2-24節「それでもまもりたいもの」


精神的苦痛は、ある程度は克服したつもりだった。


朱雀アルテマ軍学校に入学し、《零組》という風変わりな戦闘クラスに所属して二年、本当に様々な戦いを経て卒業した俺でも決してヒトの死、というものに対してだけは慣れなかった。



「…………ヴェナさん!!」


 ヴェナの顔の左側は赤く焼け焦げ、右の瞼も閉じられかけていた。だが、身体に手を伸ばして胸に抱えた指先からは、消え去る寸前の、ほんのわずかな命の温もりが伝わった。


小型の群れとの戦闘中だった候補生の面々からトライエッジの生徒達が無意識のうちに此方に駆け寄る。皆、担当指揮官であるヴェナの姿を見て、とめどなく波が溢れてしまう。


「眼が……そ……んな、いやです、ヴェナ先生っ!」


「指揮官にはまだまだ教わりたいことがたくさんある……!」


ユイリカとガンツが、唇から言葉を零す。俺は彼らの、また今もネクサスウィスプに炎のネメシスと交戦中の玄武兵や機関員たちの声を、思念を、俺の意識に響かせて、死の間際の英雄に叫ぶ。


「貴女は列車で言っていた……アキエルさんたちが愛した玄武を護らなければいけないと……!だったら、こんなとこで死ぬのはダメだ!」


それを聞いたヴェナの、奇跡的に無傷な唇が、仄かに笑みを浮かべる。


「…………軍人になり、六盾隊入った時から別れの日々や。ここまで何百もの部下を、同志を、大切な人を喪ってきた…………」


「でも…………それは分かってたはずやろ?誰にだって…………いつかは別れの日はやってくる…………私はここまでやけど…………あんたらには…………まだ、果たすべき……使命がある…………」


ヴェナの声は急速に遠ざかり、その体も冷たく、軽くなっていくようだった。


不意に、隣まで来て跪いたマスターが両手を伸ばし、魔術の師であるヴェナの右手を包んだ。


「簡単に自分を諦めないでくださいむほ……!」


その声も、頬も、しとどに流れる涙で深く濡れている。


「そうです!貴女は……玄武の守護神なんですから!」


続いて、反対側からスピカの手も伸ばされた。


「…………あなたに救われた僕らの命、必ずや、お言葉を果たすために使います」


そして、後方から月光。


「絶対に…………ネメシスを倒すんだ!!」


月光の声は、これがあの生真面目で優しい同僚かと思えるほどに、牢乎ろうことした意志に満ちていた。


「月光……お前……ッ」


短い静寂を、ネメシス包囲網の前線にいたカグヤ指揮官の半ば呻くような呟きが破る。


「炎の巨人の形態が……どんどん変化していきますわ!」


その言葉を聞いて、後衛一同は視界に巨人を入れた。


「な……!!」


彼方の巨人を呆然と見上げるロストゼロ、オズ達の耳が、かすかな、しかし確かな音を捉える。


ぼう、ぼう、という着火音が、後ろから……いや、彼岸花群の右からも、左からも聞こえる。素早く振り向いたシャルロッテと玲は驚愕のあまり激しく喘いだ。


広大な湿地帯を取り囲む何百ものリコリスの柱。その花茎の先の強く反り返った鮮やかな「赤色」の構造が大小様々な「炎の手」に見えてしまうように、小刻みに震えている。


「……これはまさか……幽谷狂善の!?」


オズの驚声に、メアラミスが「みたいだね……」という一言を重ねた。そのやり取りを聞いて、朱雀零組も悟った。


あの《ラムダ》、六道一家《餓鬼》の能力と同じ現象がネメシスに起きているのだと。すなわち指を媒介に、あらゆる空気間の物質に「熱量」を与える錬金術だ。


立ち尽くす討伐隊の眼前で、ひときわ激しい熱風と振動音を放ち、巨大な炎たちが彼岸花から離れて浮き上がった。


「うわぁ……!!」


慌てて身を屈める朔夜たちの髪を掠め、炎は猛然と舞い上がると、ネメシスに寄り集まった。大小九本の手は、ボル、ボルと音を立てて巨人に接触し、組み合わさって、ひとつの巨大な塊を作り上げていく。


