第19話 過去は引きこもりに暗い影を落としている。

「好きです。わたしと付き合ってください」


 初めて告白をされた。


 あの頃の僕は引きこもるほどでなくとも心を閉ざしていて、いつもひとりだった。大切な人を亡くし、色を失った世界というのはそれほどに孤独で、退屈だったのだ。


 だからろくに友達を作ることもせず、教室の隅で窓の向こう、はるか先の青空を見つめていたのだと思う。青空にも、雲の上にも、太陽にも、月にも、特に何も求めていないのに。ただ、見るべきものがないからそこを見ていた。


 そんな時にキミは現れて、告白された。現れたというのは語弊があるだろうか。級友だったのだから、ただ僕が見ていなかっただけだ。


 正直、恋愛にそこまで興味があるわけではなかった。誰かと恋をするなんてことが自分に出来るのだろうか。恋なんて、本当に存在するのだろうか。恋をして、誰かを好きになって、それでもどうせきっといつかはいなくなるのに。なんで恋をする必要があるんだろう。そんな疑問が浮かんだ。


 それでも、僕だって思春期だったのだ。思春期なりの欲望は持て余していたし、異性という存在には興味があった。


 だから僕はキミ――――黒木藍佳くろきあいかの告白を快く受け入れた。


 それがすべてのハジマリで、オワリだった。


 しばらくは平和なものだった。


 お互いに大人しい性質だった僕らは気が合って、すぐに仲良くなった。


 異性との交流なんてそれまで幼馴染とくらいしかしていなかった僕は気づけば、キミのことを好きになっていた。思春期のくだらない疑問なんて吹けば飛ぶようなものだったのだ。


 晴れてふたりは相思相愛。幸せの絶頂が訪れた。


 級友がいる場所では恥ずかしいからあまり話さなかった。


 その代わり、朝は早めに登校して。休み時間になれば人気のない廊下で。昼休みには屋上に忍び込んで。放課後は色々な場所に出かけて。二人だけの時間を過ごした。


 とても楽しかった。楽しかったんだ。


 幸せだったんだ。それは過去の傷もすべて癒してくれるくらいに。


 キミこそが僕のすべてなのだと。キミを絶対に幸せにするんだって。本気でそう思うくらいに。


 僕の世界に、キミという色が塗られた――――。


 だけどある日の放課後、一目を避けてたどり着いた空き教室にて。


 キミは言った。


「わたしと……別れてください」


 当然、僕は追いすがった。


 なぜ? なんでこのタイミングで? 告白してきたのはそっちじゃないか。何か悪いことしたかな。何が気に入らなかったのかな。教えてよ。直すから。キミのためならなんだってするから。僕はキミのことを一生――――


「やめて! 触らないで!」


「……ぇ?」


「……汚い」


 何を言われたのか、理解できなかった。


 なぜ、僕のことを好いているはずのキミが、僕を拒絶するんだ。わけが分からない。


「きもい。きもちわるい。それ以上近づかないで。離れて。わたしに触れないで。本当に、気持ち悪くて仕方がなかった。視界に入れるのも億劫だった。でも、それもやっと終わり」


「なに……それ。え?」


「わたしがあなたのことを好き? そんなことあるわけないじゃないですか。誰が、あなたみたいなキモオタのことを、陰キャことを好きになるんですか。ぜんぶ、ウソですよ。バカですね、あなた」


