第八話 〜牛館の主〜

 カカポの入った袋を担ぎ、時速30kmの速度で巡航すること数分。

 ロンは仕事場の農園に辿り着く。


 いつもなら仕事を終えている時間。

 トウモロコシ畑が視界いっぱいに広がり、その奥には湖水が輝いて見える。


「すごいわ」


 袋からちょこんと首を出したカカポが、キョロキョロと周囲を見渡す。


「本当に自動車いらず」


 さらに遠くで土煙があがっていた。

 牛館の者たちが、牛の姿になって土起こしをしているのだ。

 無数の蹄の音が地鳴りのように響いてくる。


「さて……と」


 それをよそ目に、ロンはカカポの入った袋を地面に置く。

 超人的な走力で駆けてきたにも関わらず、その顔には汗粒ひとつ浮かんでいない。


「案外、バレてなかったりしてな……」


 何食わぬ顔で、ロンはトウモロコシ畑の横を歩いていった。

 このまま仕事を終えたことにして、牛達に一声かけてから店に帰ればもしやと思うが。


「うああっ……!?」


 不運にも、畑の一角が荒らされていた。

 トウモロコシが根っこから引き抜かれ、収穫目前だった房が根こそぎ取られている。


「や、やべえ……」


 ひとまず残った茎をかき集めてみる。

 何とか誤魔化せないかと考えてみるも、やはりどう考えても無理だ。

 その傍らでは、カカポが小さなくちばしで葉をつついていた。


「おい……」

「ギクゥ!?」


 ドスの聞いた声とともに、ロンの背後に深い影が差した。

 恐る恐る振り返ると、そこには胸の大きなミノタウロスが立っていた。


「何してんだテメェ……」

「あ、あねさんこれは……」


 ロンの呼び方からも、女性であることは間違いない。

 鍛え上げられた褐色の身体は伝説のアマゾネスを彷彿とさせる。


 黒革のショートパンツに胸当てという露出の多い服装。

 プロテクターのようなブーツとガントレットを装着し、頭上には獣面である巨大なバイソン角を乗せている。


「さてはサボりやがったなあああ!?」

「ぅひいぃっ!?」


 女とは思えぬ怒声が轟く。

 ロンは尻尾の先まで震え上がった。

 彼女こそが牛館の主、アフリカバイソンのエスカーだ。


「おらぁ!」

「ぐほあっ!?」


 エスカーはロンを蹴り飛ばすと、その背に馬乗りになる。


「ぬううん!!」

「ぐええっ!?」


 凄まじい肉圧がのしかかる。

 背骨がギシリと軋み、肺の空気が全て抜ける。


「どうしてくれるんだ、この始末! ごっそりもっていかれたじゃねーか!」


 と言ってエスカーは、荒らされた畑に向かって顎をしゃくる。

 その瞳孔には、怒りの炎が揺らめいている。


「す、すまねえ……! ちょっと色々と……」

「知らないねえ! サボりはサボりだ! 舐めたことしやがって……わかってんだろうな!?」


 エスカーはそのままロンの首根を掴むと、立ち上がりつつ、片手で軽々と持ち上げる。


「その間抜け面、今日こそ作り直してやる!」

「げえええっ!?」


 バイソンの足でしこたま踏まれては、作り直すどころの話ではないだろう。

 そこまでしなくても……と普通は思うところだが、獣面を被っているロンに対しては、それくらいはしないと折檻にはならない。

 獣面は、着用するものの耐久性をも向上させる。


「まって! お姉さん!」


 だがそこに、カカポが歩み寄ってきた。


「ん? なんだこの変な鳥は」

「わ、私カプラっていいます! その人が仕事をサボってしまったのは私のせいなんです!」


 と言ってカプラは、足だけでロンの身体をよじ登る。

 ウェスタンハットの上まで上がると、それで大体、彼女と同じ目線になった。


「私は昨日、荒くれ者に絡まれていたところを、彼に助けてもらったんです!」

「ほお? 人助けをしてきたってわけか。柄にもないな、ロン!」

「う、うぐぐ……ちょっとした成り行きでな……」

「だがサボりはサボりだ。おかげで畑が酷いことになっちまった。ここ以外にもあちこちやられてる」

「じゃあ、私も仕事を手伝います! 必ず損失分は弁償するので、どうかロンを許してあげて!」


 頭の上でパタパタと緑色の羽をばたつかせながら、カプラは必死に交渉する。

 圧倒的な力の差があるにも関わらず、気合負けはしていない。


「ふぅん……」


 すると牛館の主は、考える所があったのか、掴み上げていたロンを下ろす。


「あんた、どんな鳥かは知らないが、そんな体じゃうちの見張りはつとまらないね。ネズミにだって負けそうじゃないか」

「うっ……でも、なんとか頑張ってみます!」

「実際、なんて名前の鳥なんだい?」

「か、カカポです!」

