第二章《混沌の渦動》

序節「鋼の鼓動」


東の国『青龍』―――首都はオリエス。


デリス大陸に存在する4国家のひとつで、かつては飛竜族と心を通わせる事が可能な民族、というのが源流とされているため、青龍人の多くは魔物モンスターのチカラを国民生活に役立てたり、軍事力としても使用する。


経済面は極めて優れており、首都近辺は大陸でも有数の都市として知られている。古くからある鉄鉱山の資源や先述した魔物の豊富さ。また数百年の歴史を誇る「武術聖戦」、これは首都オリエスで毎年開催されるもので大陸各地から腕に自信のある武人が集い闘う。無論、その経済効果は青龍のためになり、法と秩序の究極的体現たる力が、善政の象徴になりえると青龍出身者は死に物狂いで大会上位入賞を志す。



しかし現在、煌歴2023年。


国を治める青龍王の体調不良、また様々な移民や小さな自治州の集合体ともいえる国家の形ゆえに生まれた軋轢、反乱や経済不信も重なって、青龍国はかつてないほどの“無法地帯”になっていた。


政治面・法律面ともに四大国一で最悪の状態。國の始まりが自治州の集まりである背景のせいでどこまでも国としての主権が他国と比べて脆弱なのだ。


治安面をみても、いわゆる「スパイ防止法」が存在しないためか各国の諜報員が潜伏しており、しかも国外から侵入した犯罪者まで居る。


祖国を捨てた犯罪者たち。


青龍王家の内に潜む汚職問題。また巨大マフィアの影。


大陸全土で活動する戦争屋《狩猟団》。


数多の闇の住人が跋扈しているのが青龍国。




「―――ここが例の合流ポイントのはずです、お姉様」


深い闇の夜。青龍北部にある山脈越えの道の峠。


高い崖に穿たれた洞窟とそこから流れ出る小川、右側には同じ幅くらいで剥き出しの岩棚がまっすぐ伸びていて、人が歩いて入れそうな、碧き洞窟の内部。


その中腹地点の広間。澄み渡った、輝く白水晶に彩られた所で二人の女性が身を潜めながらに話していた。


「ええ。あとは鬼が出るか蛇が出るか……ともかく今はあのオンナ、時宮マナを信用するしかないものね」


洞窟内に突入して数十分。外に比べて周囲の気温が下がったためか、軽装の上衣から伸びる両腕をこする「お姉様」と呼ばれた女性―――かつては朱雀アルテマ軍学校で《零組》の担当を務めていた『生田教官』が頷く。


「もぅ、お姉様ったら。少し前からマナ様の事は随分と信頼してらっしゃるくせに。」


悪戯な表情を浮かべるのは相方の副教官『フローラ』。サバサバした雰囲気の生田教官とは対照的に、清廉な空気を纏う彼女。普段と変わらぬ柔らかな物腰と常に笑みを絶やさない可憐な所作でクスクスと笑った。生田もその見慣れた笑顔に安堵したか照れてしまう。


現在二人は朱雀国から密命を受けて青龍の地に。直近多くなってきていると報告を受ける狩猟団や犯罪組織、延いては深紅の零以降姿を見せずにいる《アンセリオン》の動向を探るため隠密活動中なのである。


近日中、四大狩猟団のひとつ『百鬼夜行』の構成員達が青龍の地でとある闇ルートで『何か』と接触する。


深紅の零から3ヶ月―――ようやく手にしたひとつの情報。


その後も地道な捜索のなかでようやく生田教官とフローラは朱雀サイドの仲間達やマナの助力もありこの“好機”を掴んだ。


朱雀現最高権力者『ティズ皇妃』からの勅命でもある此度の任務。二人は気を引き締め直す。すると到着から十分後、ほぼ予測していた定刻通りに“彼ら”が来た。


闇の商人ギルド―――『百鬼夜行』。


漆黒に身を包む格好の構成員達がぞろぞろと無警戒に洞窟広間へと進む。三々五々固まって行進する彼らの総数は二十をやや越えるか。生田教官とフローラは瞬間的に「視る」に神経を集中させ、そのなかで次の最適な思考と行動を可能な限り早く。脳裏に刻み込まれたセオリーに従った。


