12

 「ひかりの園」のことを今でも仔細に思い出せるのは、それがあたしたちの、最初で最後の旅行だったからだ。あれはあたしが小学六年生のときの夏休みだ。いきなり「旅行に行くから今すぐ支度しろ」とババアに凄まれ、あたしたちは慌てて数日分の着替えだけをリュックサックに詰め込み、家を出た。夜中に家を出るのは夜逃げみたいでわくわくした。タクシーに乗せてもらえるのも珍しかった。京都駅まで行って夜行バスに乗り換えた。二席二列シートの安っぽい夜行バスで、トイレもついていなかった。智子と恵子がとなりどうしで座り、ふたりは夜中までひそひそ声のおしゃべりで盛り上がっているようだったが、あたしのとなりはババアだったから、ひたすら寝たふりをした。あんまり眠れなくて、ときどき薄目を開けてババアの顔を盗み見た。窓ガラスに映るババアの顔は、いつもの怒っている顔じゃなくて、それが怖くて、あたしはぎゅっと目を瞑った。

 朝になり、人のほとんどいない駅のロータリーであたしたちは降ろされた。その夜行バスはいくつかのバス停にとまるようだったが、そこで降りたのはあたしたちだけだった。一台だけワゴン車が止まっていて、日焼けしたおじさんが運転席から降りてくると、何度もババアに頭を下げた。あたしたちを迎えにきてくれたのだと分かった。そのおじさんは今までに会ったどの大人よりもあたしたちを丁重に扱ってくれて、気味がわるいほどだった。おじさんに促されるまま、あたしたちはワゴン車に乗った。後部座席が三列ぐらいあったが、あたしと智子と恵子は一番後ろのシートに、ぎゅうぎゅうになって座った。冷房が届かなかったのか、ひどく暑かったように覚えている。なんだか気まずくて、車が動き出しても三姉妹とも何も言わなかった。おじさんとババアが何か会話しているようだったが、エンジン音がうるさいし、遠いからあんまり聴こえなかった。行き先は「ひかりの園」とだけババアが教えてくれた。

 「ひかりの園」は片田舎の駅からさらに車で一時間ぐらい走ったところにあった。すれ違う車のほとんどないぐねぐねの林道は、やがて切り立った針葉樹林のなかを通る酷道へと変わった。林を出ると、砂利道は崖のすぐそばを走った。崖の向こうにはあおい海が広がっていて、崖と道を隔てるものが何もなかったから、怖かった。いや、果たして怖かったのは、そんなことだったのだろうか。とにかく「ひかりの園」に着くまでのあいだ、あたしたちはひどく何かを恐れていたのを覚えている。そしてその恐れは、ババアに対するそれとちがう種類のものだった。

 やがて崖の先端に辿りつくと、そこにコンクリート製の建物があった。その前に車は止まった。あたしたちのワゴン車以外に止まっている車はいなかった。おじいさんがスライドドアを開けてくれたので、車から降りた。崖はだんだん高く傾斜する形であったため、見渡すと遠くまで海が広がっており、水平線には大型の船が見つけられた。陸地は見えなかった。どうしてか後ろを振りかえることはできなかった。あたしはただ、正体のわからない恐れに惹きつけられるように、目の前の建物を見た。

 強く吹く潮風に晒されているためか、灰色の壁面はあちこちが変色したり形が削られたりという無残な姿だった。二階建てで、窓がやけに小さく、それぞれに鉄格子が付けられている。建物は十字架が地面に置かれたような形をしていて、ちょうど中央部の屋上には銀色の十字架が立っていたから、ヤスさん関連の施設なのだろうと思った。庭先には石造りの簡素な門があり、文字が刻印されていたが、記号のようなそれは意味が分からなかった。


 あたしたちは「ひかりの園」に案内された。とにかくしろくて、しずかな施設だった記憶がある。ちいさな部屋に通されて、ババアは用事があるのか、しばらく待たされる形となった。部屋には知育玩具や人形が置かれていたが、そんなものに興味はなかったし、怖くて触れなかった。本棚から恵子が本を出してきた。

