2-17節「託された誇り」


錆び付けば、二度と輝きを取り戻せず


掴み損なえば、我が身を切り裂く


誇りとは、鋭利な刃物そのものだ。



「誇り」という言葉が大嫌いだった―――。


自らそれを名誉とする感情に対して、僕自身酷くコンプレックスがあるためだ。


自分の事が嫌い、でも幸せです。


こんな人はいないだろう。


毎日を過ごす上で、自分を誇ること、自分を好きでいることが大切なのは判る。だが、どんなに金や地位があっても幸せになれない人は大勢いる。それは信頼関係に基づく人間同士の繋がりを築けずにいたり、僕のように他者を拒絶し、また根本の部分では自分さえも受け入れていないからである。


自分に、自信がないから。


「クロイツ」という魔術名門に生まれながら家系が滅びる運命を止める事も出来ず、全てを失ってしまったこの僕に、誇れるべき部分なんてあるはずがない。


だからこそ、プライドの高い白虎人を見るだけで虫酸が走る。


嫌悪感が身を包み、劣等感が心を苛む。


笑顔の絶えない人が嫌いだ。


(どうよ!これが白虎の誇り!)


いつも前向きな人が嫌いだ。


(どんまいオズ君、次はもうちょっと上手くやろう!)


自分の今に充実感を持っている人が嫌いだ。


(…………これがあたしの誇り…………どうだ、参ったか…………。)



―――シャルロッテ。君はまた僕を貶め、「刃物」で僕を傷つけるのか?




 オズが目を覚ますと、そこは病室だった。


四聖秩序機関が運用する大型特殊列車、魔術亜空間潜航特殊車両インビジブルの六号車にある医務専用ルームだ。


麻酔が効いているせいか、唇の辺りにおかしな感触を感じながらも、オズは目だけを動かして周囲を見回した。どうやら今は夜らしい。


制服のままな所を見ると、まだここ、演習地の列車に運ばれてからそれほど時間は経過していないはず。


「あ、起きた」


突如、ベッドの横の椅子にひっそりと座っていた少女が囁く。


「なっ!?」


オズは思わず飛び上がりそうになったが、麻酔の効いた体はピクリとも動かなかった。メアラミスの肩には包帯が巻かれていたが、どうやら体調は悪くはないようで、むしろあれだけ激しい戦闘を行った直後なのに、顔色は平静だった事に驚く。


一方の自分はというと。


「ぐッ……」


ズキン、と頭が割れるような痛み。体を流れる魔力が脳波や電気信号、心臓の動きに連動して全身を駆け巡る。枯渇した魔力はそれでも足らず、オズの神経を根こそぎ焼くよう激痛で訴えかける。


