7節「フロンティアの夜、そして」


見上げると、薄闇の彼方に煌く幾つもの星があった。


ここは機関のメインビル《フロンティア》の屋上テラスだ。地表から離れた7階の空中庭園。決まりの就寝時刻までは開放されており、自由に候補生や職員たちが憩いの場として利用できる大きなプライベートガーデンである。


星空と新緑に囲まれた庭園で、銀髪の少女―――メアラミス候補生がベンチで猫のように目を擦って無言で空を睨む。しかし直ぐにまたゴロンと横になると、ほんの数秒ですやすやと寝息をたてて気持ち良さそうに熟睡。まるで本格化する夜に慌ただしくなる生徒らの喧騒から逃れるよう一人っきりで自然あふれる空間を独占していた。


本来この時間ならば候補生達が集まる庭園なのだが、今日は夕立のせいかまだ辺りは濡れている。わざわざそんな悪状況の日にテラスに出なくても良いだろうというなか、マイノリティな思考を持っていた彼女だけが結果として貸し切り状態を満喫することに。


と、その時。ガチャっと静寂の庭園に足を踏み入れた者が。雨上がりの夜風を浴びてふぅ……と息を漏らしたのはメアラミスの担任指揮官、辻本ダイキだった。


(何気に初めて庭園に出たが……すごいな。たしかロクサーヌ所長が自腹で改築させた娯楽施設のひとつだったか。)


その他にも露天風呂やサロンなど四聖秩序機関の総本山たるこのフロンティアには軍人基地兼士官学校なんて物騒な肩書きさえなければ、予約1年待ちくらい人気を博しそうな「高級ホテル」なのである。


(いい夜風だし星空も綺麗なんだが、さすがに雨の影響で誰もいなさそうだな)


辻本は見回りの中で訪れた庭園をとりあえず歩いた。こうして放課後や就寝前の自由行動時間もなるべく候補生と積極的に関わろうと邁進する。補修訓練や授業のおさらいは勿論、四大国から集った500名近くの若者ひとりひとりの抱えるモノを少しでも知るためにお節介を焼きまくるのが習慣になっていた。


金曜日だった今日は特に午後から部下達と初の模擬戦、所長の無茶ぶりでイシス師姉と仕合をしたあと、シャルロッテとカノンノに同伴する保護者的立場で街に出ていたため、かなり濃密で凄まじい一日を過ごしている。


(…………さて、そろそろ俺も部屋に戻って明日の会議に備えるとするか……ッ?)


この気配は。辻本は足を止めた。巧妙に魔力を抑え、存在感も消してはいる。だが魔女の修行を越えて「千里眼」なる感知力スキルを最大限まで引き上げていた辻本は“彼女”を見落とさなかった。


人工的整備のされた庭園中央部のベンチ、背もたれが絶妙な陰となっていたので、くるりと回って正面から確認すると。


「…………すー……すー……すー……zzZ」


黒金の制服を着る小さな女の子。スカートから伸びる黒タイツに包まれた脚。腕を枕にした見事なフォルムで縮こまっては幸せそうな寝顔で眠っているメアラミス。


俺の部下、俺の秘密を唯一共有している相棒。


ふと寝返りでベンチに仰向けの姿勢になった。俺はチラチラと見えそうになるスカートの中に視線が行きかけ、思わず顔を紅潮させては、


「メアラミス……!無防備すぎるだろ……!!」


そう叫び、少女をゆすって起こしてやる。突如襲ってきた喧騒に目覚めたメアラミスは不機嫌そうな面持ちで上体を起こすとようやく俺の存在に気が付いたのか、こちらをじーっと暫く見つめてきた。


「んん…………なに?」


「こんなとこで寝てたら風邪引くぞ」


辻本が呟くと、無表情のままメアラミス、無言を貫く。多分だがこの娘には風邪という病気の概念が無いのだろう。その意味すら理解していないのかも知れない。ヒトの手で造られ「奇蹟の獣」を埋め込まれた人形。九戒神使の第五神位の《羅刹》として、ただエリシオンから与えられたノルマをこなすだけの、空っぽな少女だったのだから。ちなみに彼女がよくうたた寝をする理由も、胎内に「鬼」を宿し、普段はそれに精力を喰われているから。メアラミスにとっての睡眠は一般の人間のそれとは段違いに必要なものであり、エネルギーの補充になる。