「なに読んでんの?」

 後ろからのぞきこむと、こちらも記号みたいな文字で書かれており、まるで理解できなかった。

「分からへん」

 しかし絵柄がおもしろいのか、恵子は微笑みを浮かべたまま、わりあいリラックスした様子でページをめくっていた。

「よくそんな気持ち悪いもの触れるね。ね、智子?」

 智子はずっと顔をこわばらせたまま、直立不動で窓のむこうの海を見ていた。

「おーい、智子。泣くなよ」

 口元を固く結んで頷いた智子の顔つきは、見たことがないぐらい凛としていて、なにかの覚悟を決めたあとのようだった。

「……なんかこの場所、死の匂いがする」

 しばらくぶりに口を開いた智子は、そう呟いた。智子らしくもない曖昧な表現だった。智子のいう「死の匂い」は分からなかったが、たしかにその部屋からは異様な匂いがした。血の匂いにも、尿の匂いにも似た、人間らしい、しかし感じたことのない匂いをかぐと、どうしてか頭がおかしくなりそうだった。

「……ちょっと、怖いこと言わないでよ」

 智子の手を触れると、おそろしいほど冷んやりとしていた。

「するもん。死んだ蝉と同じ匂いがするもん」

 智子の顔色は蒼白で、くちびるは青紫色に染まり、震えていた。その頃、智子は蝉の標本を作るのが趣味だった。その夏休みも裏山で蝉を捕まえて立派な標本を作る、いつもの夏だったはずなのに、どうしてこんな怖い思いをしないといけないのか、と考えると、だんだんババアに腹が立ってきた。

「……この場所、蝉の標本と同じ匂いがする。わたしたちも、標本にされちゃうんだ」

 智子がいっそう表情をこわばらせて言うと、うしろで恵子がげらげら笑った。

「智子さん、おもろいこと言うなあ。うちより絵本書くの上手いんと違うか」

 恵子の表情はいつものあっけらかんとした笑顔ではなく、皮肉なかたちにくちびるが歪んでいた。その表情はいつもより大人びて見えた。絵本をよく読んでいるからなのか、当時から恵子は三姉妹の誰より精神的に成熟していた。

「なんでそんなに平気そうなの? 恵子、怖くないの?」

 あたしが強い口調で言うと、恵子は意味ありげな微笑みのまま、ゆっくりと首を横に振った。

「怖いで。せやけど、美子のが怖いやろ。智子さんのがもっと怖いやろ。うちが怖がったら、ますます怖くなるやろ。せやから、うちは平気なフリしてんねや」

 恵子はそう言い、絵本を閉じた。もしかすると、絵本は読むフリをしていただけで、内容は追っていなかったのかもしれないと思った。恵子はふだん、知らないものを不用意に手に取ったりはしない。恵子もまたこの異様な空間に怯えていて、落ち着いてはいられないのだと察した。

「……ちゃんと、帰れるのかなあ」

 智子がぽつりと呟いた。あたしは大きく頷いてみせる。

「当たり前じゃん。ぜったいに帰るよ。三人で」

 ババアと暮らす家なんて嫌いでたまらなかったはずなのに、早く出たくてしょうがなかったのに、今になってあの場所が狂おしいぐらいなつかしく思えた。あの場所からは「死の匂い」がしない。あの場所からはババアの「足の匂い」と「口の匂い」しかしない。気持ちわるくて大嫌いだったそれは、死の匂いからは一番遠くて、あの場所であたしたちが生きてきたことを、ひどく尊く思った。


 ふと振り返ると、部屋の間口に子どもたちが立っていてぎょっとした。四、五人だっただろうか、まるで気配を感じさせず、音もたてず、そこに歩み寄ってきた様が異様だった。子どもはみんな女子で、五歳から十歳ぐらいに見えた。おなじおかっぱ髪で、ましろいワンピースを着ていて、きれいな顔立ちだったが、まったくの無表情なのが印象に残った。

