2-22節「重なる想い」

精神狂傀。


ラムダが繰り出した三十六の悪霊。生屍。異形。眷属。


地の底から響くような低音を嘆き混じりに轟かせつつ、錬金術によって人の持つ「死者」としての権利すら剥奪された彼等は濃密な魔力を持っていた。


肉体と肌は変色しており脳や内臓、骨格は剥き出しに、着ていた衣服も腐敗とともにボロボロに朽ち果てているが、僅かにそれらが街の人々や玄武軍の所属であったことは窺える。


「グェェェェ……」「ドウシテ……コロシタノ」「……クルシイヨ」「オマエラノ……セイカ……」「ユルサナイ……ユルサナイ」


激化する死闘の中、耳を通じて心に酷く訴えかけてくる犠牲者たちの叫び。どうやら彼等は生前の記憶は持たず、死ぬ寸前に宿った悪意あるアルゴリズムだけのこされて、ぎらぎらと餓えている。


辻本を含めた零組5名は、そんな悲痛の骸を無我夢中に退けながら、強烈な心理的圧迫に苛まれていた。


「……どうすれば……っ!」


シエラは黒蝶による爆撃と、近接用の暗殺ダガーを巧みに操る戦術で死体集団の数人を無力化するも、すぐに遠方のラムダが生屍を操る糸に妖気な魔力を流し込む。


粘液が滴るように次々と屍たちは数秒で復活。不気味な雄叫びを上げつつ、シエラに殺到していく。それは他のメンバーにも同様に、肉塊たちはいくつかの密集した群を作り、うねる帯を描いて次々と襲い掛かった。


「ひゃ……!」


シエラが引き攣ったような声を上げた。生屍たちの、焼け爛れた皮膚マスクの奥から放たれる視線と「飢餓」の感情が自分に集中するのを感じた。


「アッハハぁ!死んでも男なんだねぇこいつら、キミみたいな美少女を食べたくて疼いてるみたいだ!これはいいモノが見れるかもよクシーくーん?」


言って、ラムダは配下の男、今は切断された蠍尾と傷の手当てをしているクシーに三日月形の視線を送った。


「おぉ……ヤれ、ヤっちまえ!!」


シエラの洩らした呻き声に、クシーは愉快そうな含み笑いを響かせた。


「シエラちゃん……!」


マスターの声も届かない程、生屍たちは絶叫とともにシエラに手を伸ばすと、顔や体を両腕で縦横に這いまわり、やがて一体が首筋に降りて噛みつこうとする。


「うッ……黒蝶の翼パピヨン・フリューゼル”!!」


あまりに惨い骸の飢餓状態に胸を衝かれ立ち尽くしていたシエラだったが、振り切るような表情を浮かべて異能の蝶たちを使役した。


少女の背中から、クリアグレーに透き通る鋭い流線型の翅が顕れると、それがびんと伸びてぼんやりとした燐光を放つ。二、三度震わせると、シエラは一気に地を蹴って生屍たちの包囲網から上空に飛び出した。


「グオォォォォ」「イカナイデェェェ」「タベタイィィィ」


「―――すまない、せめて魂の世界では安らかに。はぁ!」


そこに滑り込むよう辻本。猛烈な勢いで太刀を振るった。型は弍、鳳凰旋風。初撃の横凪ぎの剣は轟くような炎と閃光に包まれた。複数の生屍が、一撃で胴を分断され四散する。


そのまま体を風車のように回転させ、屍どもの首に撃ち込む。そのたびにがつ、がつっ!と鈍い音が連続した。


「うおおおおおお!!!」


鬼神の如く闘う辻本の、血を吐くような絶叫。彼の太刀が閃く度に、吹き飛ばされた玩具どもの身体が雪のように舞い散るがそれを見てラムダは低く呻いて、嗤った。


「……へぇ」


なるほど確かに恐ろしいほどの太刀筋と威力だ。クシーの鋼尾を両断しただけはある。それに加えて、そのような辻本の背景に、ラムダは全身を熱気が駆け巡るのを感じていた。


「皆気圧されるな!あれはもう人じゃない、操り人形だ!」


辻本は丹田に力を入れて、気合を放ち、仲間を鼓舞する。


当然、辻本自身にも生屍化した犠牲者たちへの思い、痛む罪悪感は無尽蔵に胸を締め付けている。だがこれ以上、あの人たちの魂が「傀儡」に囚われ邪意に侵食されているならば、その悪夢から醒まさせてやるべきだと決断していた。


