7節「闇の底から」
『ネクサス・ウィスプ』
深紅の零から大陸各地に顕れるようになった虚ろの生物。
魔獣でも召喚獣でもないそれらは様々なタイプが確認されており、その多くが“影から突如顕れては人間を襲う”とされる。
大きさも個体によって異なり巨大なものになると20Mを越えるものも存在、一個中隊が全滅し隊員らの死体と共に消え去ったと報告された件から、「神々の創造したデリスの混迷期に対する憤りと罰の擬人体」という意味を含め上位種のTypeーネメシスと命名された。
『ネメシス』
ネクサス・ウィスプの上位種「領域外の使徒」として扱われるS級危険生物。
中心を貫く太い背骨、左右に伸びる長い腕。下側には脚も生えているが、その大きさはまさに異様の巨人。これまでデリス大陸では4度、この存在の現界が確認されており、いずれも対処した国の軍隊や機関の派遣員らはほぼ全滅。ヒトの死骸をひととおり貪んだ後に消失した。
また従来のネクサス・ウィスプは地面、影から顕れるがこのタイプは空、天上から出現する。その予兆は感知が困難であり対魔物用防術結界等も無力化される。
機関の所長が入隊式に銃撃され、武装集団に講堂を襲われる。という予行が終わったと安堵したのも束の間。
―――虚影襲来。
リューオンの街では既に民間人の避難が始まっていた。突如顕れたその“脅威”に人々はまるでこれが夢のような気持ちで、己の見ている光景を疑うような視線で、暗空を覆っていた『ネメシス』が地上に着地したのを見ていたであろう。
ある住民の男性。
「おいおいおい……!一体何十Mあるんだ……!」
ある報道社の女性。
「まるで“外界の侵略者”、我々のデリスはどうなってしまうのでしょうか……ってもうムリ!避難しましょう!」
そしてある金髪の青年は、それが作り出す影に顔を曇らせながらにこう呟いていた。
「これが……僕達の…………。」
吹き荒れる突風は最後に漏らした言葉を遮る。
金髪の青年は機関から支給された指揮官用の制服を靡かせ、混乱する市民らの避難指示を手伝うため駆けつけた軍人達の下へ颯爽と向かった。
「――――――――――――」
巨人が佇む。ただ無言で、にも関わらず圧倒的な魔力のような何かが機関の敷地内の野外訓練用のグラウンドを支配していた。
グラウンドに到着した先行隊や警備兵、その数およそ50名。あまりにも早い“外からの襲撃”に対応しきれておらず、動揺を押さえつけ恐怖を吹き飛ばすように隊員達はそれぞれ、得物の銃の引き金を引いた。
「……攻撃開始!撃てええ!!」
「この先にはなんとしても通すな!!」
魔力の込められた銃の弾幕が巨人へ放たれる。
―――しかしネメシスは轟然とそれらを闇色の波動で叩き返す。セントラル全体を揺るがすほどの衝撃が発生し、突風は高所からそれを見守っていた機関の入隊生や指揮官達に吹き抜ける。
「なっ……!!」
「
「う……ああああ!!!!」
悲鳴にも似た絶叫が遠くから聴こえる。
怪物と警備兵、双方の突撃開始から、後者の戦意が喪失する、ここまで僅か1分足らず。
そして以降戦闘と呼び得るものは終わっており、
たった“1体の生命体”に―――。
「………………。アネットさん、俺をあそこまで運んでくれませんか?」
所長の襲撃許可は得ています。そう付け加え決死の表情を浮かべるのは本日機関に赴任したばかりの新米指揮官、《朱雀の英雄》辻本ダイキ。
ネメシスの相手をひとりで務めるという彼の言葉に一同は驚きを隠せなかった。それは今日出会ったばかりの、まだ信頼関係もろくに築けていないロストゼロの部下達も同じ。
「ちょ……!?
