信頼

「ところで、君はこれからどうするつもりだい?」

「どうする、って。……まあ、クラスに戻って、授業受けて帰りますよ」

 タコのようににょろにょろ絡みつくふーこの腕を振りほどきながら言った。これ以上の長いは無用だ。おしゃべりは十二分にした。


「うーん……、もう忘れてるみたいだから一言添えるとね。さっき僕は君を、クラスの衆目の集まる中、《魔女狩り》の容疑で連行したよね。いま、クラスはどうなっていると思う?」

 そういえば、そんな形で教室を出たのだった。あのときの空気を思い出す。ざわつく教室、野次馬めいた下世話な視線が自分たちをねっとりと追いかけた。


「……死ぬほど噂になってるかも……」

「そう。君は前科持ちだからして、すっかり『魔女狩り』のメンバーで『悪い魔法使い』だと断罪されている頃だろう」

「アンタ、それを分かってやってたんですか!?」

 アベルは肯定を示す完璧な笑顔を浮かべてみせた。最低だ。


「そこで提案なんだが、メイジ君。《たい魔女狩り隊》のメンバーになり給え」

「え? なんて?」

「《対魔女狩り隊》だよ。生徒会主体の《魔女狩り》に対抗するための自治組織だよ」

「名前、ダサ」

「そういう声を受けて、先日、《魔女狩り狩り》から改名したばかりなんだけどな……」

 どうやらアベルにはネーミングセンスというものが、およそないらしい。横でふーこが吹き出し、しのぶがそれを睨みつけた。


「《対魔女狩り隊》に入るということは、君は僕の信頼を得た――つまり『良い魔法使い』だという強い後ろ盾になる。心配性な学友連中にとっては、これ以上ない肩書だ」

 アベルはさらに謳うように続けた。

「クラスに戻る時には、派手なパフォーマンスで宣伝してあげよう。今、君のクラスはありもしない憶測や疑心暗鬼でパンクしそうになっているはずだ。その最も関心度の高いところに『四方山メイジは犯人ではなかった』『その上勇者の部下になった』と宣言したら、どうなる?」

「……そりゃ……、まあ。話題になる」

「そう。爆発的に情報が広まる。『な〜んだ、悪いやつじゃないのか』と。上手く行けば、評価が反転するかもしれない。まあ、実際に皆の信頼を勝ち取るのは日頃の君の行動にかかっている訳だし、勇者陣営に下ったとしても、疑いの目を向け続ける者もいるだろう。それでも、信頼の底上げすることは出来る。僕の息がかかっていると知れ渡れば、君に下らないちょっかいをかける者も減るだろう。こうみえても僕は当代勇者の生徒会長、圧倒的なカリスマ性で、他人を魅了してやまないところがあるからね」

「うわ、ウザ」

「これからお世話になるかも知れない恩人にそういうことを言うのは不敬にあたるよ」

 アベルの軽口はスルーして、少し思案する。


「……もし断れば?」

「『悪い噂が流れ続ける』ルートを選ぶようになる。反社の道を選ぶのは最高にロックで素敵だけれど、君は引き続き、他人の悪感情に怯える青春を送ることになる」

「……なるほどね、そういうことか」

 アベルの顔をみると、実に愉快そうに笑んでいる。彼女は「勇者」を名乗るだけあって悪い人物ではないだろうが、単純に良い人物でもなさそうだ。


 教室から生徒会室に連れ出した経緯も、ここに着地するための策略だったということなのだろう。

(はじめからアベルの策略だったってことかな……)

 私は隣の、学校の理事長の一人娘であるふーこを見る。

(勧誘の本命は、こいつかな……)

「ん?」

 ふーこは何も分かっていないようで、視線に気がつくと曖昧に笑い返した。


 アベルはずいぶん前からふーこを勧誘していたようだった。ふーこは自分を理由に勧誘を断っていたと聞いたし、友人である自分を《対魔女狩り隊》に入れてしまえば、ふーこももれなく付いてくる、と読んでいるのだろう。なんせ、ふーこはチョロいのだ。


(なるほどなあ……)

 疑問だった。アベルが何故自分なんかに優しい言葉をかけるのか。事件を調べる内に自分の過去を追体験したとして、果たしてわざわざ一言贈りたくなるだろうか? 何の見返りもなく?