先導者リーダーの決意に続けと、他の零組もびっしりと蠢く黒いモノに肉薄する。彼らの剣が閃き、爆発し、スペル詠唱される度に、四肢が分断された生屍たちの体がバラバラと飛び散る。


黒い肉の壁をようやく突破し、奥のラムダの姿を久し振りに捉えた時には零組は身心ともにかなり疲弊していた。


「…………はぁはぁ……」


肩で息を整えながら、しかし僅かな隙も狂人には見せない。


対してラムダは、歴戦の零組が魅せた戦いに称賛を込めてスバラシイと声に出して、大袈裟に拍手する。


「《黒蝶》のお嬢さんの美しい波状爆撃!そちらのお兄さんは狩猟関係デスか?極めて実戦的な技術が感じられる!剣士の方もイイデスねぇ!幻魔使いさんの支援も完璧だ!」


シエラ、荒井、太田、マスターの各々を簡単に誉めたあと、


「そしてなにより貴方…………?」


辻本ダイキに意味深な言葉を告げる。


の……イヤ、かな?アッチ?コッチ?あぁー話があっちこっちややこしくて頭がごちゃ混ぜになってきましたねェ、あぁ『ワタシの世界』がぐるぐるぐるぐる!カオスに染まるカオスに呑まれるぅ!」


熱のこもった目でそうこぼす言葉からは、一切の理解は得れなかった。しかしラムダはそのような疑念や不信の視線に絶頂するように身を、頭を震わせた。


―――俺に「混じっている」……?


いったい、この少年はなにを言っているのだろうか。


一から十まで、彼の口にする言葉は辻本達には届かない。


「キャハハハッ!!!」


狂笑。既に聞き慣れたラムダのそれは、こちら側には届かないにも関わらず、それを見越した上でまるでこちらの全てを掌握しているかのように、迷い人を惑わす悪魔のように振る舞う。


「デスガ!ボクは気になるアナタの存在をあえてスルーして、舞台を終幕クライマックスへと盛り上げていきまショウ!」


両手を広げて白の法衣の裾を揺らす。


「お遊びは終わりだぜ……ぐへ、くへへへ!」


彼岸花に覆われた一帯、左方ではクシーが直に修復を済ませるであろうレベルまで回復していた。


作戦に時間をかけすぎた……荒井が険しい顔で舌打ちする。


「グゥ……ウマァ」「……シニタクナイ……」「……イタイ、アツイ……クルシイ……」「……コロサナイト……コロサレル……」


更に視線を巡らせると、いつの間にか、制圧したはずの生屍も新たにラムダが生成した糸で繋がれ、操られ、無惨な姿勢で這い上がっている。第二波が甲高い音とともに殺到していた。


「言ったはずデース!コイツらは死が塞がれた兵隊!ワタシに与えられた「不死の特性」はアナタ達を永遠の輪舞曲に誘ってくれることでショウ、踊り狂うまで何度でも何度でも何度デモ!」


そこに、歪みのかかった耳障りな声でラムダが熱演する。


生屍たちの呪詛のような歪んだ低音にラムダとクシーの狂笑が戦域内に響く。このままでは不死者ゾンビにひたすら体力を奪われ続け、いずれは狂人ペアの錬金術攻撃を食らってしまうだろう。


(持久戦はまずい……なにか勝機を見出ださなければ……!)


辻本は、無数の骸に絡みつかれ、ラムダの放つ無数の杭針や蠍尾の刃に串刺しにされる光景を予期し、全身を凍らせた。


一触即発の瞬間、その時だった。


突然、背後から、津波のような魔圧のうねりが一行の萎えた体を叩いた。


「今や!」


慌てて振り向いた辻本達の目に入ったのは―――湿地帯の上層から此方を見下ろすヴェナ・シーカーの号令だった。


「ヴェナ指揮官……!?」


!!」


この活発な娘の声はまさか……動転する辻本の瞳に飛び込んだのは、ヴェナの隣で《ロストゼロ》の朔夜が得物の魔弓に矢をつがえ、春の突風を思わせる勢いで敵陣目掛けて射った様子。


「いけ……《麒麟》!でやぁ!」


「……おっと!ボクのショーを邪魔するのは、そこかい!」


放たれた矢は零組の傍らを駆け抜け、ラムダを正確に捉えていたものの、あと一歩の所で避けられてしまう。ラムダは唖然としながらも視線を集中し、恐ろしい程の反射速度で、的確に、針を投擲してカウンターをお見舞いする。


