2-8節「流動」


アーシャは半ば感嘆し、半ば呆れながら指揮官の戦闘を眺めていた。


怪し領の北東に広がる《嘆きの森》の深奥、もう少しで森を抜けて村里地帯に差し掛かる辺りで目覚めたアーシャは、すぐに周囲で開展される候補者陣営同士の争いの火蓋を察知すると、なるべく遥か遠くに、眼を凝らしても見つからない程度の濃さの草木に身を潜め、動向の静観に移っていたのだ。


いわゆる中立的な「機関」だが、アーシャはどうしてか、辻本の加勢に入る事をせず、ただ霞のユエとの戦いを複雑な心境で見守る。


剣士の差し向かいに割っては入れぬ。その深慮とは別の想いもあったアーシャが、背後から近付く足音と気配で、それをより一層に強くした。


(誰かに気付かれると面倒になる……どうかご武運を)


少女は、剣戟響く仕合に後ろ髪を引かれながらも、列車でイシスと交わした秘密の会話を思い返す。そして―――。


左手で宙を握る仕草、その手に、竜の魔力が集い出した。


 やがて少女は、一気に地を蹴って飛び立った。飛竜が低い声の叫びとともに背中の翼を思い切り伸ばして梢の向こうに見える満月から急降下する。


主の騎乗を確認した数秒。森を突き抜け、アーシャは樹海の上空に飛び出した。風が頬を叩き、長い朱のポニーテールを揺らす。視界いっぱいに王国の風景が広がる、途方もない解放感が懐かしい。


「ああ……」


アーシャは遥か高みを目指して上昇しながら、しばらく法悦のため息を漏らした。この瞬間、この感覚だけは何ものにも代えがたい。泣きたいほどの高揚。いにしえから人間は空行くものに憧れてきた。青龍人はそれを他国よりも早く手にしたのだ。竜種と心を通わせ、己の翼を、この荒れた世界に。


ネメシスの被害、青龍王の退任、九尾犇めく王選、暗躍する勢力は余りに多いのは間違いない。機関候補生として、なによりは青龍の人間として、


「…………取り戻さねば…………」


それは、使命感や責任感のようなものに駆られた台詞。課せられた戦う理由。その表情は複雑かつ悲壮で、何を信じればいいのかわからないというような感じだった。


少女は今はまだ届かない金色の月の彼方を目指し、飛竜は一回り大きく羽根を震わせる。零れ落ちた光の粒は焦燥の汗か、流星のように夜空に流れた。




「せいッ!!」


気合一閃、何度目かの辻本の声に続いて身体を捻転する。蓄積されたエネルギーに左足が一歩踏み出され、深紅の光に包まれた太刀を横薙ぎに《霞》のユエに叩きつけた。


空気を断ち割る唸り、鬱蒼の森を揺るがす振動、間違いなくここまでの剣筋の中で最大級の威力を秘めた、確実にユエの死角を突いた斬撃だった。だが。


「幻影か……!」


辻本は、またか、といった表情で唇を噛みしめる。見開いた眼の先には、確かに捉えたはずのユエの姿が無かったためだ。


先程から幻と実体、常識と非常識の境界が揺れている。


迎撃態勢の状態で辻本は、ユエのカウンターを警戒した。無駄の無い動作で黄金の大太刀を受け流し右に大きく振りかぶったユエの金色の剣閃が弧を描く、ここに一撃を叩き込む!


と辻本が見て取った、その直後。


ユエの前髪に隠された目が、俺を刹那で捉える。


その瞬間、振り切られたはずの太刀が、まるで動画のコマ戻しのように数瞬前に回帰していた。俺の剣とユエの剣が衝突する瞬間、刀身をおぼろに霞ませ、そのまま俺の剣を透過し、再び実体化。


スパァン!! という音が二人の空間を揺らした。


「ぅ…………!」


辻本は胸の中央やや下部に炸裂した斬撃―――をなんとか回避していた。灰衣の指揮官用コートが暴風の中、木の葉のように叩かれ靡く。


「今ので沈みませんか…………調整が難しいですね…………」


絶句するユエ。そこには、自身の“幻想入り”の領域内に引き込んだ相手にここまで耐え凌がれた事への驚愕と、それを越える興味に眼を凝らしているようであった。


一方の辻本は、進めば進むほど、一合結べば結ぶほど、深みに嵌まる感覚に囚われていた。ユエの太刀を反射的に己の太刀で受けようとすると、動きが陽炎のように二重に視えたり、刀身が霞んだりと剣筋を誤認してしまう。彼女の夢想する鷺月流の幻想剣術とでも呼べる戦法は正に鏡花水月の如しだ。