可哀想だと過った思いを辻本は懸命に飲み込む。確かに人形として産まれた過去は消せなくとも、機関のロストゼロとして今を生きる選択を下した時のメアラミスは間違いなく自分で道を決めた人間であり、俺の大切な仲間だ。


「じゃあせめて俺の上着を貸してやるから。あと隣、失礼するぞ?君ひとり置いてくと朝方まで寝てそうだからな」


そう言って辻本は、彼女に有無を言わせず白コートを被せてやった後、メアラミスがいる木製の横長ベンチに腰掛ける。樹の味わいが抽出され、身体を優しく受け止める座り心地は見た目ほど悪くなかった。この辺りは凝り性なロクサーヌ所長のこだわりか、夜の庭園の森閑とした空気にベストマッチしていると感じる。 


「……キミはお節介すぎるね、生き辛そうな性格してるよ」


「はは、よく言われる」


気だるげに呟いたメアラミスに、俺は頭を掻いて微笑んだ。と同時にある事に気がついた。


(……メアラミスと二人っきりで話すのはこれが初めてか……)


思い返せば入隊からゆっくりと話し合う時間なんてなかったし授業の合間でも必ずロストゼロの誰かはこの子と一緒にいるように任せていた。当然用意された個室も男女は別だしそもそも指揮官フロアと候補生フロアに別れている。今のよう自由に散策出来る時間もメアラミスと絡む機会が無かった。


朱雀国から拝命を受けて機関の指揮官に就任した辻本ダイキ。それに合わせてメアラミスも密命で入隊。《ロストゼロ》の生徒として「混沌とゼロを失った辻本ダイキ」のサポート要員として振る舞う、という所までは把握しているが。


(どんな経緯があるにしろ、今は一生徒として扱わないと)


「……そうだ、メアラミス。あれから玲はどうだった?」


俺はひとまず、模擬戦後に目眩による体調不良を訴えていた少女について聞いてみた。玲を医務室に連れていったメアラミスは訊ねられ数秒後、思い出したように小さくだが頷く。


「…………あぁ、もう平気ってソフィアがレイに話してた」


でもさ。メアラミスは言葉を継いだのち鋭い目を細めて、両脚をぷらぷらとさせながら『雨月玲』についての所感を続ける。


「あの子なんか変だよね、て見ててモヤモヤする」


「それは、玲が無理して盾を得物にしてるって事か?」


個人ファイルによる情報で彼女が剣、または刃のような刺殺傷をイメージしてしまう武器に恐怖を抱いてしまう事は知っている。それは俺が《英雄》になる最大の理由でもある朱雀聖都の内戦中に夕空に顕現した《黒キ太陽》の暴走を間近で見てしまったから。数百の触手が無差別に人間を突き殺し、柱のような強度をもって建物を破壊し尽くした災厄の奇蹟。あんなものを見てしまえば先端恐怖症なんて比じゃないくらい切っ先に畏怖の情が出てしまうだろう。


「分かんないけど……まあどうでもいっか、レイは朱雀だけどウチには関係ないし」


興味を切り捨てるようメアラミスは目を閉じた。


「関係なくないだろう。いいかメアラミス、何度も言うが今の君は機関の候補生だ。玲やシャルロッテ達ロストゼロとも、他の部隊の生徒とも、もっと関わりも持てばいい」


俺は諭すように静かな口調で、出来る限りの真剣な声でメアラミスに言った。しかしメアラミスは脚を伸ばして開いては閉じてを繰り返したり、まるで聴いていないような素振り。さすがの辻本も部下の態度に少しばかり怒りを覚えたか、口を歪め声質を尖らせて。


「メアラミス……!俺は真剣に君をッ」


「知らない知らない」


―――!!!??


