獅子ノ刻Ⅰ「今は遠き、あの焔の日」


―――罪を持たぬ人間なんていない。


生きれば他の命を喰らう。


貶め、陥れ、奪う。


己を立てれば、他者は堕ちる。


営みと罪は天秤なのだ。


人の全てが罪人ならば、


この世は罪にただれた煉獄だろう―――。




瞼の裏に張りついた“過去”は、血塗れた俺の道を今も真っ赤に照らし出していた。




昏黒の闇、日暮のような紅色の青年は受け継いだ宿命の《アイン》を瞳に抑えながらに、己の色とは対照的な真昼、深緑の木漏れ日が射し込む神森を独り進んでいる。


彼の名は『レオ』。 元朱雀零組の剣士。

レオは魔姫の啓示により現在、白虎帝国と朱雀国の国境部に故郷―――《ユグドラス》を訪れていた。


そんな廃れた地の深奥に存在するスポット。


十数年前に滅びの運命を辿ったユグドラス、かつてそこに生きた人からは《ヘルヘイム》と呼ばれる鬱蒼とした深き森。


伝承では死者の魂が棲む、等と小さい頃はよく年寄りから言い聞かされ年に一度ユグドラスの人間が総出でこの神の森に御参りしたものだ、とレオは思い返す。


―――でも貴方は、そんなの関係ないってよく途中で抜け出して、剣の修行をしてたよね?


「…………フッ」


静謐のユグドラス―――。


鳥一羽、虫一匹すら見当たらない圧倒的静寂のなかを歩む黒の青年が軽く微笑んだ。聴こえる筈のない少女の声、しかしそれは確かに、と思えるような姿形で、声で、彼の背中を捉えて離さない。



樹齢何百年とも知れぬ節くれだった巨木が、幾層にも天を衝き、四方にえだはを広げている。梢を透かして見えるのは仄暗い空。


「………………」


レオは空地のような小さな空間、樹木に囲まれた所でようやく立ち止まる。巨木の連なりが無限に続くばかりの途中で。鼻腔を擽る植物の香り、肌を撫でる微風、恐ろしく鮮やかな深い草むら、ここまで一切聴こえてこなかった虫の音もする、そして瑠璃色の鳥の歌声。研ぎ澄まされた五感がレオの足を停めたのだ。


背に紅模様の刻まれた黒衣。茶色めいた黒髪で伏せられた瞳には、力を制御するため用意した黒布の目隠しが巻かれている。


レオは目隠しの奥で閉じた瞼を透かして届いた朧の光を感知した。 

3ヶ月前。暗闇に包まれた状態で行った『千理焔相克リヴァディ・リフレイン』なる継承の試練を越えた事で文字通り開眼した感応力。


《アインソフアウル》―――Ⅹ魔眼。


古代で叛逆の騎士と謳われたアイン自身の異能。それを適合者の眼に写す事で真価を発揮させ十の力をもたらすモノ。


煉獄のよう熱く、冥府のよう冷たい、その双眸を解き放つようにレオはゆっくりと目を覆っていた漆黒のレースを外す。


燃え滾る灼眼が捉えたのはだった。 

男の肩には先程から囀ずっていた瑠璃色の小鳥が乗っている。まるで自然と同化しているかのような静穏を纏う者。それに対してレオも冷静な口調で声をかけた。


「忘れ去られし邑、この地に眠る魂たちに安らぎを与え続けている守人はお前か。」


「―――キミは。なるほど……ユグドラスの遺児にして一族の生き残り、《黒輪のレオ》。」


森の深遠、ユグドラスの深淵にて出逢う2人。

それはまるで運命付けられていたかのよう、互いは一瞬の内に互いの素性を理解しあう。


《ユグドラスの悲劇》―――10年前、街が焼き討ちにされ、住人の全てが死亡した事件。


今、ようやく過去が現在に追い付いたのだと。


「ここまでの因果を読み取り、零が突破された事をトリガーに継承者に道標を残していたとは」


「ホムラ・マキの異能、調。やはり恐ろしい」


ひとりで納得する守人。対してレオは『マキ』という人名に僅かに片頬で反応を示した。


この街が結果的に滅びる運命を辿ってしまったひとつの理由でもある少女の名。レオの幼馴染みであり、またアインの継承者でもあった彼女の遺した意志こそが、レオに再びユグドラスの焔を呼び起こさせたのである。


