6節「引き裂かれた運命」


薄茶髪の双子は愉しげに「列車破壊」を宣言すると、手始めに車掌を斬首しようと指をまっすぐ伸ばして、一瞬の間に右手を鋭利なナイフに変態させ、手刀の要領で横に振るう。


その時―――。


「やめろぉぉ!!!」


彼我の距離、およそ三十メートルか。剣は絶対に届かないが、それでも月光が咆哮をあげて、消灯時刻のためほとんど真っ暗な廊下を駆け抜け、先頭車両に辿り着いたのだ。


月光は足に力を込め、思い切り右に跳んだ。紫夜の剣アメジストソードを包む鞘を掴んでは、


「伏せてくれ、マックスさん!」


車掌の名前を叫ぶと同時に、天紅月光流・参の型《月輪》を彷彿とさせる技、つまり抜剣の瞬間に、気合の斬撃を遠くの敵に一直線にして放つ遠距離重視のスキルを発動させる。


「し、指揮官の方……(私の事を……!)……ひぃぃ!」


マックスと呼ばれた機関所属の運転手は、自分のようなただの職員の名前を覚えている人間がいたことに感銘を受け、月光の指示通りに膝を曲げ腰を落としては、頭部を守るように姿勢を低くした。


「うわっ!」「ひゃう!?」


冷気を纏った三日月の衝撃波、着弾の直前、錬金術士の娘二人の片側は尻餅をついたが、もう片側の《能力》か、衝撃があり得ない角度で反射し、結果的に月光の奇襲は外すことになった。


出入り口の向こうに広がる廊下と、その正面奥から伸び上がる踊り場では、いまの澄み切った一撃が空気を震わせ、巨大な音として列車全体に響き渡ったため、一瞬で目覚める指揮官達。


(みんなが駆けつけるまで、僕が時間を稼ぐんだ……!)


月光は、俊敏な動きで距離を取った少女たちを、剣で牽制しながらも、常に車掌を護れるような態勢で身構えた。


「簡単に殺しちゃだめですぅ。その運転手さんにはまだお仕事があるのですぅ」


右側の少女、薄い茶髪の髪をお下げに編んでいる。垂れ気味の眉と目尻が気弱げな印象で、舌足らずな独特のテンポで喋り方からも庇護欲を掻き立てられてしまう。


「あ、ごめーん♡また“ママ”に叱られるところだった」


対して左側の少女、麦わら色の髪を短めに整え、両眼は勝ち気そうに切れ上がっている。月光とマックスが沸き起こる警戒心を抑えて無言で凝視する中、一歩踏み出してきたのは、やはり左側の負けん気の強そうなこちらであった。


大きく息を吸い、改めて自己紹介を始める。


「あたしは《クラウディア》のゼータ。そんでこっちが同じく錬金術士のシーちゃん♡」


「シータですぅ……♡わたしとゼーちゃんは双子なんですぅ」


二人の幼い声に緊張の色はまるで無い。それどころか語尾の震えには、これから行う破壊工作への期待に恍惚としているようである。


(双子の錬金術士……階級的にはあのクシーと同格くらいか)


位相無間を駆ける列車で、この状況をどう判断したものかと眉をしかめ、彼女たちの侵入経路は、また目的はなんだ、と月光は思考を続けた。


わざわざ列車の先頭車両を狙ったのだから、青龍行きのインビジブルの走行を止めること以上なのはこの時点で明白である。


そして仮に、クラウディアという組織に仲間意識という心情があるのであれば、一月前の玄武国での対峙で機関サイドを敵視しているはずだ、と思い返す。


しかし、ゼータと名乗る少女が続けて発した言葉は、月光の予想を越えて直接的なものであった。


「この列車、今からあたし達がバラバラにしちゃいまーす!」


「は?!」


思わず声をあげた瞬間、通路でイシス指揮官の気配がした。


「賊だと……!」


それを聞いたシータ、たたっと音を鳴らしては、月光を飛び越えマックスの背後へと滑り込む。予想外のスピードと運動能力の高さに対応が間に合わずだった月光は、ただシータを追うように天井を仰ぐも、数秒後に流れた車掌の悲鳴に、


「ねえオジサマ、機関室をロックできますぅ?……おら、はやくやれなのですぅ♡」


続いて別人のような殺気を纏うシータが、マックスに全長三十センチほどの小剣で脅す声が聞こえた。見た目殺傷性はうかがえないが、刀身の色合いは赤みがかっており、剣士を目指す子どもたちが最初に与えられる木製ではないことだけは確かだ。


イシスが突入する寸前、月光の眼前で唯一の扉が閉じた。厳重なセキュリティ音をさいごに、この時点で、インビジブルの中枢部となるここは完全に占拠された状態になる。


「……くっ!私としたことがなんたる不覚か!」


通路側、イシスは軋むような声で、第一車両の中に取り残された月光指揮官と車掌の安否を案じた。


 緊急事態発生、緊急事態発生!!!


