2-23節「百禍繚乱」
シャルロッテの刃とオズの剣により、幾重に切り裂かれた純白の法衣からは、雪のような細かい断片が散っている。致命的な損傷の疼きが、痺れるような熱に変わって、袖口の隙間から、血液が際限なく流れ出す。
「…………ワォ……このボクが、あのワタシが……?ァ、ァ、ァ、アヒャヒャ、アヘヘ、アキャキャ……!!」
地面に倒れた身体を起こすことも出来ず、自らを滑稽とばかりにケラケラ嗤い続ける道化師。
細い眼は限界まで見開かれ、散大した瞳孔が細かく震えているが、それはオズとシャルロッテ、二人の見事な勝利の空気すら汚すほどに異質な、満ち足りたような笑顔だった。
「………………」
俺はラムダの瞳の奥、血の色に染まる眼を見た。
興奮。狂気。しかしそれ以外にもある何か。あれは―――。
「ダイキ!ロストゼロとオリジンゼロのみんなも無事か!?」
「ここが潜伏地点……!なんて禍々しい彼岸花の群れ!」
「ああ、凄まじいほどの悪しき風を感じる一帯だが」
ここで四聖秩序機関の指揮官組がユハンラ最奥に到着。月光を先頭にカグヤ、イシスが密集隊型をとって突入してきた。その後には候補生100名から選抜された十数名が最後尾のモーガンを追い抜いて、
「お前ら生きてるなーってシャルロッテ!なんでここに!?」
「合流していたのか。ヴェナ指揮官もご無事そうだ」
「伝説のクラス……実力は鈍ってはいないようですね……」
手を振るロナードが大げさに仰天する。左方ではガンツが担当上官を補足し気遣わしげな顔をした。また戦術クラス《ファースト》からは湿地帯突入組に三銃士の面々がいた。中で朱雀民の少年シンが冷たい視線で呟く。
「ええい先行するな!あくまでここの管轄は彼らだ!」
副所長の怒号の指揮に重なって、踏み込んできた新たな一団は玄武正規軍の部隊だ。その姿は重武装で圧倒的攻撃力を誇る白虎帝国軍に比べ、防御力に比重を占めた国柄のものであった。
堅牢なる玄武軍、その最精鋭である《六盾隊》から二名。
「いやぁん、せっかく急いで着替えてきたのに私たちの出番はなさそうねぇ」
「油断するなよ!クラウディア……まだ連中の仲間が潜んでる可能性もある」
『伽牝神のスピカ』が隊服の格好で悪戯っぽく笑う。そんな後輩を『神拳のペガス』が警戒した表情でお咎め。その言葉が言い終わる頃には、後続の軍人達も次々と左右に展開し、台地を半包囲する。
「遅くなりました。シーカー様、ご苦労様です!」
ペガスの側付きでもある女性隊士シェアトが、本隊と機関側に合流した『神弧ノ織女のヴェナ』に対して敬礼した。
「あぁ、ええタイミングや。手柄はほとんど機関の特務部隊の子らと朱雀零組やけど……モーガンの旦那の仰る通り、この場を取り締まるんは私ら玄武軍のお勤めやさかいな」
和風の長衣を揺らしヴェナ、ペガスら
五十を越える軍隊の兵士。さらに向こうに十数の機関候補生。
対して錬金術士側はたったの二人。それも片方は幻術によって動きを拘束され、もうひとりも手傷を負って這うように倒れている。両陣営の雌雄は既に決せられていると言っていい状況。
「……おやおや、千客万来デスねェ。正式な招待客でないとはいえボクのショーを盛り上げてくれるならば、問題は一切ございまセンよォ……?」
調子外れの歌のような抑揚をつけて、ラムダが囁いた。殺人鬼の張り付いた笑顔に、ペガスは腹の底から怒りが燃え上がらせて拳を血が滲むほどに握りしめた。こんなワケの分からない奴に殺された仲間達の無念を晴らすべく、憤怒の極みに突き上げられた身体で数歩前へ。
「
(ペガスさん……、だがこれで事件もようやく幕引き……ッ?)