「なに見てんのよ!」

 あたしが叫ぶと、彼女たちは声を出さないまま、身振りで相談を交わすような所作を行った。今なら分かる、あれはおそらく、手話だった。やがてあたしたちに飽きたのか、ひとり、またひとりと去っていった。

「逃げんのかコラ!」

 あたしは廊下に飛び出して彼女たちの背中に声を浴びせたが、誰も振り向かなかった。彼女らはみんなはだしで、去っていくときもまるで音を立てなかった。

 みんな消えたあと、恵子が口にした言葉をよく覚えている。

「ひかりの子どもたちやなあ」

 それはその後しばらくして小説を書くようになる恵子の感性の萌芽であったようにも思う。それでも、恵子は「ひかりの園」のことを小説に書いたことは一度もなかった。それでもなお、恵子が書いた全ての小説のなかには「ひかりの園」のことが現れていると、しろくてしずかな表現を見つけたとき、そう思う。たとえば恵子があたしのことを書いたとき、あたしを「ひかりの子ども」として書いてくれていたと、そう思ってもいいんだろうか?


 しばらくしてババアがおじさんと一緒に帰ってきた。おじさんはましろいワンピースを三枚持っていて、あたしたちはそれを着せられた。日焼けしたおじさんの腕はがっちりとしていて、逆らえそうになかったし、奇妙なぐらいやさしそうなおじさんの表情には威圧感があって、拒絶できなかった。

 ワンピースを着るまえ、三人とも裸にさせられた。恵子がいちばん胸が大きかったので、ブラジャーをしていた。あたしはブラジャーはしていなかったが、初潮はすでに迎えていた。智子は胸は真っ平らだったものの、身体はいちばん大きかった。あたしたちの裸を並べて眺めるおじさんの目は、品定めでもしているかのように事務的で、「標本みたい」と言った智子の言葉を思い出した。あたしたちはその時点で性に芽生えてはいない。だからおじさんの目線にあったかもしれないぎらつきも、今となっては分からない。おじさんのたくましい手が下着をおろす流れであたしの股間に触れたときも、何も思わなかったし、感じなかった。だからあたしたちの性は、いまでもあの場所に釘付けにされているような気がする。標本のように。


 しろいワンピースに着替えると、あたしたちは大部屋に連れていかれた。大部屋ではいわゆる「ひかりの子どもたち」があたしたちを待っていた。

「……あたしの名前は美子。この子がひとつ下の妹の、智子。で、こっちがいちばん下の妹の、恵子」

 おじさんが去ったあと、黙っているのもしゃくなので、あたしはひかりの子どもたちに自己紹介をした。智子はあたしの背中のうしろに隠れたまま身を小さくしていた。恵子も何も言わず、目を大きく見開いて、ひかりの子どもたちの様子をうかがっていた。

 ひかりの子どもたちは再び手話で相談したのち、リーダーなのだろうか、いちばん年上と思われる少女があたしに歩み寄ってきた。顔立ちはあたしより二つか三つぐらい年上に見えたけれど、身体はあたしより小さくて、痩せ細っていた。髪は長く、真っ白で、ひかりの子どもたちのなかで一番きれいに見えた。

 彼女は無表情のまま、あたしに人形を手渡してきた。金髪で青い瞳をした女の子の人形で、服は着ておらず、不気味だった。

「あたしら人形遊びするような年齢じゃなくない?」

 そう不平を訴えたのだが、少女はまるで言葉が理解できていないとでもいうふうに首をかしげ、あたしの手を引いて座らせた。なんだか面倒くさくなって、あたしは彼女の遊びに付き合うことにした。智子と恵子も別の子と遊んでもらうようだった。智子は人見知りが激しいため、身体をひどくこわばらせていて心配だったが、恵子のほうはすでに打ち解けたみたいで、色黒の少女と笑い合っていた。