たちまち異様の巨人は両腕の二本に加えて、火炎でできた手を右に五本と左に四本を生やす。真の怪物へと進化した百禍ネメシスが、先ほど“部隊を一瞬で壊滅させたであろう”熱攻撃以上の何かを仕掛けてくることに、俺達はすぐに気付いた。


―――このままでは二の舞になってしまう!


カグヤがそう感じると同時に、隣でイシスが叫んだ。


「疾く障壁を展開しろ!!シーカー殿がくれた猶予……決して無駄にするな!!」


見れば、イシスが地面に走らせた水流の陣がネメシスとこちら側を区切るよう敷かれている。複腕の巨人の右手の先には超濃密のエネルギーの塊が宿っているが、炎たちの結合のあいだにイシスだけは先手を打っていたのだ。


「シエラちゃん!蝶のバリア的なの頼むぜっ!」


「おらマスター!泣く暇あんならてめぇも防御術式のひとつでも唱えやがれってんだ!」


百禍の熱素攻撃に備えて零組も動き出す。


「皆さん、可能な限り盾の後ろに隠れて下さい……!」


「うむ、それと副所長たちにも備えの伝令を出さねば!」


ぱぱっと深紅の雫のような炎を撒き散らすネメシスに視線を注ぎながら、中腹でロストゼロの玲やアーシャが叫んだ。


「私も熱嵐で相殺を狙いますわよっ……て、月光君!?」


カグヤの隣を、毅然と歩む蒼の青年。


使―――いまは分からなくても、それでも」


きっと、僕がここにいる意味は、あるはずだから。無力を嘆く時間があるなら、それは失われた記憶を、自分自身の在り方を探すよりも、戦う方法を探すんだ。


機関発足初日の、紅の剣士ダイキのよう、ただまっすぐに。


月光は懸命に考えた。着任前にから与えられた「紫夜の剣」は水と月の魔力構築なので、ネメシスを阻むすべての熱風を破れるかもしれない。だが、闇雲に巨人に斬りかかっても、巨腕から繰り出される炎の拳で粉々にされるだけだ。自分より戦闘経験豊富なダイキとイシスさえも、いっときネメシスの動きを止めるのがせいぜいだったのだから。


勝機はただひとつ、唯一の弱点部である胸の虚モジュールに攻撃さえ届かせること。背骨をなす三本の炎柱と十一の腕をかいくぐって、わずか一センチ単位の隙間を正確に貫かなくてはならない。それを可能にするには、


(鎧が必要だ。全ての炎を跳ね返す、それこそ玄武国の象徴である堅牢なる盾の如し防御力が……)


辻本が無意識に、月光の思考の先を脳裏に過らせる。


瞬間。


月光は、大きく両眼を見開いた。


「ダイキ、僕はみんなを守るよ!大丈夫、きっと運命を変えてみせるから!」


吸い寄せられるように、巨人を見上げる。


月光……いったい、なにを。


そう思いながら、俺はヴェナをシェアト女官に預けて、視線を動かした。


亜麻色の髪の青年、俺の同僚で、まだ出会って一月だが、もう無二の親友のような気さえする、無流派剣士。月光は一瞬だけ俺の瞳を見返し、そして零組とロストゼロを、微笑みとともに見渡す。


