2-21節「六道一家《餓鬼》ラムダ」

玄武の悠久の大地を覆う遥か彼方に屹立する無数の断崖や峡谷の底に位置する湿原。その大きさは最早《地下世界》と呼ぶべきもので河川や湖沼を含めて相当の面積を有している。


多様な生物の生育、生息場所や利用環境としても重要なこの地は現在、恐るべき異界の使徒ネメシスが支配する闇と水が混濁する世界になっていた。その名も《ユハンラ》。



「…………だぁぁ!錬金術士共もわざわざクッソ暑いとこを潜伏拠点にしやがったもんだぜこんちくしょう!」


厚手のマントの襟元を開きながら、荒井がパワフルにぼやく。


「かなり蒸れますね……。玄武のこの辺りは熱帯ですし、植物郡落マングローブの生態系にも何か関係があるのかもしれません……ふぅ」


シエラは滴る汗で黒髪が僅かに濡れるのを気にしながら、周辺の森林を形成する常緑の高木を見渡して物静かに言う。


生態系―――生態学における生物群集やそれらを取り巻く環境をまとめたそれはデリス大陸においても長年、時代とともに在り続けたものだ。人類や獣、魔物に飛竜族、更には召喚獣。何よりは3ヶ月前にこの世界に突如顕れた「ネクサスウィスプ」こそが最も大きな変化であろう。


そういえば昨日の夕刻、このユハンラの浅瀬の方で出会った例の教授、燐導ヒューゴと名乗られた彼も学術大学で学徒を教えながら、自主的にフィールドワークに繰り出しては地殻や生物等を研究しているとのことだったな、と辻本は先頭を歩きながら思い返す。


「しっかし……《ロストゼロ》、いいコたちじゃん」


ふと、陽気なテンションで真後ろから太田の声が聴こえた。


「特務部隊なんて聞くと戦術特化クラスだった俺らも妙に意識しちまうがな。どいつも個性派揃いって感じだったぜ」


「あの羅刹のメアちゃんまで生徒でいるってのは、いまだに信じられないけどねぇ……」


荒井とマスターがそれぞれ率直な感想を口にすると、辻本は、あはは、と乾いた微笑みを返す。


「俺も赴任初日の顔合わせで再会した時は心臓が飛び出るくらい驚いたよ。彼女を機関に送り込んだマナさんも人が悪いというか……まぁ実際、かなりメアラミスの存在には助けられているから文句も言えないんだけどな」


辻本の言葉に元組織エージェントのシエラも小さく笑って、さらにマスターが辻本を気遣い窺うように、


「僕たちはほぼ全員が朱雀人だったけどロストゼロは出身もバラバラみたいだから気苦労も絶えないんじゃ?荒井くんが言うように皆かなり濃そうな子たちだったし」


傍らにいる零組の旧友たちから、辻本はロストゼロの部下たちに思いを馳せて、確信めいた口調で言葉を言い募った。


「ああ、正直まだまだこれからさ。でもそんな垣根を越えた、規格外の集まりだからこそ拓ける“道”はきっとあるはずだと俺は信じてる―――」




「ふむぐ!!」


長い落下の末、情けない悲鳴を発しながら夜々は墜落した。くぐもって響いた声の理由は、最初に地面に接したのが足ではなく顔面だったため。トレジャーハンターが深い草むらに顔を突っ込んだ姿勢で数秒停止していると、


「っ……」


ロストゼロの候補生5名、まずオズ、そしてメアラミスとアーシャがすたっと着地した。その後、朔夜と玲がそれぞれ仲間の手を借りてなんとか安定した地面に靴をつける。


「……これが!」


思わずオズの口から短い声が漏れた。


途方もない深い谷頭の境目を抜けた山滝部下層、そこには巨大な泉がぽんやりとした燐光で包まれていた、まさに秘境と呼べるセカイが広がっていた。


『息吹の泉』。沸き上がる水を求める小鳥たちの歌が響く。


「はい!《水霊》のセシリアという古代の女の子が争いの絶えない人々へ恵みとして与えた聖なる雨、それが歳月を経てこのような泉になった、なんて逸話まであるみたいっすよ!ちゃんとご本で勉強したんです!」


