2-15節「幻蒼乱舞」
「貴様を殺す……幽谷狂善ああァァ!!!!」
肺が空になるような叫びとともに、オズの神経を駆け巡る魔力が無差別に空間を乱舞する数十の剣に込められる。零光剣のそれぞれが礼拝堂の壁や天井を幾度にも反射し、オズが奏でる死の旋律を反響させるようだった。
「きゃああ!!」
「……あのピエロ野郎だけじゃなく、機関の青ガキまでイカれてやがるのか」
「足を切られた……い、痛い……うぅ!」
参拝者たちをも巻き添えにする、暴走した範囲魔法。既に何名かはオズの零光剣の流れ弾が掠ってしまい頬や身体が傷つけられている。戦闘経験のない一般人にとっては容易には躱す事も出来ずただ端に寄って、頭を抑えて俯くのみ。まるで乱気流のなかにいる感覚で、少しでも身を乗り出せばたちまち刃に切り裂かれる状況だ。
―――このままではオズが殺人鬼になってしまう。
暴虐の嵐のなかアーシャは、聖堂最奥の祭壇、十字架の前で腕組みして余裕の口笛を吹いているラムダ。対峙する扉側で強烈な魔圧を放っているオズを交互に見据えては、優美な眉の曲線を歪ませる。
「……落ち着くのだオズ!相手はひとり、たとえ指揮官が不在であってもそなたの姉を助け出しこの場を切り抜けることなど十分可能であろ!」
この鼓舞する言葉に朔夜と玲、はっと顔を上げて奮い立つ。メアラミスもアーシャの毅然と棒を構えた姿にどこか安心した表情をみせる。シャルロッテは無言で得物の双剣を逆手で取った。
「そ、そうだよ……オズくん!」
「まずは冷静になりましょう……!」
だが、オズは仲間達には目もくれず、ただひたすら怒りと破壊衝動に駆られるように
「アハぁ……?」
ラムダが下品に顔を上向けると、1本の剣がまぐれにも自身の方向に天井を経由して一直線に猛スピードで飛んできた事に気付く。だがラムダは唇の両端を吊って毒々しく嗤うと。
「下手な鉄砲も数撃ちゃ当た……らないんデスよねぇ!!」
芝居がかった仕草で首を左右に振り、またもや何もない手のひらから鋭い錐を創りだすと、無造作に放たれた魔法剣を下品に弾き退けた。
「キャハハぁ!!」
瞬間、この隙を突くように、これまで機会を窺っていたメアラミスが礼拝堂の中央を疾る。縦横無尽に飛び交うオズの剣の間を縫って急接近。
「当たらなくても―――ウチが殺れば問題ないよね」
華麗な跳躍から、獣のような身のこなしで素早くラムダの上手を取ったメアラミス。ラムダがふいっと天井の闇、少女の殺気を纏ったかかと落としを振り仰ぐその途端、またもや狂熱を帯びた声でラムダは虚空に囁いた。
「クッ、クッ……あ、バンツ見えそう。なぁんて」
「おおーいクシーくん、キミの出番だ……!」
手を叩く動作を合図で、参拝者の中に紛れていた刺客―――クシーと呼ばれた男が獰猛な笑みを浮かべ怪鳥のような奇声とともに先端の尖った刃が空中のメアラミスを狙い捉える。
(もうひとり……!?)