高速で空を突き進む針を、今度は茂みから飛び出した玲が大盾で味方を防御。と同時に別地点から飛び降りたのはメアラミスとアーシャ。特務部隊でも突破力のある二人は、雷迅のような速度で、ちょうど戦闘に復帰する直前だったクシーに仕掛けたのだ。アーシャが棒術による横振りの打撃を与えたあと、


「なぶゥ……グォェエ!!?」


「ん、動いたら殺すよ」


がっちりと取り押さえるメアラミスが囁く。背中から踏み倒され、太ももで関節を極められたクシーは声にならない醜い悲鳴を上げた。その光景に、辻本は背を、戦慄か、いいや安堵とも感動ともつかぬ震えが駆け抜けた。


「君達……それに、それに……!!」


辻本は驚愕のあまり叫んでいた。


全身の血が沸き立つような高揚感にとらわれ、立ち尽くしていると、眼前に、すたっと着地して声をかける少年少女がいた。


「すみません、辻本指揮官、零組の先輩方も」


涼しげにオズ。蒼灰髪のクール男子と対称的コントラストが映える、金髪ツインテールのパッション少女、


「遅くなりました!」


シャルロッテは双剣を構えながら、完全復活を遂げた証である満面の笑顔を浮かべて、ハッキリと言った。




未知の猛毒に犯されて、余命2日とまで宣告されていたシャルロッテがここにいる理由―――


それは1時間ほど前の市内病院の出来事に遡る。


「手術完了。ふぅ……お疲れさまでした。」


その声で、シャルロッテは気が付いた。今が何時なのか、ここがどこだか分からない。どこかで寝かされているようで、ただ青いタイル張りの床や壁、天井が明滅する視界に飛び込む。


部屋の外でカチャカチャと金属音が聞こえる。体の中で動かせるのは首だけで残る下は動かない。感覚もまだ無かった。


「ああ、あんたもな。セシリアの聖水を現実世界に球状化させ空間に固定、この娘を蝕む毒素を……こんな離れ技をやってのけるんはさすがやった、今回は褒めといたろ」


「それを提案したのはヴェナ様じゃないですか~、でも上手くいってホントに良かったぁ♡フフ、部分麻酔で心臓手術なんて初めての経験でしたけど」  


控室で桃色の長髪を完全に包んでいた緑の帽子を脱いで、同色のマスクを外したスピカが妖美に言った。


「くく、負担は軽い方がええに決まってる。私の幻術も掛けながらやったからも省けたしな?」


二人だけの会話。理由は判らないし想像も出来ないが、もしかすると新しい手術法でも編み出したのかもしれない、と思う程の技術と理論を利用して実行、しかも成功させた。


物理的にも化学的にも異質な解毒処置。


そこに、ロストゼロの面々が揃って近付いてくる。ロキ院長も一緒だった。夜々はロビーで待ってくれている。ガラス越しに仕切られたオペ室には、まだ瞼を閉じたままのシャルロッテがいる。


「お疲れ様です、スピカ少佐……いえ、いまは執刀医ですね。それにヴェナ指揮官も医療の知識があったとは」


「素人目に見ても助手として完璧にスピカさんをアシストされてましたし、ほんとすごかったぁ……!」


まずオズが二人を労ったあと、朔夜がやや興奮気味に訊ねた。


「いや、そういう知識が豊富やった『後輩』、あぁスピカの事やないで?これの前任《神の雫》から教わってただけや」


ヴェナがどこか神妙な面持ちで呟いた台詞、その中に出てきた異名に真っ先に反応した玄武出身者のオズが繰り返す。


「神の雫アキエル、でしたか。半年前に命を落とした六盾隊のひとりの」


「あ、その名前は聞いたことがあります。たしか軍務と平行してアイドル活動もされていたんですよね?聖凰女学院でもライブの話をしてた娘が多かったような……」


「儂も年甲斐もなく密かにファンでしたわい。何度か病院に臨時で手伝いにこられた時にもらったサインは家宝ですぞ」


「ふむ、私は少々疎いのだが、かなり有名人であったのだな」


朱雀人の玲だけでなく、年配のロキ院長にまで認知されるほどの存在であった事にアーシャが感嘆した。白虎民の朔夜も従姉のカグヤを通じて知っていたようで、うんうんと頷いている。


