第19話 警告
◆
タルサカは目を覚ましていて、右腕をかばいながら、座ったまま頭を下げた。すぐ横で同じようにしているミツがいる。
「この度は、申し訳ありませんでした。妹を助けていただきまして、どうお礼を申し上げればいいか」
「個人的な感情です。それよりも、ヒロテツ殿をよろしく頼みます」
顔を上げたタルサカの顔は涙に濡れ、ゆがんでいる。ミツは顔を上げなかった。
これにて、とこちらから席を立ち、医者に声をかけようとすると、その医者と話している男がいる。
見知った顔だった。その男がこちらを見て、口元を緩める。
「また会ったな。旅の人」
「リイ殿。ここで何を?」
しゃべるたびに酒気が漂う男は、それでも精神的な均衡は保っているらしい。
「あんたを探していた。ヒロテツ殿の長屋へ行ったが、留守でね。なんでも斬り合いがあったというから、怪我をしたらここへ運ばれると踏んだ。この医者は知り合いだよ。腕が良くてね」
ペラペラと喋るリイに頷いてみせ、医者に礼を言い、部屋を出ようとするとそのリイが追いかけてくる。
「これから先、どこへ行く? 街を出るのか?」
「これでも旅をしていますから、次の土地を目指します」
「ヒロテツの仇を討ちたくないのか?」
玄関で草履を履いたところだった。酔漢の方を見ると、おどけた顔がある。ふざけて言っているのかもしれない。
「あれは、正当な決闘だったのです。私は口出しする筋合いにはない、と思います」
「言い方が悪かった。ノヤを切りたくないのか、と質問したかった」
「話になりません」
先に外へ出ると、すぐにリイが追いすがってくる。
「ハカリの奴を切っただろう。ノヤは内心、平静じゃないだろうな」
「ノヤ殿には事前にお伝えしてあります。異存はないでしょう」
「あの死体を見なければな」
思わずまた足を止めてしまった。往来には人通りがあり、その真ん中で二人で向かい合う形になる。荷車を引いていた男が声を上げるので、二人で道の隅に寄った。
「あの死体を見なければ、と言いましたね。あなたは見たのですか?」
「これでも目と耳には自信がある」
「あの女郎屋を見張っていた?」
好きなように考えなよ、と笑うリイは、ただの酔っ払いではないようだ。目と耳はなるほど、研ぎ澄まされているようだ。
あるいは、足や手も長いかもしれない。
「あの死体の有り様は、やりすぎだな」
リイが一人で喋り始める。
「ハカリほどの剣士が一方的にいたぶられて、無残な死にかたをするとなれば、これは間違ったなとノヤも思うだろう。そして前言などあっさりとかなぐり捨てる」
「私を狙うと?」
「すでに狙っている。そっと通りの先を見るんだ。呉服屋の看板の陰に剣士が立っているよ」
日差しを確認するように頭上を振り仰ぐ演技をしてから、通行人を見るふりをして言われた方を見た。確かに侍が一人、立っている。見知らぬ顔だ。
「見張っていると?」
「闇討ちにすることはないだろうが、ノヤの前に引きずり出すくらいのことはするだろう」
「どうやって?」
「門人への狼藉の報復、とかかな」
馬鹿馬鹿しい、と低い声で応じていた。
リイと関わるのをやめて、その場を離れようとした。
まさにその瞬間だった。
通りかかっただけのはずの剣士が刀を抜いたのだ。
きわどい間合だった。刀を避ける余地はない。身をひねり、腰の剣を抜いて受け止める。
火花が散る。
返す剣が相手を切り下げたのは、向けられたのが本当の殺気だったからだ。
腕はハカリほどではないが、しかし状況は正面から切り結ぶような形ではなく、こちらの方が体勢は圧倒的に不利だった。何より、不意をつかれた。
リイとの会話さえも欺瞞だったのか。
相手が低く呻いて倒れた時、リイを探したが、彼は姿を消している。どこへ行った?
代わりに近づいてきたのは、どこから現れたのか、十人ほどの男たちで、突然の斬り合いを遠巻きにしていた町人たちの間から進み出てきた。
包囲される形になり、しかし剣を構える気になれず、堂々と鞘に戻した。
油断も隙もない男たちが包囲の中に作った空間を、一人の男が進み出てくる。
「ノヤ殿、何のつもりか説明していただこう」
声を向けても、ノヤは平然としている。
「こうして門人を切られたとあっては、放ってはおけぬ。仇を討たせてもらう」
「切りつけてきたのはそちらの剣士だ」
「そのような問答はこの際、無意味であろう。スマ殿は生きており、私の門人は死んでいる。門人を殺したことは明白だ」
それでは、どちらかが死ぬまで、続けるつもりか。
囲んでいる男たちが距離を取り、広い円形の空間ができた。先に倒した瀕死の男も引きずられていく。
すっとノヤが腰を低くし、剣の柄に手を置く。
弁解も釈明も不要ということか。
こうなっては、ノヤを撃退する以外に可能性はない。
殺さずに済ませることができる相手ではない。ハカリとは違うのだ。
ノヤの居合は一度、見ている。ヒロテツを切った場面だ。
姿勢もあの時と変わらない。今回も奇策を弄するだろうか。
居合は基本的に二の太刀を考慮しない。一撃必殺で、高速の一振りで勝負を決するのが鉄則だ。
ならそれを凌げば、こちらが有利。そうでなくとも、より早く一撃を繰り出せれば、それもまた有利。
こうなれば、きっかけを探り合うことになる。
姿勢を加減し、剣の柄に手を添える。
こちらの剣はまっすぐの刃をしているので、居合のような技を繰り出すのには不向きだった。
しかも、居合いを選ぶことを捨てたとしても、こちらが剣を抜く瞬間に、ノヤが踏み込む可能性が捨てきれない。
ジリジリとお互いが間合を測り、足の位置で、些細な変化だが勝敗に結びつく駆け引きを続ける。
太陽の光が正面に来る。眩しさに目を細め、わずかに顔を俯かせる。
動く、と予感が働く。
ノヤの足が、滑るように動いた。
(続く)
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