そして、《宿無し》といわれる武器の性能に負ぶさっているだけの剣士でもない。奥手で小心者のような雰囲気のくせに身体能力は規格外、残念ながら辻本に彼女の魔力を容易く打ち破る術は無かった。


「学生時代にもっと魔法を覚えておけばよかったな……」


軽く笑みを見せた後に、


「……こうなったら、意地でも貴女に一太刀入れます!」


負けん気を燃やす少年の眼差し、ユエはまるで物語の主人公のようだと内心で考えながら、クスりと微笑んだ。


両者が同時に地を蹴った。津波のような重圧で剣士が迫り合い距離は見る見るうちに縮まる。


緋に光る刃と金に輝く刃が激突し、眩いほどの火花を散らす。


だが―――、戦闘はすでに単純な剣の熟練度を競うものを堕していた。ユエが太刀を振るって与える斬撃は、目で頼れば逸らされ、常識に囚われては幻想に攻め入れない。剣士の技量の介在する余地のない、だ。


当然、ユエの幻想入りにはタネがある。辻本も数度に渡り翻弄された技が感覚フィードバックしてそれをほぼ看破していた。


すなわちユエの太刀筋は、いわゆる視線誘導ミスディレクションに基づいた現象に幻惑魔法の要素を併せ持たせていることを。ユエは幻想入りをする際、必ず前髪に隠された瞳を見せることで意識を注目させていたのだ。


次にコマ戻しの錯覚。あれは恐らく疑似二刀流によるものであると俺は思い至った。つまり黄金の大太刀による初撃の後、ユエは予備の武器である脇差を時間差で繰り出している。


俺は回想する。あの時、明らかに間合いだったのにも関わらず躱せたのは、小刀ゆえのリーチの短さがあったため。ユエが漏らしていた調整が難しいという言葉がその裏付けだ。


(ならばユエさんの世界に、まで……!)


俺は今度こそ見失うまいと、眼前で奥義の態勢に入ったユエに眼を凝らす。


初動は決して速くない。気負いのない、ゆらりとした動きだ。だが一歩踏み出した足が地面に触れた瞬間、再び現実を揺るがす黄金の魔力とともに、ユエの姿が霞んだ。


キリッと見開かれた瞳、今度はどうにか見えた。動画を早送りしたような、コマの落ちた映像が眼に焼きつく。辻本はこれまで常に両手で握っていた太刀をなぜか右手一本で構えていた。左手は大きく後ろに引かれてよく見えない。


「奥義……幻想入り―――えっ?」


強烈な光の中、青年の左腕が閃き、高々と掲げられた。それを目視した途端、ユエは数瞬遅れて気付く。そこに握られていた紅色の輝きの正体を、ユエが見間違うはずもなかった。


あれは脇差―――いいや、只の鞘。それを幻想領域の内側で、イメージを最大限に強化して。夢想のちからを無双の刃に換えたのだ。


つまり辻本は今、左右の手に太刀と片手剣を一振りずつ装備している。


二刀流、概念としては新しいものではない。しかしそれに挑んだ剣士は多くとも、実戦で使えるまでに達した者は少ない。なぜなら、両手に握った二対の剣を、高度に連携させて操るのは恐ろしく難しいのだ。


事実、辻本の二刀装備は苦し紛れではあった。


しかし、熟練の剣士の僅かな動揺を生み出すだけの効果は確かに存在した。況してや自らが形成した領域内、幻想二段構えの斬撃という十八番を取られてしまったユエからすれば、なお覿面である。


ユエの大太刀が、重々しい唸りを上げて振り抜かれる。交差する軌道で、辻本は瞳に宿す炎を両眼に見開き、ただ一心に念じながら朱刃を斬り降ろす。


ぎぃん! と鈍い金属音とともに黄金の切っ先が大きく弾かれた。受け止めたのは、辻本がわずかな時間差で斬り上げていた左手の片手剣だった。針の穴を通すような、精巧で完璧なタイミング。驚愕の気配を漏らすユエに向けて、辻本が雷鳴のような雄叫びを放った。


