2-9節「月と太陽、デイバイデイ」
僕は―――僕の名前は、月光。
自分に関するデータを滑らかに出たことにやや安堵した。
分厚いガラスの壁を隔てた隣室には、上端が天井に接するほど巨大な長方体が二つ鎮座している。外装は無塗装のアルミ板を剥き出しだが、鈍い銀色の輝きは開発者の魔力か、いっそう機械としての存在感を伝えている。
メーカーのロゴなどももちろん存在せず、ただ側面に【Ars Magna】のシンプルな文字と、その上に大きく数字がペイントされているだけ。左の機械のナンバーが13、右にあるほうが14。ようやく実物と対面できた「魂の揺り籠」を、僕はたっぷりと凝視した。
―――記憶は、そこで途切れている。
機関の皆と
部屋で休んでいた方がいいか……いいや、もう少ししたら善くなる気がした。これは希望的観測から導き出された勘などではなく、これまで何度も経験しているからの判断である。
四聖秩序機関の《ツインズ・オウル》の専任指揮官に任命されてから、たまになるんだ。何処からともなく激流のようにして流れ込んでくる「記憶」。今だって、何故かとてつもなく懐かしい気持ちになっていた。
あれ……目の前に誰かがいる……此方に向かってきた。
「ダイキ……」
同僚であり同期でもある青年の名前を僕はそっと口にした。ありありと記憶している彼の姿、辻本ダイキの笑顔が水に滲むように消えていく。自分達がいつ、どのような場所で出逢ったかを思い出そうとするも、それに続くべきページはどこをどう押しても引いても出てくることはない。
両眼をつぶり眉を寄せて、重苦しい灰色の空白を懸命に振り払い僕は瞳をひらいた。点滅する赤と青の光。気が狂いそうな息苦しさを押し退けて。僕はこのセカイを強く意識した。
「君に伝えておきたいことがあるんだ」
―――適合率、15%―――
「僕には記憶というモノが無い。」
突然の告白に、辻本は言葉を失ってしまう。
「ファイルでは白虎軍の所属になっているけど、そこに至るまでの経緯が…………まるで思い出せないんだ。気がつけば機関に指揮官として送られていた…………ふと思い出すのは昔、とても小さな村で剣を振るっていたことくらいで…………」
台詞が徐々に減速し、やがて途切れる。
月光は唇を少し開いたまま眉をひそめ、何か捜し物でもするかのように俯いた。必死に手繰り寄せようとするも、決して覗く事の出来ない「過去」。青年は左手を持ち上げ、指先で滑らかな額を押さえた。
「…………トンネル…………」
「えっ?」
吹けば飛ぶような声音で囁かれた言葉に、辻本は反応。
「トンネルを抜けるような感覚…………《リューオン》に行く前にもそんな感じの道を通った気がする…………そう、この《インビジブル》に似た……列車に乗って…………いた」
月光はどこか曖昧な口調で呟いた。
「…………」
そうか、だから月光は、カグヤさんや五芒星のメンバーとの面識が無かったんだ。互いに彼が赴任した日や、アレン達を交えて演習についての会議を執り行った日、初対面で挨拶をしていた事を俺は思い返した。
俺が《朱雀零組》として生きていた二年間、そして天紅月光流の門下生として剣を習っていた十年前の期間、そのあいだ月光はどのような日々を送っていたのか……。
「ダイキ……僕は過去を持っていない、今しかないんだ」
短い言葉のなか、月光の瞳が決意を宿してすうぅと細まる。しかし同時に瞳の奥には仄かな感情の揺らぎも見て取れる。それこそが月光の本来の心だろう。なぜ彼が記憶を失っているのかは解らないが。心細そうに肩を縮める月光の、友人の姿をこれ以上俺は見たくなかった。
数秒間の苦慮を経て、俺は口を開く。
「―――無理に思い出そうとするな、それにさ」
「昔の記憶が無くとも、今のお前の居場所は“ここ”だろ?俺にとっての月光はお前ひとりだ、俺の中にある月光との繋がりは絶対に消えない、絆は断たれない」
「……どういうことだよ?それ」
よく分からない抽象的な表現を使う同期に、月光は若干呆れたような笑みで問い掛けてくる。予想外の追求に辻本をたじろぐも何とか頭のなかで適切な返しを演算、満面の笑顔で、
「昨日の自分を越えろ、日々精進ってこと、つまり」
「デイバイデイだ、月光!」
太陽のように輝く辻本の言葉に、月のように輝く涙が瞳から零れ落ちかける月光は、すぐにそれを腕で拭う。なんでも真に受けるくらい真っ直ぐな性格の月光は、咄嗟に言ったワケの分からない台詞にも、彼と同じくらい強いヒカリを放ち、頷いた。
すると。途端に騒がしい足音が反響する。
「あ!イケメン指揮官同士が二人っきりで話してる!」
候補生の女の子達数名が駆け寄ってきた。殆どが月光の担当する《ツインズ》のメンバーな事を、俺は彼女たちの胸元に付けられた部隊毎に異なる固有のバッジで判別する。
「なに話してたんですか!?」
「え?……ううーん…………」
流石に自分の悩みを同期の辻本に打ち明けていた、なんて部下の前では言えなかった月光は口籠ってしまう。そして助け船を求めるようにその優しい瞳を辻本に向けた。