途端メアラミスは俺の膝にごろんと頭を乗せてベンチに寝転がった。俗に言う膝枕の体勢に強制的にさせられてしまった辻本は沸き上がった怒りの感情が、すぐさま恥ずかしさによる動揺に変化して汗顔の至りに。


「んん……わりと寝心地いいね、気に入ったかも」


「こ……こら!おふざけが過ぎるぞ!」


マズイ。万が一いまの状況を他の誰かに目撃されては、例えばロストゼロのメンバーに現場を押さえられたとすればだ。俺の脳内でふわふわと具現化された少年少女が順々に登場する。


……うわぁ、メアラミスちゃんみたいな小さい子に膝枕させて喜んでる、貴方って変態でロリコンなんですね?(勝ち気な金髪ツインテール娘18才)


……なにか後ろめたい関係があるとは察してましたが、人気の無い場所で乳繰り合いとは。黒白の先導者ではなくカオスな性癖者に改名しては?(冷静沈着な青髪クール男子18才)


……私、先輩のこと信じてたのに……。朱雀を救ってくれた英雄…………失望しました。他の零組のファンは続けますので私の視界から消えて下さい。(紫紺髪のメガネ女子17才)


……強くて、逞しいと思ってた指揮官が。もしかして僕の事も狙ってたりしませんよね!?(気弱なマスコット男子17才)


……ふむ、イシス様と同門ゆえ尊敬はしていたのですが。もはや天紅月光、いや剣士の恥さらしだ!(朱髪の武人娘19才)


――違うんだ!待ってくれシャルロッテ、オズ、玲、朔夜、アーシャ!俺は無実だ、流れでこうなってるだけなんだ!


なんていう被害妄想から俺を醒まさせてくれたのは、膝元で横向きになりながら囁いたメアラミスの一言だった。


「ねえ?キミはさ、ウチの事憎くないの?」


「えっ…………」


そんなはずない。とすぐ言ってやれなかった。俺は言葉を呑み込んでしまう。どうしても《羅刹》のメアラミスが俺の仲間を傷つけた事や、アルトの街を壊滅寸前にまで追いつめた事、それにより犠牲になった多くの一般人の怨嗟が脳裏を掠める。


「…………ま、当然そうだよね。いいんだよ別に、いっぱい殺したのは真実だし。じゃあそんな犯罪者のウチ、化物と《ロストゼロ》の子達が関わるのは良くないって思わない?」


「まだシャルロッテ達はウチを“人間”と見てる。でもいずれは本性を出さないといけないかもしれない、そうなった時みんなはどうするのかな?」


「君達は、それでもウチを“仲間”として扱うのかな?」


メアラミスがここまで長い台詞を自分の意思で口にしたことは初めてだった。俺は彼女の詰問に胸が痛むも、全てを察する。


そうか。君は……


人形として本来在るはずのない心を認めてくれたユナが世界から消失して。唯一の居場所だったエリシオンから脱退、育て親でもある時宮マナの元を離れたこの子が感じていたのは―――孤独。


多分その感情の持つ意味を今のメアラミスは理解していないだろう。ただ身体の左胸部に、常に虚ろに空いていた空洞に何かが通っていた。ズキズキと締め付けられるような胸の痛みすらも俺を介してメアラミスにも共有されていたかも知れない。


だがそれを押し退けるように、辻本に安堵の思いが続けざまに寄せてきた。事を確信したのだ。いや、もしかしたらもう。そうプラス思考でこの事象を捉えた途端、笑いが込み上げてくる。


「…………くくっ、ははははっ!!」


不意に顔を片手で覆い噴き出した辻本に、メアラミスは小さな後頭部を辻本の膝に平行にして怪訝そうに下から睨み付けた。


「……は?……なに?」


「まさかとは思うが……本気で言ってるんじゃないよな?」


威圧する眼光の少女に辻本は臆することもなく、漏らした笑みを必死に堪える素振りを見せながら訊ねた。更には、普段の無表情なメアラミスが魅せるしかめっ面を拝むように顔を向けて焚き付けるよう言い放つ。