ドーム状空間で床面はくまなく分厚い氷に覆われているが、中央部分で大きく割れて、青黒い水面が顔を覗かせる。そこで先頭の男が手信号で待機の後列に指示を下す。


「骸、贋、虚、共に到着。」


特殊なコードネームで呼ばれた団員達。


彼ら百鬼夜行の団は「戦闘力の貸与」という狩猟団の基本型とは少し外れている。彼らの仕事の殆どは「裏世界の武具売買」。つまり死の商人なのである。


大きな荷物を団員の多くが背負っているためかやや猫背ぎみの体躯がシルエットで生田教官の瞳に映る。てらてらと光る革製の鎧、腰回りの雑多な毛皮と小袋。恐らく小袋には硬貨が入っているのだろう、先程からじゃらじゃらと音が鳴っている。それに粗雑だが、それなりの威力を想像してしまう鋳物の蛮刀マチエーテも。


(見たところ下の連中の練度は低そうね……よし、前で仕切ってる三人の会話だけに耳を澄ませなさい、フローラ)


(はい。それとお姉様、“あの方”がこちら側のスパイですわ)


小声でフローラが隣で屈む生田教官に見えるよう指差す。百鬼夜行のなかではかなり若い青年。見た目20歳くらいか。


(此度の調査任務において、僭越ながら勝手に私とマナ様で百鬼夜行メンバーのひとりと契約を結ばせていただきました。)


「ふぁ!?聞いてないわよそんな話……!!」


「しっ、お姉様お静かに。」


口許に立てた指を添わせニッコリする妹分。この下準備の抜かりなさ、完璧に与えれた使命を全うする遂行能力、諸々の心得からもスーパー良くできた女性なのだがちょっとだけ姉貴分からすると寂しさも感じてしまう。しかしその感情はフローラが口にしたマナへの疑念に自然に推移して、


「団員をスパイに……?どうせ《魔女》殿がお得意の洗脳術をかけたとかでしょ?」


「ま、まさかアンタ……マナの奴と一緒になって色仕掛けでもしたんじゃないでしょーね!?」


「まあ、その発想はありませんでした♡」


花が咲くような笑顔と共に、クイっと「よそ行き用の赤ぶちメガネ」を掛けなおすフローラ。零組の卒業後、教え子たちからお世話になったお礼にとプレゼントされたものらしい。清楚なイメージに知的さまでプラスされ究極理想系の女性になったと主に男子共がはしゃいでたっけ……。


「……ふぅ、もういいわ」


生田教官の脳裏に浮かんだ教え子達の姿。


不思議なものだ。先程までこの洞窟内の温度が低く寒がっていたのに、零組を思い返した途端、暖炉に掌を翳したようなほわりとした暖かみを覚える。


生田教官の手には首もとに巻かれたネックレスが。「ハニーネスト」という蜂の形に造られた高級品でこれも生徒たちがくれたものだ。こんな洒落たアクセサリーなんて軍人の自分には縁がないと避けてきたけど、今は確かに何か含まれた感覚、幸福感に満ちていた。


―――あの子たちは今、それぞれの道で頑張っている。


どこでも忘れない、アタシたちは「朱雀零組」。至上最高のクラスだった事を。


「……《アギト》はやはり虎に雇われているようだ」


「以前の玄武への進軍にも参加していた。恐らく主戦派なるものが契約主だろう」


「では青龍は…………ああ、朱雀だって…………。」


断片的に聴こえてくる会話。どうやら他の狩猟団の動向、そしてそれを雇う国家などを百鬼夜行のメンバーでそれぞれ担当により班別け、定期的に集めた情報をここで共有しているようだった。