 相手の少女と接しているうち、どうやら彼女は声が出ないんじゃないか、ということに気づいた。ひかりの子どもたちのうち、あたしと同年齢か年上に見える女子は誰も声を発していなかった。智子の相手も声が出ないようで、ふたりは無言のままオセロを遊んでいた。恵子と同い年ぐらいの子は声が出るようだったが、意味の分からない言葉ばかりしゃべっていた。恵子はそれが面白いらしく、その言葉を繰り返してはげらげら笑っていた。

 コミュニケーションは難しかった。あたしと相手の少女は、あいだに人形を介し、不器用な身振り手振りで意思を伝えようとした。あたしは相手に伝えたいことは特になかったけれど、相手の子はあたしに興味を持ってくれているのだと察した。小学校では男子にモテていて、その時点で四、五人に告白されたことがあった。彼らがあたしに思いを伝えるさい、表情ににじませる緊張感と同じようなものを、そのひかりの少女からも感じてしまい、戸惑った。つまり、彼女はあたしのことを好きなんだろう、と察した。

 ひかりの少女はあたしにキスをした。当たり前だが、初めてのキスではない。智子とも恵子ともしたことがあるし、ほかの女子ともあるし、男子とだってある。それなのに、今までにしたことのないキスだった。くちびるは焼けつくように熱く、あたしは頭がぼんやりしたまま、気がつくときつく閉じていたくちびるを開いていた。その隙間からあついぬめりがあたしのなかに入ってきて、誰にも触れさせたことのない歯の裏側をゆるやかになでた。口のなかは気の遠くなるような酸っぱさでいっぱいなのに、ときどき頭のてっぺんまで突き抜けるような甘みが走った。身体中の肉がひどい熱を放っていて、それなのに骨のひとつひとつが氷のように凍てついてる感覚だった。やがて彼女のくちびるはあたしのひとさしゆびを咥えた。舌先で関節のひとつひとつや爪のすきまを愛おしそうに舐めると、甘皮をきように剥いて、ひとさしゆびのすべてを飲み込むと、ゆっくりとした動きで入れたり出したりを繰り返した。あたしはあのときの感覚を「気持ちいい」という言葉では表現できない。「気持ちわるい」とも違う。しいていえば、何かがやってくる、そんな感覚が近い。それはあたしが初めて見つけた神だったかもしれない。頭のおくでひかりが強くなったり弱くなったりを繰り返し、その明滅はだんだん早く、激しくなり、最後のしゅんかん、脳裏に雷のような閃光がはじけ飛ぶ――。

 しかしあたしは、それを体験することは、なかった。うしろから智子の火のついたような号泣が聴こえてきたからだ。振り返ると、智子はワンピースをたくし上げられた半裸の姿で、ひかりの子どもたちに弄ばれていた。

「智子に何すんのよっ」

 あたしは指を舐めていた彼女を突き飛ばし、智子のもとに駆けつけると、ひかりの子どもたちをひとりひとりぶん殴った。智子を救いたい気持ちがもちろん一番強かったけれど、自分がたしかに感じていたなにかをごまかしたいという身勝手さもあった。恵子の姿をさがすと、恵子も同じように半裸の姿で、ひかりの子どもたちの好きにされていた。恵子はくすぐったそうに笑っていたが、とにかくあたしは憂さを晴らすかのように、恵子を囲むひかりの子どもたちを全員ぶっとばした。

 ひかりの子どもたちを守るかのように、あたしの相手をしていた、ひかりの少女があたしの前に立ちはだかった。そんな表情をあたしは見たことがあった。ヤスさんに祈るとき、誰もがみせるその表情によく似ていた。しかしひかりの少女のそれは、今までにあったどんな信者より、シスターより、神父より、落ち着いていて、しずかで、やさしいものであるように見えた。