「あのエリシオンの元幹部も自分のことになると意外に周りが見えなくなるというか……なんだかんだでお子様だよな」


「………………」


ギッと強い眼差しのメアラミス。よほど子ども扱いされた事に腹立ってしまったのか、プイッと機嫌を損ねた様子で此方に向けていた顔を先程の横向きに戻してしまう。


「(あはは……拒絶しても膝枕はこのまま継続なんだな……)……悪い、少しイジワルだった。謝るからそんなへそを曲げないでくれ」


「…………キライになった。もう遊んであげない。」


言うとメアラミスは庭園の外側、海のように広がる夜空に視線を預ける。俺も流石に言い過ぎたと心中で反省するも、彼女の変調の兆しに俺自身の意思を言の葉に乗せてぶつけ続ける。


「あのなメアラミス。君が人形?鬼を宿した化物?そんなことは大した問題じゃない。大切なのはなんだから」


「多分、君が自分で考えているほどロストゼロの子たちは君を特別視もしていない。むしろ君が彼らを“下”に見てるまであるんじゃないか?」


「…………クク、そんなの」


「“最強”と畏れられた君のスペックからすれば当然だと?」


言いかけたメアラミスに重ねて俺が代わりに告げる。


「確かに君は大した子だとは思うが、同じ仲間のロストゼロも負けてないぞ?」


「オズは壁を感じているみたいだが、間違いなく魔術師としては天才だろう」


「シャルロッテもあれで、白虎名門の軍警科だった娘。タフさも粘り強さもある有望株だ」


「アーシャの戦闘能力も学生の域を遥かに越えているし、玲に朔夜だって鍛えれば確実に強くなる素質がある」


辻本の言葉にメアラミスはまだ大して深い繋がりでも無い、それでも同じ道を歩むことになる少年少女を思い浮かべた。


「………………」


「―――まあ、言いたいのは間違いなく今のままだと君は置いてかれるぞってことだ。だったら、俺やマナさんも知らない新しいメアラミスをここで作っていけばいい」


「俺は君が変われる手伝いをしたいと思っている―――」


締め括られた言葉の温もり。メアラミスは感じたことのない心の慟哭が耳に聴こえた。膝枕越しに少女の身体が、一瞬、ほんの僅かに強張った。辻本の膝に頭を乗せたまま、メアラミスは雪解けのような穏やかな声で、囁く。


「…………バカだね、化物の面倒を見たがるお人好しなんてそうはいないよ」


口ではそう言いながら―――メアラミスは不覚にも涙が滲みそうになっていた。胸の奥が、もうしようもなくぎゅーっと締め付けられ、それを必死に“無垢の殻”で覆い尽くす。


(…………この変な気持ちは)


こんなに馬鹿正直で、ストレートで、温かい言葉を聞いたのはこの世界に生まれて2度目だった。メアラミスは伏せた瞼の裏で初めての記憶を思い返す。それは雪の街での決戦。人形同士の熾烈を極めた戦いの後。


―――しっかりと見て!受け止めるのッ!


―――死んだら終わらせれるなんて、そんな勝手なことは私がさせない!


―――ちゃんと罪を理解して、償うんだよ!


―――そして、自立するんだよ!メア!


―――宿命や鬼に操られる人形じゃなくて、自分の足で、


(…………自分の心で…………)


『ユナ』がかけてくれた言葉。抱きしめてくれたあの時。ただひたすらに、本能のまま殺戮と破壊を繰り返してきた人形メアラミスが初めて敗れた日。初めて心を意識した瞬間。


不意に、胸の奥に、ユナが消えたという事実を聞いてからここ数ヶ月居座り続けていた人恋しさ、寂しさの疼きのようなものが大きな波になって人形を揺さぶる。メアラミスは辻本ダイキの、ユナと同じモノを感じられる彼の温かさをもっと直接、あるならば心の触れ合える距離で確かめたくなった。


無意識のうちに唇から短い言葉が、辻本の腿でこぼれ落ちる。


「ねえ……してあげよっか?膝枕」


ゆっくりと体を起こして、小さな顔を隣の辻本に向ける。


辻本はわずかに黒い瞳を見張ったが、やがて小声で「お願いしようかな」と答えた。メアラミスはコクりと頷いたあと、透き通るような柔肌と黒タイツのコントラストが美しい脚を積極的に見せてきた。