 含みを持たせるかのように笑みを浮かべて、僕を嘲った。その瞳には本当に、侮蔑と嘲笑が込められているように感じた。それくらいにその瞳は冷たくて、真っ暗だった。


 それからまるで張りつめていた糸が切れてしまったみたいに、壊れた人形みたいに脱力したかと思ったら、今度は愉悦の籠った笑みを浮かべる。


「さいしょ……最初から、ぜんぶ! ぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶ! ぜんぶ! ウソだったんです! ウソ! だったんですよぉ!? アハ、アハハ! なんだこれ……なにこれ……めっちゃ笑える。笑える……笑える……エへ……アハ……。ねえ、今どんな気持ちですか。わたし? わたしはとっても、楽しいですよ。だっていつも、笑いを堪えるのに必死でしたもん。でも、今はもう笑える。ねえ……滑稽でしたよね、あなた。わたしは、……わたしはあなたのことなんてこれっぽっちも好きじゃないっていうのに! むしろ、き、キモいとさえ思ってるのに! あなたは、あーんなに鼻の下伸ばして! わたしを、好きだとか言って……バカみたいに、抱きしめようとなんてして…………ぇ……誰が、誰がキモオタ陰キャのことを好きになるっていうんですか。そんな人……いるわけないじゃないですかぁ……。本当に本当に、バカで、愚かで……憐れな人……救いようのない人……アハ、アハハハハハハハハハハ!!!!」


 もう、言葉は頭に入ってこなかった。


 ただ、ひとつだけ分かった。


 僕は、騙されたのだ。告白から今まで。すべてが、ウソだったのだ。


 気づけば、涙が溢れていた。


 そして直後、教室の扉が開いて何人かの女生徒が押し入ってくる。


「エクセレーント! 黒木ヤッバ! 性格わっる〜!」


「それ! ほんとそれな~! 最後とかさいっこうだったんだけど!」


「あ、陰キャくーん元気~? ゴメンね~黒木ってマジ悪女だからさ~引くわーって感じで~」


「ほんとほんと。陰キャくん可哀想~。キャハハハハハハ!」


「まあまあ、陰キャくんもいい夢見させてもらったと思ってさ。頑張っていきなよw きっと陰キャくんが好みの陰キャ女も世界中探せばどっかにいるってw」


「ていうか~陰キャくんが数カ月でも女の子と付き合えたってだけで幸せじゃね?」


「マジそれね。あーでもぉ~ちゅーくらいしておきたかったよね~。もうっ、奥手なんだから~陰キャくんは~。良かったらあたしが黒木の代わりにちゅーしてあげよっか? お金は獲るけど~w」


 汚らしい笑い声が教室に響く。


 女生徒たちのことも一応、見覚えがあったかもしれない。クラスでも派手な女子たち。それくらいの認識。ただのひと塊。一度も話したことなどない、僕とはまるっきり違う世界の人間。


(なんでそんなやつらが黒木さんと……?)


 そんな疑問も一瞬浮かんだが、もうどうでも良かった。キミも彼女たちの仲間だった。ただそれだけのこと。


 ウソ告白。


 その言葉が頭をよぎった。


 キミによるウソの告白。偽りの恋人関係。本気だったのは僕だけ。なるほど滑稽だというのも頷ける。


 それを観察、モニタリングして楽しんでいた彼女たち。そしてこのネタバラシ。


(僕はずっと、玩具にされていたわけか……)


 怒りは沸かなかった。


 ただ、世界が色あせていくようだった。世界から色が、再び消えた。


 そうだ、この世界は残酷で、理不尽で。いつだって辛くて悲しくて寂しいことばかりだ。だから、僕は心を閉ざしていたんだ。


 だから、もう一度閉じるのは簡単だった。


 僕はもう、何も信じない。何も求めない。この世界に希望などありはしない。幸福も、愛も、そんなものはただの言葉でしかない。誰かが無責任に語った、ウソで塗り固められた物語の中の存在だ。この世界のどこにも、ありはしない。


 そうして僕は、学校に行くのをやめた。家に引きこもるようになった。



 ――――幼馴染と再会するあの時までは。



 でも、未だに脳裏にこびりついてることがある。


 あの日。半狂乱とでも言うべき豹変をみせたキミは――黒木藍佳は、終始泣いているように見えた。


 それはくだらない恋心に染められていた僕のみた幻だろうか。それもすべて、キミの手の内なのだろうか。


 答えを、僕は知りたかった。


 そしてもし、キミが僕と同じであるのならば。


 僕はきっと、キミを――――。

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