肩の高さで剣を構える左腕を、限界まで引き絞ると、前後に開いた両足で思い切り地面を蹴りあげた。その加速に回転力を加えて、背中を経由させて左肩に伝えた。


「うおおおおお―――ッ!!」


上空で月光がネメシスに剣を叩き込む。パープル・ブルーの閃光を放ちながら、獰猛な気合で剣を一直線に撃ち出した。


『ボゥゥゥゥゥ―――!!!』


剣尖の延長線上でネメシスは周囲を焦がす熱風を解放する。月光の白のロングコートを激しくはためかせる。鋲を打たれた裾が翻る。それでも月光は怯むことなく、空宙を激しく滑る。


そして。


めぐれ、《月閃光》!!!」


零組時代に俺が愛用した奥義スキル、戦況を一撃で決め得るほどの威力と長大な射程距離をほこる「 柒の型・月光斬一閃」の基礎である技を、


「月光が…………!?」「天紅月光流を…………!!」


「まるで影の居城に召喚されたエディラを倒した時の辻本さんみたいな……!」


「おおおやるじゃねえか、ダイキの同期の優男め!」


直後、俺や師姉、零組のメンバーの動揺すら掻き消すほどの一撃が決まった。


炎の使徒が撒き散らす朱色とぶつかる威力の、月光の剣、天紅の輝きが、一点に収縮した。





―――適合率、47%―――





「ぐっっッ、ああぁ!!!」


上空で炸裂した轟音と、月光の呻き声に、俺は眼を見開いた。


天紅月光流のあらゆる奥義は、強い光と音を生み出す。だが、これは今まで聞いた、どんな同門の剣士の技の音よりも


太さも、重さも、硬さも、鋭さも、まるで同じもののように。


月光の振るった紫水晶の輝きを持つ刀身が鋭い刃を激しく振動させながらも、ネメシスの表皮と炎壁、また耳をつんざくような爆炎の波に圧され返されていく。


「月光指揮官っ!!」


息を呑む俺の周りで、機関の候補生たちが声をあげた。月光が受け持つ部隊ツインズオウルの皆からは特に、悲鳴というにはあまりに弱々しい声が漏れ続ける。


後方で部下に介抱されるヴェナはこの状況、血の視界の中で、


「…………結局…………なにひとつ護りきれへんのか………………」


唇を噛み、自らを嘲笑うかのように呟く。


ヴェナは考えた。もはや絶望すら消え失せ、世界はあまりにも残酷だっただけなのだと―――。


「ふふん、諦めるのはまだ、全然早いわよ!」


不意に、頭の中で泡のように弾けた娘の声が、現実のものだとはすぐには気付かなかった。


「是!この瞬間まで耐えたからこそ余等が間に合った!ひとりひとりのが、全員をに変えたのだ!」


太く、それでいて潔い豪快さの滲む声で発せられた言葉の意味を、ヴェナはようやく理解する。


まもる意味―――かつてセスタの日々で、あの人から教わった事こそが、この世界に抗うすべなのだと。


「マコ……ちゃん、大統領まで……っ……あ…………ッ!!」


ちらりと後方を見てヴェナが言う。だが抜け落ちた左の眼球跡から凄まじい激痛に、ちかちかと右側も視界がホワイトアウトする。滝のように鮮血を振り撒くヴェナの下に、零組『マコ』がすたりと着地した。


ほぼ同時に、湿地帯を見下ろせる箇所から、大男の轟く壮重な雄叫びが、辻本達の、ヴェナの、月光の耳朶を打った。


コオオオオォォォ―――!!!!


『シリウス・アストラル』大統領が、己の頭の何倍もの大きい巨岩を右腕で掴み、ネメシス目掛けて投擲体勢に入っていた。


大統領と忠実な臣下である六盾隊の長年付き合った関係から、シリウスの意図を、ヴェナやぺガス、新入りのスピカもすぐに察した。


一方で機関員や零組、ロストゼロにとってはあれほどの大岩を五十M以上も離れたネメシスに投げるなど、人族にできることではない……と考える。


ごわっと、大統領の右腕が膨らんだ。全身の力がそこだけに集中したかのように、筋肉が盛り上がり、血管が浮き上がる。


「ヌワァァ!!!」


巨漢が吼え、数歩の助走に続いて、右腕を振り抜いた。


二百トンの重量はありそうな大岩を、まるで投石器のように、空気を振動させて岩の塊を射出した大統領。本人はさながら掌サイズの石を投げるくらいに容易く。


それを見て月光、ぶつかり合う剣を咄嗟に退いて、地上にへとなんとか待避する。がくり、と体の勢いを失い、血を流しているものの、意識はしっかりとしていた。その様子に安堵の辻本だったが、