「顕在せよ!ゼロを越えし、燎火の剣!うおおおおああ!!」


直後、両手の剣が、霞むほどの速度で撃ち出される。


右の愛刀で滑らかに斬り払う。その動作と完全に連動して左の霊剣が突き出される。それを引き戻しつつ、再び太刀が左下から飛びあげる。同じ軌跡を戻る刃に引かれるように、片手剣の重攻撃が叩き込まれる。


双つの紅の剣光が融け合い、その連続攻撃はまるで夜空に幾つもの流星が飛ぶ如く真正面から繰り出す奥義。ユエの鷺月流を捩って、辻本は即興だがこう名付けた。


「肆の型―――“水月・十七夜かなき”!!」


眩い火花が宙に円弧を描く。一呼吸で四×四発も繰り出された疾風迅雷の連続技のフィニッシュは、ユエのくろがねの和装を巻き上げ、無音でスライドした。


「…………!!」


彼の刃が、自分の肉体に届く寸手、服装だけが破ける。ユエは暫く、魂を抜かれたように凍りついていた。


(……幻想を打ち破るのではなく……受け入れてきますか……)


やがて、満ち足りた微笑になり、最初の沈黙を破った。


「お見事……です…………」


「あの……天狐様が……喚ばれていますので……私はこれで失礼します…………。じきに朝、客人をお迎えするための掃除が始まる頃合いですので……貴方も早く森を出て下さいね……?」


それ以上は説明しなかったユエは、いつの間にか地上から飛び立つと、反対側の木の枝の上に着陸していた。


「それはどういう……!」


内部情報を漏らしてくれたのは勝者に対する敬意や配慮か。辻本は憮然としてユエを見上げる。


「クス……ではまた……」


だが、ユエは妖しげな笑みを残して幻影のように姿を消した。先までの女剣士としてではなく、初見の印象にあった文学少女みたいな去り際のキャップに、やや呆気に取られながらしばらく虚空を見つめる。


「…………ふぅ。まだ余力のある感じだったな……。今回の選挙にあのレベルが各陣営で雇われているとなれば、敵対するとかなり厄介かも知れない」


我知らず嘆息してから、辻本は今しがたまで剣のよう振るっていた左手の鞘に視線を移す。


―――ゼロ、失われた力が一時でも戻った感覚。


いいや、厳密に言うとような。


自分でも形容しがたい意識にただ、苦笑いを浮かべた。




***




コムの地図アプリによると、この森は普通と比べて規模が桁違いらしい。何せ、一番小さい樹でも幹の直径はおよそ1メートル、高さは四十メートルもあるのだから。巨木という形容でも足りないような古樹は、人の目で見渡しても衝撃的の一言だ。


そのようなエリアで辻本は、ユエとの戦闘に入る前まで確実にいた、自分と同型の特殊端末を持つ候補生―――ロストゼロの6名の内の誰か、多分、おそらくアーシャであろう反応が消えていたことに気がついていた。


辻本は、あんな良い試合を最後まで観てないなんて勿体なさすぎるぞ、とかなり自画自賛気味に心中で呟き、携帯をレザーコートにしまって自分の眼で全体を見渡す。幾重にも折り重なる枝葉の隙間から月色の光の筋が降り注ぐ光景は、さっきのユエの妙技もあってかひどく幻想的に視える。


(仮にアーシャがCOMMの共振に気付かずに離れていったとしても、エリア外に出るまでのスピードが余りに早すぎる……)


辻本は偶然見つけた、漆黒を翔ける夜鳥の姿を眼で追う。その様子にアーシャを、長い朱色の髪に滑る光が眩く凛冽なる美貌の少女を重ねていた。


(…………まさか…………。いや、単純にCOMMの誤作動で、そもそも彼女は居なかった可能性も全然あるんだ。)