俺は絞り出す声を漏らす。自分の感傷めいた思考が、ラムダの飢餓を「満たせ」得ることに、紙一重のところまで肉薄してようやく気付く。
「まだだ!!」
辻本の緊迫の叫びがペガスの、周囲の耳を貫いた。
「…………アハァ…………」
血走った両眼を見開いたラムダが、重ねて狂気に満ちた笑みを放つ。少年の重い圧力が一行を凍らせた。
……ドクン!
世界に静寂が戻ることはなく、途轍もない「奔流」が、満ちた彼岸花を依り代に顕れる前兆。
……ドクン!!
そんな禍いの到来に胸を踊らせるラムダ。大きな胸騒ぎを感じて一同はもう一度、湿地帯の樹葉越しに薄暗い空を見上げようとした、その寸前。
ドクン!!! ボルルルウゥ。
雷鳴でも、地鳴りでもない異質な大音響が、ごく至近距離から降り注いだ。それは間違いなく超大型の生物。すなわち《ネメシス》の喉から放たれたものだった。
彼岸花が形成した「力場」によって完成した神域とも呼べる圧倒的密度の空間。その物理的圧力に晒されたの如く、半円が動揺し、後退る。
「ふふ、ふふふふッ!あぁ愉しいデスね!フフフッ!!」
狂乱のラムダは傷跡から血をぶちぶちと噴出しながら、痛みに顔をしかめる事もなく立ち上がり、両腕を空に広げた。その姿は見る者全ての全身にまとわりつく恐怖に鳥肌を与える。
「なんという事でショウー!!《百禍》の錬成により人類は肉の牢獄を捨てて深化するのデース!!!」
その瞬間、ラムダの位置する湿地が同時にどろっと崩れた。足元の地面がぱっくりと左右に割れた。その奥にあったのは、うねうねと
―――
百禍黒型。あまねく世界を焼き尽くす炎の巨人。
見上げるような異形の姿が飛び込んでくる。高層ビルに匹敵するそれは、全高二十メートル近くはあるだろう。色はネクサスウィスプ特有の虚ろがかった黒灰色だ。
全体像はぎりぎり人間タイプと言えなくもない、縦に三つ重なった巨大な炎の体から腕を生やしたフォルムをしている。異教の神像めいた角ばった顔からボル、ボルという叫び声を放ち、それが連続すると巨大な火山の噴火音に聞こえる。
『ボルルルルル…………!!!!!』
赤黒く光る眼とともに、遂に湿地帯に完全顕現を果たした百禍のネメシス。両腕両脚が広げられた四肢に、赤熱する幾つもの光点が宿った。熱素を生成し、皮膚がじゅうじゅうと音を立てて焦げ始める。
「……!みんな伏せろ!!」
眼窩が黒ずむ凶相の巨人の変化を見て俺は、戦慄を感じて後続に防御指示を下す。
直後にネメシスがまるで産声をあげるかのように巨体から熱風を放射状に広げ飛ばした。一帯を焦がす灼熱の波動は戦列にいたロストゼロや零組に猛烈な勢いで襲い掛かる。
「きゃああっ!」
「シャルロッテ!ぐっ……!」
「むっほ、カグヤさんに丸焦げにされた時よりキツい!」
「息ができねぇ、このままじゃ肺が焼けんぞ!」
シャルロッテとオズ、またマスターと荒井がそれぞれ絞り出した声で言うなか、他のメンバーも何とか魔力を纏って、火炎の巨人の衝撃波を耐え凌ぐあいだに、ヴェナが煙管から幻魔力を霧散させ一時的な守護結界をなんとか間に合わせる。
『ボゥォォォォ…………!!!!』
いったんは縮められた炎の巨人の発熱。
奴は己の全身や両眼までを端末として、数千個単位の魔力素因を自己生成し、大型の熱素を放出したのだ。
「これはかなーり情熱的なお相手のようねぇ」
「ええ……。使徒、ネメシス……!!!」
辻本は呆然と見上げながら、スピカ少佐がいう情熱的な相手、その名を正式に口にした。俺にとっては二度目となる対峙。
幽谷狂善の肉体を喰らって顕れた炎の使徒。ラムダはネメシスを錬成する前に、この個体のことを「百禍」と言っていた。まるで精製主のラムダの魂が乗り移ったかのように殺意と戯れのこもった視線でぎろりと見下ろす巨人。