「……神木狼シンキロウだ。私に焔の血は流れてはいないが、当時の長からユグドラスの管理を任されている。」


守人の若者、青みがかった白の長髪は名の通り狼のような身形に見える。しかし一方で野性的な風貌とは逆に知的な物言い、纏う魔力にしてもまだ底が測れない、とレオは洞察。沈黙を続けながらに目を細めた。


「フフ、《アイン》の継承を終えてからまだ90日余りとお見受けするが、とは…………レオ、キミは調停者の再来を思わせるいい眼を持っている」


「ご託は結構だ。」


黒の青年も短く笑う。神木狼に視線を向け、


「ユグドラスの全てを見届けるため、俺と来い』


緋色の瞳に黒輪を浮かべ、燐光が暗い空と樹の梢を揺らす。同時にレオは得物である焔銃剣ガンブレードを抜き、さっと左右に切り払うと切っ先を守人に翳した。そして自らの道に勧誘する。


「ならば見せておくれ、の器量と……覚悟を」


レオと神木狼。瞳を逸らさず、力を込めた視線がぶつかる。神木狼の問いかけに呼応するようにレオの―――マキの、ユグドラスの怒りと哀しみが滲み出るよう、瞳の黒輪の一端がじわり、じわりと濃くなってゆく。


そして、掠れそうな声でレオは呟く。


何度も自分の道を修正しようとしてきた。

守るべき大切な少女も、共に切磋琢磨する仲間たちも、絆の繋がりを持てた盟友あいつも。


だが、ユグドラスの過去が再び記憶に、心に戻ってきた瞬間レオはその度に張り裂けそうな痛みを感じていた。


胸の奥にある、確かな気持ちが生み出す……煉獄の業火のように激しく燃え盛る、復讐心。


悲劇のなかに在る真実を知るため、獅子は再び闇の力に身を染める。


『覚悟ならとうに済ませている。今は遠き、あの焔の日に―――。』


殺戮の直前の静けさが一瞬、静寂の森を越えるほどに包み込まれた。

神木狼は精巧な機械のような純白の肌に汗をにじませ、清廉な心に邪悪が巣食うような悪寒に畏怖の念のこもった声で、


「……どうやら本気のようだ。」


瞬間。対峙する両者を囲むよう、巨大な霧が発生した。まるでユグドラスの地に眠る死者達が喧騒を拒むように。


『…………』


深林を母なる大気で包み込んだのは神木狼の能力であった。レオは《アインソフアウル》に与えられた魔眼の七ツ目、『不知火』を瞳に写し出し即座にそれを認識する。


この場の近くにいた小鳥や獣の全てが凍りつく程の灼眼。黒の剣士は影に溶け、散霧した神木狼の行方を探り始めた。


視界を遮る濃霧を睥睨する。緊迫した空気のなかでも一切の余裕を崩さずにレオは低く、魔法を囁いた。


深紅に光るその双眸。刹那、霧のなかに潜み急所を狙う神木狼の初動にピタリと合わせて、いいや実際には0,1秒程の迅さでレオが先手を撃った。


『アポカリプス・デモンズランス』


「――――――!!!?」


詠唱破棄で発動した。覆いを取り払う術式を編み込んだ魔神のランスが空気を鳴らして、超高速に一点を貫いた。驚愕の表情を浮かべた神木狼の体躯が露に。


深遠の木々、傾き始めた日差しを遮って幾筋もの光の柱が霧を浄化。次の瞬間、レオの焔銃剣に当たった光がまばゆく反射、決着を確認するよう神木狼の首もとに刃を添わせ、レオが暫くの沈黙を破る。