どこまでも広がる大森林のパノラマを全力で飛翔する小鳥が、辻本の視界を離れたあと、ひときわ大きな樹の根元から張りのある娘の声が突如、耳に届いてきた。


「グッド!」


次に、両手を打ちな鳴らす音。暗がりの奥から二つの瞳が鋭く辻本を射る。


「怪し陣営の女剣士を退けたのね?捨て石なんて言われている機関フロンティアにアナタのような人材がいたなんて、見識を改める必要があるわ!」


再び、甲高く若い声。


「それに機関周りはいまこの世の中で最もお金が動いている。宗主国面の白虎を中心に、三ヶ国から莫大な資金が提供されているとなれば……ふふ、さぞ懐は暖かいんじゃないかしら?」


長台詞をまくし立てる、出会って数秒でカネの話をし始めた娘に辻本は内心で「自分はそんなハイソサエティな生活はしていません」とか「教え子のスイーツ代で赤字寸前です」とかその手の台詞を口にしかけたが、ぎりぎりのところで踏みとどまり再度懸命に、相手を捉える。


娘はフードを深く被ったままに陰から出ると歩を進めて、自己紹介の代わりに名刺を手渡してくる。高品質な手触りに加えてかなり凝ったデザインだった。


「えっと……、な!」


辻本は名刺と、その本人を交互に見て、唖然とする。娘は彼の反応が期待どおりだったため、小さく肩を上下させて得意気に微笑んでいた。


天華テンカ』―――王国経済界を牛耳る《クリスタリリィ財団》の社長こそ目の前の人物の正体であった。演習前にイシスや青龍出身の候補生からの情報では、欲望にまみれ、金の匂いに鋭い経営者の一面を持つ《九尾》の八ツ尾の代表者。


「……王選の……候補者……!!」


掠れ切った疑問は呟きになり、しばし絶句してしまう。一方の天華は気圧される辻本に爛々と光る眼で、隠密活動用フードつきケープを邪魔そうに掴み一気に体から引き剥がした。その様子は、まるで闇の底に突如現れたひと筋の流星か。


天使のような微笑みに悪魔のような腹黒さを孕んだ容姿。琥珀色の瞳と、氷華のリボンでお嬢様結びハーフアップにした艶やかな栗色のロングヘアのおかげで上辺は天使寄りといっていい。また黒のタイトスカートとウエストのくびれ、脚線美などはどれも働く女性の象徴のようであり、財団の「足で稼ぐ」の営業スタイルが色濃く出ている。


長い髪をなびかせた天華が、今だけは黄金の色を放ち、陰鬱な森の薄闇を吹き散らす。


「イエス。私はね、世界一のお金持ちになりたいの、王様になれば一生遊んで暮らせるじゃない♡」


決して健全ではない候補理由だが、富と権力と名声が同時に手に入る王選にはかなり熱い思いがあるようだ。実際、そのための威力偵察に単身で訪れ、飛行挺から有無を言わせぬ機銃掃射をぶっ放してくるほどには。状況から推察するに、ユエに返り討ちにされ墜落したあと、この森をさ迷っていたのだろう。


その大胆不敵さ、無鉄砲な行動力には恐れ入る。ちなみに単独で動いてたいた理由は、危険な業務を社員には冒して欲しくなかったかららしい。何となくカネのためならヒトの命など捨ててしまえの極悪人イメージを抱いていたので、少々意外だ。


(成功する人はお金よりも信頼を優先する、前に読んだ本にも書いてあったっけ……にしてもフッ軽過ぎる社長だな……)


そんな事を思い返しながら、辻本は機関特務部隊の専任指揮官であることを改めて名乗る。


「それで、天華さんはこれからどうするつもりですか?流石に自分の領地まで徒歩で帰るは無いでしょうし……あ、飛竜喚べます?」


問いに、天華はかぶりを振り美声で唸った。


「ノーよ、この近代化が進んだデリス大陸でいまだにドラゴンに乗っけて貰う移動なんてゴメンだもの!」


「……新青龍王に立候補する人間のセリフじゃない気が」


辻本が我知らずにぽろりと吐露した。それを聞いて天華も思わず、しまったつい本音が!なんて頬を赤らめ忸怩とする。何度か呼吸を繰り返し精神を鎮めてから、急ぎ込むように続けた。


「ま、まぁ、さすがに近くの街で緊急調達のドラゴンちゃんでも買って帰るしかないわねー……ほらみて!私は常にブラックカードを持ってるの♪」


「ブラック……!あの限度額最上の……!?」


「ええ、社長ですから♡すぐ王様になるけどね」


―――どうやら、聞き間違いではなかった。そして辻本は、今自分が置かれている状況とこれからを頭で整理する。こほんとひとつ咳払いしてから、妙にしかつめらしい顔になり、言う。