驚愕する一行。メアラミスも予測違いに小さな顔をしかめる。
その最中で此方に伸び迫るモノが剣等ではなく尾であることをまず瞬間的に認識したメアラミス。また直感的にそれを喰らえば致命傷になるとも判断しすぐさまに次の行動に意識を集中。体を捻ってそれを回避した。
「メアラミス!」
「ん…………平気」
急襲失敗から着地後、アーシャの声にコクりと頷く。完全には見切れず、肩を掠った穂先によってわずかな痛みが発生したがそれを無視した。
「……ハァハァ……はぁ……」
オズの零光剣、最初に顕現し礼拝堂内を乱反射していた第一陣すべての魔力が枯れたようで、本人も少しばかりだが冷静さを取り戻しつつあったが、疲労からか片膝をついてしまう。メアラミスはラムダの隣で下品な笑い声をこぼす新手の男の異形ともいえる姿をじっくり見据えていた。
「なに……あの人の身体……!」
「サソリ……尾が生えた、蠍人間……?」
驚愕する朔夜から、玲も眼鏡奥に見た男の容姿をそのまま口にする。参拝者たちは長椅子の下に身を隠したり、壁際ぎりぎりまで退がって、殺人鬼と並び立つ男を恐怖の表情で見ていた。
本名は『ヴェルカースド』。《クラウディア》のクシーを一言で言い表すならば、先ほど玲が呟いた「蠍人間」という形容がピッタリ当てはまる。神話に登場する半身半獣の「ギルタブルル」のよう、角冠、顎髭を生やした人間の顔と人間の身体、そこに蠍の尾を併せ持っているのだ。
先程、明らかに間合いから外れた位置からの攻撃も、クシーの尻尾が鞭のようにしなり自分を狙い撃ったのか、とメアラミスは歯を噛み締める。
「……大した化物じゃん」
「錬金術ならこのような体にもなれるのだ。よければオンナ限定で特別に俺が改造してあげてもいいぞォ!?丁寧に開発してやるからよォ……ぐへへへェ!」
美形のラムダとは違い、見るもの全てに嫌悪感を抱かせそうな醜い容姿であるクシーの恥癖にまみれた言葉に、女子たちは一様に顔を歪ませる。
「クシーくん、君の変態加減に客席が引いてるじゃないか。それにオズくーん!君も休んじゃダメだよダーメ!君はただ怒りに身を任せ続ければいいんだ!」
裏返ったラムダの甲高い哄笑が満ち、それは吸い込まれるよう依然として磔にされたままのフィーナに向けられた。既に気を失った彼女を射止める四肢の針と胸元の杭。それらの傷口を広げるように、がむしゃらに針先を執拗に動かす。
「ほらほら大好きなお姉ちゃんが痛みで泣いてるヨーン!そうだそうだ、せっかくならクシーくんもヤっちゃいなよ。」
ニタニタと笑うラムダの唇が三日月型に裂け、鮮やかに赤い舌が長く伸びた。クシーもラムダの提案に、粘液が滴るような不快な音を立てながら、フィーナに迫り寄る。
「う……ぐ、キサマらぁぁ……!!!」
獣のような短い咆哮に合わせ、全身全霊の力を込めて体を起こしたオズ。クシーは両手と尾を使って、フィーナの腕や脚、下半身を撫でさすっていた。奴の手が動くたびに、オズは辱しめに耐えている姉への思いを、血が出るほど唇を噛み締め、再度顕現させた魔法の剣たちに憤怒の意思を込めた。
あの狂人ペアを殺せ。惨殺せよ、肉塊になるまで切り刻め。
殺人鬼ラムダが、新手の配下クシーが嗤うたびに、殺意の電子パルスが強制的に感覚神経を励起する。身体中から溢れでる魔力を媒介に、零光剣がオズの周囲でカチャリと擦れ合う音を立てて装填された。
「…………欠片も残らず、断罪してやる…………!!!」
その声は雷鳴のように轟き、稲妻のように切り裂く。オズは両眼を大きく見開いた。喉の奥からしわがれた声が洩れ、歯を食い縛り、燃え立たせた怒りの炎の奔流が、光の剣に形を変えて宿る感覚だ。
「……アハ…………たぁまァァンンねェェなああ!!!」
オズの憎悪に満ちた眼を見て、ラムダが一層に頬を歪ませた。
「最高の笑顔だよ!ボクはキミのそんな表情が見たかったんだ!」
甲高い声、芝居じみた動作で両手を広げるラムダ。その時。これまで静観していた少女が口を開いた。
「―――いい加減にしなさいよ!!!」
シャルロッテが双剣を翳して、対峙する敵二人の邪悪な眼を見ながら、胸の奥で響いたオズの傷みをそのまま繰り返す。
「黙って聞いてりゃ……なにが錬金術、なにが笑顔!?」
「関係のない教会の人達を巻き込んで……なにより」
シャルロッテはオズのしばみ色の瞳を見てから、礼拝堂奥でぼろぼろの布となって体に血とともにまとわりついているだけの修道服、髪は乱れ、頬に涙の筋が光るフィーナの瞳を視た。
「人の心に土足で踏み込んで、メチャクチャにして、アンタみたいな奴はあたしが許さないんだからぁ!!!」
教会周辺に放たれた炎の壁が、いよいよ本堂の中へと侵食していくのと同時に、シャルロッテは裏返った怒鳴り声とともに地を蹴り、双剣を振りかざした。
シャルロッテはその体が間合いに入るや否や、右手の剣を軽く一薙ぎさせた。幽谷狂善=ラムダの滑らかな頬を剣先がわずかに掠める。
