4節「天紅月光流vs天紅月光流」
《セントラル》中心部に設けられた野外訓練用グラウンド。空の色はそろそろ青から黄金色に変化していく途中か。機関所長による無茶ぶりで、仕合をする事になった辻本ダイキとイシスはそんな中で対峙している。
「…………」
「…………」
しばらくのあいだ、二人は沈黙。瞑想した。その間に周囲では仕合を観戦するため動き回る候補生ら50名程の足音や話し声だけが鳴り響き続ける。
此方《ロストゼロ》側。眼を閉じる若手の指揮官を心配そうに見守るシャルロッテ、朔夜、オズ、アーシャの様子。
「なんか大事になっちゃったけど……、一応は応援してあげなくちゃダメかな……?」
「うん……でも相手は青龍の王室親衛隊を務めるほどの人」
「騎士団の《六神槍》だったか。実戦の経験値では圧倒的に辻本指揮官が不利だろうが、彼には《混沌》がある」
「ふむ、果たしてイシス将軍にどこまで通用するか。個人的には両者共通の《天紅月光流》が見物だな……!」
珍しく興奮気味の武人娘アーシャに三人が空笑う。入隊当初から武術に関しての向上心が強い彼女ゆえの心境、着眼点なのであろう。
「アーシャさんホント好きだよねぇ……(でもどっちを応援するんだろう……)」
そんな事をふと思いながらシャルロッテは、対面側で見学しているこの仕合に発展させた原因でもある三銃士に目を移した。
此方《ファースト・ワン》側。瞑目する熟練の指揮官に成行を託したシン、ヴァイト、蘭は鷹揚な態度で静観している。
「ケッ、こんなのイシス指揮官が勝つに決まってる。賭けにもなりゃしねえ」
「イシス様はワタシの国では英雄アルね!でもスザクにとってはあの黒髪の指揮官こそが救国の英雄」
「ああ……同じだ……(その在り方はまるで違いますがね……辻本ダイキさん……)」
憂いのある顔でクラスメイトに頷いたシンの瞳に両雄が映る。互いに瞑想を終え準備万端の様子で仕合についての取り決めを話していた。
「では召喚獣の使用は無しとしよう。と言っても機関に入隊するにあたって祖国からの持ち込みは禁じられていたか。」
漆のよう黒い長髪と指揮官用制服の白コートが風に靡くなかイシスが同じ色基調の辻本に改めて確認する。
「ですね……分かりました」
辻本は黒い瞳でそう言うと相槌を打つ。実際のところ、ここ白虎リューオンに到着してセントラルに向かう間、人避けの加護を受けるため喚び出した風の召喚獣『アトモス』。あの妖精たちを宿す魔石以外は所有していなかった。
俺をここまで導いてくれた『フェンリル』も聖都決戦、つまり深紅の零の日に零組を集わせる役割を全う、最期は槍となって天に消滅している。
「今回は剣と魔法、それでいきましょう」
言いながら、辻本はふと左側、グラウンドの端でフロンティアに続く階段でこれから仕合を見物する部下達に視線を向けた。
(急展開だが、捉え方によってはこれは絶好の機会。ここで俺が
辻本はオズ達を見ながら腹案を再度思考し直す。あらゆる状況を計算した上で作戦を立てる能力は、イシス師姉の方が経験則から何枚も上手なのは認めざるを得ない。冴え渡る《天紅》の薙刀に水の術式を操る魔法詠唱の速度、青龍王室親衛隊が《水の槍》の英雄に対しての立ち回りをこの間で最大限に巡らす。
(必ず隙はある。見極めろ―――そして切り拓け!俺は剣の皇であるカイエン師と優秀な魔女のマナさんから戦いの極意を教わった、そんな経験をしている者なんてそうはいない!)