「……ここまで消費していたとは。姉が襲われ怒りに呑まれた僕は零光剣に魔力を注ぎすぎてしまい、そのまま意識を失っていたのか…………」


「うん。獣みたいだったよ、キミ」


メアラミスの言葉に俯き、掌を睨むオズ。ほどなくして、弱い冷房の音だけが響き渡っていた静寂の病室に足音がぞろぞろと近付いて来た。


「オズ!」


「目が醒めたんですね……!」


「よかった~、あ、まだ寝てたままでいいから!」


「うむ、メアラミスもまだ起きて間もないのだ、あまり無理に身体を動かすでないぞ」


辻本ダイキ指揮官を先頭に、ロストゼロの部隊で同じ候補生の雨月玲、朔夜。そして最年長アーシャの気遣いには最年少メアラミスもコクりと頷いた。


続けて別部隊のヴェナ特別顧問、最後にモーガン副所長も診療室に入ってくる。


「オズ・クロイツ、話はロストゼロやツインズオウルの先遣隊から聞いた。貴様の周囲を顧みない自己中心的な行動についての懲罰は後にする。まずは状況確認だ」


「寝覚めやさかい最初にええ報告から。あんたのお姉さん、今はコーネリア市内の病院で寝てはるよ。命に別状は無いそうやから安心しいや」


普段にも増して強面なモーガンから、それを調和するようにヴェナが穏やかな声質でオズを安堵させる。


「……そうですか……それで…………」


言い淀むオズの視線は病室のカーテンで仕切られたベッドで眠る人影に。


「どうして……こんなことに……」


玲はそっと眠る少女、シャルロッテに呼びかけた。


オズも身体を無理に起こしてジェルベッドの主の下に近付く。何度か素早く瞬きをしてから、両手を制服のズボンの横に揃え、彼女の変わり果てた姿を瞳に焼きつける。


医療機器と接続するシャルロッテのステータスを表すモニターの青い波は、忙しく明滅を繰り返している。


白いベッドの四方に豊かに流れる金色の髪、肌の色は透き通るように白いが、丁寧なケアのせいか病的な色合いはそれほど感じない。ごく薄くルージュの引かれた唇に、長い睫毛。今にもそれが震え、ぱちりと開いて飛び上がりそうな気さえする。


オズはかつての病床に伏せた母親をシャルロッテと重ねる。無論容姿も年齢もかなり異なるが、昏睡の間の生気の希薄さ、削いだように薄い身体のラインは、そっくりだ。


「……………………」

 

そしてそれはもともと中性的な印象のあるシャルロッテの横顔に輪をかけて病弱な貴族令嬢、といった陰翳を与えている。普段の底抜けに明るい彼女からは想像も出来ない有り様に。


「…………まるで《眠り姫》だ。君も黙っていれば……それなりに美人なんだな…………」


オズは冗談で、噛み締めるよう、醒めない少女に語りかけた。声は震えていた。


息が詰まる。溢れそうになる涙を必死に堪える。


「シャルロッテ…………」




※※※




四号車の食堂。ざわざわと賑やかな空気は玄武演習中の候補生計150名の憩いの場でもある。また分単位で決められた現在のタイムスケジュールはちょうど夕食の刻。


「くはぁー!まだ玄武生活の初日が終わったばかりだってのにもうくたくただわ。イシス指揮官のサバイバル演習がキツすぎてな」


「それならヴェナ様の防衛戦の訓練も鬼よ?今日だけで十日分くらいの魔力は絞り出したもの!」


大半は男子だけ、女子だけ、また各部隊のチームでテーブルを囲んでいるが、中には同席してにこやかに談笑している者たちもいる。この辺は、普通の高等学校と変わりない。


今夜のメニューは、揚げて香草ソースをかけた白身魚とプチトマトで彩られたサラダ、根菜類のスープ、丸いパン二個。お世辞にも豪華とは言えないが、各国の若者が集う士官学院の一面はあくまで質素に、ゼイタクは駄目なのだ。


「……なぁ、それよりツインズの連中から聞いたんだが」


「ああ、白虎出身のシャルロッテさんの話だろ?」


「演習中に殺人鬼にやられたって……ロストゼロの皆も心配ですね」


「いまの玄武……かなりやばいんじゃねえか……?」


聞こえてきた話に、端の方で一緒に食事をとっていたイシスとカグヤ、両指揮官が同時に表情を曇らせる。


やり取りに過剰に反応すれば不安を伝染させるだけだとカグヤは生徒達に背を向けたままひたすらフォークを動かした。隣では、パンをちぎりながらイシスが囁く。


「我々の想像以上に厄介な連中が動いているようだ」


「ええ……なによりシャルロッテちゃんが気がかりです。私の友人にがいますので明朝にでもすぐ連絡をとってみますけれど……」


実際に助かるかどうかは別問題。


カグヤの言葉に脳裏でそう呟きながら、イシスは右手でナイフを持ち上げ、儚げに銀器に映し出した光景を見つめた。


(……なんだ、この胸騒ぎがする……悪しき風は…………)


イシス指揮官の風読みによる鋭い瞳の意味を、トレイを持って後ろを通り過ぎた制服の少年シンがわずかに感じ取っていた。




※※※




深い森に囲われた野営地に停泊する巨大列車。夜空に架かる巨大な月が、それらを水底のよう青く染めている。


梢を透かして見えてくるのは星屑アスタリスクを散りばめた漆黒。地上に生い茂る草むらの一帯から少し離れた高所、僅かながら星や月に近付いた感覚に陥る広場に、オズは独りいた。


