第16話 胸の痛み

僕と二見さんの出会いについてひとしきり明かすと、彼女は目を丸くして言った。


「え!覚えてるよそれ…!てっきり上級生だと思ってた。まさか相馬くんだとは」


もちろん保健室で別れるまでの顛末を簡潔に話しただけで、好きだなんだは言っていない。今のところ言う予定もない。

何よりあの数十分だけの些細な出来事を覚えていてくれたのが嬉しくて仕方がなくて。

――危うく聞くのを忘れるところだった。


「二見さんと鈴代はどういう関係で?」


「えーっと…」


二見さんはふいっと逸らした視線を、また遠慮がちにこちらへ向けた。


「…付き合ってた。中三の時」


二見さんが言い終わるか終わらないかのうちに、僕はその口を塞ぐ。二見さんはびくりと身体を固くして、それでもなお抵抗する様子が見受けられなかった。何度かにわたって軽く唇を重ね、それから噛み付くかのようにして口を開け、舌を捻じ込んだ。

さすがに二見さんは仰け反って顔を背けたが、なぜか手で押し返すことはしなかった。Kneel〈おすわり〉の姿勢を命じられたまま、健気に言いつけを守っているのだ。


…どうしよう。可愛い。

こんな状況でも、僕の言うことを聞いている。グレアは出していないから外的な強制力はないのに。


「嫌ならセーフワード…嫌じゃないなら受け入れて」


彼女の心なしか紅潮した頬を両手で包み、唇を合わせながらそう囁くと、観念したように歯を噛み締める力がふっと弱まった。その隙をついて下唇を甘噛みし、舌を入れて絡める。


「お…ほっへる…っ?」


口内を蹂躙されているせいで舌足らずな喋り方をする二見さん。ひとしきり悪戯してから口を離すと、それまで呼吸を止めていたらしい二見さんは一気に息を吐き出して少し咳き込んだ。


「んーん、怒ってないよ」


「じゃあ…なんで、こんな――」


「鈴代とまた付き合うの?」


二見さんはびくりと肩を跳ねさせた。

口調が冷たすぎたかと反省する。もう随分長い間躾けて信頼関係を築いただけあって、グレア関係なく僕は易々と二見さんを屈服させることができてしまうのだ。二見さんはそのことに気づいているのだろうか。


「…付き合わないよ、別に」


「そっか。良かった」


「なんで」


「何でだと思う?」


やっと息が整って落ち着いた様子の二見さんは眉をひそめ、怪訝そうに首を傾げた。



♦︎



「すみれぇ!大丈夫だった?昨日」


朝、教室に入るなり文佳が駆け寄ってきた。

昨日の出来事が鮮やかに脳裏に閃き、私は咄嗟に返事もできず口をつぐむ。


「鈴代がここまで乗り込んだって聞いて」


「あ…あ〜。平気平気」


そっちか、と虚を突かれたような気分になった。鈴代に告白されたことなんて霞んでしまうほどに、その後の相馬くんとの一件の方が余程衝撃的だった。夢と現実を見紛みまがったのかと思うくらい。



昨日のその後、相馬くんは部活へ行き私は普通に帰った。そのタイミングが絶妙にバレー部の休憩時間と被り、鈴代にまんまと捕まってしまった。


私は思っていることをきちんと話し、告白を断った。明確な理由があるから断るのではなく、理由がないから付き合わない。それを言うとなんだか腑に落ちない表情を見せられたけれど、最終的には了承してくれた。


当時、鈴代とは高校受験のせいで会う回数が減ってほとんど自然消滅のような感じだったのを、卒業を機にきっぱりと別れた。中学生の恋愛のよくあるパターンだと思うけど、一応は円満な破局だ。気まずさとか蘇るトラウマ的なものはなく、最後はちょっと近況報告のような雑談をして別れた。


「つーか、文佳が余計なこと吹き込んだんでしょ。付き合ってる人はいないだとか」


「質問に正直に答えただけでしょうが。まぁ何ともないなら良かったわ」


文佳はしれっと笑うと、私の頭をぽんぽんと払う。


「でも、復縁するんじゃないかなーなんて半分くらいは思ってたよ。振ったんだね。好きな人でもいるの?」


「それは――」


ふと相馬くんのことが浮かんで、私は思考を振り払うようにかぶりを振って否定した。


「今は興味ない、そういうの」


自分の席について、机の中にうっかり一晩放置した数学のノートを開く。出された宿題は確か三問だけだったから、午後の数学の授業までには余裕で間に合うだろう。そもそも、先生に当てられるかどうかも分からないし。


解き始めて少し経ってから、教室が一気に騒がしくなった。中村くんのよく通る声と男女の笑い声が聞こえてきて、私は何気なくそちらを窺う。

想像の通り賑やかな輪の中には相馬くんもいて、隣にいるみやこちゃんがその腕をぎゅっと抱きしめて笑っていた。


胸がちくりと痛んだ気がして、慌てて目を逸らす。


クリスマスの日に可愛いなんて言われたことや手を握られたこと、昨日キスされたこと。それから鈴代と私の仲をやけに気にしていたこと。

もしかしたら好意を向けられているのか、なんてきっと自意識過剰だ。


それにしても、このモヤモヤした感じは何だろう。

そういえば相馬くんは、親切心でプレイに付き合ってる訳じゃない、って言ってたっけ。見返りを求めて主従になったのだとすれば、私は何をもって恩を返せばいいのだろう。


頭の中がごちゃごちゃと混乱してきて、私は大きく息をついた。

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