俺は腹を括って、対峙するイシス将軍と向き合う。ほんの僅かな時間、辻本とイシスは互いを凝視する中、一歩踏み出してきたのはイシスだった。将軍は大きく息を吸うと、
「決闘の見届け役は……アーシャ、頼めるか?」
「は、はい!!」
先程まで俺が目をやっていた方角から名指しされたアーシャが忙しなく二者の間に。畏まった表情でピシッと直立する。
「僭越ながら、若輩者アーシャがお二人の仕合を!」
「あはは、そんな堅苦しくしなくていいぞ。しかしイシス師姉はロストゼロのアーシャと面識があったのですね。彼女が貴女にとても憧れていることは流石に理解していましたが」
俺はそう言って、らしくなくテンパっていた朱髪娘アーシャの可愛らしさに少しだけ和みつつ青龍王国の二人についての関係に探りを入れてみる。
「何度かアーシャの通う道場に臨時の師範として赴き稽古をつけた事があってな。《森羅水滸流》―――かの《
「はっ!私が虎国に行く時も師範代からイシス様の機関職員としての赴任を聞かされたものでして」
(……そうか、イシス師姉の《天紅月光流》の伝位は免許皆伝。そこに到達すれば他の道場の巡業も出来たり、弟子を取ったりも許されるんだった)
辻本は成程と、頭の内で二人の繋がりを納得しながら割り込む。
「それでアーシャはイシス師姉と。俺やキリトはまだ中伝ですから……。臨時とはいえ師範代として各地を回りつつ青龍軍の精鋭としても活動する、途方もなく忙しかったでしょうに」
俺の感想に、イシスは仄かに苦笑すると頷いた。
「なに、昔から体力には自信がある。それに伝位など今の職場では関係ない、此度のこれも武術の稽古ではなくあくまでいち指揮官同士の仕合だろう?」
問われ、今度は俺がこくりと頷く。
二者が立ち位置につく様子を外周部から遠巻きに見守っているのはロクサーヌ、そして月光。
無茶だ……いくらなんでも。
同僚の背中にそんな言葉を想うも、月光の唇は小さく震えただけだった。月光は腰に差された剣の鞘に掌を添わせる。辻本の剣士としての実力は出逢ってまだ数日の月光も十分に理解していた。また辻本はよく休憩時間に学院の図書室で好んで武器名鑑の類いを借り出していたことも知っていたため、根っからの剣術マニアなのだということも。
加えて持ち前の洞察力。それらを持ってしても敵わないと断念してしまいそうな程ここからでも感じられた。今、辻本ダイキが対峙している相手が正真正銘の「武の頂き」に近い者であり到底届かないという……そういった直感が。
「―――双方、構え!!」
見届けの大義を任された候補生女子が声高に言い放つ。
と同時に辻本はじゃりん、と澄まされた音と共に鞘走りさせた愛刀、《黄昏の太刀》を体の前に構えた。まるで刀身そのものが発光しているような眩い輝きが周囲の目を射る。また彼が纏う闘志と剣気は凄まじいもので、己に巣くう深い疑念を断ち切ろうと衝き動かされている。
しかし、流石は龍国の英雄というべきか、イシスは堂々たる仕草で背負っていた「薙刀」の柄を取った。涼やかな音とともに抜き放つ得物、名を《青龍偃月刀》。青龍王家に伝わりし宝具のひとつで至高の武人にのみ拝受できる栄誉の矛。暗い青に輝く刀身に、絡み合う二匹の龍の像嵌が見て取れた。
イシスの放つ剣気が、辻本のそれを押し返す勢いで地上の空気をぴりぴりと震わせる。
「―――始め!!!」
緊迫する両雄の状況にアーシャから開始の掛け声がかかった。
「………………」
瞬間、両者が最初に選択した動作は「受けの構え」だ。先程まで候補生達の騒ぎ声を乗せていた風は止んでいる。だが両者の間で圧縮された闘気が、魔力が白くスパークした気がした。
……ダイキの奴、大丈夫かな……。
月光はごくりと喉を鳴らし同僚の名前を呟き案ずる。緊迫した空気の中、隣に立つロクサーヌが低い声で囁いた。
「フフ、畏れているな……彼。」
息を呑む月光に向かって所長はただ、それだけを告げる。
「――――――」
辻本ダイキ。剣先を相手の目に向ける「正眼の構え」や「水の構え」とも呼ばれる基本姿勢で敵を見極めている。本来辻本が太刀を振るうにあたり得意とする「脇構え」や「陽の構え」。右足を引き体を右斜めに向け、刀を右脇に取り、剣先を後ろに下げた構え方は主に迎撃に有効な型ではなく。
つまり今、辻本が選択した構えは「攻め」にスムーズに移行でき、また様々な状況の変化に咄嗟に対応のできる隙のないものなのである。
「――――――」
対して薙刀使いイシス。相手に刃先を向けた状態でやや上げ、石突側の手を後ろ足付け根付近に構える。これは薙刀が身体の重心付近にあるため動きやすく、突きや払いを素早く繰り出せる攻守のバランスに優れた構え。敵を近間に入れない型。
対峙する二剣士は、相手の現段階の実力、間合いを計るかのように長い間睨み合っていた。グラウンドの上を低く流れる雲が傾き始めた日差しを遮り、幾筋もの陽の柱を作り出している。
(さて……この人相手にどう攻めたものか。またどこで混沌を織り交ぜる事が出来るか……ちゃんと出てくれよ、混沌。)
辻本は呼吸と間合いを常に見極めながら、穏やかな風のなかでゆったりと落ち着いて考えた。
その間に陽の光のひとつがイシスの薙刀に当たり、まばゆく反射する。刹那―――予備動作ひとつなくイシスが動いた。
止んでいた風が、嵐となって襲い掛かる!
