第12話 ふわふわ

 このあたりの道にもずいぶん慣れた。たいていの買い物はバス停前にある個人経営の日用品店「サンバリー」で済ませるが、気が向けば、あるいは食欲に負けて足を伸ばす日もある。

 たとえばバス通りにあるデリ「ハニーハウス」。ミセス・マロウが見つけた店だそうで、アンチョビ入りマッシュポテトと、グレープフルーツと人参のラペが最高においしい。昼時には惣菜を詰め合わせたランチボックスと、カスタードプリンやカップケーキなど、ちょっとしたスイーツも並ぶ。シンプルながら凝った内装、SNSでの気の利いた発言とも相まって、イートインスペースはいつも満席だ。

 週に一度は駅前のマーケットまで買い出しにゆく。売り場に所狭しと並べられた野菜や果物を見ていると、混雑も気にならぬほど心が浮き立った。

 レジ待ちの間に何気なく掲示板を見遣り、ポスターの惹句を意味のある文章として受け止めたジリアンは、思わず身を乗り出した。緑の丘で踊る楽器と動物のキャラクターイラストは、セールと講演会の告知に挟まれてひときわカラフルだ。

 アマチュアオーケストラのチャリティコンサートの告知ポスターだった。荷物を車に積み込んですぐ、地図アプリに尋ねる。

 植物園に隣接する広場で開催されるとのことで、会場へは車で一時間ほどか。大急ぎで帰宅して、スマートフォン片手にノエルに報告した。

「……という具合に、飲食店のブースもあるみたいです。バザーも開催されるとかで楽しそうですし、ちょっと覗いてみたいのですけど。どうですか、一緒に」

「もちろん、構いませんよ。きみがアマオケに興味があったとは意外です」

 ノエルの返事はいつものように鷹揚だった。

「いえ、もしかするとディディエのドーナツが売っているんじゃないかと思いまして。食い気ばかりで、楽団の方には申し訳ないんですけど」

「なるほど! それは名推理です。……ああ、でも、私が出向くとよけいな騒ぎになりかねませんし、お使いをお願いしてもいいですか? 好き嫌いはありませんから」

 楽しみですねえ、とほくほく顔だが、一方で歌う花づくりの進捗は依然、芳しくない。

「誰に花を贈るか、想定しているお相手はいらっしゃいますか。何のために贈るのかとか、どんなときに贈るのかとか、そういう方面については……」

 尋ねてもいつになく歯切れが悪く、ごにょごにょ言うばかりで埒があかない。コンセプトがしっかりしていなければいつまで経ってもデザインが決定しない、と指摘すると、唸りつつ長考に入ってしまった。ディディエのドーナツが打開に一役買ってくれるとよいのだが。



 コンサート当日は抜けるような晴天だった。時折の北風が、確かな冬の足音を感じさせるけれども、マフラーに埋もれていては暑いほどだ。

 ジリアンはマフラーを解いて、ネイビーのパーカーの前を開けた。下は裾の折り返しがチェック柄の、買ったばかりのチノパンに白いスニーカー。いつも通りの動きやすい格好だ。芝生の地面がふわふわと弾むよう。

 先日の外出では、下着だけ買うつもりが、何となく売り場を流し見ているうちに目が合って(チノパンと!)、気づいたら手にしていたのだった。ポケットの裏地も同じ柄で、とてもかわいい。ふだんはチェックなど着ないのにどうしてこれに惹かれたのか、今もって不思議でしかたなかった。店員はもちろん、ノエルも「お似合いですよ」と言ってくれたし、自分でもそう思うので後悔はないが、ほんのりこそばゆい。

 広場には思ったより多くの人出があった。人気のある楽団なのか、それともお祭り騒ぎに乗じてか。広場への立ち入りは無料で、そのまま演奏を聴けるが、チャリティコンサートなのでジリアンは「当日券はこちら」の表示があるテントに立ち寄った。チケットと、楽団の演奏光景がプリントされたポストカードを買い求める。

 リーフレットに掲げられた曲目を見ても、映画音楽のメドレーくらいしか知っている曲がない。クラシックのタイトルには首を傾げるばかりだが、聴けばわかるのだろうか。

 コンサートの開始まで少しあるので、ジリアンは遊歩道に向かった。舗装路に沿ってワゴンやキッチンカーが並ぶ中から、ミルク色の車を探す。

 ここに来たからといって、ディディエのドーナツを買える保証はない。SNSのアカウントを検索するのが確実なのだが、なぜか負けた気になってしまう。これまでが偶然の出会いだったから、これからも偶然でいたい。

 出店を狙って買いに行くのはまるで待ち伏せのようで、なんだか怖い考え方に思えるのだった。

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