2-16節「禍時の痕」

教会襲撃の数十分前―――。


特務部隊ロストゼロが指揮官と候補生6名に別れて行動を開始したあと、アルビトルの街には機関の演習地から《ツインズオウル》の先遣隊が訪れていた。


「ここがアルビトル……ダイキ達とは入れ違いになったみたいですが」


「ええ、ともかく午後はこの街を拠点にしますわ」


哨戒活動中の小隊を率いる白灰色のコートを羽織る二名、月光とカグヤが後続の部下達十数名とに声をかける。


「玄武軍の情報でこの周辺に例の殺人鬼が……?」


「もし出会ったらどうしよう」


「なーに、そん時はオレが守ってやっから!それに今のオレらにはがいるから無敵ってもんよ!」


ツインズ所属の候補生女子達が不安そうな面持ちで呟くと機関候補生一のお調子者で通っているロナードが、胸を叩きつつ口に出した名前の女性、同行者に視線を送った。


「んもぉん♡私を頼りにしてくれるのはうれしいケド、破廉恥なんて……若い男の子には刺激が強すぎるかしらぁ?」


ぷるん。と揺れる大きな胸を見せつけるようにして、ムンムンの色香でロナードら男子候補生を虜にする《六盾隊》スピカ。コーネリア市でスペンサー知事やペガス大佐、また特務部隊のロストゼロと挨拶を済ませてからすぐに演習地へと足を運んでいた彼女は現在、機関の哨戒班に同行する形で連続殺人鬼の捜索任務中なのである。


「うおおおおお!!!えちえちな女性がいるだけで地獄のようにキツい演習でも乗り越えられるぜ!!!」


「ほんとキモい……」


「うぜーってんだ!」


ロナードの魂の叫びに数名の男子は頷くも女子全員がドン引きの眼差し。うちモナカらギャルグループのひとりがロナードの尻を思いっきり蹴った。その衝撃で勢い余ったロナードは夕空を何気ない仕草で見上げる月光とぶつかってしまう。


「わっと……むぐ……!?」


「あん♡おすけべさん♡」


なんと月光、スピカの白衣のような軍服から開けた胸の谷間に自分の顔面を突っ込む。当然不可抗力なので(+照れてる月光が可愛いという意見すらあり)、大した非難も受けなかった様子を見てロナードは悔しさに満ちた表情で歯を軋ませた。


「なんで……なんでいつもイケメンばっかりラッキースケベに恵まれんだぁぁ!!!」


「こ、こらロナード君!玄武の精鋭の方に無礼ですわよ!」


スピカと比べればやや慎ましめな印象を持たれてしまう自分のバストサイズを意識したカグヤ、何故か顔を真っ赤にして叱りつける。


「カグヤちー、落ち着きなって」


そんな女性上官を、見た目は派手だがクールな性格の候補生モナカが気だるげに宥めた。


すると―――。


「……っ!!?」


東の教会方面から赤い光が、夕焼け一杯に爆発したかのように広がり、中心部分から暗転して消え去った。月光はすぐ、宵闇を閉じ込めたような濃紺な瞳でひたと凝視、声をあげる。


「今の爆発は!!」


「炎系の魔力……それとも火事でしょうか……?!」


動揺しなからもカグヤが冷静に周囲の探知を始めた。うっ、と思わず言葉を詰まらせる候補生たちを安堵させるためか、スピカは艶やかな唇に小さな笑みの形を作る。


「いやぁん……どうやらいきなり私たちの出番のようねぇ」


殺人鬼の魔力を感知、ここにもすぐ警備隊が来るだろう。玄武の治安を維持するため、スピカは緊張の汗でしとどに濡れた頬のまま、機関員たちを連れて教会方面へと急行した。




※※※


  


ユハンラ湿地帯の立入禁止区画。薄ぼんやりと明るい地面はまるで眠らない街の眩いネオンの夜景のようだった。


「なるほど、“学術大学”の教授でしたか。」


人気の絶えた夕暮れの闇で、辻本は隣を歩く男に頷いた。


「ははは、驚かせてしまいすみませんでした。フィールドワークに夢中になりすぎ気がつけば樹海のなか魔物の巣のなか……私の悪い癖です」


紳士な風貌の男の名は『燐導ヒューゴ』。脱いだ帽子から現れたのは揃えられた白髪、左目には眼帯のような金属製の片目鏡モノクルを嵌めている。


身長は百八十センチを越えているだろう。年齢は四十前後といったところだが、大きく盛り上がった肩の筋肉に、加齢による衰えは感じられない。穏やかな声に反して、ただでさえがっちりとした風格は彼が熟練の巡検者であり、また多少の魔物などであれば対応できる術を持っている事は容易に想像がつく。