びぃん!と空気を鳴らして、イシスは超高速の突進をかけた。左に大きく振りかぶった薙刀が宙に蒼い弧を描き、まるで台風のよう凄まじい乱舞を繰り出した。
……先手をイシス指揮官が……!?
見物する候補生、月光、それは辻本ですら驚いたであろう。だが辻本の反応も流石の速さ、予測していなかったイシスからの初撃を何とか太刀で受け流し続ける。
しかし轟風の勢いで放たれる薙刀術にカウンターを仕掛ける隙が見出だせない。幾度も衝突する朱刀と蒼刀、おぼろに霞みだす世界が揺れ乱れる。
(ッうう……馬鹿か俺は!!どうしてイシス師姉が俺よりも先に攻め込む可能性を考えなかった!?)
(これは道場の稽古じゃない!真剣勝負の仕合だ!それも同じ指揮官という立場―――同等のモノを背負った、仕合前に本人から言われたばかりじゃないか……!!)
辻本はその部分を大きく失念していた。心のどこかで自分が挑戦者の立場であると勘違いしていたのだ。だからイシスから動いてくる事は無いだろうと、俺の剣筋と技の型を視て彼女がぶつけ返してくるものなのだと。
押しては退く波のような連撃。しかし一定のリズムがあるわけではなく不規則に多段技を織り交ぜてくるイシスの搦め手により辻本は防戦一方の状態に追い込まれる。
「ッ―――はあああ!!!」
撃剣の音の応酬、立て続けに響く辻本の咆哮。武器の性能はほぼ互角らしく、一般候補生たちの眼にも捉えられないほどのイシスの連続攻撃を、徐々に辻本は的確に両手持ちの太刀で弾き返せるように。
「フンッ……!!!」
(……見えた!イシス師姉の……台風の目が!!)
そして、連撃にわずかな間が空いた、その瞬間。横凪ぎに払われる薙刀を、辻本が反射的に己の剣で受けようとする。
しかし、その動作を読み切っていたイシスは刀身を弧状に回転させ峰側の部位で辻本の腹に深々と一撃を食い加えた。
「ぐ……はあっ!!」
肺の中の空気を全て吐き出すような声を上げながら、なんとか脚から靴底に魔力を流し込みブレーキをかけ。踏みとどまる。
「…………痛ッ……効きますね……。」
「まだまだ。卿のチカラはそんなものか?その程度で朱雀の闇を切り払ったのか?」
激痛を圧し殺した声の辻本にイシスは冷酷に言った。辻本は構えを戻し必死に荒れた呼吸を整え直す。
「凄い……!まさか入隊から数日でこのような仕合を間近で拝めるとは、これは目に焼き付けなくては!」
見届け役として最も接近した位置のアーシャ。規格外の強さを誇る青龍の将軍と、それに追いつこうとしている朱雀の剣士。この仕合の勝敗を、離れた場所で見ている月光の「辻本ダイキが厳しい」という結論に達しているのだろう。しかしそれでも、ロストゼロを率いてネメシスを撃ったこの人ならもしかしたら。
そう念じつつ胸の前で強く手を握った。それは、同じロストゼロのシャルロッテ、オズ、朔夜にも伝播する。
「辻本指揮官……っ!」
部下達の溢した声。それが本人に届く事はなくても辻本は諦めずにイシスの技をギリギリ回避していた。絡み合う二対の剣の軌跡が空中に複雑な模様を描き、光塵を散らし、また離れる。
と、不意に辻本が右手で太刀を握りながらもう片方、革製指貫のグローブをした無手側の掌をイシスに突き翳した。
―――虚白魔法(トレス―ヴァイス)……!
