13
「わたしたちも、『ひかりの子どもたち』だったんだね」
智子の声は、いつもよりずっと凛としていた。あの「ひかりの園」にいたとき、彼女が抱いたかもしれない覚悟のようなものが、あのときから彼女がずっと抱いているかもしれない偉大な覚悟のようなものが、その言葉には透けてみえた。同じものが、あたしや恵子にもあっただろうか。あの日以来、あたしたちをずっと支えてくれている、あの経験に裏打ちされたたしかなものが。
「『ひかりの園』って、孤児院だったんだね。あたしたちはそこからババアに貰われた、孤児だったんだ」
あたしの声も、ユダの暗闇のなかにはなたれた、たしかなひかりのように通ったと思う。そしてあたしは分かってしまった。あのとき、「ひかりの園」にあたしたちを連れていったババアは、もしあたしたちがそれを望めば、あたしたちを「ひかりの園」に返すつもりだったんだ。そのことは悲しかった。むしろ、そのことだけが悲しかった。ババアなんて嫌いだったのに、悲しかった。むしろ、ババアを嫌いだったから、悲しかった。理由なんてないのに。理由なんてないから。
「……わたしさあ、あの『ひかりの園』から戻って、すぐぐらいから、電子工作始めたんだ。近くのジャンク品屋さんにいろいろ譲ってもらって、見様見真似で。なにかを、残しておきたいと思ったんだけど、わたしに作れるものはそれぐらいしかないと思ったから」
智子の言葉はやさしく聴こえた。あたしと同じものを持っていたからだ。あたしも「ひかりの園」から帰ったあと、テレビの音楽番組を見て、アイドルの真似事を始めた。あたしも何かを残しておきたいと思ったし、ほかにできることは何もないと思った。恵子があのころ小説を書き始めたのも、同じ理由だと思う。
「美子、覚えてるかな。中学ぐらいのときに簡単なアナログ回路なら作れるようになって、自作のラジオで京都αステーション聴いたりして」
「覚えてる。初めて聴いた曲、ワンダーフォーゲルだったよね。まだ京都でもぜんぜん売れてなかった。音がすごく悪くて、音がすごい小さくて、でもすごくどきどきして、あたしたち三人、息も止めて声を立てないようにして、ちっちゃいスピーカーに耳を傾けたよね」
「それで、高校のときに初めてパソコンを動かせたんだよ。PC-9801っていう、すっごい古いパソコンなんだけど、初めてDOSの画面が出たときは感動したなあ」
「あはは、機種は分かんないけど、そのときの智子の喜びはよく覚えてるよ。あのとき言った『ドスが動いたどすえ』が、智子にとっての『ユリーカ』だったんだよね」
「しょうもないよねえ。で、そのあと、DOSでN88 BASICっていうフリーのプログラミングソフト動かして、初めて自分が組んだプログラムを動かしたんだ。どんなプログラムだったと思う?」
あたしは首をかしげ、智子の横顔に目をうつす。こんな顔もするんだ、とびっくりした。あたしたちはずっとあたしたちのままだと思っていたけれど、少しずつ京都のあの四畳半にいた頃のあたしたちからは離れていっているのかもしれない。もちろん「ひかりの園」にいたころの、「ひかりの子どもたち」であるあたしたちからも。
「プログラミングの基本なんだけどね。最初に作るプログラムは、『Hello World』って表示させるプログラムなんだ。どんなプログラマーでも、最初に見るのは画面に表示される『Hello World』なんだ。それがまた、すごく嬉しくてね」
智子はそういい、笑った。彼女が笑っているところを見たのは珍しかった。こんなふうに笑うんだ、とおどろいた。泣いてばっかりだったあの智子が、いまはこんなふうに笑う。生まれてきた理由を知ったあたしたちは、生きていく理由も少しずつ分かっていく。美貌と智謀と恵俊彰じゃない、それ以外の、ババアが教えてくれなかったことを分かっていく。ババアとさよならをする。
ユダの真っ暗な世界に、智子の絶叫が響いた。
「ハロー、パーフェクトワールド!」
見えるか、聴こえるか、ババア。完全な世界なんて、ありはしない。完全なあたしたちもだ。不完全なあたしたちは、不完全なりに、怒って泣いて笑って、生きていく。ババアのいない不完全な世界を。そのことをあたしはすこし、申し訳ないと思っている。あたしたちはババアにとって、イスカリオテのユダなのかもしれない。そのことをあたしはすこし、ババアに許してほしいと思っている。
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