「実は長い間入院をしていまして。ようやく復帰できた嬉しさから学徒の講義もほどほどに地殻の調査ばかりを」


「あはは……随分と研究熱心なんですね。ネクサスウィスプに関しても調べているとの事でしたが」


辻本の言葉と同時に、茜色に染まりかけた西の空から、強烈な陽射しが降り注ぐ。


「ああ。……


眩しさに細めた目のせいで燐導教授の表情は窺えなかったが、この時の彼の唇から漏れたのは、独り言のような呟きだった。


「…………ぁ」


途端、深い森を抜けた湿原で辻本の瞳に飛び込んでたのは、涙や嗚咽が血の海となったような。一帯に群生する彼岸花だ。


「リコリス……(ペガスさんの報告にあった、つまりここが《ネメシス》の出現した地点……!)」


機関に赴任した初日に一度対峙したからこそ判る、圧倒的なまでの存在感。巨人ともいえる虚体は、荒れ狂う魔力の塊、その全身は目が眩むような闇色の輝きを放ち、その咆哮は世界に終焉をもたらす雷鳴のように大気を震わせる、領域外の使徒ネメシス。


暫く思想に耽る辻本を呼び戻したのは、彼岸花の群れのなかから此方に駆け寄ってきた金髪の青年の陽気な声であった。


「おん?やっぱダイキじゃねえか!」


「……太田!どうしてここに……!?」


『太田』―――辻本や先程まで行動を共にしていた黒蝶使いの少女シエラと同じく元朱雀零組の一員。


いつも笑顔でポジティブ思考のお調子者、ナンパな性格で軽い言動が目立つが、気さくで面倒見がよく、個性派揃いの零組をフォローしていた。また使用武器は辻本同様に「刀」であり、生粋の剣術マニアでもある。


卒業後は大陸各地で武者修行をしていると聞いていたが……。


「そりゃこっちのセリフだ!ってもお前さんが例の機関の仕事で玄武に来るのは前々から知らされてたからよ、急遽集まれそうな零組のメンツで動いてたんだ。」


太田は呆れた笑みを溢しながら簡易的に経緯を話した。辻本もどうやら自分の把握していないところで旧友たちが動いてくれている事に頼もしさを感じつつも、それならもっと早く情報共有してくれとも思い、少し拗ねた表情で。


「……大方、マナさん辺りから聞いたんだな?俺もついさっきシエラとは会ったよ」


「正解っ!あの魔女の姉ちゃんもすっかり垢が抜けたっていうか……てかそちらさんは?」


話しながら、太田は視線を辻本の隣の男性に移した。しかし燐導は真剣な眼差しで空を見ている。もしかすると若者二人の再会を喜ぶ話も耳には届いていないのではないかというくらいに集中した瞳を細め、ぼそりと呟いた。


「……外が騒がしい気が…………レグルスの星の方向です」


教授が東を指差す。その瞬間、まるで湿地帯に張られていた結界が解除されたように、これまで一切感じられなかった気配が悪寒とともに辻本に流れ込んだ。


「……ぐっ!!?」


左胸の心臓が鼓動する。「彼」を通じて視えたのは炎に包まれた教会の礼拝堂。そして、背中を刺され血染めのシャルロッテと彼女を抱き留める満身創痍のオズの光景。メアラミスも倒れているようだった。


―――今のは、まさか……ロストゼロの皆は……!!!


灼熱の閃光が視界を埋め尽くすも、辻本は直感的に部下たちの危機に脚が動く。腕が動く。喉が震え、骨が軋み、血が遡る。動揺と様々な感情が入り乱れ辻本を駆動させた。


「ちょ、おいダイキっ!」


太田の静止の言葉さえも振り切って、辻本はアルビトル教会を目指して湿地帯の入口へと全速力で戻るのであった。




―――適合率、28%―――




月光とカグヤ、両指揮官が率いるツインズオウルの少数部隊のメンバーに加えて玄武六盾隊が《伽牝神》のスピカ。一同が教会に到着し、いよいよ突入した瞬間。


ステンドグラスの天窓を突き破っての急襲、右方から月光。左方からはスピカ。同時に火柱を掻い潜り正門の扉を破壊したカグヤが聖堂へと踏み入れる。


「ロストゼロ―――!!!」


思いがけないほど近い距離からの、青年の声にロストゼロの少年少女は一斉に伏せていた顔を上げた。


「せんぱ…………月光、さん……!?」


辻本ダイキではなく、別部隊の月光指揮官だったことに玲は喫驚するも、比較的軽傷な朔夜やアーシャと同じく救援が来たという事実に僅かながら安堵の様子。


対してラムダとクシーは余裕の表情を崩して身構えた。


「(敵数は2人……)……お注射の時間よぉ、《エルア》」


飛び散るガラスの破片が虹色に輝くなか、礼拝堂上空で華麗に身を翻したスピカが慣れた手付きで得物を抜いた。普段は見せない冷徹な瞳で囁いたスピカ、エルアという名前の蛇腹剣を巧みに操り、地上のクシーを即座に狙い撃つ。


エルアの連結の刀剣は、尖端に近づくほど円筒形に連なっており、看護師ナースが用いる「注射器」に酷似した魔力可動式の押子を有した構造になっている。


「あれは……スピカ様……!?」


宙を舞うスピカを見てシスターのエマが彼女に気付いた。


『スピカ・メロハート』は元は医療教会出身の人間であり、その実はあるテロ事件をきっかけに元六盾隊《神の雫》アキエルに才能を見出だされそのまま軍部入りした過去を持つ。