「ふふ、夜々は賢いのだな」


ぴょんと立ち上がる少女を褒めたアーシャが視線を泉に移す。


「早速持ってきたボトルに汲んじゃいましょう!メアラミスさん、お手伝いしてくれますか?」


「ん。……冷たくてキレイ……」


涙滴型にカットされた無色透明の容器を取り出した玲、メアラミスも興味に惹かれるよう横で腰を屈める。宝石のように綺麗で、どくんどくんと瞬いているようにさえ感じられる、清廉な自然の湧水をちいさな両手ですくいとった。


朱雀女子2人の作業を見守りながら、オズは仄かな温もりを感じた。


これでシャルロッテが―――。


それを意識しただけで、目頭が熱くなってくる。


オズの立ち竦む様子に朔夜がニッと頬を動かすと、


「やったね、オズくん!」


「ああ、すぐにコーネリアの病院に向かおう」


ごつんと拳を打ち付けあう、それは演習で芽生えたロストゼロの絆を確信した瞬間だった。




同時刻―――四聖秩序機関の演習拠点では。


「なぁに!ロストゼロがいなくなっただと!?」


禿頭の巨漢が顔を上げ、報告された内容を復唱した。一応、他の候補生達に動揺を与えないためと考慮してインビジブル六号車「スタッフルーム」に集まっての職員会議だが、今の副所長の怒鳴りはおそらく外にまで響いたであろう。


「すみません、僕が目を離した隙に……」


「ぐっ!まさか零組を追いかけて……クラウディアの殺人鬼にやられたシャルロッテの意趣返しでもするつもりか!」


頭を下げる月光の前で、顔を強張らせながら言うモーガン。


(朔夜くん達が彼らを……)


「それは心配だな、あのアーシャまでがそのような無謀を……いや、


胸を抑えるカグヤのとなりでイシスがぽそりと、何か意味深な心境で呟く。だがその複雑な洞察すら掻き消してしまう程の声量で、


「ええい、こうなってはやむを得ん!全員で湿地帯に向かう!ただちに全候補生を集合させろ!まったく……どこまでも手のかかる……!」


間髪入れず決断を下した機関副所長。分厚い眉丘を皺を寄せて厳つい口元のさまに、思わずツボってしまったヴェナが艶然と笑い視線を集める。


「あっはは!まあそない鬼みたいな形相ならんでも!しかしその決断力のスピードは流石白虎憲兵の佐官殿や。やったらトライエッジの指揮は一旦モーガンさんに任せて、私は先行してもよろしいやろか?」


組んだ両腕を解し、艶麗な眉のアーチで飄々と。


「場合によっては六盾隊の応援要請もしとかんとあかんやろうし都知事との連繋もある。それに特務部隊のあほんだらの捜索も土地勘のある私が適任やしね」


ヴェナは華やかに、饒舌に話した。


モーガンや他の指揮官は“現地の英雄”の提案に頷きで応えた。




***




彼岸花の咲き乱れる開けた最奥の有様は、まるでお伽噺に登場しそうな空間だった。


だが、そこに待ち受けていた二名の存在によって、その幻想的世界は瞬く間に血染めの「死地」へと変貌する。


「まさか直接乗り込んでくるとはなァ」


蠍型の醜男がニチャりと舌舐りして、零組と対峙した。


「フフフ、虎穴に入らずんば虎子を得ずといったところでショウか?本命アンセリオンでなく別の客人が来てしまった事に私は動揺を隠せないデスが!ええ、これは実に、実に実に奇妙なコトだ!」


隣でケタケタと嗤う悪魔の哄笑が、赫いセカイに反響する。


華奢で、優雅で、美しい、しかし冷徹で狂気の少年。


(なんだこのガキは……道化師ピエロみてぇだが……)