ここでようやく、異常を報せる緊急アラームが反響する。列車内の電気が一斉に灯った。


候補生たちが忙しくなく動き始める中で、モーガンと共に生徒に発破をかけていく辻本は、すでにメインルームの異変の対処に回っていた。


『ギシャャャァ!!!』


虚空より湧き出る異形、突如として生み出されたネクサスウィスプの群れとの防衛戦。カグヤは通信方面を、先頭車両に向かったイシスの代わりに、ヴェナが武装や陣形の準備を生徒に声をかけ急かしていく。


「おおおおおっ!!!」


積極的に小型異形と肉薄する者たち―――ファースト組のシンやヴァイト、蘭を中心に、ツインズ&トライ組の選抜生徒が、これまで培ってきた実力を大いに振るっている。普段はお調子者のロナードや愛想のないモナカ、引っ込み思案なユイリカに人望の篤いガンツ、他にも大勢の若者が英雄の指揮の下で善戦していた。


そこに特務部隊ゼロ組、シャルロッテとオズのコンビが中型と火花を散らす。盾を使う玲を起点に朔夜の矢が牽制、アーシャが止めの一撃を加える。


「……せっかく寝てたのに、ウチを起こすなんてね……?」


目を擦りながらメアラミス、巨大な魔力を引き出し、一呼吸の間にネクサスウィスプと候補生が互角に渡り合う列車ホール内を目まぐるしく動き、絶技で異形を砕き散らす。その姿は漆黒の旋風を纏うようだった。


その隙を突いて指揮官2名が完全に制圧、侵略を停止させた。


「おおっ、やったぞ!」「私たち……強くなってる!」


歓声の声を上げ、互いを讃え合う候補生たち。


「……やれやれ、知らん間にえらい頼もしくなって」


「はは、これも日々の訓練と玄武演習の賜物でしょう」


安堵するヴェナと、労う辻本。


脱力して膝をつく者もいたが、まだ戦いは終わっていない。既にモーガンとカグヤは何度目かになる魔圧同士の衝突を感じさせる先頭車両の方へと向かっていた。


(魔力のひとつは月光のものだが、襲撃者は間違いなく《錬金術士》のはずだ……未知の能力を扱う相手に大丈夫なのかッ)


同僚であり、友人でもある彼の身を心配するも、


「月光君もそないヤワじゃない、私ら同様はあるはずや。剣技もあんたやイシスさんに勝るとも劣らずに見えるし後れは取らへん、せやろ?」


「ええ、俺もそう思います」


ヴェナに喝を入れられる形で、その言葉に答える。



―――だが月光、孤軍奮闘に戦うも、シータとゼータを相手に苦戦を強いられていた。車掌を護りながらというハンデに加えて数も一対二で不利、なにより双子の少女らの実力は、月光よりも単純に格上であったためだ。


「それっ!これはどうですお兄さん!かっくいいでしょ♡」


ゼータが麦色の髪を揺らして、露骨なまでの好奇心と被虐心を滲ませた顔で襲い掛かる。


ゼータの能力は錬金術による腕そのものを変形、武器に改造するというもの。蠍を模した尾を生やしていたクシーと似た系統の術士なのであろう。現にいまも、右腕が大きな高周波動ブレードに改造されており、粗削りで力任せだが、とんでもない攻撃性能の機構をぶんぶんと振り回してくる。


