第49話 光

     ◆


 夜が明けた時、旅籠の一室で布団から起き上がり、深く息を吐いた。

 話が終わったのは真夜中で、老人はそれでやっと去っていった。

 雨戸を開けると、まだ薄暗いが老人の小さな背中が神社のある山の方へ去っていくのが通りに見える。毎日、参拝しているのだろう。

 少し外を眺めて、風呂に入れるか店のものに確認しに行った。ぬるいと思うが入れるだろう、と言われ、温め直すか提案されたが、それは断った。

「すぐに食べられるものはありますか? 先を急ぎます」

 話を聞いた下男が無言で頷き、去っていく。とりあえずは風呂に行き、ぬるいお湯に入ると、それでも意識がすっきりした。

 部屋に戻ると、先ほどの下男が話を通したようで、女中が小さな膳を用意してくれた。布団はいつの間にか片付けられている。

 膳は何かの煮物と香の物、汁と雑穀、という質素なものだ。

 だがこれがいい。

 食べ始めたところで、神社から戻ってきたらしい老人が部屋へやってきた。食事をしていることに驚いた様子で、「もっとマシなものを出すように言ってもいいが」と口にした。

「これで十分でございます。すぐにここを発ちますので」

「まだ話せることも多いだろうに、聞かせてはくれないのか」

「私は剣士ですから、話すことはそれほど得意でもありません」

「昨日は見事な話しっぷりだったがなぁ」

 残念そうにそう言って、しかし未練もないようで老人は部屋を出て行った。そういう気風の良さのようなものがあるのだ。そもそもからして、見ず知らずの男をただで泊まらせることも、気風がいい。

 食事が終わり、身支度を整えて、銭を少しでも払うと店のものに言っても、ご隠居のお客様から銭は取れません、と断られた。

 しかし全く銭を払わないわけにはいかず、ちょうど古びていたこともあり、この先の旅でも使うだろうと草鞋を買い求めた。

 草鞋一足の銭など、微々たるもの。

 カガのことが思い出された。

 外へ出て、街道をさらに先へ進む。一日を費やして老人に語ったからか、オリカミ家とそれを取り巻く人々にまつわる一件は、遠い過去のことのように感じられた。

 あの騒動で失われた剣術が脳裏に去来し、歩きながら、何度か確かめた。

 ヒロテツの剣も、リイの剣も、ノヤの剣も、揃って失われた。

 それは損失だろうか。

 それとも、正当な評価という意味での、純粋な敗北なのだろうか。

 生き残った自分の剣は、では、正しいのか。

 いつもこういうことを考えてしまう。正しいとか、誤りだとか、そういう評価をつけたがるようだ。勝敗以外の、何か別の基準を、全てに求めてしまう。

 それは剣が、そして人も、強いから正しいわけでも、正しいから強いわけでもないからかもしれない。

 強くても誤りは誤りであり、弱くても正しいものは正しい。

 今はまず、自分が生きていることを認めよう。

 生き残ったことに救いを求めるしかない。

 街道を行き来する人が増え、どうやら合流してくる脇道からこの道へと進んでくるようだ。こういうのは大きな街が現れる予兆と言える。

 丘を迂回するような道を抜けると、予想通り、前方に建物が密集している場所が見えた。

 今の草履はまだ壊れない。新しい草鞋を使うのは少し先になるだろう。

 剣を研ぎに出す必要を、急に思いついた。大抵は自分で研いでいるが、イチキでは酷使したから、研ぎ師に預ける必要があると思えた。往来でいきなり剣も抜けないので、街に着いたら、考えるとしよう。

 街に着く前に、休憩のためらしい茶屋があった。

 そこでお茶を一杯もらい、腰掛けに座って往来を見物した。

「どちらからいらしたんです?」

 店主の娘らしい幼い少女が声をかけてくる。

「北のほうからです」

「北? まあ、それは遠いところから。名物の団子などどうですか?」

 どうやら団子を売りたいらしい。

「二串、もらえますか。あとお茶を、もう一杯」

「はい、ありがとうございます」

「ああ、それと」

 娘に町の名前を聞くと、不思議そうな顔で、教えてくれた。

 どこにでもあるような、特徴のない名前だった。

 きっとすべての街が、そんな風に無個性なんだろう。人間も実際には、個性などないのかもしれない。

 イチキという町が特別になったのは、なぜだろう。

 そこで人が死んだから?

 命を落とした剣士達が個性を主張するのは、なぜだ?

 彼らが、すでにどこかへ消えたからか。

 団子がやってきて、お茶を飲み干して、娘に銭を渡した。

 団子を手に持って食べながら、街の中へ向かった。

 この先にも、きっと色々なことが待ち構えている。

 それが旅の目的であり、生きるということだろう。

 何かを手に入れ、そして失う。

 それは決して悲しいことだけではないはずだ。

 前に進んでいるのだから。

 前に進んでいる限り、答えに近づいている。そう思いたかった。

 どこかで血の匂いがする。

 同時に、誰かの殺意と、穏やかな眼差しが、一緒くたに突き刺さる。

 過去からそれらはやってくるようだった。

 雨が降り始める。

 ささやかな雨。

 全身が重くなっても、足を止めるわけにはいかない。

 はるか前方に、陽の光がまだ、見える気がするから。



(了)

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そしてオリカミ家には血が流れる 和泉茉樹 @idumimaki

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