(やっぱここが奴らの拠点のひとつか。それにアギトって……)


(デリスの二大猟兵団体ギルドですわね。《銀の天秤》と双璧を成す《アギト》……高位の団員になるとその実力は黒十天使にも並ぶとエリシオン時代にアルヴァ様から伝えられました)


(そんなのが国家絡みに動き出している……キナ臭くなってきたじゃないの―――)


不敵に頬を弛ませた発言した教官、その途端。


『ギィギィギィィィィ!!!!!!!』


『シャァァァァァァ!!!!!!!!!』


ドーム中に異音、生物の喚き声が突然満ちた。


「こいつらは―――ネクサスウィスプ!?」


顕れた数十の虚ろの存在の総称を百鬼夜行の幹部団員が叫ぶ。瞬く間に地、天井を這って包囲網を形成した『黒キ残滓』。繰り返された零を越えたセカイに唐突に出現した魔物でも召喚獣でもない、物理的な存在次元さえ異なるとされる《外界からの侵略体》。


(ウソでしょ、こんな時に!?)


生田教官とフローラは突然の襲撃に驚愕するも声を殺し、互いに目配せし合うことで事態の一時静観を決意。一方中央部では百鬼夜行の団員達が狼狽し、面喰らっていた。


そう、先程述べた通り彼らは裏ルートで仕入れた武器を売ることで戦争に参加、それを利益とする。つまり個々の戦闘能力は他の狩猟団と比べて大幅に劣るのだ。


「どうする!?このままじゃ契約主が来る前に俺達全員バケモノの餌になっちまう!」


「クソ!あいつら嵌めやがったのか!」


「落ち着け、三ヶ月前からデリスの地に顕れた新個体……もし生きたまま保存出来ればぞ……くははっ!」


リーダー格の三人が騒然とする団員らの中で口々に話す。内ひとりが得物の古びた蛮刀を振りかざすと、獣のような勢いで直線上にいたネクサスウィスプの一体に突進する。


『―――カガガァァ!!!!』


「な……にィ!?」


しかし―――団員の決死の攻撃は呆気なくバケモノの鋭利な腕に弾かれてしまった。ネクサスウィスプの姿形はこれまで何パターンも発見されており、今回彼らの前に顕れたのは四足歩行の昆虫のような形、最も目を引くのは鎌状の前脚でその特異な形態はカマキリのようだった。もちろん巨きさは本来のそれとはまるで違いこちらは全長1.5Mくらい、成人男性の胸ほどの高さ、横幅。


次の瞬間にネクサスウィスプの一体が団員に反撃する。鞭のようにしなる腕から放たれた斬撃。長い腕の先に伸びる鎌状の鋭い爪の手は一呼吸で団員の肉体を真っ二つに引き裂いた。


「ぁ…………!」


物陰で身を隠していた朱雀の女性二人の表情が変わる。目の前で行われた殺戮、虚ろの眼球から強烈に放射される滴るような悪意と共にぽたぽたと流れる団員の血。


なぜネクサスウィスプたちは人を襲う?彼らの魂の原型もまた古代に連なるとは思えない。時宮マナ曰く「まるで零を越えた人間を罰するような補食生物、上位個体にあたる巨人を神の憤りと罰の擬人柱を意味する《ネメシス》と名付けた学会のセンスはなかなか」と評していた。常に自分達が必死にかき集めた情報アドバンテージの先をあっさり掴んでいる魔女殿のあの人を食ったような態度―――許すまじ。と支離滅裂してきた思考を生田教官が一旦抑える。


(どうすればいい……この状況下でのベストな選択、あいつらを助ける事のメリット、数十の化物を相手に勝てるか、フローラとアタシの連繋……)


―――ダメだ、どうしても死人が出る。


下手に百鬼夜行とネクサスウィスプの前に顔を出せば、最悪三つ巴の乱戦になる可能性もある。そうなれば数で圧倒的に劣る私達が不利なのは自明の理。無論、戦いにおける練度で負けるつもりはないが……ここでゴーは余りに軽率すぎる。しかしそれではやっと掴みかけた“情報”が。


(商人どもをここに呼んだ連中は必ずいるわ。何と何がどう繋がっているのか……少しでも多くの情報を祖国に持ち帰る事が私達の任務、ならば前に出るしかない!)