―――虚黒魔法(トレス―シュヴァルツ)……!
「……その魔力は……」
「ええ、これが俺の!!」
いつの間に魔力を練り上げ構築していたのか、イシスは突き出された彼の掌に充填された白と黒の輝きに眼を惹いた。
まさかあの攻防の最中で―――?
イシスの直感は正しかった。そう。辻本は本来は立ち止まって練り上げる魔法術式を激しく動き回りながらに組み上げていたのだ。それは例えるなら全速力で脚を動かし凸凹の道を走りながら、手に持った針の穴に糸を通すような……それほどまでに繊細な技術。
(そうだ……こんなの常人じゃ出来ない。零組でも魔力操作の才があったマコくらいか。俺も魔女の園でマナさんに教わり死に物狂いで修行してやっとこのレベルまで到達したんだ!)
「《混沌》発動!!“カオス・ルインガ”!!!」
相反する魔力を繋ぎ止め、掌から一気に解き放つ。幾十に分散された黒白の光線は瞬く間にイシスを四方八方で捉え、イシスの間合いを覆い尽くす。
「あれが!」
「
「ほぅ……(時宮の娘から受け継いだ……)……フフ、なかなか見事な“色味”じゃないか、黒白の先導者よ!」
モノクロの色彩が飛び交うなかオズ、シン、そしてロクサーヌがそれぞれ眼を凝らして辻本の姿、彼の力を目撃する。それは周囲の生徒らも思わず息をする事すら忘れてしまうほどの魔力が一帯を支配していた。
だがイシスは被弾直前、薙刀を車輪のよう廻してなにもない地上から水を現出させると、それを汲み上げ球状の結界を展開。黒白が穿った地面から黒い煙だけがいくつも爆発する。その厚い煙のなかイシスの声が響き渡った。
「我を守護せよ、アクアリウス・ディスペル!!!」
次いで、
「……ッ、流石に分が悪いか、だが!!」
すぱっ!と蒼い光の帯が放射状に迸り、混沌を切り裂いた。氣を纏い無効化したイシスの一刀はたちまち煙を晴れさせ、世界は光を取り戻す。
「なっ!!?」
辻本は慌てて視線を散霧するよう消失した黒白に走らせる。と同時に再び自分だけの世界で思いを巡らす。
(気合で弾くなんて……!擬似的混沌じゃ威力が本来と比べて弱いんだ。だが……発動は出来た、みんなの前で!)
(取り戻せた……《黒白の先導者》の俺を、これでしばらくの間は機関の目をやり過ごせる―――!)
「……また吹いたな、濁り色の風が…………」
えっ。辻本は顔を上げる。そこにはどこか失望の感情すら伺えるイシスが怒りを滲ませ睨んでいた。声質は低いも静電気のよう帯びた空気を放ち。
「どこを見ている……?」
その言葉に継いでイシスが薙刀を辻本に向ける。
「卿の風は迷走……そんな
イシスの剛毅な一喝、口元がぎりっと引き締められ、次いで大きく開かれた。天地を揺るがす気合と共に、辻本に向かって薙刀術の真骨頂でもある重突進をかけた。蒼白の光を一直線に引きながらのロケットのような迅さに辻本は歯を食いしばり躱す事を捨て、勝負を諦めかけた―――その瞬間。
※※※
「足下ばかりを見るでない、もっと遠くを見ろ!道なき道であろうとただ真っ直ぐに、己の拓く切っ先だけを!」
それが、老師の口癖のようなものだった。
これは記憶。ある雪の日に遡る。
俺、辻本ダイキには幼少の記憶が無かった。物心がついた頃には老師に連れられ、毎日ひたすらに剣を振るったものだ。だから俺を産んでくれた両親の顔なんて知らない。老師がある仕事のため一度門下生らを解散させた時、まだ小さかった俺は朱雀北部にある連峰の麓都市、《星辰の郷》アスタリア、通称星見の秘境と呼ばれる小さな処で俺は預けられ育てられた。
12歳だったと思う。その雪の日、今日も俺はいつもの修行地に門下生たちと過ごしていた。
険しい山々に囲まれ空気も薄い場所。「藍の杜」での出来事。
「……フフ、稽古後も居残りとは随分精が出るな、ダイキ。斎やエリカ、小次郎はもう街に下りたぞ?」
