夕暮れの生徒会室

 外からは運動部のホイッスルの音が聞こえてきた。目線を窓に向ければ、窓と同じ高さの空中を、男子生徒が駆けていった。生徒会室は二階である。陸空上部の活動時間もそろそろ終いの時間だ。はじまったばかりの夕暮れはYシャツを桃色に染め上げ、赤い絨毯にアーチ型の窓枠の影を落としている。


「――会長。なんであんなやつに固執するんです?」

 今日は黙って帰ろうと何度も思い直したが、結局耐えられなくて、ついに会長に尋ねてしまった。

「自分には、ただのしょーもない奴にしか見えません」

「しのぶ……」

 会長はいつもの憂いを含んだ目線で自分を眺めると、黒髪のポニーテールに手を伸ばし、撫でた。会長はこの髪をいつも触る。落ち着くのだそうだ。勇者アベルこと結城愛鈴は尊敬してやまない先輩であるが、同性の下級生の頭を撫で回すのが趣味なのは、如何なものなのだろうか。まあ悪い気はせーへんから、黙っとく。


「しのぶも見ただろう? あのおぞましい使い魔を」

「あのカラスのことですか?」

 問われても、魔力を持たない自分には、何のことかピンとこなかった。

「ゴミ捨て場でよく見かける、デッカイ鴉にしか見えませんでした」

「全く、魔力を持たないというのは、天からのギフトだね」

 会長はそう言って、頭頂から結び目まで、大切なものを触れるように優しく撫でた。なんとなく恥ずかしい気持ちになって、目をそらした。


「僕はね、敵意を向けられて……正直、震えたよ。アレは、血を吸っている量が桁違いだ。現役時代の先代が、親族総出でも斃せなかったと《ぼうけんのしょ》に残ってるんだ。当時は名前のない怪物だったようだけれど。今の僕では到底太刀打ち出来る相手じゃない。本来なら、国が管理するべき種だよ」

「……はあ」

 言葉が壮大すぎて、あまり現実味がない。

「メイジ君は、それを使い魔に下しておいて、……まるでゴミ捨て場でよく見る鴉のように扱って……何も知らずに生きている子だよ。生ける奇跡だ。あれだけの高位の化け物を使役したなら、魔力を吸いつくされていつ死んでもおかしくない。奴がよっぽど彼女に配慮して、魔力を消費しないように生きているのか――自身の魔力までも消費しているのか――そこまでする理由も、何もわからないけど――」

 アベルは背もたれに体重を預けた。「道」がつく芸道をあらかた仕込まれ、弱さを見せない彼女が憔悴するところを、初めて見た気がした。


「――とにかく、仲間に引き入れて損はないし、敵に寝返らないよう常に監視下に置くべきなんだよ」

「理屈はわからないでもないですけど。性格破綻者と関わって生徒会の築き上げた信頼に傷つけられそうで、自分は心配なんです」

「しのぶは、やけに彼女に突っかかるね。別に彼女の性格は破綻してるようには見えなかった。一体何が気に入らないんだい」

 真正面から問われて、この複雑な胸中にある気持ちを言語化出来ず、言いよどむ。

「……なんでしょう。でも、なんか、……言葉にするのは難しいけど。四方山メイジは、なんつーか、ゾワゾワ……めっちゃ気持ち悪い。いけ好かん。……まあ、カンってヤツです」

「そう。魔力を持たない者の直感っていうのも、なかなか興味深いね。僕は、パーティの仲間には仲良くしてほしいタイプだけれど」

「……善処はします」

「人間関係はそう簡単に善処できないものさ。その手の直感は当たるものだし、変に意識して拗れても嫌だ。さっきの言葉は気にしないでいいよ」

「はい」

 会長はすぐに返事をした自分にニッコリほほえみ、じゃれるように自分のうなじをワシワシと撫でた。「それ犬にやるやつやん」と手を払いかけて、やめる。存外気持ちのいいマッサージだった。

 

「城間君に、メイジ君。実に魅力的だ。ぜひ仲間に欲しいな」

 会長は窓からの光を背中に浴びて、不敵に笑んだ。

「そしたら、何か仕掛けます?」

「もちろん。先制攻撃は僕の信条だよ」

 この人はやると言ったらやる人だ。背筋にゾクゾクと興奮が走った。

「力を貸してくれるね? しのぶ」

 自分は、返事の代わりに頭を垂れた。問われるまでもなく、この人に着いていくと決めている。


 四方山メイジの存在は気に食わないが、会長のためならば、そのように振る舞おう。自分は会長の目的達成のためにいるのだから。

(そのためには、四方山メイジにも会長の偉大さを分からせる必要があるなあ……)


 鋭く差し込む西日を断つべく、分厚いベルベットのカーテンを閉じた。

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