右足がゆっくりと持ち上がり、一歩前の彼岸花の床を踏み締める。それだけで重い地響きとともに、大量の炎がネメシスの足元から巻き起こり、周囲の空間を熱気で揺らめかせた。
六道一家の幽谷狂善/ラムダ、なんて置き土産を―――。
もはや唖然と立ち尽くすばかりのロストゼロと零組だったが、すぐ後ろの玄武軍、シェアトが発した囁き声を聞き、ペガスが我に帰る。俺も慌てて太刀を握り直した。
「……まさかここでネメシスと遭遇するなんて……どうすれば」
「どうしたもねえ……!こんなデカブツが万が一にも湿地帯を出ちまえば……街どころじゃない、玄武が滅ぶッ!」
軍小隊の命を預かるペガスの言葉はこの状況でも毅然としていたが、しかし内心の動揺を映してか、語尾が少しだけ掠れていた事にヴェナだけが気がつく。
「……ここが踏ん張りどころっちゅうワケかい」
いっそう掠れた声で呟くヴェナに、俺は鋭い指示を放った。
「絶対に人里に出してはいけない。だったら為すべき事はひとつだけです、なんとしてでもここでネメシスを討つ!」
「当然、僕達も協力します」
「前みたいに貴方だけってのはナシですからね!」
オズとシャルロッテが同時に唸り、こちらと顔を見合わせる。
前哨戦めいた幽谷狂善との死闘では、氷の如き冷静さで霊剣を操作していたオズと、烈火の如き情熱で双剣を振るっていたシャルロッテだが、ネメシスを前にして「普段のノリ」が戻ってきたようだ。
そしてその感情は、他のロストゼロにも伝播する。
気がつけば俺の周りには特務部隊の部下達がいた。
「キミひとりだと頼りないし?」
メアラミスが退屈そうな眼を開いて、ひそやかに微笑む。
「死中に活、このような局面こそ我らの真骨頂でしょう」
「うん。正直怖いけど……辻本指揮官やメアラミスさんだけに無茶はさせたくないもんね!」
「今の私たちなら……それに零組の先輩方に不甲斐ないところは見せられません……!」
アーシャ、朔夜、玲も、唇を噛み締めて一歩を踏み出した。彼らの顔に浮かぶ恐怖や狼狽をこんな状況ではあるが、その成長の証に嬉しく思いながら、俺は強く頷いた。
ロストゼロの想いを受け取った零組の面々も恐れや怯え、躊躇いなどのネガティブなイメージを心意から取り払った。
「さっすがダイキの教え子たち、いい啖呵だっ!」
「気張れよ後輩ども!“ゼロ”名乗るならこんくらいのピンチ、跳ね除けれねえとなぁ!」
太田と荒井の言葉を聞いて、ペガスが全体に向け指示を放つ。
「よっしゃ!!機関、零組のみんな、そして俺ら玄武軍の力を集結させてやろうぜ!!」
張り切った顔と声で号令。だが、まるで俺達の勢いを圧し殺そうと何者かの意志が働いたかのよう、湿地帯の針葉樹方面から「ネクサスウィスプ」が数十頭、四足歩行型の群れになってぎしぎしと音を犇めかせ顕れる。
使徒の魔力に呼び寄せられた化物どもに、機関の若者達が動揺を隠せない様子で、慌てて得物を抜いた。
「狼狽えるな!此方の雑魚どもは私と月光指揮官、候補生分隊が受け持つ!」
モーガン副所長が、厳つい声で俺達に伝える。
「まー、沸いた巨人に比べたらヌルゲーっしょ。げこちん」
ツインズオウルの部下でダウナー系ギャルモナカに、愛らしいあだ名で呼ばれた月光。かすかな苦笑を滲ませると、紫夜の剣を強く握りしめた。
月光の眼が一瞬、ちらりと俺に向けられた。
「だね。頼んだよ…………!」
黒い瞳に浮かぶ幾つもの感情、その中で最も大きいのは、僕を信じてくれ、そして君を信じさせてくれ、という懇願の光であるように思えた。
じゃっ! と音を立てて俺は、黄昏の太刀を高々と掲げる。
「玄武演習を締めくくる正念場だ!」
「それぞれが大切なモノを護り抜くために……死力を尽くして《百禍のネメシス》を撃破するぞ!!」
うおお―――!!
