2節「アーシャという娘」

じゃりん、と高い音が二つ、花火の合図と重なって響いた。


一瞬の閃光を発すると同時にアーシャは全力で地面を蹴る。約八メートルの距離を瞬時に駆け抜けながら、体幹を左方向にきゅっと捻る。指揮官は右利き、その逆側に狙いを定めた。


「“ともえの型・金剛”!」


身の丈よりも長い六尺棒から繰り出される武術。シッ!という短い気合とともに、弓から撃ち出される矢の如く棒を両手で、真っ直ぐに突き出した。


(私が扱える《森羅水滸流》における最も強固な一撃、相手の得物を弾くことで制圧技にもなる奥義だ!)


慣性力と捻転力を全て乗せた直突を、わずかにタイミングをずらして一発。スピードはさほどではないが、かわりに照準は精密だ。


辻本は、アーシャの思惑どおり、太刀を左に振った。


だが、棒尖が太刀を捉えるその直前、辻本の右手が煙るように動いた。同時にアーシャの朱色棒に小さな火花が弾け、突きの軌道が微妙にズレる。


「なッ!?」


―――朱の少女の唖然として見開く赤紫色の両眼が、まっすぐ紅の剣士に向いた。


指揮官が、己の武器で正確無比の突き技の途上にあった棒技を正確にパリィしたのだ、と頭が理解した頃にはもう、剣先は浴衣をわずかに掠めて宙に流れていた。


カウンターの反撃を予期し、アーシャは露出するうなじの皮膚がちりちりと痺れるのを感じる。だがこの場面で棒を引こうとすれば体勢が硬直してしまう。技の慣性に逆らわず、思い切り体を左に横回転させた。


刹那、手元目掛け跳ね上がってくる「炎」の輝きがアーシャの視界に入った。


「“壱の型・火織ひおり”!」


まさに火を織ると言うべき辻本の剣速に、鋭い戦慄が全身を駆け抜けた。瞬間的に息を止め、下駄を履いている右足のつま先を軸に地面を抉り取るほどの力を込めてアーシャ、指揮官の太刀の閃きを棒に掠めるに留まらせた。


すばん! という衝撃がその直後に左耳のすぐそばを通過した。もし棒に当たっていれば、確実にくるくると宙を舞っていただろう。虚空に放出された炎の魔力が、空気を揺らして拡散していくのが視界の端に見えた。


途轍もない威力、スピード、そしてなによりは彼自身の意思の強さが生み出した、美しい技だった。これほどの太刀筋に敗れるなら悔いはない。心の中で呟やこうとするも、


―――なにが武術だ。そんなもの、……には必要ない!


不意に、朱の少女の耳の奥にこだまする声があった。


アーシャはぎりり、と歯を噛み締めて、意識から現実ノイズを振り落とす。機関という新たな場所はもうひとつのリアルな世界であり、そこでの戦いはいつだって真剣勝負だった。



「…………すぅー」


アーシャは息を深く吸うと、ぐっと止める。さすがは《朱雀の英雄》辻本ダイキ。尊敬とともに恐るべき相手だが、たったの一合交えただけで諦めては武人の名が廃る。


「はは、この勝負は引き分けだったか」


「いいえ、指揮官の勝ちです。でも次は絶対に勝つ……!」


刀を鞘に収めようとする剣士に待ったをかけるよう強い口調で、己を鋭く鞭打つよつに、アーシャは棒を鳴らして再度、右肩の上に構えた。今回もまっすぐ相手に向ける。


「…………ええっと、アーシャさん?一太刀ってルールは」


「いざ尋常に、勝負!!」


どうにか一本、辻本から取りたいアーシャは再度地面を蹴って飛び出した時には、意識は完全に研ぎ澄まされていた。機関に入隊する前の自分ではほとんど感じたことのない、神経系が燃え上がり、魂が己の存在を現実に刻みつけるような充足感が身体中を満たしていく。



 花火のフィナーレも無事に終了して、湾内の客たちからは鳴り止まない歓声と拍手が津波のように揺れながら届く。


丘の頂上の特等席。樹々の梢の連なりと月が作り出す光の中、ここを更に抜けた先には「僧院」と呼ばれる神社、お寺めいた建物があるのだが、辻本とアーシャはその中腹地にあった広間で結局、一度も花火を堪能することなく仕合に没頭していた。


「…………痛つっ…………」


木製のベンチに腰を下ろしてアーシャが、似合わない間抜けな声を漏らしながら顔を歪ませる。痛みの源は足、履き慣れない下駄の状態で何度も負荷を掛け続けていたせいか素足が鼻緒擦れしてしまい、親指や人差し指、足首からも血が滲んでいた。


「ほら言わんこっちゃない…………アーシャって基本は大人びてるけど、たまにお転婆な子どもみたいになるよな。仕合に熱中してた時なんて玄武で出逢った夜々の瞳と同じだったぞ」