「じゃあ脱がせて」


「それは自分でしなさい……」


ケチ。とメアラミスは機関候補生女子の希望者にだけ配られたタイツを太ももに手を這わせながらスカートまで脱ぐ。エリシオンにいた頃は脚部に何も付けていなかったが、マナ曰く「これは貴女に自分を一般生徒なんだと思い込ませる暗示よ」と微妙に納得出来ない理由で履かされているそう。ロストゼロではメアラミスの他に玲がタイツを着用している。


馴れないタイツをもどかしく、スルスル……っと質の良い擦れた音を鳴らして、ようやく開放的な脚を見せた。長さも細さも見事な黄金比率、メアラミスはぽんぽんと自分の太ももを叩いては辻本を急かす。


「ほら、おいで?」


「あ、ああ……それじゃあ失礼して」


辻本は今更になぜわざわざ脱いでナマ足なんだ、と疑問を感じるも腹を括ってメアラミスの魅惑の両膝に頭をゆっくりと乗せていき楽な体勢を見つけていく。


「…………ちょっとそれ、くすぐったい」


「わ、悪い!…………これでいいか?」


「んっ……キミわざとやってない?」


―――暫くそんなやり取りを交わしたあとで、ようやく二人は落ち着いた様子で静寂の庭園を味わう。辻本も最初は気恥ずかしさがあったのだが、不思議と馴れのようなものか、柔らかくて気持ちのいいメアラミスの膝に陶酔めいた感情を抱く。


(ふぅ…………このまま眠ってしまいそうだ。静かで、それほど寒くもなくて、いやむしろメアラミスの体温を肌で感じられる分に暖かい気までしてきた)


「…………ユナ、今頃なにしてるんだろ……?」


ふと掛けられた言葉にも、俺は体の向きを変えることはしなかったが、メアラミスの表情を察してあげることは出来た。それは喪失感、空虚感を滲ませる顔。俺も同じ顔つきだろう。


「………………」


俺は黙り込んでしまう。ユナ―――《深紅の零》の最中に世界を影から操っていた黒幕『時宮ロゼ』と彼女率いる《アンセリオン》に連れ去られてしまった少女。


辻本が四聖秩序機関に赴任し最前線に蔓延る闇、ネクサスウィスプやネメシス、暗躍する勢力に挑み続ける最大の理由はユナの手掛かりを掴むためでもある。メアラミスもその想いは同じだ。だから俺と君は仲間であり、相棒なんだから。


「…………なあ。メアラミス、手借してみろ」


唐突な言葉にメアラミスは首を傾げるも、自分の膝元で横たわる彼が星空に向けて伸ばした右手を、おずおずと左手で掴んであげる。指先が触れ、絡み合う。


「…………俺達がこうして繋がり続けてる限り、ユナはどんなところにいても絶対に足掻いてくれている、決して未来を諦めなんてしない」


「だからいつまでも信じよう、繋がる心―――その絆を」


メアラミスは思い切ってぎゅっと強く握った辻本の手は、焔のような熱さを帯びて、常に人間に温もりを与えていた。


しっかりと手を繋いだまま、メアラミスはふふっと微笑む。俺は反射で見上げるよう少女の顔を見ると。


「そうだね、ダイキくん――――――」


「…………!」


刹那、星空を背景に覗き込まれたメアラミスの童顔が、ユナの綺麗な顔と重なる。声すらも重なって聴こえた気がした。造られた人形のモデルが同じだからなんて無機質なモノではなくもっと超常的な力が働いて、遠くにいるユナの心がメアラミスに宿ったような奇跡を目の当たりにする。


俺は瞼を閉じた。メアラミスが初めて俺のことをキミ、ではなくダイキと名前で呼んだ事が、この先を進む上でとても大きな一歩になる予感を覚えながら。


二人の心臓はいつもより少し速めに鼓動しているのに、もっとこの空間を味わっていたいのに、残念なほど早く眠りのとばりが訪れメアラミスの意識から先に心地よい暗闇へと導かれた。