「貴女ひとりじゃ危険だ、森の外までは警護しましょう」


「えっいいの!?助かる~」


「ただし、無事に街まで辿り着いたら……俺に竜を一頭、譲渡してくれませんか?ギブアンドテイクってやつです、ビジネスでは大切ですよね」


このへんで、天華の天使の笑みが徐々に薄れ始める。反比例して瞳には剣呑な悪魔の光が宿る。対して辻本は、ここからの台詞を選び損なうと社長さんのご機嫌が斜めになってしまうことを解析しながら反応を眺める。


いま、彼に必要なのは険しい山脈の多い青龍王国を自由に飛び回れる足であった。離れ離れになった機関の仲間を探すためにも、王室のある都に向かうためにも、飛竜は不可欠なのだ。


「ううう……」


天華は苦虫を噛み潰したような顔で苦悶している。時にカネは命よりも重いんだから!とめいっぱいの虚勢を張り、どかどかと単身で森を降ってやろうと考えたが、九尾の中で戦闘力は下から数えた方が早く、困難なことは明らかだった。


「…………どうやらこの森には多くの魔物が生息しているようです、それに天華さんは王選候補者だ、敵地に孤立しているも同然のこの状態で怪し陣営に狙われては…………かなりマズイ事になるだろうなぁ…………」


クールな声音に促され、迷い面にしかけた天華の顔が、途中で恐怖の面に変わる。ううっ、と押し黙る姿に、辻本はますますじっとり冷ややかな眼で、揺るぎない口調で断言した。


「どうか賢明な判断を」


「……ふ、ふふふ、オッケーよ!当然じゃない、私は勝ち馬にしか乗らないの、契約成立ね!仕事も人生も即断即決、何事もエレガントに、うちのスローガン♪」


「素晴らしいと思います!」


「うふふっ!私が王様になったら機関のスポンサーにもなってあげるわ!きっとアナタの給料もグンと上がるから!さあさ、なら急ぎましょ、時は金なりってね!」


くるりと振り向き、パンプスの踵をかつかつ鳴らして歩き始める社長を見ながら、辻本は胸中で「御し易い人で良かった」と謎の判定をしていた。


当面の行動指針は飛竜確保、その最中になるべく天華のような王候補者たちとも接触していければ青龍王国で起こっている異変を多角的に捉えることが出来る。そんな決意を固めつつ足を早めると、天華に肩を並べた。


その時、森を貫く呻き声が二人の耳を襲う―――!直後、辻本は索敵能力を発動すると、周囲の空気が変質したのを感じた。これまで妖しくも幻想的だった森が、冷たい敵意を内包する「巣窟」へと一秒ごとにシフトしていく。


「な、なななっ、何よあれ――!!?」


その悲鳴に、辻本はおそるおそる振り向く。道から少し外れた森のとば口に立っている……十体にも数百体にも見える行列をなしている、緋色の燐光が眼のように浮かぶのは、


「狐火……!」


いや、霧がかかったように薄く見辛いが、まさか里の人達ではないだろうか。ゆらゆら不安定なそれらの正体を瞬時には掴めなかった。


(ユエさんが言ってた掃除、夜明け前になにがなんでも侵入者を消すつもりか!)


せっかくの忠告を無下にしてしまった。と自分をいましめつつ、辻本は右手を走らせると、愛刀《黄昏の太刀》を音高く抜刀する。間違いなく、優先的に狙われるのは《九尾》の彼女のはずだと確信すると、隣でパニくる天華に指示を出す。


「祟られたぁー!!!」


「急ぐんだ!足を止めちゃいけない!!」


今ここで足を止めることは蛇に睨まれた蛙も同じ。抗え、新しき秩序を生み出さんとする九ツ尾―――大妖怪の権現に!




コンコン♪ コンコン♪ コンコン♪


なんとも面妖、指揮のうた。


「お客はんが来るまでのあいだ、遊んでやろかぁ~」


ことごとくを化かし、惑わし、蹂躙する。


あやかし面容、天狐あまぎのおどけのはじまりはじまり。


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