当時22歳のイシス師姉。深い海のよう美しい蒼色の着物姿はいわゆる女侍のような格好。かなり年の離れた弟弟子である俺にも普段通り優しく声をかけてくれる。
斎は俺と同時期に天紅の門を潜った天才女剣士。エリカさんは3つ年上でとても美女な刀使い。小次郎はつい最近門下生入りした年下の男子だ。
天紅月光流は他の武術流派に比べてまだ歴史が浅く、使い手も門下生を加えても五十人レベル。殆どはカイエン老師の気まぐれで剣の道に導かれた若者達であった。老師は朱雀の出身者だが弟子の出生や国の違いは気にしない人で、例えば俺は朱雀の産まれらしく斎も同じ朱雀人だが、エリカさんは白虎生まれである。今目の前にいる
「……こうしてないと皆に置いてかれそうで不安なんです」
辻本少年は押し殺した声で呟く。夕暮れの陽が照らすため出来た陰がハッキリと顔に掛かっていた。不意の言葉にイシスは無言で腕を組むと、弟弟子の心意を計るように、眼を見た。
「エリカさんはオリジナルの《菖蒲の型》を完成しつつあると聞きました。今日いつきと打ち合った時は彼女のスピードがまた上がった気がした……小次郎の剣筋のセンスも日に日におれに迫ってきてる」
ずきん、という胸の痛みが辻本を押さえつける。
仲間の成長を喜べない。それらはとても辛い時間だ。何よりも大切な己の価値が理不尽に切り離される痛みによって、魂が深いところで傷つき、血が流れるのが判る。そんなこと私だって何度も経験したさ。イシスは黙ったままでそう思った。
「いつきが言ってた……イシス姉さんは
「……凡人では、どんなに努力しても駄目なのでしょうか」
それは夢を持っていない、まだ見つけていない少年の絶念めいた言の葉が零れた。あまりに無力で、ちっぽけな剣士の声。
「―――天紅月光流・終の型は《無》だ。無とは空虚であり光のない闇の中。」
まだ矮小な子供に、諭すような口調でイシス。
「考えるな、周りの空気に囚われるな、己を信じろ」
勝負の時こそ無念無想。師の言葉を繰り返した。
「ダイキ。そなたはどうも人の顔色を窺う癖があるな。他者に合わせたがる、同調しようとする、似せようとする。なぜ己を嘘の風で偽るのだ?」
芯を食ったような指摘に俺は片手で顔を覆ってしまう。現実から目を背けるように、心に重く圧し掛かる、胸を引き裂かれるような痛みを堪えて叫ぶ。
「……何もかもが怖いんです!俺はもう独りはイヤだ!置いてけぼりにされたくない!」
「貴女の事だって畏れている……尊敬してるのに、大好きなはずなのに……っ!!」
もう俺に歩める道なんて無い。そう思った途端、両肩に温もりが伝わった。イシスが両方の手を置いて添えてくれたのだ。そして綺麗で曇りのない色の瞳で辻本をじっと見つめた。彼女は腰を落としていたのだろう、背の高いイシスとその時は目線が同じになった。
しんしんと降り頻る雪の音が消える。
「それでよいのだ。」
耳の奥に流れ込む、雄大な高原に吹く風の如し、優しい声。俺は姉弟子の声にだけ集中していた。
「相手を畏れた時こそが成長する最高の機会なんだよ」
「無を支配した心を携え、常に前を向け。強くなりたいという願いを胸に、畏れを勇気へと変えろ」
「私達が剣を握る意味、辿り着きたい未来はもっと遥か彼方の先にあるのではないか?ならば見据えるは―――ただ真っ直ぐのみだ」
雪解けのような感覚。いつの間にか両腕で冷え切ったダイキの体をイシスが母親のように包み込む。縮こまったダイキの体から、ふっと力が抜けた。
耳元で囁きかける。
「安心しろ、ダイキは強い。だがもしそなたが大人になり……いずれ姉弟としてではなく対等の剣士として向き合う時があるのなら」
「ちゃんと私を、いや……私の先を、見るのだぞ?」
―――記憶。これは「俺」だけの想い出。甘く柔らかい温もりのなかでゆらゆらとまどろむ。
目覚める直前の心地よい浮遊感。杜の梢を透かして差し込む陽光が、穏やかに頬を撫でる。