刹那―――バガァァン!! と岩が四散した。


炎のネメシスの複腕が大統領の投げた大岩を粉砕したのだ。


「ちきしょう……!奇襲失敗か……!」


短い罵り声をあげる荒井、だがぺガスがにやりと不敵な笑みを滲ませた。スピカも落ち着き払った声でうなずく。


「いーや、……へへっ、しかしあんた自らがヴェルサスから赴いてきてくれるとは魂消たぜ、ワンチャンでサリー辺りかと思っていたんだがよ」


「ほんと、ここまで行動力と戦闘力のある国のトップというのも珍しいわよねぇ。おっきくて、逞しくて、ムキムキだけど涙脆いところとのギャップもかわいいわぁ♡」


(ええっと……誰だろ、滅茶苦茶強そうなのは分かるけど。)


前線の六盾隊二人の言葉の後、シャルロッテが首をかしげるなかで湿地帯に地響きが轟き、大地が震えた。少女に遅れて大統領が一同の中腹地点に合流する。


「マコ!玄武に来ていたのか……!」


「指揮官の知り合い……?それにまさかあの方まで……!」


俺とオズを先頭に、ネメシス戦の助っ人にきた両者と改める。


「ひさしぶりね~辻本、ちょっとやつれたんじゃない?それにシエラも元気そうじゃない♪ついでに荒井と太田に……いぬ、マスターも。あぁ、そっちの子たちがロストゼロ?」


言って、腰に手を当て味方軍を見渡す少女の名は『マコ』。肩まで届く朱っぽい茶髪に、稲妻のヘアピン、ダークブルーの大きめな瞳、化粧のいらない小作りで整った顔立ちは、ロストゼロ内の女性陣ではシャルロッテ似だろうか。


竹を割ったようなサッパリとした性格と飾らない直情的な部分は二年前の朱雀零組発足時から。クラス内ではやや短気で暴力的だったが、緊急事態でも冷静に判断を下せたり、常に現実的な視点で物事を観察できる一面も。今では数々の事件を経て、零組との絆を何よりも大切にしてくれている。


……のだが、シャルロッテ似理由②として、人一倍仲間想いゆえに不器用さもあって、要約するとツンデレさん。


また、赤のパフスリーブの上着に、同色のフレアスカートという新しい衣装のイメージは、


「ぶっひいマコ様ぁ!!さらに女王様力が上がってて僕はすぐにでもおみ足を舐m」


「うっさい駄犬!後輩の前で盛んじゃないわよ……!恥ずいでしょうがっバカ!」


童顔のマコからは似合わな……くもない罵倒と蹴りがマスターに乱打されるなかで、巨漢の大統領が思い切り笑った。


「ハッハハ!どうやら余の顔を知る者も、初めての者いるようで流石は四大国デリスの連合機関だ!しかし、きちんとした挨拶はこの場を切り抜けてからにしようか!」


『シリウス・アストラル大統領』。ネイビーのスーツに檜皮色のネクタイ姿は国家元首としての地位と権威パワーを否応なしに感じさせる。


くわえて背丈も大きい。身長は2メートルほどもあるだろう。風貌もまた、身なりに負けず劣らず情熱的で魁偉だった。肌はチョコレート色で彫りの深い顔立ち、デリス人離れした……と言うよりも、本当に人種から違うのかも知れない。