「ぐぅっ……そこだぁ!」


月光はゼータを片手剣で弾き、ありったけの筋力と精神力を振り絞り、剣を振り下ろそうとした。だが、入れ替わるよう前に出たシータの左手に握られた小剣が、斬撃を


シータの錬剣は、定義付けたものを三次元空間のあらゆる角度に操作する能力。条件としてベクトル変換対象がシータ自身の魔力容量を超えてはならないのだが、


「ふうん……変わった《剣》をお持ちなのですぅ。わたし達の潜入にいち早く気づいたのもおかしく思ってたですぅ♡」


そこで言葉を切り、シータはにっこりと笑った。


明るく、無邪気な。まるで美味しいお菓子を口いっぱいに頬張るような笑顔。


「お兄さんを見てるとなんだかこっちまで変になっちゃいそうなのですぅ―――錬金開始、《レフレクシオン・ヘイト》」


その名の持つ意味を、月光は咄嗟には解釈できなかった。


突如、腹部にひんやりとした熱気を感じ、月光は視線を下げると、シータの小剣の切っ先から光が照射されている。濁った色のした、見慣れない金属の表面が、陽光を受けて塗れたように体を光線で埋めていた。


「これは……!」


短く迸った声が言い切られる前に、跳ね返した物力を一点に突き立てる術式が発動する。強ばる顔で二人を睨むと、少女達は口許を笑みで彩らせ、先ほどと同じように勝ち気で、得意気に言った。


「「バーン♡」」


体から斬光が抜けた。腹の傷から忍び込んだ痛みは、たちまち全身に広がっていく。凍えるような寒さが、燃えるような熱さに変換され、様々な箇所の感覚が順々に消え失せる。


「ぼくが……やらな……きゃ……いけない……のに……」


どうにかそんな台詞を絞り出した直後、舌が痙攣し、口内から血が溢れてきた。いきなり膝から力が抜け、月光は棒のように床に倒れた。胸と左頬を列車板に激しく打ちつけたが、痛みよりも、自分に対する疑念の感情の方が勝っていた。


 僕はどうして、“ここ”にいるのだろうーーー。


月光が無力を噛み締め、諦めかけたその瞬間。


「まったく……私の手を煩わせるな」


そこに立っていたのは、白衣の娘であった。


「ルナ……博士……!」


眩暈を伴う不快な浮遊感と頭痛のなか、いつの間に現れたのかわけが分からないまま月光は名前を呼ぶ。すると彼女は運転台モニターを背中に腰掛けた脚を組み直し、月光の顔をまじまじと見つめ、ふん、と怪訝な顔をした。


月の虎《呪泡の柱》ルナ=ウィズダム。


唯我独尊の高貴なる科学者であり、自他共に認める天才博士である。高飛車で高潔、プライド高い人物だが《那月》と呼ばれる研究機関に所属しており、国家資格も持っている。指揮官のカグヤとは友人関係であり、四聖秩序機関では運営面の主任の立場でモーガンよりも上の位だ。


座右の銘は化学に国境はない。偏食家でピザが好物。


以上が、月光の脳に記憶されていたルナの情報であった。


いつどこでだれから聞いたのかはまるで覚えてないが、危機的状況を免れた月光は軋む体を起こして、深々と息を吐きながら額の汗を拭った。


「どうやってそこに?扉はひとつで、閉まってるはずなのに」


ようやくルナを視界に捉えたゼータが少し意外そうに眉を上げる。それを見て月光は、ここが密室空間である事を思い出す。


「それはこちらの台詞だ錬金術士。クラリス嬢の《無限》応用論を利用して時空間を駆動する《インビジブル》、そこに私や指揮官、青二才どもを乗車させているのだから不安定になりやすい事実はあるだろうが……との遭遇事例は報告されていない」


舌足らずでありながら、妙に威厳のあるルナの声。


「へぇ……?」「……なにが言いたいのですぅ?」


ゼータとシータが口々に、舌なめずりするような声音。月光はゾクリと悪寒を覚えた。


「実に興味深い……貴様ら錬金術というブラックボックス、心置きなく解剖させて貰うぞ」


ルナの科学者としての矜持が、鋭敏な知性と洞察力を越えて、好奇心を露にしたのを見て、恐怖に怯える中年車掌。


白衣を揺らし、黒手袋をはめて、ルナが立つ。白虎帝国の伝説の部隊の《柱》のひとりで、年齢は自称二十六歳。しかし顔の輪郭も体つきもとにかく幼く、ロリな見た目だ。


それに反してルナの圧倒的な威圧感と、凄腕の術士、実力者であることが伺える覇気に、双子の錬金術士は嗤う。


「アハッ♡生意気なおチビちゃんですねぇ―――錬金開始!《アームズ・エイド》!」


魔力発現とも異なる錬金の音のせいか、それとも目の前の獲物を刈れる瞬間を待ちきれないのか、可憐な声が少し歪んだ金切り声が聞こえる。月光が歯を食い縛って凝視する先で、《錬金術》の開示を宣言したゼータが、高らかに右腕を掲げた。