ぞわりと背筋が凍る感覚に苛まれる荒井が、瞳を逸らさずに敵を睨めつけた。その視線にすら興奮を覚えるよう、少年は歯を剥き出しにして嗤い続ける。


辻本は居場所を突き止めた方法は企業秘密と断ってから、機関制服の白コート、その左腕側の《四聖校章》が見えるようにして、あくまで冷静沈着に言葉を紡ぐ。


「―――初めましてだな。昨日は部下達が世話になったみたいだが……《四聖秩序機関コスモスールフェイン》所属、ロストゼロ指揮官の辻本ダイキだ」


「んで、俺らは協力者って立場の朱雀零組なっ!よろしくしたくねーけどよろしく」


太田が冗談混じりに本音をぶつけるも、少年はいっそう愉しげに両手を広げて、


「やァやァこれはご丁寧に、なるほど昨日教会にいたボーイズ&ガールズの上官様と、その愉快な仲間たちでしたか!」


「ボクの名は幽谷狂善、与えられた権能は《ラムダ》!そして彼はワタシの配下のヴェルカースド《クシー》くんさ!」


ラムダは深々と一礼する。クシーと呼ばれた男は方頬を吊り上げた笑みで、臀部から不気味に伸びる蠍尾の尖端をぺろりと、啜るよう舐め始める。


「ぐへへェ……あの小生意気な金髪の娘はもう死んだか?なにせ俺の毒液を背中からこれでもかァって程に注入してやったからな、よがり狂ってたろォ……!!?」


言ってクシーはそろりと、この場で唯一の少女、零組シエラの顔に向かって尾尖を伸ばす。


「次はそこのカワイコちゃん、俺色に染めてやるよォどこを弄られ挿れられたい?なァに優しく開発してやるさ……!」


シエラは蠍男の視姦に不愉快そうに唇を歪めると、軽蔑と嫌悪を込め吐き捨てるように返した。


「……心に決めた方がいますので、間に合ってます」


「へへっ、シエラちゃんに手出すと危ないぜ~」


「お前みたいな変態、火傷程度じゃすまないむほね!」


太田とマスターの言葉にクシーはチッと舌打ちする、そのやり取りにまたラムダは凶笑を浮かべた。


「ザーンネン彼氏持ち!しっかしクシーくんはホントモテないねえ可哀想なくらいだ。錬金術士としては優秀だけどオトコとしては不良なんじゃない?せめてその歪みきった性癖はいい加減直した方がいいと思うヨ♡」


「まあボクも人のこといえた趣味はしてないけど……ネ!」


「ハッまったくだぜ。あのシスターを磔にして針でぶすぶすと犯してた時のお前さんはどうみても奇人だったろォに!」


クククケケケケ……。


若い娘の恥辱と恐怖に狂いにたにた笑うクシーと、純粋に狂気の世界に浸るラムダ。現実感を損なう二人の狂笑が重なる空間に、辻本が真っ直ぐな太刀を差し込んだ。


「もはや問答は無用―――小細工もいらない。あんた達をこの場で拘束する!」


零組の《先導者》の一声で、それぞれが得物を身構える。


「おうよ!テメェら狂った殺人鬼は、とっととお縄につくのがデリスのためだ!」


「この明らかに異常なリコリスの繁殖に関しても、きちんと話してもらうむほ……!」


切られた啖呵に荒井とマスターが続くと、


「いいでショウ!最高の舞台でイッツ、ショータイム!!」


ラムダの指鳴らしフィンガースナップを合図に、零組とクラウディアの死闘が幕を開けた。


クラウディアの装束であろう白を基調とした法衣を揺らす二者は、錬金武具の「杭針」と「蠍尾」で待ち構える。対して零組はあらかじめ突入前に、辻本を中心に綿密に練り込んだ戦術を基本にして、先手を取った。


