第47話 道
◆
「先へ参ります」
店の前でそう言うと、カガが肩をすくめる。さっぱりとした動作だ。
「草鞋を作って、野菜を作って、それで生きることもできそうだがな」
「できるかもしれません」
笑う気もないのに、こういうとき、自然と笑みを浮かべてしまうのが、自分という人間を表しているようだ。
「できるかもしれませんが、それは許されません」
「人が死んでいるからか?」
そういうことです、と頷くことができた。
剣の道を歩いてきた。
手も体も、心さえも血に染まった。
そして大勢を倒してきた。
そんな全てを、自分だけの感情、それも弱気や臆病で、今更、否定するわけにはいかない。
それは愚弄だろう。否定とも言える。
死ぬまで、誰かに倒されるまで、歩き続けるのが剣の道だ。
勝つ限り、逃げることは許されない。逃げることはそもそも、誰も許さない。
剣を持って立っているか、剣を持って倒れているか、その二つしかない。
「虚しいが、まぁ、わからなくはない」
大声で笑うと、いきなりカガが懐から財布を取り出したので、驚いた。何をするかと思うと、何枚かの銭を突き出してくる。それは先程、酒代に払ったものより多い。
「これは報酬だ。草鞋を作った分と、野菜を運んだ分だ」
「いえ、これをいただくわけにはいきません。カガ殿には、助けていただいたわけですし」
「俺もお前には助けてもらった。野菜を運んでもらえたのがそれだ。だから、助けた助けられたは、それぞれに釣り合いが取れているとしようや。残っているのは、それ以外の、そう、草鞋の代金だ」
問答をするとカガも不快だろうが、草鞋を売ってもこれだけ稼ぐのは苦労するだろう。それくらいはわかっている。
「俺が酒に酔っているうちに、銭を受け取って、さっさと消えな」
嬉しそうに笑みを見せるが、酔っているなんて嘘だろう。
ありがとうございます、と銭を受け取ることにした。
もう一度、頭を下げると、そうそう、とカガが声をひそめる。
「最後に言っておくが、俺は侍っていう奴が大嫌いだ。秘密だぜ」
どう答えていいかわからないでいると、カガは改めるように大声で笑い、肩を強く叩いて彼の方から背中を向けた。ひらひらと手を振って、去っていく大きな背中を見送る。
酔っていないし、あの体格と気配で、二十歳とは。彼と比べれば、とてもあれだけの風格を自分が持っているとは思えなかった。
銭を財布に移して、腹も一杯だし、気力も体力も回復した。イチキから、オリカミ家の追跡から少しでも早く逃れるべきだろう。
まるで生まれ変わったように通りを進み、ヤツモの街を抜けて、また田園地帯の中を抜けていくことになる。
故郷の北の果てを出てから、ひたすら南に向かっていることになる。
この国は一つなのに、二つの都があるということを言うものも、旅の途中でいた。
侍を統率するもの、上様と呼ばれる棟梁が作った都と、古い時代から国を統べている帝と呼ばれる血筋の者が住まう都らしい。
まだどちらにも行ったことがない。絢爛豪華で、夜でも昼のように明るく、毎晩のように宴がそこらじゅうで開かれるとか。そして人が信じられないほど大勢、暮らしているらしい。剣術の道場すらも数え切れないというのだから、侍も多いのだろう。
自分のような人斬りも受け入れてくれそうではあるが、しかしそんな都合のいいことはないだろうとも思う。
受け入れてくれない方が、むしろ安心すると考える自分がいる。
何故なら、人を切ることが誤りだと、そう言ってもらえなければ、人間として大切だと感じているものが、実際にはなんでもない路傍の石と同じ、とされてしまうから。
都という、大勢の人間の集まりでは、一人ひとりの意志など、きっとちっぽけなものだろう。
だからこそ、人を切るものが混ざれるとしても、それでもやはり、人々の総意として、否定して欲しいのだ。
人を切ってはいけない。
人は互いを認め合うべきだと、そう思っていてほしい。
今、自分が感じていることは、まだ自分の中だけで正解とされている。
他人がそれをどう扱うかで、きっと自分の中の価値が、変わる。
変わる、かもしれない。
共鳴する方向に向くか、否定する方向に向くか、それはわからないけれど。
日が暮れかかった時、やっと大きな街道にぶつかったが、そばには人家などない。昼間から歩いていて、ヤツモを出てから集落が三つあっただけで、提灯すら持っていない。
この夜も風が強くなりそうだ。空は今のところ晴れているから、月明かりは頼れそうだった。盗賊に注意しなくてはいけないが、あまりに人気がないので、盗賊がいればすぐわかりそうなもの。
街道を少し進み、日が暮れた頃、近くに山の影は見えていたのだが、その山に向かう脇道に鳥居が立っているのに出くわした。神社があるなら、その社か何かで夜露はしのげるかもしれない。特別に寒い時期ではないが、心が動いた。
脇道へ入り、石造りの階段が目の前に現れた。意外にしっかりしている。
それを上りきると、社があったが、やはり人気はない。神主がいそうな社務所はよく見えなかった。明かりがないから、無人だと判断した。
賽銭箱の横を抜け、とりあえずは軒の下に入れた。
座り込んで斜めを上を見ると、ちょうど月が見えた。もう半分以上が影に飲まれている。もう少しすれば、三日月になることだろう。
イチキの街に入る前に満月だったことを考えれば、あの街で短くはない時間を過ごしたようだ。旅の中では珍しいことだった。興味があるものや場所、人には積極的に関わるようにしているが、イチキでの出来事は、まるで夢を見ていたように思える。
風が吹いて、雲が流れてきた。
月が隠れて、周囲が薄暗くなる。
休むとしよう、と決めて、目を閉じた。
どこかで梢が揺れている。
音が取り囲んでくるのが逆に心地よく、眠りにつくことができた。
(続く)
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