「……聞いたことがないな。雑食か?」

「そ、草食だと思いますよ?  さっきからここの作物がおいしそうで仕方ないんです……」


 カカポはまたの名をフクロウオウム。

 オウム属の中でもっとも体が大きく、寿命も長くて半世紀以上も生きる。

 草の柔らかいところを噛んだり、種や果実を拾ったりして生活する、列記とした草食獣だ。


「そのくちばしの形……確かに草食のようだね。ふむ……だったらあたしらと同類」

「うぐぐ……」


 ロンは、頭の上のカカポが重かった。

 どういうわけか牛館の住民達は、草食系の獣面に対して寛容だ。

 もしかしたら、罪を減じてもらえるかもしれないという期待がこみ上げるが――。


「よし、ではその獣面に免じて減刑してやろう! 1万サヴァナを用意するか、その額の分をタダ働きしろ。それで折檻は許してやる」

「ありがとうございます!」

「い、1万サヴァナ……だと」


 再提示された条件がそれだった。

 労働時間にして三週間分。

 これなら折檻でチャラにしてもらった方がよっぽど良かった。


「ぐ……ぐうぅ!」


 ロンは速やかに、その場に崩れ落ちた。



 * * *



 トウモロコシの密林をウサギが跳ね回っている。

 ウサギの戦闘力指数は8。


 逃げ足以外の能力を持たないが、牛館の住民に良くしてもらえる。

 戦闘行為を避けたい者にとっては垂涎ものの獣面だ。


 人の姿に戻ったカプラは、そんな小動物を眺めて顔をほころばせている。

 ロンとともに農園を巡り、今は湖の近くにいる。


「素敵な場所ね。サヴァナにこんな所があるなんて知らなかった」

「……三日で飽きるさ」


 ルンルンと軽快なスキップを踏み、カプラはどこまでも上機嫌。

 それとは対照的に、ロンはむっすりとしている。


「そう? 私、一度こんな場所で暮らしてみたかったのだけど」

「……ふん」


 やれやれと首を振る。

 不覚にも抱え込んでしまった負債が1万サヴァナ。

 一体この先どうやって食っていけば良いか、ひたすらに頭が痛かった。


 いつもならとっくに仕事を終えている時間だが、今はタダ働き。

 空に輝く不死の炎を、これほど恨めしく思ったことはない。


「大丈夫よロン、お金なら私が何とかするから」

「あんな店、いくらギター弾いたって客は増えねえよ」

「なんなら一肌脱いだっていいわ。イノシシさんへの恩も返したいし」


 と言って腕まくりをするカプラ。

 多少は色気を駆使してもいい――という程度の意味であろうが、ロンは不覚にも首を赤くした。


「あ、危ないことはよしてくれ……。ハイエナだってまだアンタを探しているかもしれねえんだぞ?」

「あら、やっぱり優しいのね、ロンって」

「むぐっ……」


 不用意な発言を注意したつもりが、まったく違う意味に受け取られる。


「そ、そんなんじゃねえ……! 目立つことされると、こっちの身まで危ないんだ!」

「うふふふ、ロンならきっと大丈夫よ。何だかんだ言って強いんだから」

「……流石にハイエナ二匹は勘弁だぜ」

「イノシシさんとタッグでも厳しいの?」

「まったく良い相手じゃねえ! 一発食らったら、それでおしまいだ……」


 気のない会話をしながら見張りの仕事を続ける。

 もっとも周囲を警戒しているのはロンだけで、カプラはすっかり物見遊山だ。


「むむむ……」


 ロンはふと思った。

 二人きりのこの状況、一体いつまで続くのかと。


「ねえ、良かったらもっと教えてくれない? ロンのこと」

「勘弁してくれ」

「ええ? どうして? 助けてくれた人のことを知りたいって思うの、そんなにいけない?」

「面白い話なんて何にもねえよ」


 話題が身の上のことになりそうだったので、ロンはそこで会話を打ち切った。

 カプラは不満そうに頬を膨らませる。


「せっかく強くて格好良い獣面を持ってるのに……そんなんじゃ、女の子は寄り付かないわ! ねえ、ロンは闘技場で戦ったりはしないの?」

「頼むから黙っててくれ! これでも仕事中なんだ」


 少し、語気を強くして言う。


「はぁい……」


 するとカプラは、しぶしぶ口を閉じた。

 そしてそれはからは、黙ってロンについて歩くようになった。


――闘技場で戦ったりはしないの?


 その一言が、ロンの過敏な部分をくすぐっていた。

 否応なく過去のことが思い起こされ、なおさら気分が悪くなる。


「……ちっ」


 闘技場という言葉を聞くと、ロンはある人物のことを思い出すのだ。

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