2-14節「狂宴の破壊者」

あの日々のことを思い出すと、胸の奥がぎゅっと締め付けられるような郷愁を感じる。たった数年前のことなのに、もうどんなに手を伸ばしても届かない、遠い思い出の中へと去っていってしまったかのような―――。


僕は、オズ・クロイツは瞼を閉じながら呟いた。


「…………過去ここしか、ないんだ」




ここはアルビトル近郊の森を抜けた先にある教会の聖堂。ゴシック様式の建物は壁を出来る限り少なくして、高い天井とステンドグラスに彩られた光あふれる空間を実現している。


指揮官を除いた候補生のみで構成される現在のロストゼロ一行はひとまず教会に到着後、責任者である神父に正式に機関の身分を証明して、特務活動の範疇で教会の仕事の補助をすることになった。


と言っても任されたのは聖堂の掃除や簡単な物資の移動などであり、少年少女らは馴れない手つきながらも教会の大きなステンドグラスや薔薇窓、アーチを組み合わせた天井から演出される厳粛な雰囲気に、何かに包まれるような気持ちでスタッフ達と共に「祈りと慰めの場」を清めていく。


そして数分前、任された仕事を終えたオズは久々の教会での奉仕活動に疲労したのか、礼拝堂の会衆席に並べられた長椅子チャペルチェアに腰掛けては、強い眠気に襲われていた。


「…………こら、オズ?お友達が待ってますよ」


暖かい暗闇の中、失われたモノの深さに沈んでいくようなオズの意識を、女性の鈴の音のような声がふわりと撫でた。


「…………ああ、分かってるよ。フィーナ姉さん」


笑みを浮かべてオズは腰を上げると、参拝者が集まり始めた教会内で、改めてロストゼロとして姉やシスター達と向き合う。


話題は機関に所属する彼らの奉仕活動の感謝。


「それと―――今日は私がミサの司祭を務めさせて頂くことになったの。皆も良かったら参加して行ってね?きっと後学のためになると思うから」


慈愛に満ちた表情で話す『フィーナ・クロイツ』。聞けば現在は教会学校の先生としても活躍しているそうで、シャルロッテもこんな女性が先生なら子供たちも安心だろうと思う。一方でフィーナの弟であるオズとは大喧嘩をしたばかり、どうしても心が燻ってしまいサッパリと気前の良い返事が出来なかった。


「ええっと……」


「白虎人の彼女に、僕らほどの信仰心が無いのは歴史からも明白だろう。姉さんの典礼を穢すわけにはいかない」


またしてもオズの侮蔑を込められた台詞に、シャルロッテは口許を最大限の傲慢さを発揮させる時の角度できつく結び、あえて大きめの声で。


「あーそうねハイハイ、誇り高き白虎民のあたしにはは性に合わないわよねぇ!」


ここに来てからのオズの様子と作業中に玲がシャルロッテとの関係が険悪であることを伝えていたため、フィーナも叱るような口調で弟に詰め寄る。


「オズ、栄光の影には大抵闇がついて回ります―――クロイツの事情に無関係の方を巻き込むのは止しなさい」


しかし、それでも二人は視線をぶつけあう。フィーナにとってオズは唯一の家族であり、それはクロイツ家が栄えていた幼少から勉学や魔術に関しても実に頼もしい存在感を発揮する自慢の弟なのだが、反面その言動はやや独善的で周囲を辟易とさせる局面も少なからずあった。そしてそれは今、世界の最前線で戦う「機関」に入隊してからも変わらずだった。


「……ああ、たしかに。君は僕と同じ《ロストゼロ》の一員で既に通っている。その君が理由もなくミサを抜けては、こちらの顔に泥を塗られるというものか!」


「…………」


オズの大仰な台詞に、シャルロッテはしばし言葉を失って立ち尽くした。フィーナも唖然としつつも、やっぱり―――という思いが心中に去来する。


あの日、クロイツの誇りが白虎に奪われて以降、怒りと失望に囚われたオズは死に場所を求めるように機関に身を投じた。全ての束縛から脱して飛び立とうとした弟の姿は何もかもを振り切ってどこまでも飛翔する、現実世界の重力を幻想の羽で誤魔化す小鳥だ。クロイツという名の鳥籠から無限の空へ。しかしそんな想念に囚われてしまうほど《家族》と過ごした懐かしい日々は記憶の中に没しようとしている。


