第21話 相馬くんの好きな人

年度の終わりということで、生徒たちは各々持ち場を与えられ大掃除に励む。

私は美術室の掃除の担当になった。学籍番号で振り分けた班なので、ノアや文佳も一緒だ。


手始めに机を教室から運び出しながら、ふと壁を見あげる。自分の描いた絵が飾ってあった。参考作品というものに選ばれたもののうちの一つで、出来の良い作品が見本としてこうして一年間飾られるのだ。

遠近法を明確に使うということのみが条件で、題材は自由だった。私は大樹のどっしりとした太い枝の上で、リスや小鳥が会話をしているような場面を描いた。新緑の芽吹きや向こうに広がる山脈など、全体的に明るい色彩の絵画である。

絵を描くのは好きだ。けれど描くのは緻密な風景画でもリアルな自画像でも、はたまた大きな瞳をキラキラさせた美少女のイラストでもない。こういう絵本のような空想的な絵がいいから、美術部には入らなかった。

隣の絵をふと見ると、私のとは対照的に暗い雰囲気を醸し出していた。とてつもなく長く終わりの見えない螺旋階段を真上から見下ろす構図。私の絵のようにゴテゴテしたものは描かれておらず、シンプルなその大きな階段だけ。塗装が所々剥げたりすり減ったりしている表現が上手だと思った。

これを描いているところを私は実際に見ているから、誰の作品なのか知っている。相馬くんのだ。


「なーんか闇抱えた絵だよね」


私も一瞬頭を掠めたが、そっとしまっておいた感想。それをあっけからんと口にしたのは、いつの間にか隣にいたみやこちゃんだった。


「相馬の絵。上手だけどね」


「え、知ってたの?」


「知ってるよぉ。実際に見たのは今が初めてだけど、中村が芸術的だってベタ褒めしてた」


みやこちゃんは最近肩甲骨の辺りまで切ったばかりの茶髪を耳にかけながら、クスクス笑う。香水を纏っているのだろう、フローラル系のいい香りがした。


「二見ちゃんってさ、相馬のこと好きなの?」


ギクリと一瞬固まって、「ないよ」と慌てて首を横に振った。


「えーそう?そんなにじっと絵を見つめちゃってるから」


「いや…意外な感じの絵を描くなぁって」


「そうでもないっしょ?まぁ今は落ち着いてるけど、家庭環境のこともあったし」


「家庭環境?」


「ミヤの口からは言えないけど。ピアスもその時期よ」


知らないの?とでも言いたげに口角を少し上げたみやこちゃんに、少しだけ苛立った。駄目駄目、みやこちゃんには何の非もないのだからと自分に言い聞かせる。

相馬くんと主従になって一年間、二人きりで色々なことを話してきたとはいえ、相馬くんと一緒にいる時間はみやこちゃんには及ばない。頭では分かっているはずなのに、相馬くんのことなら何でも知っているような、秘密を共有する特別な仲だと示されたような感じがして若干むっとした。部外者だと言われた気がした。いや、元々部外者だ。


「相馬はやめときな〜。彼女いた時期もあるけど、今はそういうの面倒くさいっぽいよ」


「でも好きな人いるって」


「知ってる知ってる。振られる要素のない相馬が片想いなんて、道理に合わないし。ハッタリでしょ」


ガチなら人妻とかかも、なんて笑いながらみやこちゃんは言った。でも私には、相馬くんのあの表情や声音を思い出すとハッタリだとは到底思えなかった。告白を断るためならまだしも、私にそんな嘘ついても利点はないし。