「そうだな、《剣士の誓い》的なやつをしてたんだ」
辻本はしたり顔で、左腰に差された黄昏の太刀をわずかに抜いてからチーンと音をさせて鞘に収め、生徒らに微笑んだ。
「……誓い……?も、もしかして朱雀の国ではそんな風習が!でも月光指揮官は白虎人だし……んん……?」
「それで、何を誓ってたんです?」
興味津々に女子候補生たちが俺と月光を凝視する。月光も彼の苦しい言い訳にどうしようかと不安げに見守るなか、辻本は噛み締めるように一つの「答え」を口にする。
「決まってるだろ。この初演習、必ず全員で帰ってこれるようにしよう」
《深紅の騎士》と呼ばれる英雄『辻本ダイキ』の想いに、少し間を置いて、まだ何者でも無いひとりの青年は彼の機転の早さに感心した。そして呆れ混じりの微笑からゆっくりと、その先を代わりに自分で口にする。
「その、約束だよ」
※※※
翌日、陽は昇り見事な快晴となった。
沈む月と入れ替わるような太陽。それに合わせて四聖秩序機関の《インビジブル》も無事に魔術領域から玄武国の目標座標で浮上、ひとまず搭乗していた全員で胸を撫で下ろした。
そう。ここはもう白虎ではなくデリスの北の大国『玄武』。
演習1日目の早朝。
白亜の街コーネリア郊外に構築した演習地。拠点となる特別列車を中心として、その周辺に各種設備の野営地を設営。その後しばらくの小休止の間に指揮官全員がインビジブルのミーティングルームに召集され、予定されていた通り演習内容の発表が副所長から告げられた。
辻本ダイキを指揮官とする特務部隊ロストゼロの主な活動は他の部隊とは独立した内容であったため。その後部下たちも同席させ、モーガンからの説明が続けられる。
「《ファースト・ワン》は戦闘訓練に、魔導兵に搭乗してのミッション演習、《トライ・エッジ》は通信、補給、救援などの実戦演習、《ツインズ・オウル》はその中間で展開する予定だ」
「辻本ダイキ指揮官以下7名、《ロスト・ゼロ》の主要活動は広域哨戒―――現地周辺に適性勢力がいないかなど、偵察を兼ねた情報収集だ、こちらはツインズとも連携して貰う」
「更に現地貢献、本演習を現地に肯定的に受け入れて戴くために支援活動を行って欲しい。機関の存在をデリス大陸各国の民衆に納得させるためだ。」
―――副所長の説明が終わり、ロストゼロは早速、現地の責任者でもある人物と面会する段取りのため行動を開始する。外国での演習を行うため、どうしても形式上必要なことらしい。
俺たちは一通りの準備を終えて、いよいよ演習地から、州の名前にもなる玄武国の都会のひとつ「コーネリア」へと向かうためそれぞれが足並みを揃える。
「なんだかまだ頭がついていかないけど、ようやく特務部隊ならではの活動が始まるのね!」
「うむ、望むところだ!」
「女神様、どうかなにも起こりませんようにっ……」
「準備は万端です……!」
「右に同じく……ふぁーあ……まだ眠い……」
「まずはコーネリア市の城館で待たれている侯爵閣下、そしてヴェナ指揮官と同じ《六盾隊》の方の下へ、ですね」
シャルロッテ、アーシャ、朔夜、玲、メアラミス、そして玄武出身のオズが気合十分に指揮官へと視線を送った。俺は皆の想いを受け止め、力強く頷いたあと。
「よし。それじゃあロストゼロ、出発するぞ―――!!!」
かつての朱雀零組の実地任務に酷似した内容であるロストゼロの演習、その一歩を高らかに号令に乗せて、辻本ダイキは部下達と、南へ―――玄武に出現したネメシスや暗躍する勢力の手掛かりが待つはずの場所へと伸びる道を、足早に歩き始めた。
彼らのその姿を二方向から見つめていた者がいた。
ひとつは演習地側からロストゼロの背中を見送っていた月光。夜の誓い「一歩ずつ前へ」を胸に腰の剣を握ると、辻本ダイキ指揮官と特務部隊の候補生ら6名の無事を祈っていた。
そしてもうひとつ……こちらは演習地から数百メートル以上も離れた高所から。
「到着確認。へっ、また厄介なタイミングで来やがったもんだぜ」
不敵に口許を弛ませながら、辻本ダイキと彼の率いる後輩達を眺めるのは橙色の髪と不良のような目付きが特徴の青年。動きやすそうな軽装に、自らが所属する《狩猟団》のマントを靡かせてそう呟く。
「さてと、他の連中にも伝えておくとするか。協力者はもう確保してあるみてえだしな」
深紅のカバーケースに包まれた特注のCOMMを取り出すと、
「《ロストゼロ》―――《
元朱雀零組の『荒井』が、同じく級友であり現在玄武国で活動しているメンバー3名に携帯端末で連絡を回すなか、アルテマの戦術特化クラス《零組》の重心だった、いまや朱雀の英雄とまで謳われており更なる戦いに身を投じようとする―――辻本ダイキを誇らしげに見つめながら、近付く再会の時に期待を膨らませつつ、単独行動を開始するのであった。
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