第18話 残酷な世界は引きこもりを逃してはくれない。

 引きこもり根性も抜けてきて、学校にもムリなく通えるようになってきた。それもこれも、毎日一緒にいてくれる優月のおかげで。友人として気兼ねなく接してくれるアイナのおかげで。なんだかんだ手助けしてくれる桜庭さんのおかげで。陰ながら見守ってくれている会長のおかげだ。


 心が晴れてきているのを感じる。


 一際暗い夜。部屋で一人、机の引き出しを開く。出できたのはグシャグシャになった一枚の紙。書かれていたはずの言葉も今では掠れてしまって読めない。それでも一言一句忘れず覚えていた。


 グシャグシャのそれを丁寧にしまう。


 そして右手にはスマートフォン。メッセージアプリには最近増えた連絡先がいくつか。この数週間で出会った人たち。


 それからたったひとつの、数年前に消すことができなかった名前。消すべきだったのに。消したかったのに。すべて、消えてしまえと思ったのに。それは変わらずそこに残っている。


 何とはなしに、そろそろだと感じていた。


「僕にも、知っていることがあるよ。ここから飛び出して、やっと知れたことがあるよ」


 届かない言葉を、君に向けて、暗い夜に向けて呟いた。




 今日は朝からあいにくの空模様だ。分厚い雲が空を覆っていた。


 予感がした。これは悪い予感? いい予感? 

 しかしこう言った直観は何でも悪い方向に考えてしまいたくなってしまう。そしてそういう予感ばかりが得てして当たってしまうもので。僕のような人間は自ら悪いことを引き寄せているのかもしれない。


 放課後、下駄箱に封筒が入っているのを見つけた。それはいわゆる、ラブレターと呼ばれるものに見えた。


 中を覗くと、そこにはシンプルに一言。


『――――校舎裏でお待ちしています』


 あの時と、同じだ。まるで過去をやり直しているかのような、そんな感覚だった。それと同時に、汗が噴き出てくる。震えそうになる足はなんとか抑え込んだ。


「どーしたの? 翡翠くん? なあに、それ……」


「え? あーいや、なんでもないよ」


 優月が覗き込んできて、あわててそれを隠す。


「それより、ちょっと忘れ物したみたいなんだ。取ってくるよ。先に帰ってて」


「え、いいよ待ってるよ少しくらい」


「ど、どこに置いたか覚えてなくてさ、ちょっと時間かかるかもしれないから。いいから先帰ってて!」


 優月に背を向けて走り出す。校舎裏とは逆だが、咄嗟の言い訳のせいでとりあえずそうするしかなかった。一度その場を後にして、優月が下駄箱を去るのを確認してから、靴を履き替えて校舎裏を目指す。


 はたして、あの手紙に従う必要があるのだろうか。


 そんなこと、わからない。


 でも、もしもこの手紙の主がなのだとしたら。行かなければならない。


 わかっている。わかっていたんだ。


 どんなに彼女たちが優しくとも、気遣ってくれようとも。この学校には、爛れきった想いと捨てきれない過去がこびりついている。本当に引きこもりを脱却して、これからを生きていくのなら避けては通れないものがそこにはあるのだ。


 だから、キミに会いに行こう。


 校舎裏へ出ると、少し肌寒い風が頬を撫でた。5月の中旬の曇り空。まだ夏の気配には遠い。決して気持ちよくはないジメジメとした陽気だった。


 そして、出会う。


 そこにいたのはひとりの女の子だ。色素の薄い亜麻色の髪。数年前よりいくらか成長はしているが、人などそうそう変わらない。自信のない瞳はまるで自分を映されているかのようで。やはり僕たちは似ているのだろうと思った。


 ゆっくりと歩み寄る。


「こんにちは。ひさしぶり……っていうのかな、黒木さん」


 黒木藍佳くろきあいか。それがキミの名前。


 最初は僕から声をかけた。そうでなくては、何かに押しつぶされてしまう様な気がした。


 キミは心の奥を覆い隠すような、薄い微笑みをつくる。


「はい。お久しぶりです、甘党くん」


「うん。ほんとうに、ひさしぶりだ……」


 二人の間を風が吹き抜けた。間の距離は5メートルくらいあるだろうか。二人で話しているにしては遠い距離。それが心の距離のように見えて、僕は些細な安堵を得る。


 沈黙。


 沈黙。


 沈黙。


 世間話をする空気ではないし、する気もない。これ以上、僕から言えることはなかった。


 見つめる。分厚い仮面が、キミを覆っている。そんな気がした。そうやって自分自身を守っているのだと、今では思う。



 たっぷりとした沈黙の後、キミは再び口を開いた。



「あなたのことが好きです。


 やっぱり、大好きです。


 この想いは、あの時からずっと……ずっと……今も、変わっていません。


 今度こそ、もう……何もありません……。あんなことはもう……二度と……だからっ。


 だから、だから……もう一度やり直しませんか?


 わたしの、コイビトになっていただけませんか?」



 それは時を超えた、二回目の告白だった。

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