(また…………逃げ出してしまったな…………)


オズは眼を閉じてひとりごちた。


シャルロッテは一命は取り留めた。蠍男の尾を背中で受けた傷も見た目ほど酷くは無い。やはり彼女が眠りから醒めない一番の理由は、いまも彼女の体を蝕み、心を病ませる「猛毒」だろう。


オズが目覚める前に済まされていた医者の診察結果では、あと二日程で解毒処置をしないと、蠍の毒は致死性になり、やがてシャルロッテの命を奪ってしまう。


さらに問題なのは、その猛毒に対する明確な血清、解毒薬が無い点であった。あのクシーという男が注射したものは錬金術なる異端の生成法で幾重にも、複雑に調合された毒素。専門家であっても、二日間という時限タイムリミットの中で解毒方法を探るのは至難の業である。最悪の場合、大陸全土にまだ存在しない毒、呪いなのかも知れない。


もし仮にそうなのだとすれば、もはや手の尽くしようが無いではないか。


病室でこの辺りまで会話が進んだところで、オズは落ち込んだ空気に耐えられなくなり、気がつけば外まで飛び出していた。


「……ごめん、シャルロッテ……僕には君を救えない……」


思わず口から短く、悔恨の声が洩れる。


「ここにいたのか、オズ。突然走り去って行くからみんな心配していたぞ?」


「………………」


追いついてきた辻本が声をかけてきたが、オズは強がりな様子で背中を向けたまま。


「―――僕が四聖秩序機関を志望したのは、クロイツ家の長男として為すべき事すら見失い、自棄になったからです。そしてそれはなによりも、白虎人を見返すため……やがてその矛先は何の関係もない、ただ同じ部隊のシャルロッテに向けていた」


ぽつりぽつりと、クロイツ家の事情や経緯について語るオズ。


「ようやく判った気がします……」


「きっと僕は。家族も友人も自分自身の誇りも、全てを奪われた者の…………ただの醜い嫉妬だった……ッ!!」


そんな風に呟くオズの、いつまでも下を向いてばかりの教え子に辻本はおもむろに近づく。そしてオズと真っ向から面し、彼の弱々しい両肩を掴んでやる。手には力を込めた。


「しっかりしろ!オズ・クロイツ!!」


「君は本当にこのままでいいのか!?《ロストゼロ》に、なによりシャルロッテにで君の誇りは納得出来るのか!?」


指揮官の言葉にハッと顔を上げるオズ。だがすぐに蒼灰色の前髪は目許を覆い隠し、怒りを露にした眼で訴えかえす。


「…………知ったような口を利かないで下さい!!偽りの自分に縋るしかなく、クロイツの使命の重圧に耐えきれないちっぽけな僕に比べて貴方は!?」


「《朱雀の英雄》と持て囃され、《混沌》という特異を御せるだけの力もあり、共に苦難の道を乗り越えた仲間も大勢いるのでしょう!さぞご自分が誇らしいでしょうねぇ!!?」


心のメッキが剥がれたオズは、本心からの想いを喪失感に委せて辻本にぶつけた。その後しばし逡巡したあと、今度は頼りなく掠れた声で続ける。


「ただひとりの女の子さえ守れなかった……反対に守って貰うなんて醜態を晒した僕の気持ちが…………貴方に…………」


オズの氷のよう冷たい視線を、辻本は目を逸らさず受け止めるなかで、射し込む月明かりに照らされたオズの頬に、うっすらと光るものがあることに気がつく。


「……はは、これも運命の、いや《ゼロ》の巡り合わせか」


突然、ほろ苦い笑みを溢した辻本に、オズは怪訝な顔をする。


「実はな、俺も二年前の零組時代―――ここ玄武に任務で訪れていた時、まさに今の君と同じような状況になった事がある」


「自分のせいで大切な女の子を傷つけてしまった。更にはその責任から逃れようと勝手に零組を離脱したんだ。仲間にも教官にもお世話になった玄武の人達にも背を向けて。なんなら敵対してた奴にすら失望されたよ、お前は弱いってさ」