「う……!?」


その瞬間、月光は眼をみはった。娘の腕、おそらく義肢なのであろう、それがまるでロボット映画のよう変形し、空中で激しく火の粉を振り撒いては、この世のものとは思えぬ属性に基づく製法で、右腕を大量の凶器に仕立て上げたのだ。


剥き出しのマシンガン、火炎放射器、鎌状のハンマー、改造されたチェーンソー、プラズマ砲まで搭載した、右腕全体が武器庫のようなギミックアームに姿を変えた。


だが、ルナは瞬きすることもなく、自らを兵器化させた少女のあちこちを探るように目を動かし、そして溜め息をつく。


「……つまらん。錬金術とやらの基礎、教科書通りの模範解答といった芸当ではないか」


挑発に、ゼータの立つ床に無数のヒビが入り、砕け散った。


「最大火力でぶっ殺してあげます!うらああああ!!」 


その途端、息もできないほどの熱気が怒号とともに押し寄せる。全ての機器を貫いた炎と爆風、いや核兵器級の総攻撃フルファイアはルナや月光だけでなく、シータをも焼き尽くすべく猛然と空間に拡がった。


発せられる炎は天井まで達し、黒く焦がしている。


ここで、ついにルナの口から「異能」が迸った。両手を鋭く前に突き出す。両の親指と人差し指を合わせて、掌で三角の形を作ると、いつもの彼女と同じように不敵に笑い、そして傲岸な口調で唱える。


「マテリアルチェンジ。


まさかあの弾幕を受けようというのか、と月光は思った。しかし。


ルナがまっすぐ伸ばしたピラミッド型の掌から思いも寄らない事象が起きた。眼にも止まらぬ速さで、戦場の砲撃を思わせる衝撃音を轟かせる劫火の塊が、刹那の飛翔を経てのだ。


結果、ルナは無傷のまま、平然と鋭い眦を向けている。


それを見た錬金術士の口から、三たびの怒声が轟いた。


「すり抜け!?―――そんなもの物量で貫くまでですッ!!」


もはや火竜の吐息と言うべき灼熱が発せられる。射殺、焼殺、撲殺、斬殺、ありとあらゆる兵器が、単発だとしても、一撃必殺の威力を有して乱射され、そんな攻撃をルナはどうやって防ぎ切るつもりなのかという危惧が沸き上がるが、それよりもまず、自分の身とマックスの安全を確保していた。


「ぐぅ……なんてパワーだ!ルナさん――!!」


「……無事かッ!」


「月光くん!ルナちゃん!」


ようやく先頭車両機関室のドアを抉じ開けたモーガン、カグヤが驚いたように立ち止まって叫んだ。顔は炎の作り出す影に沈んで見えなかったが、それ自体が鋼鉄の意思にも思える強烈な眼光を二人はルナから感じた。続いて発せられた本人の声もまた、人のものとは思えないほど硬質な響きを帯びていた。


「覚えておけ、この世のすべての物質は、状態変化を繰り返すのだ!」


ルナがつぶやくと、火炎の弾丸が儚く四散し、その欠片も即座に蒸気と化す。三の矢、四の矢も、ルナの体に被弾する音が耳に届くよりも早く「昇華」される。まるでドライアイスが空気に触れて気体になる変化を、倍速再生しているようだった。


やがてゼータの錬腕の中心部が、ぐうっと撓んだのちに、加熱されたように呆気なくどろっと「融解」する。


「マテリアルチェンジ。


熱運動―――世界のあらゆる物体は分子あるいは原子が魔粒子というものを形成し揺れ動いている。


ルナはそういった分子の動きを操作する、類い稀な能力を長年の研鑽と膨大な知識によって実戦レベルまで引き上げた。特に彼女が得意としているのが、ちょうど敵の錬金術士が体感している「物質の三態」の状態変化である。


条件下で、あるゆる個体、液体、気体を変化させる。最初に、この密室エリアに侵入できたのはルナが自分自身の体の昇華点を操作し霧状に変態したため。ゼータの弾丸の雨が途中で霧散したのもこれの応用だった。


「ぁ……ぁ……ぁ……なに……苦し……いやぁぁ!!!」


そしていま、ゼータの体を構成する分子パーツを入れ換え、液状に変化させている。内側から汚染されたかのようこもった声が漏れ、直後、首許から、両目、両耳から、ひときわ赤い血液が大量に噴き出した。