「なッ!!」
予想以上の迅さで繰り出された剣技に、ラムダは高く叫ぶと左手で頬を押さえ、飛び
「痛っ…………やるねぇお嬢さん、あはははァ」
目を丸くして悲鳴のような不気味な笑みをこぼすその姿は、オズの怒りを更に燃え立たせるも、シャルロッテがあのレベルの敵に一太刀入れた事実に、僅かな希望を全員が見出した。
クロイツ家はまだ輝きを失っていない。その強靭な魂は挫かれていないはずだ。心の中で呟いたシャルロッテ。彼女の視線を受けたオズがようやく冷静さのある瞳で頷いた。
「…………はぁ、失敗だ」
ぼそりと、一転して落胆したような声で道化師が囁く。
「やはり深化に必要な条件は恐怖でも怒りでもなく…………」
何の話だ。色々と聞き出そうとしたアーシャがそう尋ねようとした瞬間。
「クシー、殺れ。」
「……!」
ピエロを演じていた少年の混じりっ気のない殺意、澄み切った魔力の圧にロストゼロは途方もなく嫌な戦慄を感じた。ここまで果敢に攻めていたシャルロッテも体が動かせない。ねばねばとした空気が、意思あるもののように少年少女に絡みつく。
その時だった―――。
クシーの蠍の尻尾がライフルのような爆発音を鳴らし、円筒状の尾節が空中を蛇のように走りながら、球根型の先端がとんでもない速度で撃たれる。
殺人者にターゲッティングされたのはオズ。
咄嗟にメアラミスは身を翻し、空を伝う蛇腹の刃を蹴りあげて軌道を変えてやろうと、わずかに動いた瞬間。
「う…………ッ――!!?」
吐血。視界のすべてが濃密な黒に塗り潰される。頬の傷から忍び込んだ冷気は、たちまち全身に広がっていく。厳密にいえばもう広がっていた。燃え盛る炎柱に包まれた空間にいるにも関わらず、凍えるような寒さに襲われ、感覚が消え失せる。
いきなり膝から力が抜け、メアラミスは棒のように床に倒れた。小柄な胸と左頬を大理石に激しく打ちつけたが、痛みも、何か触れた感触すら無かった。
(毒を……!)
遅まきながらメアラミスはそう悟り、対抗策を思い巡らせるも先に視界を抜けた尾先が思考を別のものに切り替えた。かすっただけでこれほどの麻痺をもたらす猛毒。もしアレに直接刺されでもすれば……。
「……メア……ラミス……さん……!?」
「オズ……、逃げるのだ……!!」
まるで水に潜っているかのように、歪んだ仲間たちの声が聞こえる。どうにか動かせる眼球を懸命にオズが立っている出入口側に向けると、クシーの魔の手に足を動かせず立ち尽くす彼の姿があった。その表情は読み切れない。
「罪の清算こそ大団円!これでフィナーレだァァ!!」
「くっ……!!」
ここまでか。全てを諦めたオズはせめて潔く散らんと、最期に瞳に敬愛する姉の姿を映した。無惨といえるほどに辱しめを受けた姉を見て、ただ己の無力さに打ちひしがれながら。
―――ああ、ようやくクロイツは幻想から解放される。
絶望に呑まれ、棒立ちになってしまったオズに、怪物の尾が眩い軌道を描き、轟然と突き刺そうとする。
刹那。
ひとつのシルエットとが、僕の目の前に割って入った。
金色に輝く長い髪が、ふわりと宙を舞って視界を覆った。
両腕をいっぱいに広げた、満身創痍の少女。
直後にぐさっ、と鈍い貫通音。しかしオズに痛みは無かった。
「…………かはっあ…………!」
オズの視線の先、目の前の少女が鮮血を吐き出して、オズの左頬を染める。
「…………シャル、ロッテ…………?」
鋭利な凶刃を背中で受け止めた、自分を庇った彼女の名前を確認するようにして呼びながら、オズは有り得ないといった表情で、現実ではなく幻を見るように目を細める。
「…………ふふ、なに……ムキになってるんだろ、あたし…………」
シャルロッテはずるりと崩れ落ちた。オズは咄嗟に彼女を抱き寄せるも、じわりと血溜まりが広がっていく様を声も出せずに凝視した。視線を動かすと、後方にいる他のロストゼロも愕然と顔を滲ませている。
ククク、クケケケケケ。
さらにその奥で、予想外の展開と惨劇の場を愉しそうに見守るラムダの密やかな笑い声が重なる。道化師の瞳には、シャルロッテの流す血の赤色が移るのみ。一抹の憐憫も、そこには存在しない。
―――うそだ。
―――嘘だ!こんなのは幻想だ!!
白虎人というだけであれだけ八つ当たりされ、クロイツ家の、僕の怒りの矛先になっていたシャルロッテがどうして。あれだけ理不尽な仕打ちを受けていながら、なぜ憎むべき僕を?
どう思考を巡らせても、都合のいい解釈が出てこない。
体の、あるいは意識の奥底から発生したささやかな熱。その答えをもはや風前の灯であろうシャルロッテが、耳許で小さく、しかし確かな声で響かせた。
「…………べつに、キミのためじゃないんだからね……」
「……これがあたしの誇り……どうだ、参ったか…………」
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