彼岸花の海が囲う広間を疾駆する荒井とシエラ。目配せでタイミングを示し合わせると、錬金術士の狂人ペアに向けて同時に攻撃を仕掛ける。


「そらよぉ!鷹団お手製“爆裂癇癪玉”!!」


「“黒蝶煉弾パピヨン・レヴォロン”!!」


地上に散蒔ばらまかれた陸兵戦用、パチンコ玉ほどの超小型爆弾二十個。重ねて上空には術者の意思で爆発する異能の黒蝶達が連射召喚され、ひらりゆらりと飛び回る。


刹那、天と地の爆挟撃―――ドカン!と膨大なエネルギーが連鎖を起こして、低い音で弾けるように響く。


「ヒュー!いきなり容赦ないなぁ、手慣れてるよね絶対」


ラムダは咄嗟に、爆風の合間を縫うように大きく背後に跳躍、緑髪を靡かせ、造りもののよう端麗な顔から、愉しむ声を漏らす。


一方のクシーは回避動作すら取らずに、爆散の中心部にあえて残ると、双眸からは蔑むような、口許は大きく歪んだ。


「ぐっへへ!大した威力だがこのレベルじゃ俺の体を覆う装甲や蠍尾にゃキズひとつ付かねえぞ?火傷どころか蚊に刺されたぐれぇの愛撫な刺激だぜェ!」


シエラは一瞬男の顔を見ると、汚らわしいものを見るようすぐに視線を逸らせた。その先には、


「だったらこいつはどうだい?」


左手から、ありったけの力で握り締めた妖刀を太田が揺らぎの斬撃を振るう。遠方ではマスターが右手を突き出す。スペルワードの詠唱から発動した幻魔法によって、クシーの傍らに着地したラムダの動きを常に牽制していた。


結果としてクシーとラムダは零組の連携によって、十数Mくらいの距離を離され孤立、その過程で消耗させられる。


「コイツらァ……(昨日のガキどもとは違うってか……!)」


「素晴らしいコンビネーション、やりますネェ……おや?」


魔幻の追撃を振り切ったラムダ、その余裕の笑みは崩さず冷静に戦況を視た。そして直感する。


ただ闇雲にツーマンセルで挟み撃ちにした訳ではなく、に絞られていた事を。


数瞬遅れてクシー本人が反応する。


「しまッ」


「―――取った!!」


裂帛の気合とともに辻本、クシーの背後を滑り、ずだん!と右足を踏み鳴らすと、凄まじい火炎の闘気を込めた太刀を素早く振り切った。


ガチン!! 冴え渡る天紅の太刀と強靭な錬金術の蠍尾が、鋭角な弧を描いて激突する。光塵を散らすなか視線を合わせた両者、クシーはお前の急襲は防ぎきったぞとばかりに口許が歪むもすぐに驚愕の表情に変化した。


「…………!?馬鹿なッ!!なんだそれはァ!?」


絶句する理由、それは、幾重にも加工した鋼鉄製の尾に亀裂が入ったためである。錬金術士としての自慢の「肉体」が今、まさに破られようとしている事実に、クシーは狼狽し喚きだす。


対して辻本、津波のような剣圧を与え続け、


「悪いな、俺の太刀は魔女の加護を帯びた特注品でね」


「それにあんたは“大事な部下シャルロッテの件”で全身全霊を持って叩き潰すと決めていたんだ」


止めろ。その言葉が発せられるよりも先に、


「断!!!」


一刀両断、辻本はずしんと一歩踏み出すと同時に、紅い光に包まれた剣を、蠍男の尾に横薙ぎに叩きつけた。空気を断ち割る唸り、辺りの彼岸花を揺るがす震動、それは間違いなくかつて零組が見た中でも最大級の威力を秘めた斬撃だった。


血飛沫の宙をぐるりと毒針ごと尾節が高く飛んで、濃い紅の彼方へと消えていった。ぼとりと澄んだ落下音が響いた。


容赦のない一撃も当然の報いだと零組は尾を切断された男の方へと視線を向けると。


「あべべべべぇぇェ!!!俺の尻尾が……痛でぇ!!痛でぇぇえよ!!ヤりやがったなクソがぁ……クソガキがァ!!」


身を捩りながら、クシーが軋る声を吐いていた。


「まさか……尻尾にも神経系が繋がっていたの……?」


金属を引き裂くような絶叫を続ける男の様子にマスター。


その推察は正しかった。


擬似的な電気信号ではあるが、女体に尾尖を挿した時の感触をリアルに味わいたいという動機で、クシーは錬金の途中に感覚神経まで通していたのだ。それゆえに、純粋な痛みが今クシーを襲っているのだろう。