「ゼー……くぶっ…………わ、わたしまで…………困ったなのですぅ」


ゼータとシータのあどけない顔に、驚きの表情が浮かんだ。見ればシータの方も、体が真っ青に凍りつき、細胞破壊で滴る血に溺れていくようだった。


動転するゼータ、苦笑めいた吐息を漏らすシータ。《呪泡》の効果は即座に発揮され、子供たちは軽い音を立てて床に転がった。


「科学の力を前にして、貴様ら程度が錬金術など片腹痛い!私と学会で張り合うならば六道とやらを連れてこい。それであれば面会指名アポイント無しの訪問も許してやろう」


自然界に存在する毒物のどれよりも対策が難しい、いや不可能とさえ言えるルナの術を前に、手も口も動かせない状態の二人は無抵抗に、やがて完全に失神する。


見た感じゼータの方が酷い有り様であったのは、おそらくルナの琴線に触れるようなNG言葉ワードを発したからだろうなぁ、とカグヤは暗に察した。


軽くよろめいてから、月光がため息をこぼす。


「……助かりました。あはは……とんでもない能力ですね」


無意識に悔しげな表情を浮かべていた事に誰も気がつかないでいると、ルナが上体を屈めて、間近から双子を覗き込む。まるで審問に掛けるよう、琥珀の両眼が鋭い鋼の鏃や鉄錆を思わせる紅色に変化した。


途端、急激に胸の奥から込み上げてきた熱い感情、月光は喉も裂けようとばかりに一気に吐き出した。


「ちょ待って……!僕が言えたことではありませんが、どうか彼女たちを殺さないでください!ふたりはもう戦う気はない、そういう相手に力を振るっちゃだめだ……!」


月光の意外な発言に、ルナは訝しむように目を細める。


「コイツらは人類の敵だ。それに早合点するな、べつに止めを刺すわけじゃない。しかし貴様、そこまで派手にやられたわりに優しいのだな?」


ルナやカグヤは、月光の胸中に渦巻いているであろう感情を読み取れなかったが、唇から流れ出た声は、つい数分前まで二人に殺されかけていた剣士と同じものかと疑いたくなるほどの揺らぎに満ちていた。


「それでも……この子たちが、錬金術士になる以前は、もしかしたら僕らと同じデリスの―――」


その時。誰もが予想し得なかった出来事が起きた。


「ひぃぃ!!竜……ドラゴンだぁぁ!!」


絶叫したのは、モニタから外部領域の状態と航路の確認をしていたマックスだった。戦慄しつつもハッキリと口にした言葉にルナが睥睨する。


「おい車掌、なにを言って……!?」


驚愕するルナの視線の先を追う前に、まるで隕石と衝突したかのような振動、斜面になった列車内に足を取られ、二歩、三歩と不格好によろける月光。みるみるうちに魔導特別列車各所が爆発する音が聴こえる。


直後、儚い破砕音を放って、床や壁、天井からぴき、びきんと硬い音がする。


何かが、外から異常な力の激流をぶつけ、インビジブルの車体を叩き、縦横無尽の亀裂を発生させているのだ。


天地を揺るがすような破壊音とともに、巨大な列車が―――《無限》と同様に接触不能と思われていた白金の壁が崩壊した。


四角い石が次々に外側へ押しやられ、できた穴がみるみる広がっていく。その向こうに覗く虚無の空と雲海の銀河を、月光は呆然と見つめた。


「なにかにしがみつけ!無間に呑み込まれるぞっ!」


ルナの緊迫する声が届くよりも前に、猛烈な突風に背を叩かれカグヤとモーガンは倒れ込んだ。車内の空気が、壁の穴から吸い出されていく。その空気の流れに、穴のすぐ近くにいた月光は抗うこともできず。


「うわあああああ!!」

 


―――時間は遡り、インビジブル墜落の十三分前の出来事。


列車の上で、ひとりの男が強烈な波動の歪みを物ともせずに、どこか失望の表情を浮かべていた。


《六道一家》の長男、《修羅》のユアン。金茶髪の短髪に中性的な顔立ち、細身ながらも筋肉質な体格の若者で修行僧のような風格を漂わせている。純白の衣装を着た錬金術士だ。