―――適合率、8%―――
「天紅……月光……」
金髪の青年が、剣士達のぶつかる寸前に喉の奥から漏らす。周囲をぶんぶん見回すと隣にはロクサーヌ所長。今この瞬間、自分が同僚の仕合を観ていた事にようやく脳が覚醒した。
数瞬遅れて“あいつ”の声がした。それは決意に満ちた、雷鳴のような雄叫びと共に放たれた言葉。
「俺の目指す場所は……未来にしかない!!!」
ぎゃいん!と鋭い金属音とともに、イシスの薙刀の切っ先が大きく弾かれた。受け止めたのは、辻本が僅かな時間差で斬り上げた右手の太刀だった。針の穴に糸を通すような完璧なタイミングでの防御。
「ぁ……!!」
「辻本指揮官が防いだっ!」
驚愕の声を漏らす候補生たち。この仕合をイシスのこの一撃で勝負ありと視ていたロクサーヌや月光もその気配に驚く。
「オオオオぁぁぁああ――――――!!!!!!」
直後、両手持ちの刀が、霞む程の速度で次々に撃ち出される。流れるような重攻撃に今度はイシスが攻め込まれる展開。いつしか二者の立つ位置は中央。ややイシスが圧されるまでに。
朱と蒼の剣光が溶け合う、その剣戟はまるで夜空に幾つも流星が飛び交うようだった。いったいあのような速度で撃ち合うにはどれほど長期間の過酷な訓練が必要なのか、アーシャには想像も出来なかった。
……ようやく見えたよ、卿の風が……
(そうだダイキ。卿はまだ若い……悟るな。己を見限るな。環境に流されるな。無限の未来を夢見ろ。そして掴め。)
(ええ……俺は知らぬ間に惚けてました。いや大人ぶっていたのかもしれません。この四聖秩序機関という国同士の策略が交錯する環境のなかで、「俺」をモノとして捉えてしまってた)
違った。確かに全てを晒すことは出来なくても。俺の最初を象作っている剣士の領域にまで仮面を被せる事は、俺と共に天紅月光の道を歩んだ皆、志し半ばで逝ってしまった者に対しての侮辱。なによりも俺自身を貶めていたから。
次いで、ごっ!という大音響とともに、両雄が反発。開始位置と同じ地点に改めて立つ形になる。
「―――問おう、卿は何をもって剣を振るう!?」
イシスの問いに、辻本はブレの無い心で毅然と答える。これから立ち向かうどんな悪意に対しても心を挫かれないためにも。あの雪の日のよう、日々の孤独や焦燥に染められていた身体に温もりを与えてくれた恩師に。凛とした面差しで。
「俺は、天紅月光流の中伝、辻本ダイキ!!」
「この太刀でデリスの闇を切り払うと決めた者!!!」
その表明に周りで囲んで見物していた次代の若者たち。暫しの沈黙に包まれるも、それはすぐ喝采に変わった。
「……うおおおおおお!!!!!」
「え、なに、カッコよすぎるわ朱雀の英雄!」
「青龍最強の将軍を前にとんでもない事を……!」
ざわめく他部隊の候補生。ファーストのシン達も面食らう様子で呆然としていた。それはロストゼロ側でも同じく。
「フッ、我らが指揮官殿は大した理想主義者だな……」
「イシス指揮官と二人だけの世界に入ってたようだけど」
「レイがいたら卒倒してそう……というかあの人、目立ちすぎでしょ!」
「………………これが」
―――これが我らロストゼロの、専任指揮官。
アーシャの絶句。何たるムチャクチャな剣士。この人は本気で世界を変えようと足掻いているのだ。
朱雀の英雄と青龍の英雄、どちらがこの勝負を制する?
その答えがアーシャには判断が出来なかった。ゆえに心躍ってしまう。間近で見ていたからこそ感じられる。この瞬間、辻本指揮官に「変化」が起きていた事を。
「―――意気やよし!さあ、ここからが本当の勝負だ!!」
「はい!イシス師姉!届かせて貰います、貴女の先へ!!」
迷い風は完全に止んでいた。あるのはただ、追い風だけ。
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