という喊声が深紅の世界を震わせる。沸き起こった巨大な鬨が相対する炎のネメシスの咆哮とぶつかり合う。緊張と恐怖が溶け合う感情は、決して一つの失敗も出来ない。勢い余る潰走が一人の死に、部隊の全滅に繋がりかねない状況なのだ。
そんな事を思いつつ後方の集団の引き締まった表情を見回す。
まず最前列で突進したのは、薙刀を握るイシス。またペガスに率いられた玄武本隊のA隊だ。その左斜め後方を零組が追う。右にはスピカと彼女の仲間五人によるB隊。更にその後ろを機関の指揮官カグヤ、遊撃部隊のロストゼロ、最後に魔術隊をヴェナが取り仕切る。
先陣を切ったイシスに、俺は並走した。
「師姉!俺も行きます!」
「よし!天紅最速の
紅と蒼の剣士とネメシスの距離が二十メートルを切ったその瞬間、互いに目配せで仕掛けるタイミングを同調させると、魔力を脚部に纏わせて、猛然と跳んだ。
「陸の型・“彩月繊連”/“疾風五月雨刃”!!」
俺達はほとんど垂直に近い角度で飛翔する。空宙での疾走がトップスピードに乗る頃、イシスが苛烈な気勢とともに薙刀突進技を空中発動させる。そこに俺がジャンプの頂点で、姿勢を制御し、巨人の体躯に神速の突雨で穿った。
「おおおお……はあッ!!!」
俺の右腕が見えざる手に叩かれたように疾風の連斬を見舞うが途轍もない質量に太刀が通らない。それでもイシスは滞空中で人間離れした動作と魔力で体を操り、後方宙返りしながらの縦斬り、《青龍偃月刀》がネメシスの額をぎりぎり捉える。
―――強い。
これが《青龍》最強の将軍、そして《朱雀》の若き英雄。
周囲を包囲していた玄武軍の誰もがそう評価した。あらゆる動作から無駄が排除され、それゆえに技は速く、剣は重い。それは剣術の心得がある者から見れば、パワーやスピードといった尺度すら超越した、《先》を感じさせる何かすらあった。
「……!」
ここでスピカとペガス、指揮官組が敵の反撃を感応する。
『ヴゥゥヴォォォ――――――!!!!』
鮮やかにスパークを幾重にも帯びる巨人の雄叫びが空気を震わせる。途端、ピリッと不快な感覚が生まれたイシス。すぐそれは辻本にも伝わった。
「ダイキ!離れろ!」
巨大な両碗がハンマーのよう垂直に振りかぶられるその軌道を見た時点で叫んだ。
「くっ!?」
視界の上端を陰が覆う。炎の王。血に飢えた赤金色に爛々と輝く火炎が、眩い強烈な衝撃音になって湿地帯を揺らした。俺は紙一重のところで空中でぐるりと一回転し、ぎりぎりの間合いで躱すと、ゆらめく身体でなんとか着地。その光景に兵士達が感嘆する。
「おお……!」
「お前ら感心してる場合じゃねえぞ!対ネメシス用に練り直した戦略で撃ち込め!