「制御機構に向かったゼータとシータは手こずってるか。母上の使いのわりに“弱い”、死んでいればラムダ同様に再構築の手間がかかるというのに」


ラムダと違って彼には、無用に人間を殺したり悲鳴を愉しむ趣味はない。ド派手に脳漿や内蔵を撒き散らすスプラッタな殺戮が好みのミューとも好みは合いそうに無かった。


ただ目障りなだけだ。簇る愚民たちが、群れる弱者たちが。


双子の姉妹が先頭車両を占拠したため、殆どの候補生たちはホールや各車両に閉じ込められたまま出られない。適当に放った異形が跋扈する牢獄と化したこの列車から、眼下で繰り広げられる惨劇を眺めていたが、ようやく追っ手が来てくれたようだと、ユアンは心底愉しげに言う。


「王国入りを阻むつもりだったが、あの厄介な幽谷を下しただけはあるな。機関の《ロストゼロ》とやら」


「さすがに退屈もしてきたところだった、よく辿り着いてくれた。俺の名は『ユアン・リー』、六道の修羅なる者。」


彼の視線の先には、6名の候補生と少年少女を率いるひとりの指揮官がいた。


魔術虚数空間の軋みが妙に心地よく、朔夜がもしブラックホールのような存在に吸い込まれたりしたら、と不安な顔を覗かせるも、慎重に足場さえ集中していればまず大丈夫だと玲が伝えてみせた。


辻本ダイキも、本来ならば大切な部下たちをこんな場所に連れてくる予定は無かったのだが、車両甲板に出る際に自分達も特務部隊の一員なのだから同行させて欲しいと懇願され、根負けした結果である。


「みんな、俺より前には出るなよ」


慎重に太刀を構え、間合いを量りながら、辻本が呟いた。


普通の人間の目には見えないが、インビジブル周囲空間には、無数の亀裂が走っている。今や蜘蛛の巣のような無数な亀裂はゆっくりと成長を続け、やがて現実世界の演習先、すなわち青龍王国の座標を探っていた。


亀裂が強い魔力の持ち主に影響を及ぼすこともあるが、それは単なる副作用に過ぎない。だがもし、このトンネル空間の歪みに巻き込まれた人間がどこかに飛ばされたら、いまの時間軸に戻れる保証はないのだ。


列車を墜とされる訳にはいかない。そのためには、目の前の敵を倒す以外に道は無かった。


(……玄武でも感じたがなんて練り上げられた闘気だ。単純な力勝負なら俺よりも遥かに格上か、―――)


辻本のユアンを警戒する視線に、メアラミスが呟く。


「まあ、極めてそうだよね」


羅刹の、戦闘のためだけに設計つくられた生まれながらの修羅が、まるで負け惜しみのように言いながら笑った。そうか。この娘は影の人形だったか、そう読み取り追従するようにユアンも笑みを浮かべる。が、


「王国に顕れたネメシスも……そなたら……クラウディアが?」


ぼそぼそと、らしくない声量で呟いたのはアーシャだった。


「一体なにが目的なのだ……!もしや王選と関係が!?」


今度はハッキリとした声、ユアンは不思議そうに見返しては、運命の皮肉を感じたかのように、自嘲するみたく息を吐く。


「なんだ、愛国者か?」


まるで朱の娘の強がりを適当に聞き流すようにしながら。


二人の会話は他人行儀だが、妙に共感のこもった言葉は明らかに互いの背景を熟知している空気が流れる。わざわざ愛国という単語を選択したのも青龍の時勢を皮肉っているようだ。


そんな辻本の推測を裏付けるように、アーシャが言い返した。


「……ああ、私は青龍の在り方が好きだ、あの自由で誰もが夢を持てた国が」


過去形だった。


「しかし、たまに呪わしくも思う―――それは私自身が弱いままだからなのだろう…………」


その悲痛の声は、まるで王国の民を代表するかのよう大仰な言葉は、異空の風に消されて届かなかったが、前半の台詞だけで辻本やロストゼロの仲間たちを始め、列車内からディスプレイ越しに様子を見守る四ヶ国の若者たち全員を揺さぶるものだった。


「君の想いは伝わった。王選における騒乱、もはや誰が敵なのかも分からないがそれでも僕たちは君の味方のつもりさ」


オズが声を掛ける。機関は青龍を支援する立場として投下されるが、そんな建前は抜きにして自分たちは同志であると再確認させた。アーシャも静かに首肯する。


あのオズ君が優しい言葉を、とシャルロッテが感心したように目を細めると、そのまま対峙するユアンをキッと睨んだ。


「つまりそっちは敵ってこと!新しい王様を決める大事な選挙の邪魔をしようってんなら容赦しないわよ!」


相変わらず滅茶苦茶にストレートな啖呵に、ははっと爽やかに笑う辻本。悪戯っぽく目を細めて笑う玲。宣戦布告に心臓が止まりかける朔夜。結果的にいつもの空気になったことにオズが深々と溜息を洩らしていると、


