第20話 そうして少女はひとつの決意を胸に歩き出す。

 僕だって、何もしていないわけではない。

 引きこもりをやめてから、キミについて自分なりに調べた。


 結論から言おう。

 黒木藍佳は決して、僕を貶めた連中の仲間ではない。むりやりやらされていたにすぎない。


 やっぱり同じなんだ。ずっと教室の端にいて、誰とも関わらず、世界に馴染めなくて。自分の殻に閉じこもっていた。そんな女の子が、キミだった。


 そんな僕たちを利用して、やつらが起こしたのがあのウソ告白。


 それが僕なりに聞きまわって集めた情報から下した結論だ。


 あの時のことを知っている人間は探せばそれなりにいた。誰もがずっと口を閉ざしてきた。閉ざさなければいけなかったのだろう。自分がその渦中にはいきたくないから。標的にされたくはないから。


 でもきっと、そうして口を閉ざす罪悪感は彼ら彼女らの中で降り積もっていて。僕が不登校になったという事実も、胸の中に蟠っていて。


 だからだろうか。僕が登校している。それが彼らにとっての救いだったのかもしれない。快く、知っていることを教えてくれた。


 結局、僕が知らなかっただけなんだ。


 見ようとしていなかったから。生徒たちの人間関係。力関係。カースト。何もかもから目を逸らしていた。


 だから、黒木藍佳という人間を知らなかった。やつらという悪意にすら気づいていなかった。それはきっと、同級生であるなら誰もが知っていることだったのに。


 バカは僕だ。

 だからこそ、僕はウソ告白の標的に選ばれたのだろうけれど。

 

 でも、もし僕がキミを信じられていたら。

 キミの味方でいることが出来たなら。あのとき、キミの言葉を否定してあげられたなら。抱きしめて、あげられたなら。心の涙をはっきりと見てあげられたなら。


 僕は、僕たちは今もずっと。ウソ告白を覆して、ずっと……。

 でも。だから。だからこそ。




「ごめん。黒木さん、キミとはもう付き合えない」




 それが答えだった。決まりきっていたもうひとつの結論だった。


 思うことはある。分かったこともたくさんあって。それでもまだ問い質したいこともある。しかし結局をもって、僕はこう言いたい。



 一度壊れた関係が元通りになることなんてない。



 たとえどんな理由があろうと。無理やりだろうと。どんなに苦しんでいようと。泣いていようと。キミがあの時、僕という存在を切り捨てたことはたしかなのだ。


 キミは、僕と手をとり合おうとはしてくれなかった。


 もしかしたら、のイフなどこの世界のどこにもありはしない。


 だからもし言葉の上ではもう一度やり直そうなんて言ったとしても。手をとり合ったとしても。それでも僕はきっとキミを本当に信頼することはできないのだろう。そこには歪みしか残らない。キミへの信愛を、純愛を抱くことはきっともう、ない。


 覆水盆に返らずとはよく言ったもので。僕はもう、キミとのなど求めていない。


 それが例えば友愛だったら。家族愛だったら。違っただろうか。雨降って地固まる、なんて。そんなことが言えたのだろうか。


 男女の関係において、それはあり得ないのだと思う。だって、僕の心は事実を知っても、それでも、こんなにも苦しいのだから。この傷が癒えることはあっても、消えることはないのだから。


 今一度、見つめる。それは一度は好きになった人。幸せにしたいと願った人だ。


 表情を、感情を読み取る。今度こそ見逃したくはない。 


「そう……ですか。そうですよね……」


 そっと瞳を伏せる。


 そこにあの時のような張りつめた空気はない。


「……それだけ? もっと僕を騙そうとしないんだ? 押しに弱い陰キャの僕なら、少し迫ればまた簡単に騙せるかもよ?」


「そんなことにはもう、意味がありませんから。わたしはもう、偽らない。本気で、もう一度やり直したかったんです」


 騙せ。騙せよ。騙してくれよっ。僕はバカだから。だから、キミになら……。


「……っ」


 感情を振り払うように、首を振った。


 キミは儚く微笑んでいた。それは何度も見たことがある。偽りの恋人だった、あの時間に。いや、その微笑みはあの頃よりもずっとずっと、腫れ物が落ちたかのようにかろやかだった。