《神の雫》―――。


生前の彼女はいかなる怪我や病気にも打ち勝つため、時には医学界すら許可していない「裏」の術式すら利用していた。彼女の信念は一つ、「守る意志」を胸に、道を突き進んだ。


「……まぁ、軍人でも歌姫でもない、“三つ目しんじつの顔”があったんやけどね」


ヴェナはいつもの飄々とした口調に、どこか悲壮の感情を織り交ぜて言う。ヴェナの顔に一瞬だけ翳りが生まれた事で、ようやく小さな肩をぴくっと揺らして反応したメアラミス。「裏の顔」を唯一知っているからだ。


それはつまり、九戒神使の第七神位・《水天》のアキエルを。


「優しいお姉さんだったよ。ちょっと口うるさかったけどウチの事も見てくれてた。多分、誰よりも」


「そうかい、ほんまあの子らしいわ。」


「……?」


オズ達は、呆然とその会話に聞き入った。当然、意味は理解できなかったが、すぐにヴェナがその話題を打ち止め、メアラミスに注いでいた視線を隣室の患者に向けるのだった。


「そんな事よりも……お姫様がようやくお目覚めみたいや。オズくんは抱きしめる機会を窺っとくんやで?」


「し、しませんから!というかまだ接触もNGでしょうに」


冗談めくヴェナに対して、照れ気味にオズが慌てて答える。


「完全に解毒したからいいわよぉ~ん?なんなら甘酸っぱいチューとかしちゃっても♡あ、もしかしてお互いファーストキスだったり?や~んこれぞ青春ねぇん、ほらほらっ!」


と、謎のテンションで盛り上がるスピカに、強引に背中を押されてオズ、他のロストゼロも一緒にシャルロッテの下へ。


「…………んんっ…………」


「…………おかあさーん…………あと5分だけぇ…………」


ベッドから身体を起こして、眼を擦るシャルロッテは明らかに寝惚けているようだった。さながら登校前の学生が母親に叩き起こされる時みたいな。普段では絶対に見せない無防備な姿。


それは、魅力的だった。


小さく微笑んでしまうほどに、愛らしかった。


そんな少女の顔を覗き込むオズは、なぜか幼馴染のような感じで見下ろした。


「…………フッ。まったく、心配させてくれる…………」


オズは、ほんの小さな笑みを浮かべて、一言。


「本当に……ありがとう。」


両手でそっとシャルロッテの小さな右手を包み込む。微かながら確かに感じられる温もりに、涙を浮かべて。無自覚に喉からは感謝の声が洩れた。


「……お、オズ君……?それに、みんなも……」


眠りから醒めたばかりで、まだ夢見るような光をたたえている瞳が、まっすぐにオズや仲間達を見た。


「ああ、僕だよ……シャルロッテ」


言うと同時に、オズの両眼から、ついに涙が溢れた。雫が頬を流れ、シャルロッテの指に伝う。


「ぐすっ……シャルロッテさん……!」


玲も、嗚咽をこらえ、応えた。


「おはよ、シャル」


メアラミスが軽く、でも強く言う。


「ぁ……うーん、グッドモーニング……えへへ、そっか……そうだった」


意識すべてを伝えられシャルロッテは理解する。そしてオズに握られた手に、そっともう片方の手を重ねた。


「ただいま……!」


涙で揺れて、寄り添い合う仲間たちの人影をみてヴェナ。振り向いてゆっくりと遠ざかっていった。




「―――てことがあってこの私とロストゼロが先行してユハンラに来たっちゅうわけや。直にスピカが正規軍引っ張ってくるし、機関の連中も援軍に駆けつける手筈やさかい、ええ加減往生しいや、クラウディアの錬金術士とやら。」


掻い摘まんで説明したヴェナが片手の煙管を突き付けニヤりと啖呵を切る。経緯はどうあれシャルロッテを含む「全員」が無事にここまで辿り着いた事、ヴェナ指揮官の作戦に基づいた不意を突く急襲は、結果的に追い詰められていた零組の戦況を好転させるだけの勢いをもたらした。


「俺の指示を無視してそんな事を独断で……、」


彼らの本来の担当指揮官辻本は複雑な胸中で言葉を切り、しばし険しい視線を横目で部下達に浴びせる。相棒のメアラミスはふいっと眼を逸らし、アーシャも申し訳なさそうながら視線を逃れるため瞼を閉じた。