辻本の声にアーシャは「ぅむ……」と引き攣った声で顔は紅潮させる。的確な図星に加え13歳の好奇心旺盛な少女と同等に扱われたことに対する怒りを喉に流し込み、顔を戻すと、強引に話題を修正する。


「幼少から厳しくしつけられていましたから……外を知るために国を出た私です。世間知らずで我が儘なのは許して下さい」


「まあ君のその向上心は部隊の他の子たちにもぜひ見習わせたいかな。…………ほら、じっとしてろよ」


言って辻本は、アーシャの足下に屈むと、携帯していた包帯や絆創膏を使って器用に応急処置していく。担当指揮官とはいえ女子の素肌を下心無しで触れてくることに、アーシャは内心でかなり驚いていた。


(…………指揮官の手、なんとも心地よい…………)


気恥ずかしさで奮っている間に、思わずこのまま足だけでなく全身のマッサージもお願いしたいなんて衝動にも駆られたが、どうにか我慢する。


「…………よし、これで大丈夫だ。でも念のため寝る前にはちゃんと冷やしとくように…………な!」


「ふひゃあ!!?」


だが、しめに突然、辻本が足裏をくすぐってきた。ウットリとしている部下への悪戯に、今度こそアーシャは、反射的に唇を細めて高い音を鳴らしてしまう。


「し、指揮官!!そなたの方が子どもではないかっ!」


アーシャの精一杯の大きな声に、辻本は黒髪を掻きながらしたり顔で「もう立てるだろ?」と右手を差し出した。アーシャもとりあえず羞恥心の矛先を収め、おずおずと手を取る。ふわりと体を起こしてもらった。


「……え、ええ。ありがとう、ございます……?」


照れ半分呆れ半分と言った困惑顔を魅せるアーシャに、


「この先もお互い研鑽あるのみだ、君はまだまだ強くなる」


指揮官の激励。その台詞に元気づけられ、一瞬の笑みを返してから、アーシャは柵のある端まで進み大きく息を吸った。


「―――日々の足場を固めてこそ大役を成せる。」


「辻本指揮官、そなたはどうしてあれるのだろうか?」


アーシャは背中を向けたまま、花火後の煙の薫りがする満月の夜空に視線を留め、有無を言わせぬ口調で訊ねてくる。


「アーシャ、君は……」


辻本は途中で言葉を呑み込み、瞼を閉じる。


「強さ」―――それが混沌とゼロを奪われ虚構の英雄としての仮面を付けながら生活している自分に、最も足りていないものであると自覚していたためだ。


アーシャはそんな英雄の葛藤に気付く様子もなく、語った。


「強さとは……己の存在証明です。自分が《何者》でこれから《何者》になるのか。見果てぬ理想の先に、自分という旗を掲げられるか…………それとも弱いままか…………ッ」


息をぐっと詰めてから、食い縛った歯のあいだから掠れた声を絞り出した。夢を、理想を語るつもりだったが、意味のある言葉を組み立てることは出来なかった。


これが自分の弱さ、覚悟なき者の言霊には魂も宿らない。


「…………君は、強くなるために祖国を出て機関に?」


辻本は穏やかに、あくまでいたわるように聞く。


「はい。以前にも言った通り本来ならばイシス将軍の部隊への配属予定でありましたが。」


指揮官の問いに、意識も話の本筋も彷徨いそうになっていた朱髪の娘は引き戻され、毅然とした口調で答えることが出来た。


「…………ご両親は送り出してくれたのか?」


次の問いでアーシャはちらりと視線を向け、小さく頭を振る。


「いいえ。家出みたいなものだと思ってもらえれば。オズの実家のしがらみとも違った事情にはなりますが。」


動じるような素振りもみせず、硬化した声で唇を動かした。


「…………君は《クラウディア》の六道一家、あのユアンという青年と面識が?」


玄武演習から今まで、落ち着いて聞けずにいた問い。だが特定の人物を指し示す聞き方にアーシャは否定も肯定もせず。だけど先程までとは明らかに異なった顔で向き直り、夏の煩い羽虫でも払うように左手をぱたぱたと振った。


「フフ、それに関しては黙秘権を行使させて戴こう。」


一度言ってみたかったといわんばかりのノリでわずかに微笑みながら生徒と先生の二者面談的空気を締め括る。


初夏にしては肌寒い風が湖面を渡ってきて、細かい下草が揺れた。


「さて、そろそろ戻らねば。またいずれ今夜のようそなたを独占させて貰える機会があるならば―――その時はきっと、今よりも強くなっていれたらよいな…………」


アーシャの願望にはある種の気遣わしさが含まれていたことを、辻本は敏感に感じ取った。


あまり先入観を持つのは良くないとしながらも、彼女の過去や彼女の目指す理想は未だハッキリとは見えてはこない。


ただひとつ、彼女の抱えているものの重み。いまにも押し潰されそうになりながらも強くなりたいと願う『アーシャ』という娘の存在は、辻本の胸の奥にわだかまるものとして刻み込まれた。

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