「ッ、やるわよ、フローラ!」


明滅する思考のなか下した決断―――フローラの頷く様子がやけにチカチカと目に入る。ギシギシ犇めく化物共の狂騒と団員達の阿鼻叫喚が耳を劈く。


ここで生田教官に異変が。


口の中に鉄の味が広がった。髪の毛が傷んでる。空気が静電気を帯びたように皮膚が痛い。


(この感覚は……雷!!)


「フローラ!ちょい待ちなさい!!」


―――雷光。


どうしようもなく異質で不釣り合いな、濁った戦場に一本の雷が墜ちた。明滅する洞窟内。生田教官はこの一撃が思考の定まらないパニック状態の自分の幻視でない事を知覚、骨の髄から感じ取った。


「新手……!?」


不審と驚きの声をあげるフローラ。生田教官もその隣で呆然と立ち尽くす。そして安堵もする。


ギリギリ間に合った、もし今の落雷に気付けてなければかなりの被害がこちらに出ていたであろう。自身の魔力の属性が風と雷だったゆえに感応できた事に生田教官は胸を撫で下ろす。


そして生田は即座に状況判断に徹した。今の落雷は―――?


可能性の1つ目、ネクサスウィスプの攻撃。しかし虚影のなかで雷魔法の属性を持つ個体はこのなかにはいそうにない。


可能性の2つ目、百鬼夜行メンバーの魔法発動。反撃のために詠唱破棄で雷を撃った。だが見た感じそんな術者はおらず団員の殆どは閃光フラッシュに対して目を守っているだけ。


そしてここは洞窟の内部。吹き抜け構造でもないため自然現象による落雷も有り得ない。付け加えると狩猟団捕獲任務の決行日の今日は朝から快晴だった。今は夜だが洞窟に入る前までにフローラと「今日は月が綺麗」と盛り上がっていたところだ。


ならば導き出される結論―――この子フローラが言った「新手」である事が推測される。何者かによる雷攻撃。それもこの威力は極位魔法クラス。生田教官とフローラはほぼ同時に新手の術者がいるであろう上空へと視線を顔ごと向けた。


「はっ!?」


潜伏する二人に遅れて中央部の団員達も、天井にいる人物の魔圧を感じ取り一斉に首を上げた。


筋肉マッスル反射が遅い!!!!」


「“ライトニング・スプラッシュ”―――!!!!!」


野太い声で技名を言い放ったのは雷を纏った巨体の影。


顔全体を河馬のような覆面で覆う人物―――そして上半身裸の姿で惜しみ無く披露するムキムキの筋肉。


俗に「覆面レスラー」と呼ばれるそれが空中で四肢を大きく拡げ地面に向かって一直線にダイブ。初撃の落雷よりも遥かに強い衝撃を伴ったボディプレス(地面に)が炸裂した。


揺れる洞窟。地に巨漢の腹部が着弾した瞬間、まるで自身が雷になったかのような電撃が発生、稲妻が地面を這い周囲にいた狩猟団員に感電させる。突入せずに氷群の後ろで身を潜めていた生田教官とフローラは何とか無傷だ。


(雷使いの男性……、しかし助かりました。お姉様の判断が無ければ私も放電に巻き込まれていたところです)


(まだ気を抜くのは早いわよ、……あれは……!)