結局、目線が交わったのは拘束されている蠍男、クシー。彼は自分が生成した「呪い」を直接注入された娘が、いま目の前に立っている事実に納得ができない様子だ。


「バカな……俺の毒を……俺の錬金術を!この俺の価値を否定するなぞ許さねぇ!オンナぁぁぁ!!ッ……ぐぉ……ぇ!?」


クシーの深い憤りを滲ませた悔恨は、ぐさり、と肉に食い込む音で掻き消された。ヴェナが「幻」の魔法を唱えたのだ。


やっこさんの番はもう仕舞いやて……私の幻術の中で大人しくしとき」


言いながら、煙管で噴かした煙幕で幻術を展開。四肢に鎖が貫通し、ジャラっと巻き上がり、クシーは両手を強く引かれる格好で宙吊りになった。“なったように本人だけ錯覚した”。


「これは、夢想空間で捕獲している?」


「うん。お師匠様の異能「幻霧ミネブラ」の鎖夜だよ」


ある程度、魔力を眼に宿せる者以外にはクシーが独りでに両腕を突き上げ降伏しているように視えるため、困惑するアーシャの問いにマスターが補足する。


ロストゼロではメアラミス、そして玲がなんとか幻想と現実の位相差を知覚しているようだった。厳密にはクロイツ家の魔道の血を引くオズも朱雀組の2人と同様に視えてはいたのだが、


「……幽谷狂善……ラムダ!」


彼の視界には、三度目の邂逅となる殺人鬼少年の圧倒的なまでの存在感で埋め尽くされていた。


「やあオズくーん、それにシャルロッテさんでしたカ?元気そうでなによりデス!」


裏返ったラムダの甲高い哄笑が、生屍達の暗闇に満ち、吸い込まれていく。シャルロッテは両目をキッと見開き、しかし気丈に唇を結ぶ。一体どの口が、と。


「二人とも……駄目だ!下がっていろ!君達で通用する相手じゃない!」


臨戦態勢のオズとシャルロッテを静止させるため、咄嗟に二人に向かって普段よりも強い口調で辻本。だが、


「聞けません―――!!」


「……!」 


いままで反抗的ながらも指示には従っていたオズの返答。真剣な表情を浮かべる部下の一声に、辻本は気が気でない思いで耳を傾けた。


「ここで下がっては変われない!父や母、姉さん、クロイツの魔道に憧れ、失望し、行き場を『失って』いた自分に」


「間違っているかもしれない。命令違反も承知の上です。ですが自分なりのを見出だしロストゼロとして一歩先を踏み出せたから、大切な仲間を救うことが出来たのなら」


哀切の色が横切るも、オズは、確かな口調で言い募る。


「どんなに惨めであっても、僕はもう誇りを手放さない!」


言い切ったオズに続いたのは、彼の隣に立つシャルロッテ。


「…………指揮官、本当ならまだ安静にしてないといけないのにみんなと来ちゃってすみません。でも、自信も確信もないけどひとつだけ言えるのは」


「これが《ロストゼロあたしたち》ですから!」




 ※※※




言うやいなや、シャルロッテは湿地帯の緩地を蹴った。


「ま、待て!」


―――歯が立つ相手ではない、今度こそ殺されてしまう。と思った時にはもう追いつけない程の距離ができていた。辻本は視線を彼方のヴェナに向けると、ただ無言で頷いている。


シャルロッテが一気にダッシュする背後では、オズが黒魔術の媒介となる「魔本ゲーディア」を片手に、霊術召喚された数十の金色の小剣たちを顕現させていた。


「迸れ!《零光剣イルミナル・サイファ》!!」


それを見た対面のラムダは直ぐ様、操り人形たちを繰り出そうとするも、異変に気が付いた。それはオズが放った零光剣がこちらを狙い撃たず、肉壁のように蠢く生屍の集団、その周辺をターゲティングし無造作に乱舞させていること。


「……!まさか、ボクの錬金糸を!」


「グオォォ……ォォ……」


骸の一団とラムダの指を“繋ぐ糸”が切られている。オズは、展開した零光剣を正面から浴びせ、扇状に広がって飛ばし、屍たちに絡みつくように切り裂く。死者は歪んだ声を上げながら、まるで解放されるようバタバタと地面に倒れていった。


魔力線の可視化。先程述べた通りオズはクロイツ家の生まれとして幼少からありとあらゆる魔術の鍛練を積んでいた。


(オズ……!)


