第17話 引きこもりの部屋に幼馴染ではない香りが舞い込んだ。

「ここがあまっちの部屋かー」


 アイナは物珍しそうに僕の部屋を見回すと、「ふむん」と考えるような素振りを見せる。それからぐわっと意気込んで指をさし始めた。


「テレビの前に散らばるゲーム機! コントローラー! 本棚の漫画! ラノベ! 隠してあるタペストリー!」


「え? いや、ちょっと?」


「あからさまではないけど隠しきれていないオタク部屋だにー。気に入った!」


 アイナは満足そうに腰に両手においてなははと笑う。どうやらお眼鏡には適ったらしい。


 僕は元々タペストリーやフィギュア、グッズなどにはあまり興味がなくオタクとしては飾り気のない部屋だ。ラノベなどは読まない優月からしたらきっとその存在にも気づいていないだろう。


「漫画とかちょっと見てもいいかいな?」


「いいよ。僕はお茶でも入れてくるね」


「お構いなく~」


 ひらひらと手を振るアイナを背に、僕は部屋を出る。


 そして自分を落ち着けるように深呼吸をした。


(……やばい。やばいやばいやばいやばい)


 僕の部屋に! 女の子がいる! しかも! 校内のカノジョにしたい女子ランキング一位が! いる!


 心臓が破裂しそうだった。


 優月なら毎日のように入ってるじゃないか。ベッドにもぐりこんでいるじゃないか。なんなら下着姿じゃないか。そんなことを思っても、まったく心は落ち着かない。


 なんて大それた提案をしてしまったのだろう。今更ながら教室での自分を呪いたくなる。何よりも一番怖いのはアイナが何食わぬ顔でこの誘いをオーケーしてしまったということだ。


(アイナは一体どういうつもりなんだ……っ!?)


 だって女の子が、男の部屋にひとりで、家族不在のこの時間に、のこのこと付いてきたのだ。そこには何かしらの意図があるのではなかろうか。


 幼馴染でもなければ。警戒心が皆無で色々と抜けている優月でもなければ。こんな得体のしれない引きこもりの部屋に来てくれるなんてありえない。


 ゲームに釣られただけだなんて、やっぱりそんなことあり得るはずがない。


 それなら……。


 コミュ障特有の、陰キャ特有のろくでもない浮ついた考えが浮かぶ。


(いやいや、それこそあり得ない。アイナが僕のことを……なんて。それこそ天地がひっくり返ろうとあり得ない)


 冷静に、くだらない考えを振り払う。


 アイナは優しいから。きっと気を遣ってくれただけだ。いきなりわけの分からない提案をした僕を立ててくれただけだ。それかもしくは、アイナくらいに人気者で友人も多ければ男子の部屋にやってくるくらいどうってことないのだろう。そうに違いない。


 どうにか動揺を抑えつけながら、お茶の用意をした。



「お待たせ」


「さんくすさんくす~」


 麦茶を受け取るとアイナはそれをぐいっと飲み干した。


「ぷはーっ、うまー!」


 それからふーっと息をつく。それはまるで先ほどの僕の行動と似たような感じがした。


「……よし。じゃあシュワッチやろ! ペケモンペケモン! はやく! はやく!」


「う、うん。今準備するよ。」


「たのしみ~しみ~」


 嬉しそうに足を延ばしてパタパタとさせるアイナを横目に、シュワッチの準備を始める。シュワッチは携帯機としても据え置きとしても使える機種だが、せっかくだしテレビの大きな画面で出来た方が良いだろう。


「アイナはゲーム好きなんだよね? なんでシュワッチは買わなかったの?」


「妹たちがいるかんね~。お姉ちゃんだけイイもの持ってたら嫉妬しちゃうっしょ? ひとつ買っても取り合いになっちゃいそうだし。何より高いし。それならお姉ちゃんは我慢するさね」


 普段よりももっと優しい顔で笑ったアイナは「それでもペケモンだけはどうしてもやりたかったんだよにー」とはにかんだ。


「妹さんいるんだ?」


「うん。妹が双子ちゃんで、あとは弟もひとりいてね~。こう見えてお姉ちゃんなわけなのですよ」


「3人もいるんだ。きっと可愛いんだろうね」


「そりゃもうみんなかわわだよ~。かわわでかわわで……お姉ちゃんとしてはそれだけで幸せ」


 それから僕がシュワッチの準備をする間、妹たちのことを話してくれた。双子の妹は身体が弱くてよく熱を出していること。姉はとても元気で、妹のことをいつも心配しているいい子なこと。弟は最近少しだけませてきて、実は一番接し方が難しいこと。


 家族のことを話すアイナはやっぱり、とても優しい顔をしていた。


 聖ヶ丘アイナの聖女様のように優しい(村上君談)と評される人柄はここからきているのだろうなと、なんとなく思った。




「やばば! グラフィックめちゃキレーなんですけど!? ペケモンもめっちゃ動く~! やばばばば~!」


 ゲームを始めるとアイナの興奮は絶頂を迎えた。


 その気持ちはすごく分かる。今までサンディーエスでやっていたペケモンがついに最新機種であるシュワッチで出来るのだ。僕にも初プレイ時には相当な感動があった。


「最初のペケモン何にしよっか!? これ進化系どうなるんだっけ!?」


「えっとそのペケモンはね……」


「ああやっぱやめ! ダメだよあまっち! ネタバレなしでやりたい!」


 口を開いた僕を慌てて止めるアイナ。


 その気持ちも、やっぱり分かる。気になるけど、知りたくないのだ。自分でゲームを進めて、その答えを見つけていきたいのだ。情報はできる限り遮断して、まっさらな状態で。攻略サイトを見るなんて言語道断。純粋に、ペケモンの世界を楽しみたい。