前方に展開していた四十数人の玄武軍人や部下たちの傍まで進み出た筋骨隆々たる巨漢のシリウス。軽く頭を下げる六盾隊含めて、彼の登場には呆れを含みつつも、明らかに希望が灯されているところから、その信頼は非常に厚いようだ。


「マコ君!ヴェナの治療は任せたぞ?」


「分かってますってば。やるわよ、セシリア」『(はいっ!)』


「はは……おおきにや、ほんまアキエルと見違えるわ…………」


強烈な身長差のある大統領の指示を受けてマコ、魔石から召喚した水霊の乙女セシリアと共に、瀕死のヴェナの治癒に専念する。


見下ろすヴェナの眼は、片方しかなかった。左眼はまるで抉り取られたかのように惨い傷痕を晒し、赤黒い血が一筋、頬で乾いていた。


 戦域中央部、遊撃部隊ロストゼロ―――。


「……もしやあの男性、玄武のシリウス大統領では……?」


「へぇ、青龍出身の君も知っていたのか。彼は武闘派としても有名なんだが、こんな死地にまで乗り込んで来られるとは流石に予想外だ……」


「ふーん、お偉いさんなんだ……(強そうなオジサン、鬼のウチとも互角に渡り合えるくらいかな。)」


「そ、それにあっちのセシリアって息吹の泉の伝説の!?」


「正真正銘ご本人ガーディアンでしょう、そして彼女を使役しているのが元朱雀零組のマコさんです……!!」


「レイ、テンション上がりすぎ……(零組、辻本指揮官やシエラさん達の旧友にはあんな格好いい女の人もいたんだ……)」


一瞬気圧されたように片足を引きかけたアーシャだが、玄武民オズの説明で納得した。間にメアラミスはシリウスの武人としての本質を見抜くようじっと見詰めていた。純粋な実力ではデリス大陸最強の一角に数えられそうな大統領の豪傑さに興味を抱く。


また、召喚獣と共鳴し、的確に治療を続けるマコを見て、朔夜と玲のやり取りのなか、しばしシャルロッテは押し殺すような独白をつぶやいた。


だが重ねて、ネメシスのうねる炎波が最前線を襲い出す。


「「ぐあああっ!!!」」


俺たちが体勢を立て直している間、使徒を相手に一気呵成に挑んできた数十の玄武軍人たちの剣がへし折られ、盾が叩き割られた。悲鳴と血煙を撒き散らし、次々と湿地帯後方へ吹っ飛ばされる。


「なんて炎圧……!」「……これ以上は厳しいか……!」


「防衛ラインを下げるか最悪は撤退も視野に……っ!!」


カグヤとイシス、両指揮官の苦い表情が視界に入り込み、スピカ少佐の掠れ声が耳に届く。大統領は、ずだん! と右足を踏み鳴らし、凄まじい声量で応えた。


「否!よく堪えてくれた……余の同胞はらからたち、四聖機関の諸君らも!」


中衛で体力を回復していた辻本や月光に視線を戻し、すかさず言葉を続ける。


「余がネメシスを数秒、どうにかして防いでみせよう。朱雀の英雄、そして貴公、その間に奴を討ってほしい。でだ。」


「十秒で……」


「……遠距離技を」


俺と月光は同時に唸るも、顔を見合わせる。


なぜ大統領はこの状況下で、初対面の俺たちをラストアタック要員に指名し、また距離を取って倒せ、などと言ったアドバイスまで的確に出来たのであろうか。


―――まさか…………“彼女”の予言で…………?


「ヌォォォォォ……ヌガァ!!!!」


思考する暇もなく、シリウス大統領が裂帛の気合とともに、拳を地面へと叩き込む。


瞬間、ぐわっ、と炎の壁にも似た衝撃波が半円状に発生。ネメシスが赤々とした炎の脚を動かし、黒く燻る足跡を残しながら前進を始めたのだ。前方の兵士たちはひとたまりもなく撤退を余儀なくさせられる。


(今は信じるしかない……大切な仲間を、教え子を、ここにいる全員を守り抜ける未来のために!)