 それはまるで、僕が断ることを願っていたかのようで。


「ねえ、黒木さん――――」


 ずっと抱えていた問いかけ。それを聞こうとした、その瞬間。



「謝って! 翡翠くんに、謝ってください!!」


「――――え……?」



 人気のなかったはずの校舎裏にその怒鳴り声は響き渡った。


 それは校舎の影から聞こえていた。そちらへ目をやると同時に数人の女生徒、そして幼馴染の姿が見えた。女生徒は当然、あの時の連中だ。


 やはり、この告白も仕組まれたものだった。


 しかし、その光景にあってはならない彼女の姿。


(優月……!? なんでここに……いや、それ以前に何を……!?)


 啖呵を切っていたあの声は間違いなく優月だった。いつも穏やかな幼馴染が、大声を張り上げている。


「はあ? なに、あんただれ」


「わたしは……わたしは翡翠くんの幼馴染です。あなた達がしたこと、ぜんぶ知ってます」


「へえ? 幼馴染? あんな陰キャにそんなのがいたんだ?」


「あれ~? でもでも、前はいなかったような~? 幼馴染さんは~、彼がそこの悪女に騙されてたときに、何してたんですか~?」


「そ、それは……わたしはその時この町にいなかったから……」


「はっ。何が幼馴染って感じ? 黙ってろよ。部外者」


 リーダー格の女生徒が優月を睨む。


 そうだ、優月は部外者だ。優月がこの件について何かをする必要なんて何もない。だから、はやく帰ってくれ。優月はここにいるべきじゃない。いてほしくない。


 それなのに……


「黙りません。翡翠くんに謝ってください! 謝ってもらうまで帰りません!」


 優月は女生徒の手を掴む。数人の相手を前に、まったくひるんだ様子を見せない。


「はあ? うっざ! なに? なんなわけ!? マジでウザいんだけど!? なんであんたがそこまですんのよ!? 肝心な時にいない何の役にも立たない幼馴染のくせに! そんな薄っぺらいもん捨てちまえいいんだ!」


「……わたしはたしかに役立たずかもしれません。。でも、それでも……」


 優月はさらに強く女生徒の手を握る。


「離せよっ!」


「それでも、幼馴染だから! 翡翠くんの幼馴染はわたしだけだから! だから、何があっても味方するんです! 今度こそ、隣で支えるんです! 今度こそ、助けないといけないんです!」