『守るべきは過去じゃない。この俺がユグドラスを新たな地平線に導いてやろう」


―――ええ、だから私の全部を委ねてあげる。


脳裏に響く透き通った声が、深淵で谺した。




《深淵の焔騎士》レオ―――再始動の刻。




 戦闘を終え、深遠のヘルヘイムから廃街の外へ

と帰還したレオ、そして同行者となった神木狼の二人が山道から下って来たのが見えた。


ここで待機を命令されていた焔の使い魔『オルトリリス』はぴょこ、っと主の気配に反応して嬉しそうにお出迎えする。


『あ!おかえり―――!って、ソイツが……』


レオの無事を確認して思わず綻んだ頬で笑顔を浮かべるも、主の隣にいた見ず知らずの男に気が付くと、眉を潜めて煩わしそうに訊ねた。


「神木狼、俺達の同行者となる。」


相も変わらず冷めた表情でレオは短く応じる。


『そんなのが貴方の目的のために使えるの?』


「ああ、こいつの能力は有用だ。」


ふーん。とオルトリリスは明らかに邪険そうな素振りで守人の神木狼を一瞥するも、彼の肩に自然に乗っている瑠璃色の小鳥とふと目が合ってしまい、


『そ、その変な鳥はナニよ!』


「ユグドラスに伝わる眷属《フレスベルグ》、これで世俗を視ていた……まあ本質はキミと同じさ」


抑揚のない声ながら細目を三日月のように笑い和めた神木狼が、フレスベルグと呼ばれた鳥型の使い魔で戯れながらにオルトリリスに答えた。どうやら神木狼は野生の動物に好かれるオーラがあるようだ、とレオも腕を組みつつ思考する。


「どうぞ“この子”含めてよろしく頼むよ、マギステルスのお嬢さん」


不意に、揶揄い混じりの声で傍らのオルトリリスに神木狼が言った。


マギステルス―――術者の人間と契約して使い魔になったサキュバス、つまり淫魔。


『わ、わたしはそんなんじゃなーい!!!』


勢いづいて絶叫する使い魔。

主とそういう関係になるなんてバカみたい。と心中で神木狼の冗談に毒づくも、内面どこか疼くモノがあり、全身の血が沸き上がるような心地好い独占欲の想いが高揚させる。


『わたしとレオは……トモダチだもん、まだ』


最後に継いだ言葉だけやけに強調すると、オルトリリスは複雑な心境で、緋色に染まりつつある空と、その彼方に霞む月を見やった。


「フフ、これは失礼。」


『うっさい………せっかく昨日までは二人っきりの旅だったのに…………』


オルトリリスはぼやきと一緒に、何となく自分の心を少しばかり預けたくなり、レオの左腕に自分の腕を絡めると体重をかけた。


まるで体温の上がってしまった自分を、レオの冷めた身体で調和させるように。どのような状況に至ってもまるで動じないように見えるレオにぴったりと接していると、揺れる気持ちが落ち着く気がして。


「……!!」


突如、神木狼は笑みを消し、一瞬瞼を閉じた。すぐに開いた深緑色の双眸はえとこれまで以上に光を放っている。

守人としての「探知スキル」が発動したのだ。


「どうした?」


レオがオルトリリスの腕をほどいて訊ねる。


「いえ。ここからすばるの星の方向に数十キロ離れた地点、おそらく“外郭の使者”が顕れたようで」


「《ネメシス》……だったか……(方角的にはリューオン、確かあそこには例の新設機関が……)」


レオ自身もその眼で見た《深紅の零》。朱雀聖都ザルクヘイムにて辻本ダイキが宿す《ゼロ》が復活した《ロゼ》に奪われて以降、デリス大陸を外側から蝕むように発生し続けている『ネクサスウィスプ』、その上位種になる『ネメシス』。


新たなステージに進んだこのセカイの脅威に対抗すべく四大国の出した結論こそが、現在ネメシスの襲撃を受けている『四聖秩序機関』の総本山がある街であること、その奇妙な因果をレオは紐解くようにして思いを巡らせた。


『……気になるなら見に行ってみる?』


言葉を探すように瞳をキョロキョロと動かし、その視線を思索にふける主にぶつけたオルトリリスが呼びかける。


「……いいや、必要ない―――今の俺がそんな奴を相手にしてもなんら利はないはずだ」


『そ、そ……!別に貴方がいいなら、わたしもいいんだけどさ』


「では、我々の次の目的は何処へ?」


「………………」


神木狼の問い、しかしレオは暫く瞳を閉じたまま空を仰ぐ。リューオンの異変への興味を失せさせた発言をした彼であったが、やはり何処か気がかりがある事は容易に悟れてしまう。


『……レオ……』


ユグドラスの跡地に相応う静寂が再び訪れても眉根を深く寄せ、微風に髪を靡かせたままのレオの心中をおもんぱかって、オルトリリスはそっと声をかけた。


(……朱雀内戦後、シエラとの一夜を除いては完全に奴等との繋がりは断っていたが―――やはりお前とだけは切り離せない運命にあるのかもな)