それを押し退けるようにして。


「王などただの記号だ!!!」


突如、業を煮やしたユアンが柳眉を吊り上げ、殺気立った顔で吼えた。先ほどまでの落ち着きはない。代わりに抑えられていた桁外れの凄まじい魔力が露となった。


「……………………!!」


ユアン罵声で、アーシャの深層世界にピシッとヒビが入る。


感電したかのように肩を震わせ、大きく目を見開いたまま固まっていた。次の瞬間、過信ではないユアンに向けられた冷酷な殺気に当人と、剣士ダイキが気づいた。


「我が王への侮辱、分を弁えろ痴れ者が!」


凄まじい爆風が放たれ、ユアンの背後を取るようにして堂々と踏み込んできたのは指揮官イシスだった。


「お前は……ッ!王国騎士団のイシスだな?」


修羅の錬金術士が振り返り、驚嘆に歪め掠れた声で名前を口にする。


青龍“六神槍”の将軍ーーー“竜帝乙姫”イシスの威名は、クラウディアの構成員たちにも広く知られている。


「賊相手に遠慮はいらぬ、喰い千切れ!」


天紅月光流、弐の型・凪竜なぎりゅう―――!!!


彼女の右手の薙刀《青龍偃月刀》の刃から、濃密な水の魔力の波動が迸り、圧倒的な不条理を呑み込まんとするよう、回転しつつうねる龍の如く斬撃を、咆哮とももに放った。


「水と風の性質を持つ関刀使い!いいぞ、面白い!」


ユアンは錬金術を発動せず、己の研鑽の結晶である《拳》に、闘気の供給のみで半歩拳法を構えた。


「あれは……東方武術の《八極拳》か!」


ユアンの四肢から噴出される蒼天の気迫に辻本。だが、たとえ六道といえども、奥伝を授かる姉弟子の《剣》を打ち破るすべはない、辻本は以前の試合でも確信していた。


そしてそれは、予定調和のように、イシスの剣圧が勝った。


閃きの刹那、イシスの凄まじい衝撃にユアンは戦慄した。ただの剣士が紡ぎだすものとは比較にならないほどに洗練された、圧倒的な力の奔流。天災にも準じるほどの巨大な竜の姿を形成した薙刀の一撃に。


「すごすぎぃ……」「はい……青龍の英雄、ここまでとは」


シャルロッテと玲も、ポカンとした表情で呟く。同じ剣の道を志すダイキやアーシャは、ただ魔力の霧が晴れていくのを眺めていた。


そして、ロストゼロの瞳に映ったのは、ユアンの片腕が切断された結果であった。クルクル と漆黒の宙に鮮血と一緒に打ち上げられたそれを、ユアンは感心したようにもう片方の右腕でキャッチする。


「ほう」


ユアンの冷たい笑み。


「まだ人類にも修羅の素質がある者がいたとは」


感心したように言った。イシスは無言で薙刀を向ける。


ピリピリとした殺気が、両者を中心にして全方向へと放たれている。その力の象徴である「存在」に、異様な視線が集められていたことはまだ知らない。


「いいだろう、お前たちを地獄の釜に招待してやろう。政戦の根底となる憤怒、怨嗟、嫉妬、優越、そうした負の感情の渦が混ざり合い、血で血を洗う戦場だ」


両サイドの間に、ユアンの声だけが流れていく。


「人間が地位や伝統のため塞ぎ止めていたチカラの波が押し寄せている、魔窟と果てたこの世界を流すための」


それを先導するのが、


「錬金開始、《対消滅の拳》」


右拳の甲に、ラムダの舌に刻まれていた紋章と同じものが浮かび上がる。イシスは切る腕を誤ったかと苦い顔で身構える。


筋力増強、骨密度上昇、視力増加、聴力上昇、脳内物質複製、伝達速度向上、神経増設。あらゆる力を底上げする錬金の奥義を纏って、


「あたあァァァ!!!!」


究極の拳を列車に叩きつけた。


ジィィワァァァ!! という中華鍋の上で油が弾けるような音が、遅れて一行の耳にこびりつく。


「なに……!?」


激震があった。インビジブルの各車両の連結が、先頭、第2―6、そして最後尾車両に分断され、離脱する。予め錬金術士の双子が機関室の安全システムを解除していたことにくわえてユアンの攻撃が決め手となった。


