第15話 出会い
ゆっくりと唇を離すと、二見さんはきょとんとした表情のまま僕の顔を見据えていた。
怒って抵抗するか、もしくは動揺して抵抗するか。頭にはその二つのパターンしか思い浮かんでいなかったから、むしろ僕の方が気後れしてしまった。
「嫌がらないの?」
数秒思案したようにみえた二見さんは、その質問には答えない代わりに別の問いを寄越した。
「それより相馬くん、鈴代と知り合いなの?…あの人がノーマルだってことも知ってるし」
「中一で同じクラスだった。一斉検査のあった時期に席が前後で、ダイナミクスの話もその時」
二見さんは息を飲み、「つまり…」と呟く。僕と鈴代は同じ中学で、鈴代と二見さんも同じ中学。
そう、つまりそういうことだ。
僕と二見さんは同じ中学に通っていた。
二見さんは驚きこそしただろうけど、訝しむ様子はなかった。知らなくても不自然なことではない。なんせ中学は10クラスもあったのだ。三年間でお互い名前も顔も知らないまま卒業を迎えた同級生なんてざらにいる。
「相馬くんは知ってたの…?」
「僕ね、中二の頃に一度だけ、二見さんと話したことがあるんだ」
♦︎
あれは中二の――確か初夏の頃だろうか。
「そういうことじゃないっ!」
当時付き合っていた先輩の甲高い叫び声と共に、その手から僕のスマホが振り落とされる。地面に打ち付けられたそれはバリっと嫌な音を立てた。こんな屋外の、ゴツゴツとしたアスファルトの上じゃなかったらな。校舎内のフローリングならまだマシだったろうに。
既に画面が割れているであろうそれを彼女は容赦なく蹴っ飛ばした。普段から感情の起伏の激しい人だけど、これほど怒っているところは初めて見た。
「別れる!!」
呼び出しの瞬間からその言葉の予想はついていたくせに、呼び止めも追いかけも出来なかった。
振られてしまった。これで二度目だった。
十数秒は立ち尽くしたままだっただろうか、やがて僕もスマホを回収して帰ろうと振り返る。案外遠くの方に吹っ飛ばされたそれを、ちょうど通行人が屈んで拾い上げたところだった。
「彼女さん、追いかけなくてもいいんですか」
そう言ってボロボロのスマホを手渡してきた彼女は上履きの靴紐が黄色で、同学年だということが分かった。
「…今振られたところだから」
ヒビが入るに留まらず、文字通り粉々になったガラスの破片がパラパラ地面に落ちた。
彼女の指から血が垂れていた。割れた画面のガラスが刺さってできた傷に違いない。僕は「平気だから」と言い張る彼女を半ば強引に保健室へ連れて行った。
保健室には先生がいなくて、備品を勝手に使っていいのか分からなかった僕たちは長椅子に座って待つことにした。彼女は「一人で待つからいい」と言ったけど、それも薄情な気がして結局隣に座っていた。
お互い初対面だったが人見知りをする性格ではないため、沈黙が続いたりすることはなかった。どういう話の流れだったかは覚えていないけれど、僕は恋人――否、恋人だった先輩を怒らせた経緯を話した。
「浮気を疑われたんだ。でも思い当たる節なんてないから、スマホを渡した。LINEも通話履歴も、やましいところなんてないから」
ところが手っ取り早く誠意を見せるつもりのその行動が、むしろ先輩の逆鱗に触れた。何を言われても僕が焦りも怒りもせず、何食わぬ顔だったのが気に召さなかったらしい。
必死さというか、積極性的なものが僕には欠けていたのだろう。
「――なんて振られた直後に平気で分析してるとこが冷たいんだろうな」
僕がそう言って笑うと、彼女も笑った。
「冷たい人なら、今ここにいないですよ」
なんてことない、ありがちな台詞かもしれない。
いつもの僕なら、斜に構えた態度を見せるまではしなくとも内心では捻くれたことを考えただろう。
けれどさも当然のように、考えすらせず浮かんだことをそのまま言ったような裏のない彼女の言葉を、僕は曲解せず受け取った。
「それにパッとスマホ渡すのだって早く安心してもらいたかったからじゃないですか、彼女さんに」
それは買い被りすぎだと思った。僕はそんな大層な思いやりをもって接していたわけじゃない。けれどその言葉が嬉しかったから、黙っておいた。
やがて保健室の先生が戻ってきて、僕は入れ替わるようにして帰った。
去り際に「付き添いありがとうございました、先輩」と言われた。ずっと敬語だったのはそういうことかと納得した。僕は学年の見分けのつく上履きではなく革靴を履いていて、しかも別れたばかりの恋人が三年生の先輩だったのを見ていたのだろう。
彼女とはそれっきりだったけど、たまに校舎ですれ違ったりした。仕方がないことだけど、向こうは僕の顔を覚えていないようだった。友達から「二見さん」と呼ばれているのを聞いて名前を知ったのは、それから数ヶ月が経ってからだった。
それから中学を卒業するまでに二人と付き合った。その子たちとはスマホを投げた先輩よりも長く続いたけれど、結局はどちらも「どうせ私のことなんて好きじゃないんでしょ」と振られた。そんなことないと否定する度に二見さんのことがふと思い浮かんだから、もしかしたら本当に好きじゃなかったかもしれないと思った。
――振られた時じゃなくても、たまに思い出していた。
しゃがんでスマホを拾っていた二見さんが僕に気づいた時に視線を上げて、その一瞬の上目遣いの感じがよく懐いたSubみたいだった。本当にSubなら…僕に従属したらどんな顔を見せてくれるんだろう。
僕は二見さんのことが好きなんだとやっと気づいた。今まで付き合ってきた相手に対して執着心がなかったのは、やっぱりきちんと好きじゃなかったからだ。二見さんは他の誰とも違った。一度しか話したことがないのに、まだ彼女のことをほとんど何も知らないのに。けれど間違いなく好きだった。
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