辻本ダイキ―――。


レオは黒衣をゆらりとさせ、ようやく口を開く。


「ロラン・クルーガー……鉄血の名を持ち、暗躍し、人を弄び、悦に浸る……そういったモノだ」


―――そう。あの男こそ、ユグドラスの焔を持って裁かなければならない。それが


「その高慢、叩き潰す……。お前が嗤うたびにお前は終わりに近付く、の憎悪が燃え盛り、お前を焼き尽くす日が近づいている」


―――ええ。でもね、今の貴方ではまだあの男には勝てない。罪が足りないから……あれを完璧に葬るにはまだ《パンドラ》が不完全なの。


「……第一目的はパンドラの成長だ、“それ”に適した場所に向かう。引き入れたいヤツもいるしな」


『ええっ!まだ増やすの!?こんな陰湿なオトコだけでもわたしは反対なんだから』


距離を詰めてオルトリリスが喚き立てる。だがレオは指先で彼女の上げられた前髪からみえる広いおでこをトンっとつつくと、


「お前の意見は聞いてない。鼻息荒く吠えるな」


『っぅぅ~~~!!!バカバカバカバカっ!もう勝手にすればいいじゃない!!』


狗を相手するよう軽くあしらわれた事に腹立ちを覚えつつも、オルトリリスはレオから額に触れてきてくれた事、じっとその灼眼で見つめられた事に照れた仕草で背中を向ける。


「フフ……手馴れておるようで」


「あれは特別御しやすいだけだ」


神木狼とレオの呟きも聴こえないくらいに自分の世界に入ってしまったオルトリリスだったが、その間にレオは「目的」について発言する。


「朱雀国―――現在、監獄に収容され療養中のあるオンナを“団”に迎え入れる」


「死霊術に長けた能力者だ。結社《ライブラリ》によると先日目を覚ましたらしい。後回しにしていたが、生きているなら彼女を優先する」


ライブラリ―――深紅の零から今日まで約3ヶ月間でレオが最初に接触した組織の名称。彼らの活動は「人材派遣と情報提供」にある。


例えば強盗や窃盗は複数の人間で行うのが基本である。そうした場合に運転手や鍵開け、突入係など役割分担をするものだが、そんな悪人に“人手”をライブラリが人材派遣マネジメント、紹介料で稼いでいる。


レオが彼らから得ていたのは情報の類い。

混沌を極めるデリスゆえに生まれた、ラビリンスのような闇の組織は多く、精力的に活動する狩猟団の噂もよく耳に入る。


またレオ自身が元犯罪組織《エリシオン》の高位エージェントなる者だったため、そういった裏の世界での動き方には精通していた。


張り付くようにして離れない、魔姫の導き。


そして闇ルートから得た、様々な情報。


「オンナの名は愛宕。現在空中分解した闇朱雀の暗部組織《百式》の一人……どうやら黒キ太陽メタトロン召喚のための贄に自ら志願したそうだが、その辺りも含めて狂人な逸話は多い」


「だが、奴こそ“団”のメンバーに相応しい。」


「……それに、今の朱雀ならパンドラにとっては罪の宝庫だからな」


軍部と政府による二極化を影の組織に突かれ、内戦にまで発展してしまった聖都の決戦。今の朱雀の弱体ぶりは著しく、外国からの圧力だけでなく上層部の汚職問題、市民感情の悪化など問題は山積みなのである。


だからこそ、朱雀は最適な場所だと。


ユグドラスの地から外に殆ど出ずに人生を過ごしてきた神木狼、這わせた使い魔から得た景色や記憶からデリスの流れについては常に見極めてきた彼だが、レオの説明によって朱雀国の立ち場を改めて理解したようで、深く頷いた。


『……あれ?貴方、さっきから団って言ってるけどそれがまさか』


「そうだ―――俺の、ユグドラスの復讐を果たすため組織する小隊」


オルトリリスの質問にレオは深遠の森に入るまでしていた漆黒の目隠しを再度巻きながら、そして街道を歩み始め、結成した『チーム』の名前を呟く。


「『緋の旅団/ルフラン』―――始動だ……!」


繰り返されし嘆きを怒りの焔とし、世界の真実を知るため。

幾度となく続いた戦いの果て、確かな目的を手に入れたレオが、これより再び動き出す。




―――あぁ、私の愛する騎士よ。貴方の眼になれてようやく私は世界の総てを「調停あやつれる」。

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