「きゃああ!!」「これ!マジに落ちるぞ!」


「っ、トレインジャックで墜落ってもう笑けてくるわ……とにかくあんたら!衝撃に備えて、あとは神様にでも祈っとき!」


 車両の中にいた200の候補生たちには火花が見え、焼けた臭いがして、ただ脱線墜落の恐怖が頭をもたげる。機体がぐんぐんと下降しているのが肌で分かった。ヴェナも経験のない出来事に狼狽しながらも警告する。


上では溶接のように莫大な光に、辻本は思わず腕で顔を庇っていた。直後、壊れた天井の向こうに広がる無限で、何かが瞬いた。


漆黒と緋色の、おぞましい竜だった。


「竜……ドラゴンだぁぁ!!」


先頭の管制室から車掌の無線が響き渡る。


「召喚獣……いや違う!」


「まさか、王家に伝わる青龍人の秘技―――《竜解》!」


辻本に、イシスの冷淡な声が耳を刺した。


竜解、聞いたことがある。


古代の青龍民は、世界各国から魔物や竜種をかき集め、その用途に応じて使役した。しかしそれはやがて大陸の発展のためではなく、安寧を守るためでもなく、ただ自分たちの好奇と欲望を満たすためだけの兵器に成り変わった。


そして選ばれたものにだけ、真なる竜が人と心を繋ぎ、その力を貸し与えん。と。


(銀の天秤の“彼”が使役するバハムートのような……!)


思考する間もなく、あまりの閃光に頭痛すら感じたその時、辻本や生徒たちの両足が宙に浮きかける。ただの余波でだ。あまりの熱で空気が爆発し、その衝撃波を浴びただけで息苦しい。


「心せよ、。いかに無秩序であったとしても世界には勝者と敗者しかいないということを」


爆発的閃光の中から、涼しげな忠告が飛んできた。


そして。悪魔のような光景が広がる。


「やれ、ドーントレス!」


全長数十メートルに達する禍々しい巨竜が力任せに列車を焼き払う。ユアンの拳撃に続けての被害に、遂にインビジブルはバラバラになって一直線に落ちていく。


そのままユアンはドーントレスの逞しい背中に騎乗、竜を三度反転させたユアンは、爆散していく列車の残滓を突っ切って飛び、伸ばした足の鉤爪でゼータとシータの身体を掴ませた。


(しまッ……)


がくん、と墜落の列車が大きく振動した際に、辻本を含めたロストゼロとイシスが宙に放り投げ出される。デリス最果てにも似た空間で、安定感なく高度が下がっている。


まるで。自分たちを支えていた見えない糸が、一本ずつ千切れていくかのような、不安を増大させる別離だった。


(シャルロッテ……オズ……メアラミス……玲……朔夜……)


彼らの悲鳴は絶え間なく無限に響き渡り、否応なく辻本の心を締め付ける。だが、彼らの瞳はまだ死んではいなかった。


その時。


アーシャと運命的に目が合った。


ひとり宙を舞う朱の少女は、先のユアンの忠告に戸惑っているようだった。


「……アーシャ!!」


せめて君だけでも。辻本は限界まで手を伸ばす。


届くか、届かないか。


ギリギリの所まで指先が接近する。


だが、そこで彼女は想いもよらぬ行動に出た。


まるで半信半疑を断ち切るよう、首を左右に振ったのだ。


そして、伸ばされかけていたはずの、助けを求めていたであろう少女の手が、止まる。


「な……!」


辻本が驚愕したその時、少女の唇がわずかに動いた。



私のことはもう、放っておいてください。


これは、私ひとりの問題だから。


必ずや、王国を乱す蛮行は、止めてみせる。



言葉はほとんど聴こえなかった。


だが、その唇の動きでほとんど理解できた。


ゴゴン! と空間全体が振動した。先ほどよりも、さらに大きく不安定に、地表へ向けての降下を進行させている。まるで坂道の上から転がした玉が、取り返しのつかない速度を出そうとしているようだった。


もはや光はなかった。


広がる暗闇をまっ逆さまに、せめて深淵の先が深海ではなく青龍王国に到達することをただ念じて。


数多の絶叫だけが、流星群のよう虚無に響き渡った。



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