいし」


 そういえば、西園のおばさんも「もともと理系だったのになぜか文系学部に進んだ」と言っていた。


 あのとき玄関に置いてあったキープを、いつきは思い浮かべた。

 今なら、康博の残留思念のようなものが、うっすら読み取れる。


 女の子の姿が見えた。

 同い年のようだが、鈴ではない。


 いつきは少し鎌をかけてみた。

「そっか。あの女の子に会ったら気まずいもんね。いや、それより周りの子たちか」


「そうそう。画伯、ストーカー呼ばわりされて、大変だったみたい」


 不登校の原因は、ストーカーの濡れ衣か。


 先ほどの残像に、鈴が頭に思い浮かべた女子高生像が重なる。見覚えのある制服だ。

「その子、鈴ちゃんも同じ高校だったの?」


「うん。ちょっと気の強い、というか虚勢張った感じの子。画伯の片想いで、記念に同じ大学の同じ学部を受けたら合格しちゃって、他に受けてた理系の学部はだめだったみたい」


「ああ、そこだけ受かったことに、ちょっと運命感じちゃったんだ」

 由良に教わった通り、相手がもっと深く話せるよう相づちを打つ。


「そうそう。別に画伯は、その子にアプローチしようとかそういうの全然なくて、見てるだけでよかったのにさ」

「周りが、尾ひれをつけて話しちゃったんだね」


「まさにそれ! 飲み会のときに、『好きな子がいるからこの学部を受けた』って、プレゼミの男子に言っちゃったんだって。そしたら、大学まで追いかけてくるなんてキモイから始まって、パンキョウも調べ上げて同じのを受講してるだの、毎日通学電車で待ち伏せしてこっそり見ているだの、飲み捨てたペットボトルを拾って舐め回してただの、あることないこと言い立てられて」


 一般教養科目は単位を取りやすい授業に人気が集中するから、同学部なら受講が重なることなんてよくあるし、同郷でほぼ同じようなスケジュールで授業を受けていれば、同じ電車に乗り合わせることも多いだろう。まして田舎は一時間に一~三本しか電車が走っていないのだから。


「で、ある日、その女の子が教室にバッグを置いたまま飲み物を買いに行ってたら、口の開いたバッグからポーチが出されて、中のナプキンがはみ出てたらしくて。戻ってきた女の子は大泣き、同じプレゼミ生たちが彼女をなだめて犯人捜しを始めたんだけど、運悪くそこへ画伯が教室に入ってきて」


 訳もわからないうちに、犯人扱いされてしまったのか。


「かわいそうに……。それは大学行くのも怖くなっちゃうよね」


 まだ学校しか世界を知らない康博にとっては、すべてを失ったに等しいだろう。

 さっきまで立っていた大地が崩れ去って、もう足場がないのだ。


「動転したその子から、かなりひどい罵声浴びせられたって。話聞いて腹が立ったから、あたし高校の友達にその子の連絡先聞きまくって、やっと探し当てて話してきたの」


 我が妹ながら、行動がすばやい。鈴は、いらついたような早口で話を続けた。


「そしたらさ、画伯が登校拒否を起こしてからも、女子のバッグからナプキンを取り出す事件がいくつか起きてたんだってさ。大学側も『カバンを置いて席を離れないように』って張り紙したって」


「康博くん、完全に冤罪じゃない」


「その子も『西園くんには悪いことをした』って言ってた。それ画伯に伝えたら、ようやく大学に行く気になったみたい。でも、同じ学科には戻りたくないって」


 冤罪が晴れたこともあって、パイドパイパーの洗脳に再び毒されずにすんだのか。

 しかし、たとえ冤罪が証明されても、一瞬で周りが敵になった恐怖や、自分の無力さを思い知る絶望は、決して消えない。


「とにかく、早く普通の学校生活を取り戻せるといいね」


「転部試験は二月だから、これから受験生並みの勉強しなきゃだよ。必要単位数も取らなきゃいけないし。まあ、画伯なら大丈夫だろうけど。……ところでお姉ちゃん、服貸してくれない? レンガ色のロングワンピース」


「いいけど」

 どうして? と訊きかけていつきは言葉を呑み込んだ。

 いつも着ているジーンズではオシャレ度が足りないのだろう。


「オッケーオッケー! 今シーズンまだ着てないから、出すね。あ、ストールも使う? バッグは、もっさりした大きいカバンはだめだよ。小ぶりのかわいいやつね。あと、化粧品も貸すよ。つけまつげもあるし」


「いやいや、そういうんじゃないし」

 照れているというより困ったように、鈴が両手のひらをこちらに向けて制すようなポーズをする。


 確かに、鈴と康博からは恋愛めいた感情が読み取れない。純粋に仲間と思っているのだろう。

 異性だからといって単純に恋愛に結びつけるのは下世話だし、時代遅れということか。


「そっか。でも、もし濡れ衣着せたやつらに遭遇したら、小綺麗な女子連れだとちょっと鼻を明かせるかもよ」


「うん。あたしもそれ狙いなんだ。もうあの子には興味ないって意思表示にもなるだろうし、画伯も気持ちにけりはついたみたいだし。……実はその女の子に、明日画伯が登校するから謝りに来て、って言ってあるんだ」


 康博の心のわだかまりを一気に取り去る作戦なのか。根回しがいい。


 本当は、康博を貶めた学生たちの価値観に合わせるような手段を使うのは、嫌なのだろう。けれども鈴は、少しでも自分の友が有利に動けるよう、手を尽くそうとしている。


「そういうことなら、他の男子がうらやましがるような女子大生に仕上げなきゃね」


 姉妹でクローゼットの服を吟味して何度も試着する。

 きれい系か、かわいい系かで議論し、アイラインの入れ方やつけまつげのつけ方を研究し、ようやく明日の装いが決まったときには、すでに二時間近く経っていた。


 二人とも明日は勝負なのだからと、それぞれの部屋に戻る。


 目覚ましを四時にセットして、いつきは早々に床についた。

 大丈夫、すべてうまくいっている、と自分に暗示をかけながら。

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