呑み込んでいた息を吐き出し、続けざま炎の王への攻撃号令を行うペガス。見立て直接のダメージ範囲からはもちろん誰もが離れて、半円状に取り巻く玄武装甲戦車六機がライフル射撃を開始した。
最大威力の放火に合わせて、ヴェナ率いる魔法隊も必死に遠距離から魔法攻撃。重ねて零組ではマスターとシエラも幻魔法や黒蝶を繰り出す。
当然、この程度で撃退できるほど甘くはない。各隊ごとの動きは目まぐるしく、絶え間なく爆撃音と使徒の咆哮が響き渡る。
「ひゃっほぁ!鷹の底力をみせてやろうぜ、ファルケ!」
ここで零組荒井、懐から召喚獣を宿した「魔石」を媒介に、掌を翳して召喚陣を敷こうとする。しかしそれを見たヴェナが緊迫した顔で待ったをかける。
「待ち荒井くん!異界の使徒に獣はあかんで、うちのボスが言うてたんや」
「んだよそれ!」
その台詞に、口を曲げて反駁しそうになるも、マスターがさらに割り込んだ。
「みんな!ネメシスの様子が変むほ……!」
ここまで炎の使徒対機関×零組×玄武軍(総数七十四名)の戦いは、俺の予想を上回る順調さで推移していた。後衛でネクサスウィスプの迎撃に回っている候補生チームも、司令塔モーガンの活躍と月光の奮戦で余裕を持って処理できていた。途中からは玄武本隊の主戦場にトライエッジが支援に入れるほどだ。
だがそこで巨人に異変が起きる。彼岸花の群れが薄闇のなかで煌めきだしたのだ。と同時にネメシスがひときわ猛々しい雄叫びを放つ。
『ウグルゥオオオオオ――――――!!!!』
ネメシスに明らかに力が収集されている。すぐに、電撃的な洞察が俺を撃った。醒めやらぬ衝撃と混乱を感じながら思考を続けていると、少し離れたところにいたメアラミスが合流する。
「ッ……何か感じるの?」
「恐らく……《花》からエネルギーを供給されているんだ」
小声で訊いてくる相棒の少女に、俺は思考から脱して言う。短いやりとりの後、最前線のほうに一瞬だけ視線を向けた。
「来るで!迎撃構え!」
ヴェナの鋭い叫び。一斉に各部隊の隊員が壁役になるなかで、ペガスとスピカが一度飛び退くと、
「意地でも止めんぜ!スピカぁ!」
「はぁいペガス先輩!六盾隊の名に賭けていくわよぉー!」
轟然と吼え、地中からマグマのようなパワーを巨体に溜め続けるネメシスを直線上に捉える。巨人の異様な彼岸花との共鳴を捌こうと、イシス、カグヤも六盾隊2人に続いた。
零組とロストゼロも顔を見合わせ対処に動こうとする。
「……。」
月光は視界の端で最前線の様子を、同僚達の、候補生達の戦術を把握し続ける。そして確信する。たとえ炎のネメシスから強力な熱風波がきたとしても、全てが破綻する気配は感じ取れなかった。壁部隊と攻撃部隊のローテーションは充分に余裕があるようだし、《ゼロ》の面々による遊撃活動のおかげで安定もしている。
この場の大部分が初めての経験になる《ネメシス戦》だ。それなのにここまで、死者が出てなかった事に、月光は目前の勝利を見ていた。
頼む、このまま、このまま行かせてくれ。
全身全霊で何者かにそう祈った月光。その時、再度、俺の頭の芯に何かがぴりっとくる感覚が迸った。
「……ダメだッ……」
「下がり!!全力で後ろに翔ぶんや―――!!!」
違和感の源も判らぬまま辻本が内心で囁き掛けた。喉の奥から無意識に声が漏れる。しかしその声は、背後のヴェナの焦燥に滴る叫びに掻き消された。
『――――――!!!!』
炎の使徒に蓄積されたパワーが、深紅の輝きに形を変えて光線の如く解き放たれる。軌道は水平、角度は三百六十度、巨体表面から全方位に照射してくる。
(避けきれないッ!)