とても敏捷とは言えないゆったりとした進撃だが、サイズがサイズだ。一歩で数メートル以上の距離を詰めてくる。彼岸花の群れの中心地が、炎のネメシスの熱気の間合いと重なった時、ついにシリウスが「異能」を発動させた。


「空間支配術―――《トール・グラビトン》!!!」


握った拳で大地を鷲掴みにすると、突如、対象となる炎のネメシスの足元から闇色の力場が沸き起こる。およそ100Gもの圧力をかけ続け、相手の体重は百倍に膨れ上がる計算だ。


『ググ、グゥオオオオ……!!!!』


訓練を積んだ戦闘機パイロットでも耐えられるのは精々7Gとされる。今回の相手は規格外の化物なため、完全に動きを封じれる訳ではなかったが、徐々に叫び声を上げ始め、ぴんと空気を震わせる。


「既にここは余の支配にあり……頭が高いぞ下郎がァ!!玄武の怒りに沈めエエ!!!」


周囲の空気が重力の嵐に呑まれる。大地から発せられる力をフルに働かせるシリウス本人への負荷は、重圧で瞳が白眼に裏返る程だった。


密に凝縮したグラビティパワーは、使徒を支えていた足場の地盤ごと破壊する。それはつまり、炎のネメシスの「力」の供給元であった「彼岸花」を無力化したのと同義。候補生達や玄武兵から感嘆の声が漏れる。


土と炎が吹き荒れる突風が俺と月光の体を揺らした。


「重力魔法……たしかに近付いたら僕達まで圧し潰されるね」


「これが玄武を統べる国家元首のチカラなんだな…………待て、何かくるぞ……ッ!」


「えっ?」と月光。俺の静止の理由、もはや伸し掛からんばかりの重力の中でネメシスは、どばあああっ!と燃え盛る溶鉱炉を思わせる轟音を弾かせて、円錐形の肉塊を二つ、体外に射出してきたのだ。


「ラムダの針!」「でかすぎでしょ!しきかーーん!!」


オズ、シャルロッテの叫びやあらゆる音を掻き消す、大がかりな花火のような炎弾が空間を焦がす。シュゴッ!!と空気を切り裂いて、二本の炎柱が重力結界の渦から飛び出してくる。


大統領が繋いでくれる拘束の限界まで残り五秒ほど。回避している余裕は無かった。俺は右手で太刀の柄を握り直した。月光も同じような考えで剣を構え直す。


逡巡する俺の耳に、その視界に―――。


「“天馬聖拳セイントステラ”ァ!!」「“誓奉剣キュアプレッジ”!!」


極限状態で前に出た《盾》。腹の底から最後の力を振り絞ったぺガス大佐とスピカ少佐が、火傷だらけの体を庇うことなく、本気の眼差し、凄まじい気迫で、


「今度こそセスタの守護、果たさせて貰うわぁ!」


「突破口は俺らが保持する!うりゃあああァ!!」


拳を、剣を、これまでの戦いで最も大きく、猛々しい雄叫びにのせて二対の炎塊にぶつける。ズウッと重々しく、しかし凄まじい速度の攻撃は、双方とも緑の残像となり軌道に沿って、彼方の空まで消えた。


―――今だ!ダイキ!


―――行くぞ!月光!


無音の咆哮を迸らせながら、猛然と剣を高々と振りかぶった。


煙るよう霞むネメシスとの距離は数十メートル。大統領の重圧を以てしても、抑え込めるのはもう刹那……2、1……


零。時、きたれり。


あとはだけ。


俺は、彼は、一瞬だけ瞼を閉じ、念じた。


ここに集う数多の《ゼロ》を、己の両肩に背負ってみせると。


そして、高らかに叫ぶ。


指揮官号令ゼロオーダー・クロッシング!《双月斬》!!」

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