「一緒に頑張ろうな、メアラミス」


その後、辻本は眠ってしまったメアラミスの膝下からそっと頭を退けては、起こさないように気遣いつつ彼女を横抱きで持ち上げ、《フロンティア》の候補生居住フロア3Fのメアラミスの個室まで運んだのだった。(ちなみにかかっていた鍵はたまたまエレベーターで出会ったソフィアさんに付き添って貰い、彼女が持つマスターキーの特別ICカードで入室した。)


…………静穏の外郭園。辻本ダイキ指揮官がメアラミス候補生をお姫様だっこで連れ出した同時刻。庭園の陰に、ひとつの人影があった。


「クスッ…………」




◇◇◇ ◇◇◇ エレベーターにて ◇◇◇ ◇◇◇


ソフィア

「夜に生徒を寝かしつけて、イケナイ大人の指揮官くんは何をやってたのかな?」


辻本ダイキ

「いや、これには深い事情が。というかソフィアさんにだけは言われたくないです……(男子からの評判が凄いんだよな……主にエロ方面で)……って、だから近いですよ距離!」



ソフィア

「ええ?せっかくこの子と私で夫婦ごっこできるのに」


辻本ダイキ

「し、ま、せ、ん!!」


◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇




翌日の朝―――爽やかな朝陽が白く世界を満たす。


フロンティア5Fの軍略会議ミーティング室。


入隊式の職員顔合わせから月光との出会い、また細々とした打ち合わせ等、多目的に使用されるこの部屋を占める長方形のレイアウトに並べられた会議用テーブルに、最奥に鎮座するロクサーヌ所長から見て左側にイシス、カグヤ、月光、辻本ダイキが着席。右側には五芒星のアレン、フォード、ゴリアス、カノンノの順で座っている。


白虎本隊から連絡役として訪れた五芒星達を入れて開始された四聖秩序機関のブリーフィング。ロクサーヌ所長の隣で立っていたスキンヘッドの巨漢、モーガン副所長が参加者全員に資料が行き届いた事を確認し終える。またその後ろ、スクリーンの隣にはヴェナ特別顧問も神妙な面持ちで起立している。最後に端の小さなテーブルで横並びに座りながらアネットとソフィアが魔導パソコンを使って会議の議事録を克明にメモしていた。


「…………これは」


「まさかこんな早い時期で……」


「そんなの、ムチャですわ……!」


辻本が険しく呟いたのを口切りに、ツインズ・オウル指揮官の月光、カグヤが驚く。


「……成程、シーカー指揮官が週始めからやけに忙しなくしていたのはが理由だったか」


次いで、ファースト・ワン指揮官のイシスがトライ・エッジ指揮官のヴェナに訊ねる。ある極秘の連絡が彼女の祖国である玄武から入った時の事か、と辻本や他の職員も各々に回想した。