「グボォォ……ラムダ、すまねぇが修復に入るぞ!クソォ……絶対にボロボロにしてやる、お前の仲間や家族、お前に関わったオンナ全員だ!覚悟しとけェ……!!」


蠍男は憎悪に満ち溢れ歪んだ顔で呻く。無骨に剥け落ちる鍍金をずるりと引きずり、数十Mほど戦域から離脱した。それでもなお遠くから限界まで目を見開き、口をぱくぱくと閉口しながら謗言を放ち続けている。


その醜態は、一行に嫌悪しか与えなかったため、耳障りな絶叫から体の方向を美男子にへと構えを直す。


「……さて、これで予定通り厄介な毒使いをまず制圧できましたね。残るはあの少年ひとりです……」  


シエラの透明な声が辻本たちの耳元で揺れる。


未だ底知れぬ「狂気」を宿す緑の少年―――幽谷狂善は零組には目もくれず、針金のよう華奢な体を折り腹を抱えて哄笑していた。


「アッハハぁ!クシーくーん油断しすぎだよー。死にかけの羽虫みたくのたうち回る格好が最高に面白かったから許してあげるけどね」


「ククッ、アヒャヒャヒャヒャ……!!」


優美な眉の曲線を歪め、笑顔の道化師が毒々しく嗤う。


「へっ!がやられてピンチのくせにヘラヘラしてんなよ!」


荒井の言い放った言葉で、ラムダは今まで向けなかった顔を此方にようやく寄せた。三日月に似て嘲笑う口に籠った一言を、ポツリと答える。


「………………、ねえ」


「―――?んだよ、なに言って」


荒井がほんのわずかに眉を顰め、



ラムダの言葉とその悪意に、彼らは愕然と凍りついた。まだ春の季節にも拘わらず凍える刃の腹を頬に押し当てられたような肌寒さを感じさせた。


舌で緑に輝く「紋章」は湿った熱気を凍結させる。


「でも思ってたよりは愉しませてくれる。アンセリオンじゃなくても出来そうだ……」


じわりと距離を詰めたラムダは白い両手を振り上げた。一体どんな能力があるかも分からない手。


「レディース&ジェントルメーン!!」


突如、嬉々とした発声で、司会者めいた口上を叫ぶ。


「さあさあお出でませ―――!此度の「実験ショー」を盛り上げるよ!」


始まるのは幾度となく玄武の地で繰り広げた殺人劇。優勢だったと思われた零組が一瞬にして立場を逆転させられる、狂気の舞台が幕を開けた。




一方その頃、コーネリア市の大学病院304号室。


泉の水約2リットルを採取したロストゼロと夜々は、シャルロッテの眠る個室にいた。


「……治らない!?なぜです!?」


オズに襟元を掴まれた担当医、この病院の院長『セラフィ・ロキ』は困惑しながらも再度、突如押し掛けてきた若者達に説明を始める。


「じゃから……そのような天然水だけ持ってこられても調合法や成分表、摂取量が解らなければなんとも出来ませんわい。患者の病態をこれ以上悪化させるわけにもいかん、もっと精密な検査と分析をして……」


齢50を過ぎた高年の院長が必死に、論理的に嗜める。オズの興奮状態は瞳孔の拡大や呼吸の乱れなどで明らかであり、流石にこれ以上は恐喝になるとアーシャが客観的評価を下し、


「すこし落ち着くのだオズ。病院で騒ぐのはいけない、それに先生の仰有っていることも当然であろう」


「だが!そんな猶予は無い!もう……これしかッ!」


オズは文字通り縋るようにロキ院長に詰め寄る。意地になった子どもみたいな叫びに一同は黙り込んでしまうと、廊下からひとりの女性がカッカッと下駄の音を鳴らして。


「候補生女子の間では知性派の美男子イケメンで通ってるあんたらしくない、えらい短絡的で直情的なさまやなぁーオズ・クロイツ君。でもどんな理由があってもお医者様に暴力はあかんやろ?」


