第19話 カクテル

「落ち着きましたか」

「……はい……すみません、取り乱してしまって。それに、せっかくのワインを」

 泣きじゃくるジリアンに、ノエルはホットワインを作ってくれた。「サンバリー」で勧められるままに買ったボジョレー・ヌーヴォーで。

「ボジョレーをホットワインにしちゃいけないなんて決まりはありませんよ。産地は寒いわけですし、あたためて飲む方も多いはずです。……いえ、私もそんなに詳しくはないですが。おいしけりゃなんだっていいんです。ね?」

 マグカップに注いだホットワインをちびちび飲むうち、手足には温もりが戻り、『くるみ割り人形』を聴きながら見たものについて考えられるようになっていた。もっとも、ふわふわと温もってきたのは末端だけではないから、冷静さにはいささか疑問が残る。

 ノエルは話を急かさず、ストックの全粒粉ビスケットと胚芽クラッカー、冷蔵庫のチーズとサラミを皿に並べた。飲む気まんまんのようだ。開けたなら、飲んでしまった方が良いのだろう。せっかくのボジョレーを煮込み料理に使ってしまうのは勿体ない。

 ジリアンは礼を言って、クラッカーをつまんだ。ワインに加えた蜂蜜のもったりした甘さに塩味が心地よい。顔が真っ赤になっているのが自分でもわかる。

「兄に会いました」

「え? お兄さんというと、行方不明の……」

「そうです。『くるみ割り人形』で、主人公のクララがくるみ割り人形に連れられておとぎの国に向かいますよね。僕がクララで、兄が人形でした。妖精が歌い踊っていて、雪の降る松林とお城があって……。兄は、おとぎの国の王子さまだったんです。……っていう光景をました。僕と兄の、たぶん魔法の力で。兄はこれをくれました」

 薔薇のブローチはあちらで見た砂糖菓子とは違い、小ぶりな陶器のものだ。ノエルはそれをしげしげと見つめて、ほほう、ふむ、となんとも言えないため息をついた。

「……文学的ですね。詩的といったほうがいいのかな」

「わかりません。なんとでも解釈はできますが、事実なのは確かですから、それでいいんだと思います。重要なのは、ノエル、あなたの音楽で魔法が立ち現れたことです」

 ジリアンの専門は大地の魔術だ。夢や空想の世界、すなわちひとの精神に作用するような術式にはまったく心当たりがないから、双子の結びつきとノエルの音楽がうまく作用したとしか思えないのだった。

 ノエルはジンジャーエールの瓶を開けてマグに注ぎ入れ、無造作にボジョレーを足した。かれは普段は飲まないが、過去には宴席の付き合いも数多くあっただろう。顔色は少しも変わっていないから、かなり強いのかもしれない。

 ワインに詳しくないがゆえに、ボジョレーにある種の幻想を抱いているジリアンからしてみれば、はらはらするばかりの飲み方である。

「しかし……私の音楽といっても、私が演奏しているわけではありませんし、しかも録音です。それでも魔法的な力があるのでしょうか。あるとすれば私が指揮をした楽曲のCDは、とんでもない力を持つことになりませんか?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る