 他人の無償の善意ほど、胡散臭いものはない。

(ふーこが狙いなら、納得だ)

 

「……余計な事を考えてそうだね。素直に好意を受け取れないのかい?」

「そこまでお目出度く出来てませんので」

「全く、『多情多感の現実主義者リアリスト』はこれだから困るね」

 新たに不名誉な実績を与えられしまった。


「改めて、今一度言おう。四方山メイジ君。そして、使い魔の不銀殿。僕の仲間パーティに入ってくれないか?」

 アベルは爽やかにっこり笑って、爪の先まで美しい手を差し伸べた。

「……」

 私は左肩の鴉に目をやった。フギンは、「お前さんに任せる」と言わんばかりに羽を小さく広げた。







 長い指の美しい手を差し出されて、私はそれに思わず見とれてしまった。思わず触れたくなるような手をしてる。自分の事を、魅力も含めて、よく知っているだろう。ひとつしか歳が違わないのに、すごい人もいたもんだと感心して、私はペコリと頭を下げた。


「……お断りします」


 アベルはさも意外といったように、その目を見開いた。

「ええ!?」

 ふーこも隣で驚いて声を上げた。そして私の耳元で、ひそひとっと耳打ちをした。

「メ、メイジちゃん……いいの、大丈夫? 頭のおかしいアベル先輩にしては、結構いい条件出してくれてたよ〜……?」

「おいおい、聞こえているぞ、城間君。しかし城間君の言う通り、破天荒と言われがちな僕なりに、結構いい条件を出したつもりだ。訳を聞かせてもらえるかな」


「……もちろんです。その前に、会長」

 私は、もう一度頭を下げた。

「お礼を言わせてください。私の過去をわざわざ調べてくれて、ありがとうございます。あの中学のことを調べて、『悪くない』と言ってくれたのは、身内以外ではあなたが初めてでした」

「……」

「《魔女狩り》の捜査の一貫だとしても、同情だとしても、ふーこを仲間にするための作戦だとしても。……どんな経緯でも……ずっと第三者の、公平な誰かに言って欲しかった言葉でした」

「……それは、良かった」

「あの事件を思い出す度、会長の言葉を思い出すと思います。その度元気を貰えそうです」

「そう思ってもらえたなら、伝えた甲斐があったよ。ならば、なおさらこの活動の重要性を理解してくれるだろう? かつて君を苦しめた不条理は、今も現在進行系で誰かを苦しめ続けているんだ。僕らは君のような目に合う人を、救い上げたい。あのシューズの持ち主も、まだ見ぬ被害者も。誰も、不当な目に合わないように」


「会長の言いたいことは、なんとなく分かります。『過去の自分を救え』と言うんですよね。今度はお前が、助ける番だと」

「そう。まさにそうだ。察しが良くて助かるよ」


「……『過去の自分』……と言いますけど。私が中学のとき、一番ショックだったのは……不条理とか、差別とか、大層なものじゃないかもです。……自分は正しく生きていたつもりだったのに、さほど信頼が無かった事が、一番ショックだった」

「メイジちゃん……」

 ふーこが心配そうに名前を呼んだ。大丈夫だ。理解者に囲まれているせいか、痛みはそれほど無い。


「あの日が訪れるまで、自分はクラスの子たちと仲が良かったと思っていた。うまくやれていると思っていた。でも、そうじゃなかった。目立ったいさかいをしなかっただけで、特別仲が良いわけでもなかったんだと、今は分かります。表面的な当たり障りのない事ばかりを浅くシェアして、そこから一歩踏み込んだ本質に触れようとしなかった。関わりが浅かった。だから、偏見なんてつまらないものに押し切られた……」


 目線を下げれば、まだほとんど新品の新しい上履きが視界に入った。腕にやさしく触れる感触がして顔をあげると、ふーこが手を添えてくれたのだと分かった。


「……関わりが浅かったから、誰も私の無害さを信じなかった。誰も問題を拾い直さなかった。誰にも『四方山はそんな事する訳ないだろ』と思って貰えなかった。魔力持ちへの偏見差別とかが絡まって話がややこしくなっちゃったけれど。……私には元々、信頼が無かったのがそもそもの原因で」


 それが一番、受け入れ難かった。

 あの時クラスの内のだれか一人でも、もっと私の性格を知っていれば。だれか一人でも、私の考え方を知っていれば。高見さんが、取駒に向けるような信頼を、少しでもこちらに向けてくれれば。


(いや、クラスの人に全てを押し付けるのは、虫がいい。……私も同じだ)


 私が、高見さんをもっと信頼していれば。ふーこに向けるような信頼を、高見さんに向けられなかった。「きっと話せば分かってくれる」と信頼できるような付き合いをしていれば、和解の道を諦めたりはしなかった。