フローラに軽めの喝を入れた直後に生田教官が息を呑む。


洞窟内の広場の半分を、飛竜の長い首と尾の描く弧が占領していたのだ。そしてその周囲には百鬼夜行団員の数をも圧倒する50人前後の蒼銀の軍服を纏う軍人達。


「青龍軍だと……!?」


「後ろのデカイ竜は召喚獣か!くっ、尾行されていたとは」


「でも……助かった……」


死の商人らが慌てふためく。


まだ一帯には雷を受けてないネクサスウィスプも幾匹かいるなか、それでも戦闘のプロが駆けつけた事にある種の安堵感に包まれる団員もいたであろう。それは数日前に青龍のある街で屋台のラーメンを食べようと地図を片手に歩き回っていた所、美女2名に拐われあげく団のスパイになった青年も同じであった。


そして、二勢力の中心に位置する地点に覆面の男。この場の誰よりも巨躯だ。その男に軍人数名が駆け寄る。


「セト様!アタックはお待ちくださいとあれほど作戦会議でも念を押していたのに!」


「それに大技も禁止したはずです!もしセト様の馬鹿力で洞窟が崩れたら皆生き埋めになる!」


早口でまくしたてる部下達。若干キレ気味の彼らの様子に覆面レスラーの男は一切動揺することなく、鍛え上げられた筋肉を限界まで張り上げ、ボディビルのポーズの基本でもある二組の上腕二頭筋を魅せつけ、キラリと白い歯を光らせた。


「セト?私は《マスク・ザ・トール》!!!そろそろ覚えたまえ!!!!」


「そして此度の試合、そのジョバー負け役はボーイ達だ!!百鬼夜行の諸君!!!」


爆音のよう響き渡る声の大きさで覆面レスラー、セトと呼ばれた巨躯の大男が団員達を指差す。次いで空間内の壁を蠢くなか睥睨するネクサスウィスプを指差すと、


「おおっと!イシスクンの赴任した職場で対応すると聞いていたがそこのセカイの悪役ヒールよ!!安心したまえ、無視などしないさ!!!」


結晶の隙間からじっと戦局を窺い続けている二人。生田教官がここで漸く“大男の正体”に気が付き、小声で名前を言った。


(《槍》―――青龍王室親衛隊『六神槍ろくしんそう』のひとりね!)


(……なるほど、それで軍の部隊を引き連れて。狩猟団を餌に蛇の尻尾を掴もうと企んでいたのは我々だけではなかった、という事ですね……ッ?!)


言葉で確認を交わす最中、フローラの体が竦んだ。


なんとその男、セトが此方側を見てニヤけているではないか。


そして、声をかけてきた。


「客席で隠れている麗しのディーヴァ達よ!!志同じならば共に虚影を筋肉ノックダウンさせようではないか!!?」


「さあ、筋肉リングに出でるがいい!!!試合開始のゴングはさっきド派手に鳴らしただろう???」


「《瞬光紅蜂しゅんこうべにばち》と《黒桜蜂鳥こくおうはちどり》!!!」


その瞬間、全て見破られていた事を察した二者は潔く、気丈にも唇をかみしめ、臨戦態勢で姿をみせた。


「―――あらあら、異国で私達はそのような風に呼ばれているみたいですね?」


「ええー?アタシは舞い蜂の方が好みなんだけど。まあなんにせよ朱雀サイドのアタシ達の目的は知ってるようで」


臆する様子もなくセトと彼率いる小隊の前まで進み出ると、そんな小言を漏らしながらに生田教官は青龍王国の作法に倣った体の前で両手を組む挨拶を、フローラはメイドのようスカートの裾をつまみ軽く持ち上げお辞儀をした。


「な……まだ居やがったのか」


「朱雀だと……チッ、おい贋よ!お前達の仕事場はたしか朱雀だったな?足を付けるとは何事だ!」


「違う!そこは下の連中に任せて、おい担当は誰―――」


冷たい空気を切り裂くネクサスウィスプの鎌の手。言葉の途中で途切れかけた団員が思わず顔を伏せると、痛みも衝撃もなくただ突風が吹いた。


生田教官が籠手ガントレットで覆われた掌から風の魔力を放って瞬間的に風を起こしたのだ。その勢いは人間ほどの大きさの化物をも軽く吹き飛ばす。騒然とする団員達、そして青龍軍の軍人ら。フフ、と優しくフローラが微笑んでいた。