 瞳を輝かせて画面を見つめるアイナを見ていると、不思議と僕も楽しくなってきた。


 去年の秋ごろに発売されたペケモンの最新作。発売日にその世界の扉を開いた僕も、今のアイナと同じような顔をしていたのだろうか。その時だけは、その世界に入り込んで、すべてを忘れて、僕は僕だけの主人公になれていたのだろうか。


 暗い部屋でひとりテレビ画面を見つめる引きこもりの姿が浮かんだ。それは優月と再会する前の自分。


 自分のことながら、今の状況が本当に信じられないなと思う。それでも、横で笑顔を振りまくアイナを見ているとこれが現実であることが分かって、少し安心した。



 1時間ほど経つと、最初こそ何をしても驚いて新鮮な反応を見せていたアイナもさすがに落ち着いてくる。ふたりでちょこちょこと会話をしながら、お菓子なんかも摘まみながら、時間は過ぎていった。


「あまっち? あまっちー、おーい。どしたんあまっち」


「――――っ!?」


 一瞬、意識が遠のいていた。


 少し眠気がきていたらしい。


「眠たんな感じ? ごめんねあたしばっかりやっちゃって。他のしよっか? それとも今日はそろそろお暇しようか」


「い、いや、大丈夫だよ。ぜんぜん、眠くないから」


 コントローラーを置こうとしたアイナは少し名残惜しそうに見えた。せっかくあんなに楽しんでくれているんだ。僕だって楽しいんだ。それに水を差す眠気なんて、引っ叩いておけばいい。


「……ふむ。じゃあ、ほら」


「え……?」


「ほれほれ」


 女の子座りをしているアイナはぺちぺちと膝を叩く。


「アイナの膝で少し休みんしゃい。きっと疲れがバッチリ取れるぜい?」


「でも……」


「いいからいいから。据え膳喰わねば~だぞ~?」


 こてんと、引っ張られた僕はアイナの膝に頭を乗せた。


 抱きしめられたときに続く至近距離。また、アイナらしい柑橘系の爽やかな香りがした。柔らかく包むような女の子の膝の感触もした。心臓はドキドキとお祭り騒ぎなのに、なぜか落ち着いてきている僕がいる。


「よしよし。ちょっと疲れちゃったんだよね。そこで少し休むといいよ。アイナの膝ならいくらでも使いんさい」


 アイナはぽんぽんと僕の頭を撫でる。アイナにされるとなぜか、やめてほしいという気持ちも湧かない。


 それからアイナはゲームをしつつ何気ない様子で口を開く。


「この前さー、ゆいにゃとなんかしてたっしょ? あたしの素晴らしき演説をぶっちして」


「それは……なんかごめん」


「そん時は何してたん?」


「バレーボールだよ。スパイクを打たせてもらった」


「なーるほどにゃ~」


 ふむふむとアイナは頷く。


「ゆいにゃらしいストレス発散方法だー。しかーし、アイナはやっぱり違う方法を提唱しよう。あまっちに必要なのは、癒しなのだよ」


「癒し?」


「ザッツライト! そして男の子が癒されるために必要なのは女の子。それで間違いないのだ。どうだい? 美少女の膝は最高だろう?」


 得意そうにアイナは言う。


 たしかに、不思議と心が安らぐ。これ以上ないほどに、アイナの膝の上は心地よかった。


「……そうだね。最高かも」


「うんうん。やっぱりあまっちは素直ないい子だ。いっぱい、甘えていいんだぞ?」


 よしよしと、アイナは頭を撫でる。


 やっぱりその心地よさは留まることを知らなくて。アイナの温かさに包まれているかのようで。気づいたときには、僕の意識は途切れていた。




 どれくらい時間が経ったのだろう。


 目を覚ますと部屋は少し暗くなっていた。夕日が差し込んでいる。


 目の前にはアイナの整った綺麗な顔があった。近くで見ると、やはりとてつもなく可愛い。ギャルメイクも今や、アイナにはこれしかないと思える。


 ゲームはもうやめたらしい。アイナはただ、優しい表情で僕の顔を覗き込んでいた。


「……おはかい? あまっち」


「うん。おはよう」


 夜も近いから少しおかしいけれど、挨拶をし合う。


 それから、ふとアイナの足がぷるぷると震えていることに気づいた。


「あ、あまっち? ちょっといいかい?」


「なに? どうかした?」


「……おしっこ」


「え?」


「おしっこに行かせてくれい!」


「うわ!?」


 叫んだアイナは僕の頭を膝から突き落とす。それから颯爽と走り出そうとして、バタンと見事に倒れた。


「あ、足が痺れて……立てないぃ……あまっちぃ、へ~るぷ! おしっこ~! おトイレ~! 早くしないとあたしは男の子の家のフローリングに地図を描くというトンデモ伝説を作ってしまう~! それもいいのかもしれないと思っている自分が怖い~!」


「な、何言ってるのさ!? そんな伝説作らなくていいから!? 一生の恥だから!?」


「だったらはやく~! 間に合わなくなっても知らんぞ~!」


 情けなくぐでんと倒れたまま叫ぶアイナ。


「そ、そんなこと言われても……っ!?」


 当然の如く救助は難航した。しかしなんとか、本当にギリギリのところで伝説を作ることだけは免れたのだった。

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