 梯子を外したのは高見さんだけではない。自分だって彼女を早々に諦めた。彼女が不運な事故に遭い、入院しているのを知っていたのに、お見舞いに行かなかった。スマホでのやりとりも、弁解も、……喧嘩すら、しなかった。

 彼女にかける言葉は全て届かないと、無駄なのだと、やらない内から決めつけた。最後の謝罪の言葉すら、受け取りを拒否した。


(どうせ分かってくれないと……彼女を見限った)

 これ以上傷つくの嫌がって、どうせ徒労に終わると決めつけて、対話することを諦めた。私だって、彼女たちに「分からず屋」のレッテルを張って、視界の外に投げ捨てた。


 高校でも同じことを繰り返した。掲示板の書き込みを見た子たちに、弁解も弁明もしなかった。

(どうせ分かってもらえないと……相手を決めつけた。これ以上傷つくのが嫌で)

 自分のクラスに、どんな子がいるのか、知りもしないのに。


 友情というのは、信頼の相互関係なのだと、今なら分かる。

(……つまるところ、私達はお互いに、最初から友達では、なかったんだ)

 胸の中に、寂しい風が、細く、長く、吹いた。それを静かに、静かに受け止めた。



「……私が取り返したいのは、私の信頼です。会長の手を借りて、皆に『悪者じゃなさそう』と分かってもらっても意味がない。それは会長がこの学校でコツコツと築き上げてきた信頼で、私には何の関係もない。私が『悪くない』ことを、私の行動で知ってほしい。受け入れたいし、受け入れてもらいたい。……だから学校に帰ってきた。……んだと、思います」

 出来るかどうか分からない事を宣言するには勇気が足りなくて、語尾に不安が滲んでしまう。でも、言っていることは間違いがないつもりだ。

「自分の手で、信頼を……。そうじゃないと、いつまでたっても、自分に自信が持てない。他人が怖いままだから」

 今度こそ一息で言うと、胸の中でふやふやと柔らかいままだった決心が、固く芯を持ち始めたのを感じた。


「メイジ君。仲間に頼ってもいいと、言ったはずだ。何でもかんでも自分でやるのは賢いとは言えない。僕に協力すれば、今日からでも、君はヒーローになれる」

「言ってることは分かります。けど、それは私の望む形じゃない」

 はっきりと言った。

 私は結果だけが欲しいのではない。実績だけが欲しいのではない。

(《ステータス》には残らない過程を、経過を、自分の手で積み上げたいんだ)


 実績として残らない、行間を、この手でコツコツと。日頃の発言や行動、他愛もないやり取りを積み上げて、今度こそもっと深く、深く。

(信頼されて、信頼する関係を)

 だから、今、震える足で学校に立っている。

(まだ怖いし……また、同じことになるかも知れない)

 それでももう一度、信じてみたいと、チャレンジしたくなったんだ。

(お店のお客さんから、教わったもの……)

 努力や誠意がちゃんと伝わるケースがある事を、教えてもらった。着慣れぬYシャツの内側で、ころりと小さい石の感触がある。


「……それに、一番の理由は……なんだかんだ言って、ネットのお店の方も、ちゃんとやりたいって思っているんです。お店をはじめた当初は100%、生活費のためだったけれど。誰かの役に立つのは、やっぱり嬉しい。学校で正しい知識をつけて、誰かの手助けをしたい。……そうなってくると、課外時間は貴重です。《対魔女狩り隊》の活動に、割ける時間がない――物理的で現実的な問題です」

「なるほど……」

 アベルは残念そうに目線を落とした。

「私がいなくても……。勇者アベルとその仲間たちが優秀だというのは、実演頂いたお陰で、よ〜〜〜〜く分かりましたから。そちらの活動は安心して、おまかせ出来ると思いました」

「……なるほど、最後のトドメは褒め殺しか。これじゃあ、僕が付け入るスキはもう残っていないなぁ」

 アベルはまた、肩をすくめて笑った。


「君の尊い心意気に感動したよ……。僕はまさに、臆病なものが勇気を出して立ち上がる瞬間を見たのだと思う。貴重なものを見させてもらった。まったく、僕の悪いクセだね。『敵に塩を』じゃないけれど、君にエールを送りすぎた。教室に居た君は、気の毒なほど顔面蒼白だったのに、今じゃ涼しい顔しちゃって。全く、立ち直りすぎじゃないか?」

「本当にありがとうございますw」

「語尾がね、癪だよ」

 アベルはやれやれと、会長席に移動し、背もたれに体重を預けた。


「君のような優秀で善良な魔女を仲間に出来ないのは、実に惜しい。とても惜しいけれど、よく分かった。君の意向は尊重しよう。せめて、僕の口から『メイジ君は《魔女狩り》ではなかった。中学時代の噂も冤罪だった』と宣言させてくれ」