「なんの騒ぎですか?」


「学生服の子たちがケンカしているようです」


「テリス初連合士官学院の候補生だったか……チッ、外国人どもが土足で神聖なる地に……!」


気がつけば二十人程の人々の好奇の目に晒されていた。当然なかには教会で騒ぐ一行に嫌悪感の眼差しを送る玄武人もいる。


「ひっ」


「さすがに悪目立ちしすぎだよ……」


怯んだ声をあげる玲とオロオロと周囲を見て呟く朔夜。


これは面倒なことになりそうだ――と思いながら部隊の纏め役であるアーシャが口を開こうとした、その前にメアラミスがいつになくマジメな顔で出入口の方角を指差した。


「……あれ、今朝の」


メアラミスの言葉に、オズは背筋に悪寒が走るのを感じた。血と肉と贓物を冷えた手で鷲掴みにされたような感覚により指先から全身がぞわぞわと痺れる。


ロストゼロの視線の先、そこに少年はいた。すでに地平線に沈もうとしている夕日はチャペルの隙間には入り込まない。まるで洞窟の入口めいた口を開けるよう扉の先から、少年は闇を切り裂くようにして一歩、また一歩と近付いて来る。


歩幅はあくまでも一定だった。ゆったりと。足音の主の精神を表しているようにそのリズムにはゆとりがある。


「やあやあ、またお会いしましたね。今更ですがアナタ達は一体何者なのでしょう?」


(それはこちらの台詞だ……)


全員が訝しむように幽谷狂善を見るが、


「……僕達は《四聖秩序機関》の特務部隊ロストゼロさ。君は幽谷だったか、見た目に似合わず熱心な信徒なのだな」


不気味な少年の疑問に答えたのはオズであった。嘲りの含む笑みを浮かべる幽谷は不意に、パチンと指を鳴らした。


その瞬間―――礼拝堂の大きな扉が閉まり、空間は真っ暗な闇に包まれた。


暗転。演劇では幕を下ろさずに舞台を暗くして、その間に場面を変える手法。また物事の状況が悪い方へと向かうという意味もある。


道化師の一手は、そのどちらにも該当していた。


「きゃああああ!!!?」


闇の中で響く声は、間違いなくフィーナのものであった。


次いで、ぽとりと雨の雫が滴るような音が静寂に聞こえる。


「…………え」


オズの頬にが伝うような錯覚。ぞわりと嫌な予感が大量のムカデのごとく這い上がる。周囲の温度が一気に下がった気がした。足から体へ、何か得体の知れないモノが感情の中で蠢き込み上げてくる。


「…………姉……さん……?」




※※※




見上げると、薄闇の彼方に煌めく夕日の光があった。


ここはアルビトルを更に南下した場所にある湿地帯。ユハンラという地名の現在地は密林部の中心ということになるが、その規模は想像以上に大きかった。


広大無辺の湿地帯―――ここに《ネメシス》がいる可能性が高いのは間違いない。鋭さのある黒い瞳を周囲に向けながら辻本は歩を進める。


(……静かだな、どうやら魔物の類いは生息しているようだが)


耳を澄ますと、確かに威嚇する獣の放つ咆哮や、大型エンジンめいた重低音のほかに、ひゅるるという木枯らしのような声も混じっている。


(ロストゼロの皆、ちゃんとやってるのかな)


辻本は周辺の探知に神経を使いつつも、アルビトルの街で別行動を命令した部隊の部下達の事を早速心配する。ひとりひとりの表情を思い浮かべる中で、思考はやがて二年間所属していた零組に推移して。


(……命を預かり、生徒らを導く立場になってようやく生田教官の凄さが分かってきた…………果たして俺に指揮官なんて務まるのだろうか、……まあ、地道にやるしかないよな)


