第22話 春祭り

「二見さんっ、あれ見てください」


愛ちゃんが興奮した様子で私の手をぐいぐい引っ張り、出店の一つを指さした。『桜ソフト』と書かれたのぼりが立っていて、数人が並んでいるのが見える。


「へぇ、美味しそう…!買ってあげる」


「やった、ありがとうございます!」


春休みに入ってすぐ、私と相馬くん、そして愛ちゃんの三人は近所の春祭りにやってきていた。土日二日間の小規模のお祭りで、桜並木の続く川沿いに屋台が並んでいる。幅の広く流れの緩やかな川にはいくつものボートが浮かび、散った桜の花びらが水面を飾っている。

私は何度か来たことがあるけれど、愛ちゃんは初めてらしい。目をキラキラとさせてあちこち駆け回る姿は、以前見た大人っぽい愛ちゃんとは違い年相応の小学生の女の子に見える。


愛ちゃんに買ってあげた、薄ピンク色のソフトクリーム。私も一口貰うと、たしかに桜の香りがふんわりと広がった。

近くのベンチに二人で腰を下ろしていると、相馬くんが向こうから歩いてきた。


「ボートのチケット取れたよ」


「あ、ちょっと待ってください兄さん。学校の友達がいる」


「行ってきな」


相馬くんが促すと、愛ちゃんは駆け足でそばの橋を渡っていった。数人で固まって喋っていた同年代くらいの女の子たちが愛ちゃんに気づき、笑って抱きつくのが見える。


「…愛ちゃんがこんなにはしゃぐの、初めて見た気がするよ。いつもしっかり者のお姉ちゃんでいてくれてるからさ。ありがとね、二見さん」


「え、私はそんな何も…」


「二見さんがいてくれてよかった」


ぽんぽんと頭を撫でられて、私は恥ずかしくなって咄嗟に俯く。

愛ちゃんと三人の時は普通にしていたのに、相馬くんと二人きりになると途端に挙動不審になってしまうのは何でだ。

慌てて話題を探していると、愛ちゃんが急いで戻ってくる。


「友達とボート乗りたいのでチケットくださいっ」


「はい」


相馬くんが一枚渡すと、愛ちゃんはまた手を振りながら友達の輪の中に戻っていった。


「…さて、僕たちは二人で乗ろうか」


「うん…」


「何、僕とじゃ不服?」


相馬くんは私の顔を覗き込むようにして微笑む。

不服なはずがない。私はふるふると首を横に振って、相馬くんと共にボート乗り場を目指す。



下から眺める満開の桜並木の様子は、思わず感嘆の溜息が漏れてしまう程に見事だった。

両岸の大樹が川に覆い被さるように枝を伸ばし、まるで桜のトンネルだ。端の方でまとまって川面に浮かぶ花びらも情緒がある。


「あっちの方、枝垂しだれてるところ行きたい」


年甲斐もなく声を弾ませてそう私がねだると、相馬くんはクスクス笑って漕ぎ出してくれる。私も漕いでみたいと言えばオールを渡してくれたけど、水の抵抗が重くて思うように動かせなかった。


すれ違ったボートでは、カップルの彼女の方が彼氏の足の間に座り、後ろから助けて貰いながら一緒にオールを操作していた。


「僕たちもあれやる?」


私の視線の先に気づいた相馬くんは茶化すようにそんなことを言うけど、私は慌ててぶんぶんと首を横に振る。


暖かな春の日差しと、心地よい小舟の揺れが眠気を誘う。昨日はよく眠れたはずだけど、花粉症用の薬を飲んだせいか、はたまたダイナミクスのせいなのか。


「二見さん、眠たい?」


「そ、そんなことないよ!」


つまらなさそうに見えたんじゃないかと、慌てて私は声音を明るくする。が、逆に怪しまれたのか、相馬くんはジト目をこちらに向けてきた。


「ふーん…主人を欺こうなんて、悪い子」


急に声を低くしてそんなことを言うので、眠気も吹っ飛んでしまった。スイッチが切り替わったかのように、私はクラスメイトではなくDomに従属するSubと成り下がる。

反射で船底に膝をつこうとしたのは無意識だった。相馬くんが私の動作に気づいて抱き止めるのが先で、船は転覆するのではないかと思う程ぐらりと揺れた。心臓がバクバクと拍動し、呼吸が乱れる。