俺が刹那に過ったことを、ヴェナも察したようだった。双眸が一瞬歪み、しかしある種の諦めにも似た、純粋な光を宿した。唇が震え、辻本にだけ聞こえる音量の言葉が流れた。
「間に合わんか……アレやるしかあらへんな…………」
言い切ると、ヴェナ指揮官はふぅ……と煙管を吹かしていた。
―――アルダイルはん、アキエル……力借してよ…………?
合わせて迸った無限のライトエフェクトは鮮やかに紅く、まるで血柱のように見えた。
うわああああ、というような叫び声、あるいは悲鳴が湿地帯を満たしていく。討伐隊のほぼ全員が、己の武器を縋るように握りしめ、両眼を見開いている。だが誰も動こうとしない。
眼前でペガスやスピカの左胸に灼熱の刺が食い込み貫通する。若草色の隊服の中に着込んでいた銅鎧までもが一瞬で穿たれ、眩しいほどの閃光が空間を支配していく。
すかさず介入しようとした零組四名の歪んだ顔。それはロストゼロまで行き渡り頭を、腕を、脚を突き刺さんがばかりの驟雨にも似た轟音が、一気に炸裂する。高密度の赤いラインは左右へと拡がりながら、無数に降り注ぐ。
「…………やめろ…………」
唇がわななき、か細い声が俺から零れた。
白熱するレーザー光線に誰もが言葉を失い、足を止め、滅茶苦茶に振り撒かれる炎の津波に、次々と仲間が斃れる中で、辻本はただ叫ぶ事しかできなかった。
「やめてくれえええぇぇ!!!!!」
※※※
血界術・夢幻泡影…………発動…………!!!
※※※
「…………?!!」
瞼を開けると、そこには致命傷を受けたはずの仲間達が呆然と起立していた。それぞれ手負いではあるものの軽傷、であれば先程の「死の体験」は何だったのだろうか。
「っぅ…………あらぁ……私たち生きてたのぉ……?」
「いや、たしかに心臓をぶち抜かれる感触はあった……(まさか!)」
死の直前に聴こえた六盾隊の『ヴェナ・シーカー』の声を思い返してペガスが感付く。
まるで時間が巻き戻されたかのような事象―――。
「いまのは全部、悪い夢やった…………ただそれだけのことや。現実は…………ここから始まる…………」
背後からヴェナがふらつきながら言った。
「ヴェナさん……あんた!」
「お師匠様!!」
声にならない声でペガス。零組のマスターも涙声で叫ぶ。しかしヴェナは左眼から頭の中央までを凄まじい激痛が貫いているのか、真っ赤に侵食された視界に火花が散り、意識が飛びかけていた。
…………濫用は出来ん、一度限りの……反則技。
…………幻霧の力で、ネメシスの波動を別時空に変移した。
でもこんな大勢に“
八年前。白虎軍に連行される仲間を、部下を助けようとした時と同じだろうか。
「う……ぁぁ……痛ッ!!」
赤に染まる和装を揺らし、ヴェナが絶叫した、その刹那。
使徒の放出した炎を、本来の着弾地点からやや左側の位相空間に移した代償。ヴェナの左眼はいつしか痛みを通り越して灼熱の塊となり、関節や血管から無尽蔵の血液が噴き上げる。
「…………ふふ、……あとは…………頼んだで………………」
倒れる身体に意を介する様子もなく、ただまっすぐに、俺たちゼロ組や六盾隊、玄武軍に機関員に、押し殺した声で囁いた。
「ぁ…………ヴェナさん!!!」
なんとか抱き留めた俺であったが、もはや頷く以外にできることはなかった。昂然と天を仰ぎ、凛と響く、守護神の意思。
その余韻が消えないうちに、温かい血の飛沫が、俺の頬を濡らした。
左眼で銀色の光が爆発し、ばしゃっ! という感触とともに眼球そのものが内側から弾け飛んだのだ。
視界が半分欠け落ちるが、それすらも意識せずヴェナは猛然と乾いた口を動かした。
「…………玄武を、世界を。どうか…………護ってやってや………………」
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