「はーい喋るな、動くな、じっとしてたら命だけは保証してあげるわ!ったくもう……うだうだ陰で偵察はやっぱ向かないのかしらねえアタシには」


「ハッハッハ!!!やっと筋肉に従ったようだな!!?」


「いや意味不明……で、親衛隊の槍さん、セト様だっけ?ここは一時共闘でよろしいかしら?」


「違いますよお姉様、マスクザトール様です♪」


「いいね!!!やるぞ皆―――エンハンス・アンク!!!」


紅蜂の合理的な提案と蜂鳥の言い感じの返しに最上級のグッドを親指を立てたサムズアップで示したレスラー。


と同時、《雷の槍》セトは体躯から蒸気が吹き出る程の魔力を全身の筋肉に巡らせる自己強化の技「エンハンス・アンク」を発動した。


燃え滾る覆面レスラーの横で青龍軍の精鋭達もそれぞれ軍刀や銃を構える。飛竜も待ちくたびれたように身体と翼を起こすとネクサスウィスプ目掛け火炎放射で一掃。


『グオオオアア―――!!!!!!』


「燃やせ命!つまり筋肉だ!!アックスボンバーァ!!!ンマッスル!マッスル!!ンンマッスル!!!」


マスクザトールなる巨漢セトも、片腕を直角に曲げ走り出し、その内側部位で虚影の頭部を次々と一撃で潰してゆく。その度に筋肉を自慢するポージングをキメながらに。


「この人どんだけ筋肉好きなのよ……実力だけ見ればとんでもないみたいだけど―――っふぁ!!」


「力と素早さを兼ね備えているようですね、これは私達も負けていられません―――舞え、千本桜!」


近くでは虚影の攻撃を受け流しながら一呼吸の間に背中を預け合う陣形を取った二人。呆れた物言いの生田教官にフローラも笑みを溢す。


生田教官の疾風迅雷の体術。フローラの異能《桜刃》。


朱雀から遥々来ていた女性2人の助力もあって、また青龍正規軍と彼らを率いる親衛隊『槍』の一角の活躍により、瞬く間にネクサスウィスプは駆逐された。




「―――結局、アンタ達は“ナニ”を待ってたの?」


静寂を取り戻した洞窟内部。拘束した百鬼夜行の団員らの幹部であろう男に生田教官が顔をにじり寄せ追い詰める。


「情報共有のためだけにわざわざ足を運ぶとこじゃない。どう考えても百鬼夜行アンタたちにはがいたはずよ」


「……黙秘する。とっとと殺せ」


これで何度目かになる同じ反応。青龍軍により縄で縛られているにも関わらず強情に黙秘の一点張りな彼らの様子にはこちらも痺れを切らしつつあった。


「ちっ、自白薬でも持ってこればよかった……フローラ、何かいい手はある?拷問術とか出来たっけ?」


「んー、エリシオンにいた頃に試した“桜花流・全身くすぐり責め”は一部の殿方には好評でした♡」


「じゃあそれやってみるか……」


冗談半分にフローラのそれを採用して、生田教官は組んでいた腕を解いた。その瞬間―――地面が激しく揺れる。


「地震……っ!?」


「セト様!また貴方ですか?!」


「違う!!!目の前の敵をスルーして即座に私を疑うとは何事だ!諸君よ、もっと筋肉を信じろ!!!というか私の名はマスク・ザ」


「―――っ?ぐああああッ!!!」


突如、切迫した振動音に被せたような悲鳴が、びしりと耳朶を打つ。声をあげたのは百鬼夜行の団員だった。


「なに……うああっ!!!!」


「痛だッ、なんだ……急に壁が…………ぅぐ!!!!」


すかさず別の団員、また別の団員にへと連鎖する殺戮。次々と彼らに痛みと死の恐怖を与えていたのは、だった。


それが先の地震?の影響か、まるで壁が意思を所有したように硬質変化を起こし、刃のような突起物となり、広場の端から百鬼夜行の団員のみを串刺しにしてゆく。


『――――――』


『――――――』


『――――――』


ドームに一瞬、崩落しかけの最中で、ほんの僅かな間隔。上層部分で自分達を見下ろす『ナニか』がいた。仄かな青白い輝きが闇を遠ざけるように、忽然と姿を現した謎の三人組。