驚いた。何にって、自分の行動に。


「二見さん…ごめん、僕そんなつもりじゃ」


動揺するような滅多に聞かない声を腕の中で聞きながら、私は真っ青になっていた。

コマンドも貰ってなければ、グレアだってほとんど感じないのに。体が勝手に動いて服従の姿勢を取ろうとするなんて。


船から降りた後、川べりをとぼとぼ歩きながら私はぽろりと零す。


「私、病院行こうかな。どうせあと一年だし、受験だし…クラス移されたって別に」


赤色の、Sub用の抑制剤。それさえあれば、きっと私は生きやすくなると思う。これ以上迷惑をかけていられないし、この先何があるか分からないし――


「必要ないよ」


相馬くんはそう言い切る。


「プレイが足りないなら、二週に一度なんてやめて毎日でもいい」


「お互い部活もあるのに何言って…」


「部活なんてどうでもいい。休みの日だって会いに行くよ。――主従関係を切るのだけは許さない」


特に今の関係をどうとか考えていた訳ではないけれど、そのあまりにも一方的で押し付けのような言い方に私はむっとして相馬くんを睨んだ。


「そこまでSubに属してもらいたいなら、私じゃなくたっていいじゃん」


「その口の聞き方はどうなの」


ぞっとするような低い声にグレアを滲ませ、相馬くんは目を細める。甘い匂いが鼻の奥を掠める。またしても膝から力が抜けるが、相馬くんは座らせないように私の腕を掴んだ。


「二見さんのDomは僕だけ。――僕にも、二見さんだけだ」


射抜くような鋭い視線から目が逸らせず、Subとしての欲求がみるみるうちに満たされていくのを感じた。その独占欲が、支配欲が、私にとってはたまらない快感となる。あまつさえもっと縛ってほしいとすら思う。

こんなにも容易く本能に打ちのめされてしまう自分が情けないけれど、支配下に置かれてまともに働かない脳じゃ何も考えられなかった。どうでも良く思えた。



♦︎



程近いベンチまで連れて行くなり、数分と経つ前に眠りに落ちてしまった二見さん。僕は寄り添うように隣に座り、ぐらぐらと座りの悪い彼女の頭をそっと抱き寄せる。目の前を行き交う人がちらちらと僕たちの方を見るけれど、僕は何も思わなかった。二見さんが安心しきって僕に身体を預けているのがすごく嬉しくて、むしろ世界中の人々に見せつけたいとすら思ってしまう。

最近の二見さんは体調が安定しないみたいで少し心配だ。病院できちんと診察を受け、処方箋を書いて貰うのが最善策なのだろうけど…まだそうされては困る。


そうして一時間が経とうとする頃、別行動ながらちょくちょく連絡を取っていた愛ちゃんがやってきた。


「兄さーん!…あれ、二見さん寝ちゃったんですか」


「うん、疲れちゃったみたい」


二度ほど名前を呼ぶと、閉じていた瞼がゆっくり開く。数度瞬きをしてから、ハッと辺りを見回した。


「愛ちゃん、相馬くん…!」


「帰ろっか。日も暮れたし」


「ごめん……」


二見さんは恥ずかしそうに謝った。でもきっと謝るべきは僕の方だ。


「そうそう、友達に羨ましがられました。お兄ちゃんイケメンだね!って」


「え、そうかな。ありがとう」


「女をたらし込んでそうって」


途端に隣の二見さんが笑い出す。


「二見さん、そんな笑わないでよ…」


「ごめ、…でも相馬くんはそんなことないもんね。むしろすごく一途だもん」


「え!何ですかそれ。私、兄さんから浮いた話聞いたことないんですよ!気になる」


「私も詳しくは知らないよ」


好奇心でいっぱいの愛ちゃんのキラキラした目と、好奇心に不安が見え隠れするような二見さんの目。

僕はいつも通り、何も言わずに肩をすくめてその話題をやり過ごした。

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