その時、湿地帯の茂みからゴソゴソと音がする。人の気配だ。


「誰だ!!?」


緊張した声質で辻本が言う。


ユハンラ湿地帯に入るための道にはネメシス出現後、玄武軍によってKEEP OUTの文字がプリントされた立ち入り禁止の規制線が張られていた。辻本はペガス大佐やスペンサー都知事から身分を証明されているため、調査として立ち入りは許可されているが、の存在に嫌でも警戒態勢、居合の構えのまま全身が力んでしまう。


「っ…………失礼、私は決して怪しい者ではなくて」


情けなく登場したのは三十代半ば頃の男性。初対面だった。


(この人は……夜々のよう玄武で活動するトレジャーハンターでは無さそうだが、いや……)


敵意はなく、それ以上に武器のようなモノも持たず手ぶらでこの地にいた事に辻本は疑問を覚えながらも、とりあえず警戒を解いて男の身なりや特徴を捉える。


日差しを遮る幅広の鍔のついた帽子、丈夫な革ジャケットにブーツ、明らかにこういった環境下で動きやすさを重視した服装である。


「貴方は」


辻本の不審の眼差しに謎の男は優しく微笑むと、紳士のような振る舞いで帽子を脱ぎ、ゆったりと口を開くのであった。




「……さァ、《ラムダ》の愉快な殺戮ショーの幕開けだ」


漆黒が支配する礼拝堂、二方向のステンドグラスから射し込む夕焼けもいつの間にかそれぞれカーテンで遮られており、此方に光を届ける事が出来ないでいた。


「停電……?ともかく……灯りを……」


悪魔の囁き、道化師の宣言に気が付かないシスター『エマ』は困惑の様相ながら予備電源のある方へと手探りで壁を伝うようにして近づきそのレバーを引く。


パァァ、という数回の点滅と共に天井にあるシャンデリア型の魔導照明器具が灯った。視界を取り戻したオズやシャルロッテ達、ミサの参加者たちが最初に目にした光景は、まるで現代の教会とは思えない程に歪な―――磔刑の瞬間だった。


「…………な!」


聖堂正面に掲げられていた十字架にあるはずのない人の姿が磔にされている。それはオズと同じ蒼灰色の長髪、常に慈愛深げな笑みを絶やさない先生として評判なフィーナとは別人のよう苦悶に満ちた表情の彼女がいた。


両手と脚には縛られた痕跡はなく、代わりに杭のような見た目の針が四肢を貫き、文字通り釘付けにしている。どろどろと流血し修道服が真っ赤に染まっていく。


「フィーナどの!!?」


「な、なにが起きて」


「それにあの人……自分をラムダって言ったような」


「うそ?じゃあ、あれが!」


連続殺人鬼―――。アーシャ、玲、朔夜、シャルロッテが共通認識する。それは傍にいるメアラミスやオズも同様だった。特にメアラミスは朝に一度少年と出会った際から彼を怪しんでいたため、納得するとともに悔しそうに唇を噛みしめていた。


「……お前、姉さんに何をッ」


「レディース&ジェントルメーン!これより私、ラムダが皆様を最高の笑顔のセカイにご招待しましょう!」


オズの深い憤りを滲ませた言葉をかき消したラムダは、フィーナが磔にされる十字架の横で高らかに宣言する。


「ひぃぃ!!」


「この子狂ってるわ、逃げなきゃ……殺される!!」


ラムダの狂気染みた気配とシスターの血塗れの姿に参拝者たちは狼狽、突然ふりかかった恐怖にパニックを起こす。ひとりの若い女性が出口の扉に駆けはじめた。


「おお、ピエロが舞台に立った途端に退席は悲しいデス……ヨォ!」


ラムダの台詞の瞬間、いきなり教会の外から激しく火炎が舞い上がる。ボワァ、と化学的な爆発音、濃い色の火柱は逃げ場を塞ぐよう包んでいるように感じた。


「っ……(やられた……)」


メアラミスは火の粉が舞い飛ぶ礼拝堂内で顔をしかめる。呼吸はできるが空気が異常に重くなった。体を動かそうとすると、ねっとりとした熱気が纏わりつき、凄まじい抵抗を感じる。