「だから、離せって――――っ!」


「……優月!」


 女生徒が吠えたその瞬間、走り出していた。しかし間に合うはずもない。


 その手は振り払われ……そして――――。


「ゆづ――――っ」


 届かないと分かっていながらも手を伸ばす。


 しかし……


「ちっ。あーもう、何コイツ。マジで。いっみわかんな。陰キャは陰キャで……大人しく夢見てろっての。台無し。しらけるわ」


 女生徒の手が優月に振り降り降ろされることはなかった。彼女はクールダウンするように両手を軽く振り荒々しくため息をつくと、優月に背を向ける。


「帰る」


「ええ!? リサちんまっじで!? こっからじゃないの!?」


「こっからってなに~? リンチでもすんの?」


「ばっか、ガッコでそんな目立つことするわけないでしょ。今日は観賞に来ただけだっつーの」


 取り巻きをなだめながらも、女生徒――リサはちらとこちらに視線を流した。それは嫌に鋭い瞳だった。そして歩き出す。


「ま、待って! まだ――――っ」


「優月……っ! もういい! もうやめよう! もう十分だから……!」


「でも……でもぉ……っ!」


 あちらから引くと言っているんだ。わざわざ止める理由などない。


 再びこちらへ一瞥くれると、彼女たちは今度こそ去った。


 それを見届けると、優月はぷつりとチカラが抜けたようにその場にへたり込んだ。慌てて彼女の元へ駆け寄る。


 しかしそれと同士に、キミがこちらに背を向けた。 


「……では、わたしもこれで」


「なっ……ちょ、ちょっと……!」


 まだ、話があるんだ。キミとは、話ができるはずなんだ。


 優月と視線が交差する。それに頷いて、僕は立ち上がりその背を追った。


「ま、待った! 僕たちの話は終わってない。すぐ終わるから、ひとつだけ教えてくれないか」


「……なんですか」


 キミは背を向けながらも立ち止まった。


「僕は……キミの本心が知りたい」


「そんなもの、あの日にすべて話したはずですよ。汚らしく、醜悪に、すべて吐き出したはずです。ぜんぶ、ウソだったんです。今さっきあなたに告げたことも、ぜんぶ」


「本当に、そうなのかな……そうならそれでいいんだ」


 それが本心だというのなら、それでいい。


 あの時間がすべて、本当にウソで。すべてが一方通行だったというのならそれでいい。


「でも、キミは彼女たちの仲間――――ではなくて」


「……え?」


「キミはウソの告白をさせられた。自分の意志ではなく、僕と恋人になった。そして、フッタ。今日はそれの焼き増しで、バカな僕を使った二回目のショーが始まるはずだった。だから、君は僕のことなんて好きじゃない。道理だ」


「なっ……なんで知って……」


 振り向いたその仮面は剥がれかけているように見えた。


 僕のことを誰かが好きになってくれるなんて。そんな都合のいい現実はない。だから、それならそれでいいんだ。


「でも、……でもさ」


 それでも、伝えたい。


「僕は……本当に好きだったんだ。キミのことが。心から! 大好きだった! キミと恋人でいれた時間が、僕の幸せだった! キミが僕に、恋を教えてくれたんだ……っ!」


「甘党……君……」


「キミは……どうだったのかな。あの時間は本当に君にとって、すべてウソで、偽りで、忌み嫌うものでしかないのかな。忘れたい、最悪の記憶でしかないのかな」


 それだけ、聞きたかった。


 この期に及んで、僕は信じたいのだ。その想いのありかを。



「……そんなわけ……ない……」



 掠れた声。


 そしてそこに入り混じる、嗚咽。


 今度こそ、本当の涙。


 心だけじゃない。



「そんなわけないんです……っ!」



 キミのすべてが、ボロボロと涙を零していた。


 その仮面がついに、完全に剥がれた。そしてそれは、僕のよく知っている顔だった。そうだ。僕はずっとキミの素顔を見ていたはずなんだ。


「……わたし……わたしもなんです。あの時間は何もかもが嘘で、偽りでしかない関係で。罪悪感で……押しつぶされそうで……怖くて、怖くて仕方なかったけど。でも、想いは……っ! 想いだけはいつしか本物になっていたと……そう思います。それだけは、本当です。あれが、……わたしの初恋でした……」


 はは、と声にならない声が漏れた。自然と、僕の頬にも涙が伝っていた。


「……そっか、そうだったのか……」


 しばらくの間。曇天の下。僕らは立ち尽くしたまま。それ以上近づくことも、触れることも、言葉をかけあうこともなく、泣いていた。



「僕にできることはないかな。僕は――――キミを……」



 助けたい。そうだ。助けなければ。恋だとか、愛だとか、そんなことはもうどうだっていいんだ。今さっき、すべてを消化した。本当に、過去のものとなった。

 

 しかしそれでも、キミが僕と同じで。ずっとずっと悪意に、残酷な世界に弄ばれているというのなら。こんな僕にできることがあるかなんて分からないけれど。でも、何かを為して見せる。


 そうしてキミを、救いたい。そうしなければまだ、僕らの過去は終わらないんだ。


 だけどその言葉の先を、キミは言わせてくれない。


「甘党君……好きです。大好きです。そこにウソはありません。あなたと過ごした時間を、わたしはきっと忘れないでしょう。でも、それだけです。それ以上をもらう権利なんて、資格なんて、わたしにあるはずがありません」


「そんな……」


「いいんです。大丈夫です。大丈夫なんです。大丈夫……わたしは、わたしのやり方で。これから頑張っていきますから」



 だから、さようなら。


 儚く笑ったキミは、今度こそ歩みを進めた。進む先には、雲の切れ間が見えただろうか。


 小さな背中に、最後の問いを。祈りを。願いを。



「また、会えるのかな。話せるのかな」


「……さあ、どうでしょう。でも、もし会えるのなら……」


「うん。そのときは、きっと」




 ――――生まれ変わったふたりで。


 今度こそ、ウソ偽りのない関係を。新しい、僕らなりの関係を。




 ようやく、僕の初恋が終わった。



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