生田教官の周囲では百鬼夜行の面々が悲鳴を上げている。ある者は出血した顔を覆い、ある者は岩壁から延びた刺で背中を穿たれ、また端の方では幹部クラスさえも上体を仰け反らせ痛みで身体を捩っている。


―――そんな地獄のなかの僥倖。


捉えた、百鬼夜行を誘き寄せた『契約主』どもを!


『……やっぱ弱すぎたね。もう少し適性があれば彼らも僕たちの眷属カゾクになれたのに』


『クッサ……劣等種の匂い、ただのニンゲンのくせに息してんなよコイツら』


『―――百禍も聖灰も出ずか。仕方あるまい。オメガ様が北の地でお呼びだ、ここは棄てて往くぞ。』


騒乱と土煙のせいか三名の表情はまったく見えない。辛うじて確認出来たのは少年少女と中年の男だった事。


そしてもうひとつ僥倖、それは去り際に謎の男が恐らく自分達に感付いていた私とフローラ、またセトに向けた呟き。それが挑発なのか宣戦布告なのか、はたまた警告なのかはこの時点では判らなかったが。確かに男はこう口にした。


『新時代のデリス、今こそ我ら錬金術士に森羅万象の加護を』


―――待ちなさいッ!!!!!


必死の形相で叫んだ声は、ただ虚空に反響した。




※※※




数刻後の朝方。青龍国南西、某処の裏路地。


隠れ家のような喫茶店『AZUL』。


木造の店内は、行き届いた手入れによって全ての調度が見事な艶をまとい、テーブル六つにカウンターだけの狭さもまた、魅力といえる心地よさを漂わせている。


「……すず……」


ほんの少しミルクを入れた水出しのアイスコーヒーを一口含んでは、芳醇な香りを楽しみながら、ゆっくり喉の奥に送ると、青髪ロングに赤渕メガネの清楚女性フローラはほうっと、どこか妖艶に長い息を漏らした。


古めいたガラス窓の向こうには、早朝から左右に行き交う人々の姿がぼんやりと透けて見えた。少し雨が降りだしてきたようで灰色に濡れた街並みをフローラともうひとり、先程からアルコールを呑み倒している生田が眺めている。