 あたしはヤスさんなんて大嫌いだったから、そのひかりの少女を思いきり殴った。彼女は床に倒れ込んだが、すぐに立ち上がり、またあの表情であたしに向き直った。あたしはまた殴った。立ち上がってくるたび殴った。何度殴っても、彼女はまるで痛みを感じないとでもいうように、無言で立ち上がり、そのやわらかい表情はちっとも変わらなかった。あたしはあたしの何かが否定された気がして、それが許せなくて、それを否定したくて殴り続けた。喧嘩したことは、あとにもさきにもたくさんある。そのいつよりも、拳が痛くて、いつよりも空しかった。痛かったのは拳なのだろうか。それでもあたしは、あたしよりひかりの少女のほうが痛かったとは思えない。そんなことを、何よりも否定したかったのかもしれない。

「……痛いだろ。ちゃんと痛いって言えよ」

 ひかりの少女が床に倒れ込んだまま起きてこなくなったので、あたしは彼女に向かい、言ってやった。肩で息をしてもぜんぜん呼吸が整わず、声は大きく震えた。

「痛いって言えよ。泣けよ。叫べよ。……反撃してこいよ!」

 あたしが叫ぶと、ひかりの少女はわずかに上半身を起こし、あたしを見つめ、青痣のできた頬を歪めて、口をゆっくりと動かした。その口は、たとえばこんなことを言っているようにも見えた。

『コロシテ』

 その表情は、わらっているようにも見えた。


 騒ぎを聞きつけたのか、おじさんが戻ってきて、部屋を一瞥したのち事態を察すると、絶やさず見せていた笑顔が真っ青な怒りの表情に変わった。いよいよ怒鳴られるかと思ったら、ババアが飛んできて、あたしたちはすぐに元の服装に戻され、逃げるようにして帰った。あのとき、ババアは謝ったんじゃなかったか。あの誰に対しても偉そうだったババアが誰かに謝ったことはあの一度しかなかったと思う。そういう意味でも「ひかりの園」は、あたしたちにとって、特別な体験だった。

 そうだ思い出した、あのあとあたしたちは、初めて新幹線に乗って京都まで帰ったんだ。そしてババアはあのとき、あたしにアイスクリームを食べさせてくれたんだ。

「なんで『ひかりの園』に連れていったの?」

 新幹線を待っているあいだ、あたしはアイスクリームを舐めながら、そう尋ねた。

「あんたらがあんまり言うことを聴かんから、一度ぐらい、あんたらのふるさとを見せておこうと思ったんや」

 そうだ、あのときババアは、そんなことを言った。あまりアイスクリームの味はしなかったはずだ。とても暑い日だったから、アイスはすぐに溶けてしまうから、一生懸命アイスを舐めていたけれど、それよりババアに訊きたいことがたくさんあった。

「『ひかりの子どもたち』に、また会える?」

 あたしはそう尋ねた。アイスがどろどろに溶けて両手を濡らした。

「悪いことをすれば、また連れてってやる」

 ババアはそう答えた。よくある子どもへの脅し文句だ。でもババアはそれ以降、あたしたちがどんな悪戯をしても、どんなに怒っても、「ひかりの園」を話題に出したことはなかった。

「美子、今日は、ようやったな」

 ババアはそう言って、あたしの頭にぽん、と手を置いた。どうしてこんなこと忘れていたんだろう。ババアはあのとき、あたしを初めて褒めてくれたんだ。

 あの田舎の駅は新幹線があまり止まらなくて、轟音を鳴らしながら新幹線が駆け抜けていった。それはこだまだったのか、のぞみだったのか、もしかすると、ひかりだったかもしれない。智子と恵子はベンチでお昼寝でもしていたのか、あたしとババアはふたりきりだった。

「いいことしたら、またアイスクリーム食べさせてくれる?」

 思い出した。あたしはアイスクリームでべちょべちょになった手で、ババアの手を握ったんだ。あの手もやわらかさも、ちゃんと思い出した。

「仕方がないね」

 ババアが口癖みたいによく口にしたその言葉を呟いて、あたしの手を握り返してくれたことも。

 こんな大切なこと、どうして忘れていたんだろう。いま思い出した、あの「ひかりの園」は――。

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