病室の扉を横に滑らせ開けたのはヴェナ。すたすたとオズまで接近すると、ひとまず謝罪を促す目配せをした。


「ヴェナ指揮官…………すみませんでした」


青髪を揺らしお詫びしたオズに、院長は丁寧に丸く収める。そして改めて予想よりも早かった自分達の捕捉にロストゼロ一同はそれぞれが言葉を漏らす。


「もう私たちの居場所を突き止めたなんて……」


「あわわぁ、絶対モーガン副所長に怒鳴られるー!!」


対応の迅速さに驚く玲と後悔極まれりな朔夜、しかしベッドの横の椅子ではメアラミスが脚をぷらぷらとして、


「なんかウチらが外に出た時に妙な感触があったのは、やっぱヴェナの仕業だったんだ……?」


翳りのある瞳を浮かべるメアラミスは、それだけ言った。


「気付いてて堂々の違反かいな……まあええわ、ここ来たのは私だけやさかい、ってもこの落ち込みムードからしてお説教は後回しやねぇ」


ヴェナが暗い雰囲気の生徒らを気遣い、ある程度現状は察したところで改めて。


「あんたらの事は辻本くん含めてそれなりに。訓練バックレてなにしてたんか、はよ説明してみ」



これまでの経緯を纏めて話すと後、とりあえずヴェナは機関の身分を院長に証明した。そしてベッドで眠り続けているシャルロッテを見つめながら、


「……なるほど、セシリアか……。で、あんたが昨日の特務活動の報告書にあったトレジャーハンター、うちの候補生を唆した罰は覚悟してもらおか?」


「ひぃぃ!!ど、どうか命だけは!!……ぐすっ」


ヴェナの暗黒微笑の圧力に耐えきれず夜々、半泣きで命乞いをしながらアーシャの背中にしゅんと隠れてしまう。当然冗談なのだが、ヴェナは想定以上のリアクションが返ってきた事に機嫌を良くしてくくっと悪戯に笑った。


一同和んだところにちょうど合わさって、ドアの開いた音が聞こえた。と共に撓垂しなだれ掛かるような媚声が響く。


「お邪魔しまぁ~す。ウフ、昨日振りですねヴェナ様、それに機関の子たちもぉ♡あ、院長さん、回診終わりましたぁ」


看護師ナース白衣のコスプレ……ではなく正式に貸与された制服で入ってきた玄武六盾隊のスピカ・メロハート。妙にはだけて露出した胸の谷間とかなり際どいミニスカだったため、


「スピカ……!?あんた、ほんま神出鬼没やなぁ。あとそのアホみたいに育ったデカ乳を曝して病院内歩きな、男の患者が興奮して逝ってもうたら軍人クビやで……?」


上司のツッコミにスピカは、てへっ☆と誤魔化した。


聞くとスピカはたまに正規軍の職務の合間に病院の手伝いも行っているようで、今日は偶然、上階で入院中のフィーナ・クロイツ、オズの実姉であり教会襲撃で心身ともに深傷を負った彼女のアフターケアに訪れていたらしい。


「姉さんを……ありがとうございます、スピカ少佐」


オズは姉の代わりに軽く感謝を述べた。


「全然いいのよーん、教会は古巣でもあるしシスターフィーナが快復に向かってくれてホント良かったわぁ」


「それに……こっちの娘も心配だったから。フフ、昨日のちょうど今頃にスペンサー邸で皆と会ったのよねぇ、いきなり訪ねてきたお姉さんのことを「めっちゃやらしい」と褒めてくれたイイ子だったもの。何とか救ってあげたいけど。」