「みやこちゃんのことだと思ったんだけど…。いつも仲良いし」


「やめてよもー!私も別に、相馬にそういう感情あるわけじゃないもん」


「そうなの」


「相馬は何つーか、推しだよね。尊い存在」


みやこちゃんがそう言って笑うと、突然後ろから影が迫った。


「菫、サボんないでよ…」


隣のみやこちゃんに気づいて、文佳は口をつぐんだ。みやこちゃんは文佳に向き直り、どうもと右手を上げて笑った。


「てかミヤ、相馬いると思って覗いたのに。ここじゃないんだ」


「相馬くんの班は確か書道室だよ」


「うぇー、遠い」


みやこちゃんは不服そうに眉をひそめて唇を尖らせながら、美術室を去っていった。


「…あんた、みやこちゃんと仲良かったっけ」


「や、普通…ちょっと話す程度」





掃除や全校集会を終え、帰り際に私は例の空き教室で相馬くんと会うことになった。相馬くんは教室に着くなり、ゴソゴソと鞄をあさってタッパーを取り出した。


「妹と作ったクッキー。バレンタインのお礼、あげる」


「ありがとう」


ハート型やアルファベット型のクッキーはプレーンとココアがあって、丸い小さなクッキーはチョコチップだった。


私がそのうちの一つに手を伸ばそうとすると、ガシッとその手首を掴まれた。


「!?」


「あ…ごめん。あのさ、やりたいことがあるんだけど」


「やりたいこと?」


「うん。…餌付け、したい」


相馬くんはクッキーを手ずから私に食べさせたいらしい。その光景を客観的に想像して、顔がカァッと熱くなった。

そういえば、十月の末にノアの手からお菓子を食べたことを相馬くんはすごく怒っていたっけ。餌付けはDomとSubにとっての躾の一つ。食事の場面ですらも支配を受けるなんて、どんなに良い心地なんだろう。相馬くんの申し出は、恥ずかしいけれど魅力があった。


「…いいよ」


相馬くんはパッと顔を輝かせて、嬉々としてクッキーを一枚つまんだ。


「はい」


差し出されたクッキーを咥えて一口齧る。

…結局、心地よさより恥ずかしさが勝った。顔の距離が近くてどこを見ていればいいのか困惑する。窓の外を眺めると、あちこちの枝で桜の花が咲いていることに気づく。


「…美味しい。愛ちゃんと作ったの?」


「そうだよ。最近家に大きいオーブンが来てね、そしたら愛ちゃん、急にお菓子作りにハマり出しちゃって。マカロンなんて凝ったものも作れるようになったんだ」


相馬くんは甲斐甲斐しく私の口にクッキーを運びながら、そう話す。

ミルクティー色の髪がさらりと揺れ、耳たぶのくすんだ赤色の石のピアスが垣間見えた。いつも絶対につけているピアスだ。つけるのを忘れることも、はたまた他の飾りをつけたりしてるのも見たことがない。数時間前、家庭環境がどうのと言っていたみやこちょんの声が蘇る。ピアスもその時期よ、と。


「これ見てるの?」


相馬くんが髪を耳にかけ、ピアスに触れる。


「あ……その、綺麗だなって」


「ありがと。これね、亡くなった母さんの形見なんだ」


相馬くんはあっさりとそう言って、私はどう返していいのか分からなかった。


「…お母さん、亡くなって…」


「そう。と言っても幼稚園入ってすぐの頃だからあんまり覚えてないんだ。まぁ再婚して新しいお母さんができて、兄弟も一気に増えたけどね」


愛ちゃんとその三つ下の和希かずきくんはお母さんの連れ子。そして相馬くんによく懐いていたあの双子と、それから私は会ったことがないまだ0歳の女の子は異母兄弟なのだという。道理で大所帯なわけだ。


「ちなみに僕と血縁関係のある姉もいるけど、大学生で一人暮らししてる」


「じゃあ、九人家族…!?」


「だね」


相馬くんはふふっと笑った。

優しい笑顔に一瞬見惚れて、慌てて視線を逸らす。

お兄ちゃんなんだよなぁ。いつも頭を撫でてくれるその慣れた優しい手つきとか、あやすような声音とか。すごく安心するのだ。とても同い年とは思えない包容力がある。今私に食べさせるように、小さな兄弟の口にも食べ物を運んであげているのだろうか。


「愛ちゃんがね、二見さんに会いたがってたよ」


相馬くんは最後の一枚のクッキーを突然私の口元から遠ざけたので、空振ってかちりと歯が鳴った。


「春休み、会わない?」


「いいよ。私も愛ちゃんに会いたい」


「僕には?」


私が黙りこくると、相馬くんは言った。


「最近さ、なんだか二見さん怒ってたよね。コマンドもまともに聞けないし、僕を避けるし」


「…相馬くん、好きな人いるって言った」


「うん。言ったね」


「なのに、前みたいな…キスとか、噛んだりとかするのは良くない。不誠実だよ。…私のせいで相馬くんをプレイに付き合わせてるのは分かってる、だからあんまり私が言えることじゃないけど」


「ふーん。じゃあ二見さんは、僕が誰を好きだと思う?」


「み…」


「み?」


「…みやこちゃ」


言い終わる前に口にクッキーを突っ込まれる。ふぐ、と情けない声が出た。慌てて咀嚼していると、「不正解」とだけ言った相馬くんは顔を寄せてきて、私の口の端を舐めた。生温かい感触と吐息に背筋がぞくぞくした。


「言ったそばから…!」


確かにそれは、私がやめて欲しいと言ったキスのうちには入らないけれど。


「ふふ、クッキーの欠片がついてたから」


「普通に言って!」


あまりにおこがましくて今までは考えないようにしていた、ある一つの可能性が浮かび上がる。

――相馬くんの好きな人が私、だったなら。

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