「会長!」

 しのぶが後方から、不服そうに声を荒げた。

「まあ良いじゃないか、しのぶ。故意に悪評をばらまいたのだから、帳尻合わせくらいはするのが筋さ。それに、君だって彼女の過去を頑張って調べてくれたじゃないか。どこかで発表しないと、コレが全部、無駄骨になってしまうぞ」

 アベルが分厚い紙束をペラペラと揺すると、しのぶは、むーっと膨れた。

「……でも、その一言で、過去の疑いが完全に晴れるわけではないよ。人間の疑いの根は深い。君なら分かるね」

「……分かります」

 嫌というほど。どん底もしっかり味わった。

「……でも、幸い、理解者が増えましたし」

 私は周りを見回す。この教室にいる人たちは全員、自分が無実であることを知っている。

「時間はかかるかもだけど。案外、分かってくれる変わった人も、いるかもしれない」

 この調子で。

 狭い教室にはいなくても、その隣のクラスに。隣のクラスにいなければ、隣の隣のクラスに。学校のどこかに。


「いいね……、君のこと、本当に気に入ったよ。僕は君をあきらめない……」

 アベルは目を見開いて、言った。瞳の中で輝く星が、大きくなったようで、なんだか怖い。

「……え、ええ? 今さっき、正式に断りましたよ」

「人間の気分なんてものは適当なものさ。天の邪鬼な君のことだ、僕の提案を一度ははねのけてみたいってのが本心だろう? タイミングを見計らってまた勧誘に行くから、待っていてくれたまえ。僕はね、欲しいものは必ず手に入れる質だよ」

「うへえ」

 辟易する私に、アベルはアイドルのような完璧なウインクを投げつけてみせた。

「生徒会長としてではなく、結城愛鈴としても、君を応援しているよ」







 教室に戻った際、アベルは条件提示の通りに振る舞った。私の手首を掴み、持ち上げ、「四方山メイジ君は《魔女狩り》ではなかった! また、生徒会の調査の結果、中学の悪い噂も事実無根であることが判明した! 以上が生徒会の見解である。本件に関し、これ以上の詮索は禁止とする!!」と高らかに宣言した。クラスメイトたちの目に困惑と興奮が宿った。


 退屈な日常に何か面白いことが始まったのだと、教室は沸き立った。黒魔術に生徒会が屈した論、次の行動のためのブラフ論、勇者を信じる論、アベル様麗しい論、……さまざまな意見がクラス中で飛び交った。流石に休み時間には耐えきれず、ふーこのいる隣のクラスに避難したりしたけれど。

 授業中も、どこかで小さく声がさざめいていた。チラチラと様子を伺われて、板書で目線を上げるたびに、誰かと目が合う。隣の席のしのぶからは、何度も何度も嫌味なため息が聞こえてきた。

 それでも、登校したての朝程、居心地は悪くはなかった。不思議と視線に鋭さを感じなかったのだ。







 自分が悪い魔法使いではないと理解してもらうには、あと何ヶ月掛かるとも分からない。何年掛かるかも、卒業まで理解してもらえないかもしれない。

 運良くクラスの人たちと和解できたとしても、互いの理解が足りなくて、中学と同じことが繰り返されるかも知れない。

(それでも……)

 それでも。掃き溜めに捨てられた自分の痛みを拾う者が現れた。

(人生は、何があるか分からない)

 心無い言葉を浴びせる人がいるのと同じように、暖かな言葉を贈ってくれる者もいる。ふーこのように、ずっと自分を慕ってくれる人も、そばにいてくれている。


 頭の中で「狭い教室にいなくても……」という言葉を心の中でリフレインする。たとえこのクラスにいなくても、この学校のどこかに。この学校にいなくても、地平線のどこかに。ネット上に。そう思うと、残酷な世界に生まれ落ちてしまったと痛む胸が、少しだけ楽になるような気持ちがした。

 

 黒板を確認しようと前を向くたび、噂好きのクラスメイトと目が合った。

 ……同級生の目はまだ怖い。

 それでも、私は真っ直ぐに、前を向いてみせた。

 自分自身に胸をはるように。


 その小さなやせ我慢を、《ステータス》に残らない行間の行動を、省かれてしまうような些細な過程を、自分自身の手で大事に積み上げようと思ったのだ。


 ノートの右上に、今日の日付を刻んだ。

 なんでもない数字の羅列なのに、とても大切な記念日のように思えて、シャーペンの先でぐるぐるっと二重丸で括ったのだった。

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