酸素が急激に薄くなる。同時に、人々の悲鳴が交差する。


「アッヒャヒャヒャヒャ!!……やあ、どうかな。特等席からボクの喜劇を観る感想はぁ!?」


抑えきれない嘲弄の色を含んだその声に、フィーナは眼を閉じてゆったりと唇を動かした。


「……天にまします大いなる主よ、どうか……この者に尊き加護があらんことを……」


「…………ククク、こんな時にまでお祈りとは、お前は失格だ。でもいいよ、だってもうひとり……になってきたのがいるじゃないかッ!!」


声の語尾が、高く跳ね上がる。毒々しい緑色の髪を揺らし、美貌にありがちな生気の乏しさを、真っ赤な唇を大きく歪めることで作り物のようなニヤニヤ笑いを浮かべている。


「…………何をする気だ…………!」


オズは叫ぶが、ラムダはそれを無視して鼻歌交じりにフィーナの頬を撫でる。手ではなく、舌で。


「……んっ!」


「ちょ、あんた、なにしてるのよ!!」


シャルロッテがキッとラムダを睨みつける。その間にもラムダはフィーナの長い髪をひと房手に取ったり、首筋をつーっと指でなぞってはそのままシスター服の胸元を破って、丹念に舌で弄り始める。


「…………やめろ」


耐え難い怒りがオズの全身を貫く。赤い炎が神経を巡り、瞬間、突っ張った右手には無意識に喚び出した魔導本が握られていた。 


―――もう、これ以上。


「君がその誇りをどこまで保てるか……破壊と再生、その狭間に輝くをみせてくれ!!」


幽谷がきっきと軋むような笑いを上げた途端、新たに生み出した杭針を大きく振りかぶり、フィーナのはだけて露出した胸元目掛けて一直線に、突き刺した。


―――クロイツを穢さないでくれ。


「……かは…………オ……ズっ」


フィーナは両眼を見開き、激痛のなかそれでも気丈にぎゅっと唇を引き結んでは家族の名前を囁いた。だが抑えきれない恐怖が透明な雫となり、長い睫毛に溜まっている。ほどなくして気を失ったか首ががくんと下がった。


「…………懺悔の詩は用意してあるか―――――!?」


全てを焼き尽くすほどに白熱した怒りが、オズの頭の中を貫き、視界に激しい火花を散らした。


「幽谷……!!幽谷……!!!幽谷狂善ァァァ!!!!」


喉の奥が煮え滾る。絶叫したいくらい不快でたまらない。怒りを通り越してこれは憎悪だ。オズの周囲に《零光剣》が数十本、同時に顕れる。


魔導本を引っ掻き、オズは念じた。


もう何もいらない。ただ姉さんを救うため、あの男を殺すためなら何を代償にしてもいい。命、魂、この場の全てを奪われても構わない。


命じられた零光剣たちは不規則に礼拝堂を飛び回る。オズの剣は雷鳴のよう轟き、稲妻のよう暴走を始めた。炎に包まれ退路を断たれた絶望的状況の人々にも波及する速度と勢いだ。


「うわあああーー!!!」


「神様……っっ」


「助けて……!!!」


悲鳴。本来守るべきはずの市民達の悲痛の叫び。


「オズ君!落ち着いてよ!みんな巻き込まれちゃう!!」


シャルロッテの声、しかしもはや本人の耳には届かない。


邪な殺人鬼を視界に映しながら、オズは己の思考が白く、白く、焼き切れていくのを感じていた。怒りと絶望の炎が脳を呑み尽くしていく。思考回路が残らず灰になる。


「貴様を八つ裂きにしてでも殺す!!!!!」


ただ一つ「破壊」。そう命じられた剣の旋律は、この世界の全てを切り裂かんと弾け飛び、乱舞し、その一本がラムダを狙い射った。

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