その言葉に、ロストゼロは遠い日を思い出すよう目を閉じた。


褒めていたのかは分からないが、最後の一文だけが、ふざけた語尾上がりの言葉遣いとは違って、スピカの信条のようなモノを感じられた。


反面。「けど」で締め括られた言葉に、医療と戦場、両方に携わる彼女でさえも厳しいくらい複雑怪奇な呪いなのかと、不本意に再確認させられてしまう。


「………………いや」


「いけるかもしれん」


閃いた口調でヴェナ。洒落や冗談ではなく本気の声だった。


それを聞き取ったオズたちが息を呑む。


「なんの因果か今ここには私とスピカ、そんであんたらが頑張って採ってきたセシリアの霊水が揃っとる」


「それは……あっ!」


言いかけて、スピカは何かに気づいたようだ。気遣わしそうに眉を寄せるロキ院長に、


「センセ?そういう事なので準備をよ・ろ・し・くぅ♡」




***




幽谷のショーの始まりからすぐ、異変が現れるのが見えた。白く輝く精緻な窓が一つ錬成され、「何か」を産み出した。瞬く間に光は零組の眼前で人間の形を取り、滴り落ちるかのように投下される。


蛹から羽化する蟲のよう手足を広げる「何か」は、


「オナカ……スイタヨ……」「ァァ……ハヤクオウチニ……カエラナキャ……」「サムスハ……ヤレルオトコダ……」「イタイ……クルシイ……タスケテ……コロシテ……」


錬金術により造られたラムダの眷属。今までの猟奇事件の犠牲者たちの死体剥製が繰り出され、ツボを針で刺激され、ゾンビのように動かされていた。


その肉塊の数は三十六。


原型を留めきれない幾つかの個体は、皮膚がぼとりと焼け落ちる。その光景に思わず、ひっと声を上げて慄くシエラに、


「イヒャヒャヒャ!どうだい滑稽で甘美だろう?死者の錬成、これこそがボクの能力の真骨頂!《精神狂傀インサニティ・プレータ》!」


凶笑には背筋を悪寒が走り抜けるほど禍々しい凶相を浮かべるラムダ。


「錬金素材はズバリ、指ィ!!あ、でも人肉って全然美味しくないよね、噛むとブチブチとするだけで、ハハッ。なんかオススメの調味料ある?」


言って、掌から死者たちの「指」が泡のよう湧き出た。爪を千切られた薬指、肉を咀嚼された中指、呪いで壊死した小指がばらばらと冷たい血の海に落ちる。


「っ……なんて酷い!」


生屍リビングデッドとはイカれてやがるぜ……テメェには人の心ってもんがねえのかこのサイコ野郎が!」


「あのクシーより遥かに高い錬金術と、逸脱した精神の持ち主みたいだなっ……!」


常人には理解できない狂気に青ざめる。


だがラムダは、ただ赤い視線を向けて、


「さあさとくとご堪能アレ!ボクの造ったオモチャは死なない!花咲き誇る《舞台ステージ》のなか永劫に続くは死者と生者の織り成す究極のエンターテイメント!」


「ウゥゥゥゥ……!!!」「……ォォォォオ!!!」


数十の眼球が零組を睨み付け、骸は咆哮する。


「幽谷狂善……いいやラムダ、一体お前は「何」なんだ……!?なにが目的でこんな非道なことを―――!!」


辻本は突き刺すように言った、まるで、触れればそれだけで炎が燃え上がりそうな怒気が全身を包んでいる。


それでも、ラムダは三日月の瞳に紅い狂熱を宿したまま、暗黒を吐き出して嗤い続けた。



幽谷狂善は六道一家『餓鬼道』―――ラムダ。


あぁ、ボクの世界は常に餓える。


あぁ、ワタシの世界は常に渇く。


ならばいっそ永遠に満たされることのない渇望の中を生きて、足掻いて、苦しんで、刹那の喜びと快楽に狂うとしようか。



邪気や恐怖、憤怒が辺りの彼岸花に吸われる。


零組は、唸りを上げ飛び掛かってきた元人間の「悪鬼」どもの雪崩のような狂撃とぶつかった。迫り来る緊迫の死闘に体をそらして恍惚の表情のラムダ。


「アへへへ!クカカカ!デヒャヒャヒャヒャヒャ!!」


「あァ、この世界を潤せるのは……笑顔なんだ。」

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