「……それは……」


立ち尽くしていると、辻本の自嘲するような声とその表情に胸を衝かれ、直感的にそれが真実であると悟った。


「俺はいつだって迷い続けている。君たちと何ら変わりないくらいに。でもだからこそ俺は、今ここで―――ロストゼロの指揮官として、仲間として。」


「…………」


不意に襲ってきた胸の痛みに耐えかね、オズは固く掌を握り締めた。痛みの理由は判らなかった。しかし、ほとんど自動的に唇が動き、強張った声を押し出していた。


「…………納得できるはずないじゃないですか…………!」


悔恨の刃物が激痛を伴って胸の奥を切り裂く。罪悪感と自己嫌悪に押し潰されそうになりながら、それでも上を向いた。


見上げれば満点の星々、高原地帯ならではの圧倒的なパノマラ。


「ああ。残された猶予は48時間、この演習が終わるまでになんとしてでも解毒法をで探すんだ。オズ、君はもう独りじゃない」


辻本は硬い声で言い募った。みんな、という言葉をやけに強調したのは―――。


「あ…………」


二人きりだった夜空の空間に、ロストゼロの皆が忍び足で接近し遠巻きに見守っていたからである。指揮官の卓越した探知能力により炙り出された少年少女らは照れ笑いながら歩み寄る。


「辻本指揮官の言う通りだとも。そなただけが背負い込む必要はない。これは我ら全員の乗り越えるべき苦難だ」


「あの時の私はなにも出来なかった……でも怖がってばかりじゃ前には進めない、今度こそ皆さんを守ってみせます!」


「最初は針の筵にいた心地だったけど……ボクはここでなら強くなれるかもって思えるんだ。だから一緒に頑張ろうよ、オズくん!」


アーシャ、玲、朔夜の掛けてくれた言葉に、汲み上げる感情を心が馬鹿正直に掬い取り、両眼から透明な雫がこぼそうとするのを、オズは何度も強く瞬きして押し留める。


「オズ、なんで泣いてるの?」


だが、メアラミスにあっさりと指摘されてしまう。オズは向けてくる視線から逃れるように、腕を組んで顔を背けた。


「……バカ言うな、余りにキミ達が青臭いドラマのノリで絆そうとしてきたから、こちらも演技派でリアクションしてやったまでさ……」


最後にぐいっと右腕で両眼を拭い、肩をすくませ嘲る。


しん……としばし静寂が流れた。の間か。


「フッ……普段はうるさくて敵わない彼女の声も、聴こえないとそれはそれで寂しいものだ」


オズの星を見る瞳は、深く広がる暗闇の代わりに、慈しむような穏やかな光に彩られた。


「全てを失う宿命にあるのかもしれないクロイツ。だが、もはやそのような幻想には屈しない。錆びついた運命の歯車を僕が廻すためにも」


「力を借してくれ、みんな!」


瞳が真剣な輝きを帯びる。ロストゼロは一様にして、力強く彼の決意に頷いた。


(君の誇り、今だけは僕が引き受けよう。すぐに熨斗を付けて叩き返してやるからそれまで待っていろ―――シャルロッテ)




 夜闇が世界を包んでいた。遠くの崖上から小さく瞬く簡易演習地の灯りを見下ろして呟いたのは《アンセリオン》の人形『ネロ』。ドミノマスクを装着した銀灰髪の少女は無邪気に、純白のレースグローブに包まれた掌を宙に翳した。


「へぇ。ここが《白妖妃》さんの見つけた機関の末端かー」


「アッハハ、カオスをあげる!!!」


愉しげに響き渡った声の直後、爆発音が炸裂。貨物車から出ていた演習用の魔導機械兵が“何か”のチカラで直撃を食らって、炎上する。


インビジブルの警報とともに鳴り響く駆動音はアンセリオンが独自の技術で生成した数十の自律型兵器の音。ネロが率いる人形部隊が演習地を取り囲んでいたのだ。


玄武演習初日の夜。まだ戦いは終わらない―――。



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