「フフ、これぞ《人柱》として正しい使い方であろう。」


「して五芒星よ。立案はどの所属かな?」


ロクサーヌは入隊式から言っていた贄、ともいえる機関の本質をここで改めて口にする。そして白虎サイドに問い掛ける。


「白虎帝国軍の新設組織、《鉄血の盟傑》からシェフィールド様が我々と現地入りで協力……立案はお察しの通りロラン宰相の意向です」


代表してアレンが真剣な口調で所長や職員達に伝える。


「アイアンブラッド……ロランさんが独自に作った少数精鋭の部隊ですわね」


「(主戦派直属か……)……そのシェフィールドという方は?」


カグヤが不審がる様子でそう言うなか、辻本が質問する。


「《千の刃》や《翠嵐卿》の異名を持たれる白虎最強クラスの戦士です。わたし達はお会いしたことないんですけど……」


「うぬ、憲兵から出向なされているモーガン少佐なら面識もおありなのでは?」


カノンノからゴリアスが発言。彼らと同じ白虎人の副所長に全員の視線が集まった。


「当然ある。だが五芒星はともかく、指揮官諸君は自分と部下たちの心配をした方がいいのではないか?」


粛々とした態度でモーガンが左側に並んで座る指揮官達にそう言った。辻本は再度、手にした計画資料に目を通す。


『玄武国南西部で、不穏な動きアリ。不審な抗争を行う複数の狩猟団、そして《ネメシス》―――。新設されし四聖秩序機関の候補生総員をもって各地で対処に当たらせるべし』


「……担当エリアを二つに別けた実習名目……しかし実際は入隊したばかりの生徒たちを場合によっては“実戦”に投入するという事を承認しろと……!?」


記載された内容。余りに無茶苦茶な指令に辻本は不信感を募らせ会議の場で声を荒げてしまう。だがそれを対面に座るアレンが落ち着かせた。


「冷静になれ、朱雀辻本。……ネメシス、これでデリス全土で6体目になるか。」


「でもそいつら全部が別々の個体なのかどうかもまだ不明なんだろ?現に4度目まではその巨人が自分で消え去ってるらしいじゃねえか」


「……初めてあれを完全に消滅させたのが2週間前、機関の入隊式の日に《セントラル》に顕れた5体目。ここにいるダイキが討ったネメシス」


フォードの疑問から、指揮官月光が同期である辻本ダイキの功績を改めて言い直す。突然の演習、それも実戦任務になる可能性が極めて高い計画表に暫く黙り込んでしまうも、モーガンが説明を付け加えた。


「だがこれが機関が世界政府に認められるための条件のひとつでもあった。知っての通り現在、デリス四大国は“外界の侵略者”などと呼ばれる化物の対応に追われている。かつ外国の動向や犯罪組織にも目を見張らさなければならない」


「―――結果として白虎以外の三国は特に、周辺国との緊張状態もあって自国の警戒レベルが低下しとる。直近にネメシスが出てもうたうちなんかはもうてんやわんやな状況や、


「俺達……ということですか」


ここまで黙っていた玄武サイドのヴェナがようやく発言、モーガンから継いだ言葉に、辻本は納得できずとも頷いてしまう。


「あくまで体裁は“演習”、万が一に備えて最新の魔導兵なども用意する。更には機関の演習用となる装甲列車も完成した」


「演習用列車……?!そんなものまで……!」


モーガンの言葉に今度は月光が驚きで声を荒げる。


「フフ、私の魔法演算で完成するさ。まあカラクリは当日実際に体感してみるといい。さぞ驚くであろう」


とロクサーヌが自慢げに言うと、隣で控えていたヴェナに金色の瞳で視線を送った。ヴェナも「はいよ」と相槌を打っては、会議室にある巨大スクリーンをリモコンで作動させる。


スクリーンにはデリス世界地図が表示される。ヴェナが操作することで徐々に縮尺が大きくなり、北の大国「玄武」が映し出された。


「実習地は《コーネリア州》。《ヴェルサス王都周辺》と白虎国境方面を一緒にした2ヶ所になります。日程は来週の金曜の夜に専用列車にて現地へ向けて出発。期間は共に三日間」


「現存の候補生約500名の1/4をコーネリアに、3/4をヴェルサスと国境方面に。全指揮官は前者、五芒星さんとが後者に同行する形で現地駐在の玄武軍と話を進めさせてもらってますわ」


ヴェナが淡々と外国実習の詳細について説明する。ネメシスが顕れたのはコーネリア州の街道付近の湿地帯。またコーネリアは王都に比べて規模が小さい等の補足も聞かされた後、会議を締め括る言葉をロクサーヌが発した。


「よかろう。今の我らが欲すは実積だ。見えざる脅威に備えた実戦も想定する外国演習」


「《礎》たる資質を計れるには十分な舞台よ―――せいぜい若者たちを踊らせてやるとしようか」



 そして月曜日、玄武の異変を調査すべく週末に演習名目で外国に向かう《カリキュラム》について、候補生たち全員に入隊式を執り行った講堂で所長の口から伝えられる。


最中に辻本ダイキは壇上の端で他の職員と列びながら、自分が担当する部隊《ロストゼロ》の子たちの反応を伺う。


(……玄武コーネリア州か…………ッ)


深い青の前髪が目に昏い陰をかけ、どこか哀愁を帯びた表情の青年『オズ・クロイツ』―――玄武出身の彼が秘めた心の闇をこの時の辻本ダイキはまだ知る由も無かった。


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