奉仕と献身の信条という看護師の一面を併せ持つ軍人、スピカにとってはたとえ祖国を恐怖に陥れる連続殺人鬼であっても「治療」対象だ。しかし、クシーは彼女の善意を錬金術で生やした蠍の尾で弾き返そうと動く。


「グハハ!乳揺らすだけのオンナに負けるかよ!!」


「フフ!牛オンナってことね?それならあながち間違ってはいないわぁ!!」


言ってスピカは単純に振り切った蛇腹剣で、巨大な蠍尾に殴りつけるようぶつけた。結果は、女の腕力だと見くびっていたクシーの予想以上のものだった。


まるで猛牛と激突したような勢いで男のクシーが吹き飛ぶ。その衝撃に引きずられてラムダもよろめき、近くにいたロストゼロの面々も呆然と目を見張って、そのでたらめな光景を眺めていた。


「なっ……なんてパワーなのだ」


直ぐ様地面に着地し、エルアを片手で鞭のよう振るっては遠距離攻撃で、クシーを怒涛の勢いに教会端へと追い詰めていくスピカを見たアーシャが呟く。戦闘と呼ぶのも馬鹿馬鹿しいほど原始的な、力任せの戦略だった。


「ぐっ……!動けねえ……!」


次第に余力の失くなったクシーの身体を切り裂き、タイトコイルのように巻き付かせる。しかし傍らに立つラムダは不気味な笑顔で両手を叩いた。


「アッハハ、やるねえ!見たところ玄武軍の人にオズくんたちと同じ機関の人たちかい?」


薄気味の悪い三日月の眼の少年に、月光が《紫夜の剣》を突き翳した。


「四聖秩序機関です、武装を解除して投降してください」


「外には部下達を消火活動とともに包囲させてありますわ、貴方がたに逃げ場はないですわよ!」


「まさか殺人鬼が小さな男の子で、しかも共犯者がいたなんてビックリだけど……ちょっとおいたが過ぎるんじゃなあい?」


カグヤの言葉に重ねるようスピカ。慈しみのある口調だが、罪のない教会が狙われた事に対して、内なる闘志や怒りも感じさせては、武器の尾を封じた蠍男と素手の道化師を睨んでいる。


「これは失礼。クシーくんも動けなさそうだしかわりにボクが少しだけのチカラをお披露目しようかなぁ!」


少年の瞳から、殺意も、追い込まれた動揺も読み取れない。あくまでこの喜劇を愉しむ事を最優先にしているようだ。ただ唇が言葉を紡ぐと同時に、優雅に両手の白い指を突き出す。


「……錬金開始。《精神狂糸インサニティ・ダクシルク》!」


ラムダに刻まれた紋章が藍色の輝いた刹那、少年の言葉に従ってコートの隙間から何かが迸る。それは仄白く光る透き通った「糸」により紡がれた「手」だった。少年の針金のよう細い身体よりも巨大な掌が、生きた蛇のようにしなって、月光に襲い掛かる。


「蜘蛛の糸の手……編み上げたのか……!?」


信じられない光景に月光がうめく。ギリギリの所で片手剣で往なす事に成功するも、右腕から胴体にかけて貫かれた月光は苦悶するように声をあげる。


「くぅあ!!(ただの糸じゃない……重い……ッ!)」


「月光指揮官っ!」


その場にくずおれた月光に、カグヤが駆け寄る。出血により震える月光に対して、ラムダは淡々と告げる。


「……なるほどねぇ。安心していいよ、殺しはしない。さすがにこれ以上の増援が来られたら面倒だし、


倒れる月光をラムダは意味ありげに、冷ややかに見下ろして。


「残念ながらそこのお嬢さんは死ぬとは思うけど……まあどうせ君たち全員近いうちにネメシスの腹の中に入るんだし、別にいいじゃん。」


シャルロッテの見る目を伏せて、ラムダは再び、指から錬成する鋼の糸で造り出した腕を、悪意を持つ獣のように蠢かせた。


「クケケ…………アヒャヒャヒャヒャヒャ!!!!」





―――暫く後。辻本ダイキが到着した頃には敵は姿を消しており、玄武警備軍や街の人々の協力で鎮火された教会は半壊の状態だった。


事態は最悪の結末で終息していたのである。


遅すぎた―――ただ、後悔の念に苛まれる。


「…………。怖かったです……」


佇立する俺に寄り添ってきた玲の頭を撫でてやる。負傷した体を庇いながら月光も視線を送ってきた。朔夜とアーシャはカグヤ指揮官やツインズの候補生たちと既に事後処理に動いているようだ。スピカ少佐も隊員らと深刻な表情で話している。


視線を背後に移すと、意識を取り戻したメアラミスとオズが応急手当を受けていた。問題は未だ昏睡状態にあり、先ほど緊急で機関の演習地『インビジブル』に搬送された彼女―――。


「…………シャルロッテ…………」


夜が近づく薄暗い空を見上げたまま額を押さえ、辻本は絶望のみが残る跡地で弱々しく呟いた。

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