「雨が降ってきましたね……しかしお姉様、洞窟から脱出してからずーっとカクテルを召し上がってますが、あまり飲まれるとこれからに支障をきたしますよ?」


「いいわよべつに……はぁ、最近裏方が多かったせいか体力面がキツくなってきたし休息は絶対いるの。なんかアラサーを実感するわぁ……ってアタシはまだ27よぉ!」


「…………(チラッ)」


フローラは、カウンターの隣で寝そべる姉貴分を華麗にスルーしては顔を動かし、助けを求めるようにグラスを磨いている店主の男に視線を送った。


あねさんはまだまだ、十分イケるぜ」


「アリガト」


「もぅ!いつまでもしょげてたっていけません!百鬼夜行の身柄は結局青龍軍に横取りされた形にはなりましたけど……とても有益な情報は入手出来たじゃありませんか」


フローラがようやく強引に本題へと引き戻す。生田教官も椅子の上で姿勢を正し、まっすぐな視線を街の雑踏に注ぐ。


やっとかよとマスターの男も不敵に笑みを女性客二人にみせた。


「―――狩猟団《百鬼夜行》が接触しようとしていた謎の連中、通信で報告した時のマナの仮説では可能性が極めて高いのよね」


「ええ……恐らくですが団員達を洞窟に呼び入れ、何らかの方法で虚影に襲わせた。しかしなぜそんなことを?目的が見えてきません」


ここで二人は洞窟内で謎の男が口にしていたキーワードを纏める事にした。その殆どが聞き覚えのないものであったがそれでも一度整理が必要だ。


『百禍』『聖灰』『オメガ』『北の地』


そして―――『錬金術士』。


「ここから二つ確かな事があります。」


「1つ、北の地、これはデリス大陸では地図上で玄武国を指す言葉です。」


「2つ、錬金術士、なる勢力が《深紅の零》後の新たな時代に現れたということ。」


フローラは人差し指、中指とあげていき丁寧に説明した。流石一月前まで軍学校アルテマで教職に就いていただけの事はあってとても解りやすい。同じ教官という立場かつ上司な事すらも忘れて生田教官はうんうんと頷いた。現在二人は正式に朱雀軍から雇われた人材として、今回のような外国での極秘任務もこなしている。


生田教官はグラスを回収し、がぶりと酒入りコーヒーを一口飲んだ。


「…………玄武は、例の新設機関が近日中に動くはずよ」


やや唐突に投げ掛けられた言葉の意味するところはフローラにはすぐに解った。先程マナと通信をしている最中に、彼女から気になる事を耳にしたからである。


それはここ1ヶ月、同じように玄武でも狩猟団らしき存在が蠢いている情報。更には昨夜、ちょうど自分達が洞窟に到着した頃とほぼ同じ時―――なんと玄武国の町外れで『ネメシス』が顕れたらしい。


こちらはまだ事実確認も取れていないが幸いにも一般人に負傷者は出ず、たまたま顕れた場所が街道沿いにある森林帯だったため、軍隊が駆けつけた時には周囲の植物を根絶やしに枯らして、忽然とその巨体を消したそうだ。


「…………先日、彼がネメシスを撃破した功績もある。たしかに機関の仕事になりそうですね。」


今度はフローラがグラスを大きく飲み下した。濃厚な香りが鼻に抜ける。その刺激が頭に浮かぶ断片的な思考を繋ぎ直す。


四聖秩序機関の入隊式で顕れたネメシスを、大陸で初めて完全消滅させた新米指揮官―――《朱雀の若き英雄》である教え子の彼に想いを馳せた。


「ええ、なんだからね。それに零組の連中も自分のやることついでに必ず協力はするはずよ」


「はい、なにせ私達の生徒ですから♪」


「あ、それアタシが言おうと企んでたのに!」


和む空気と笑い声のなか、生田教官はずっと降り頻る雨から視線を懐から取り出した「あるモノ」に向けた。数秒の沈黙のあとに、意図的に店主の男が訊ねてくる。


「それは……懐中時計か?ずいぶん洒落てるねえ」


「でしょ?今の時代、時間なんてCOMMで分かるのに。でもこれは大切な教え子たちの重心だった子、辻本ダイキが選んでみんなで買ってくれたものなのよ」


「てことはフローラの姉ちゃんにもか?」


「お揃いです♡」


フローラも生田教官が手に握る懐中時計と同じ型のものを店主の男に見せつけた。


卒業後、二人にプレゼントされた懐中時計。


「同じ時を進む」―――そんな意味が込めましたと、辻本が照れながらに渡してくれたっけ。


常に零組の、アタシ達の求心力だったアイツが選んだ、最前線で世界の新たな脅威と戦う道。


「正念場になりそうね―――アタシらにとっても、あの子達にとっても」


生田教官はぐいっとコーヒーを飲み干すと、立ち上がった。


「じゃあ行くわ。ご馳走様、サイシス!」


「おいおい!お代は!?」


「ふふっ、昔のよしみということでどうか♪」


二人はドアを押し開け、店を後にした。


もう待つだけの時間は終わり―――求心力が動き続ける限りは、私たち《大人組》も全力で前に進むだけだった。


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