辻本は、あまりにも的確な霊剣舞と、彼の驚くほどの分析力と集中力に思わず胸を衝かれる。ラムダの錬金術の弱点、それは当然、これまで多くの死線を潜り抜けてきた零組も勘づいてはいたが、ここまで正確に「裁断」する事は出来なかったのだ。


「代々国家元首のアストラル家を守護するクロイツ一族……ほんまやったら彼の身内は《六盾隊》やったんかもなぁ」


オズが響き奏でる剣戟と、屍の咆哮に体をひたしながら物思うヴェナ。重厚な喧騒から醒めさせたのはキーの高い、粘り気のある、少年の歓喜の声。


「イイネ!いまボクは最高の笑顔になれているよ!でもヒトの欲求とは常にモノでね、キミ達ならもっともっと面白くしてくれるよねェ!!?」


鋭い熱狂を帯びた顔でラムダ、ギラリとした生々しい得物を連続で生成すると、接近するシャルロッテを穿つべく、凄まじい魔力を持つ「針」を弾丸のごとく投げつけた。


「そらそらそらァ!!!」


「―――やってやろうじゃん!ちょうど鈍ってた体を動かしたかったところなのよね!」


弾幕の先端で蜂の巣直前のシャルロッテが不敵に返す。


この場にいる全ての人間が“避けきれない”と諦めかけたその時、黒金制服の娘は、猛虎と言うよりない勢いで双剣を振るう。触れるものすべてを瞬時に霧散させる、鮮烈なる技。


シャルロッテは中央に開いた間隙を駆け抜けた。前後左右で途切れることなく飛び交う聖剣と悪針に対して自分が糸になったような。奇跡的な隙間を縫い続ける。全身のバネを撓らせ、妖精みたく踊り抜ける。


「な……!!?」


「ごめんねー!オズ君の自己中な魔法に慣れちゃったせいかあんたの奇術なんて全然余裕に感じるわ!」


初めて演技でない驚愕を魅せたラムダにシャルロッテが笑う。


一対一なら、ラムダの針の嵐をそう容易く突破できるとは思えなかった。しかし、後衛のオズの存在を、彼の魔法剣の速度に同期するうちに、シャルロッテは“自分以外の動きがどんどん遅くなっていくのを感じていた”。


いや、自分の神経が加速されているのか。オズも思う。


この数瞬のやり取りで、二人が一体になっていると感じた。直結した神経を魔力が青白い尾を引いて流れていく。


「おいおい、なんて運動神経だよカノジョ!」


「彼の魔術もすごく繊細で……でも力強いむっほ!」


零組から太田、マスターが感服する言葉を漏らす。


「ぐっ……!!」


ラムダは咄嗟に、予備で仕込んでいた糸を引いて骸の肉壁を引き寄せ防御に移る。怨嗟の唸りを上げながら最後の人形の群れがシャルロッテを阻止しようとした。


 ちらりとシャルロッテは、唇の動きだけで言った。


「オズ君!援護お願い!」


「ああ!」


重なる想い。同じく視線で応え、オズが魔道の環を限界まで身に宿す。今なら見なくても、お互いの動きが解る。


「“灰被り姫の矜持ノーブルセレスティア”!!!」


オズの零光剣が黒い閃光のようにラムダに突進する、と同時にシャルロッテは本能的に自分の二剣を振りかぶり、ラムダの懐で、


「やあああぁ―――!!!」


湿地帯全体を奮わせるような咆哮とともに、シャルロッテから恐るべきスピードで右手の剣と左手の剣を交互に撃ち出された。さらに、周囲で乱舞するオズの零光剣が、吸い寄せられるように右上から斬り下ろす。左下から斬り上げる。


輝く二対の剣と、耀く魔道の剣は、徐々に角度を変えながら数十連に及ぶ超高速の斬撃を描き出す。息もつかせぬ竜巻のような攻撃に巻き込まれたラムダを守らんとする生屍たちの体が、一斉に周囲に散った。


「ッ……がァ!!」


吹き荒れる風虎の刃は確実なダメージを本体に与えた。ラムダは脳神経が灼きつくかと思うほどの衝撃に揺れ、鮮血を吐き出し、重い音を立てて地面に転がった。


辺りを紅に彩ってた彼岸花の一帯が、共鳴して揺れ靡いた。

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