「いくら辻本指揮官が特別でも、アレを単騎では馬鹿げている……!」
「そうです
シャルロッテ、オズ、玲は何処か焦っているようにも思える担当指揮官を制するように言った。
「…………」
“虚構の英雄”―――。ゼロと混沌を奪われ結果的に今、目の前にいる“怪物”を産み出してしまった彼の真実を唯一知るメアラミスはロストゼロ面々の間で遠巻きにその言動に最も反応していた。
(そうやって自らを死地に……)
(キミのそれは贖罪のつもりなのかな……?だとしたら大した)
「っ!不許可です……!」
想いを遮るような甲高い声、辻本に対してハッキリと反対の声をあげたのは転移を懇願されたアネット、の実姉である通信士のソフィア。
普段の氷のような冷静な態度が、若干崩れているように思えた。
「私の可愛い妹は渡しません。あのような規格外のモノの下へなんて絶対に」
「お、お姉ちゃん……」
「いえ、俺を移したらすぐに貴方は
「…………それでもです。みすみす機関の戦力を失うような作戦を私が許可するとでも?指揮官くんは少し頭を冷やして下さい」
冷たさの内に秘められた温もり、ソフィアなりの優しさと気遣いに辻本は苦い表情で俯く。それに重ねるようイシスとモーガンが発言した。
「そなたの決断はあまりに尚早だろう。吹き荒れる風に身を任せるだけではかの敵は討てぬ」
「イシス将軍の言う通りだ。本隊が到着してから編成を立て直して出撃する!心苦しいがそれまでは待機しかない……今は待て!」
このモーガン副所長の言葉が、俺の眉間を後頭部にかけて“心意”の感覚で貫いた。
白い電光が弾け、朧な光景が垣間見える。
―――着いてこれるか?私の世界のスピードに。
白い閃光の奥にある黒い影、
《盟王》ロゼに囚われた“ユナ”、沈み行くセカイ。
虚影の心に咲き乱れし“花”……。
(ユナ――――――!!!!)
ひときわ激しい衝撃が、辻本を“闇の底”のイメージから引き戻した。痛みは無かったが、まるで左胸に剣が刺さっていくような……。
辻本はここに来た理由と意思を固め、太刀の納められた鞘を取り、そして再度提案する。
「……そんな悠長なスピード、今の世界は待ってくれないですよ」
まるで自分に言い聞かせるような辻本の囁きに虚影の圧とは異なる緊張が辺りを支配した。
生死を賭けた戦いに挑む、覚悟の瞳―――。
判っていた。これは子供のわがままだと。
この状況。モーガン副所長やソフィアさん、他の指揮官達の意見の方が正しいに決まっている。
俺独りが出たところで、勝機はかぎりなくゼロに近いことも解っていた。しかしそれでも。
「俺は目の前で誰かが苦しんでいるのをただ見ているだけなんてもうしたくない……」
瞼を持ち上げると、長い黒髪がかかっていた。それを剣士用のグローブに包まれた左手で掻き上げると、長い白革のコートを翻し彼らに背中を向ける。
「急な戦闘は学生時代に馴れてます。それに俺は皆さんを、ここにいる候補生たちを信じていますから……!」
横顔で一瞬だけニコッと場違いな笑みをカグヤやイシス、ヴェナにマノ姉妹、機関所長と副所長、そして後ろで整列するロストゼロ達と残った候補生700名に溢した。
呟き、それを遺して辻本はアネットの手を取って目線でタイミングを示し合わせる。アネットも辻本の決意を汲み取ったようで、瞳に涙を溜めながら頷き、転移を開始する―――。
(…………大したバカだよ。)
「…………なに、この変な気持ち…………」
死地に消えた、飛び込んだ英雄を見て。辻本の監視役として派遣されていたメアラミスはどこか失望したような視線を向けていた。靴のつま先を地面にコンコンと足癖の悪い様子で、胸の奥で沸き上がる苛立ちのようなと感情と共に。
トンネルを抜けるような感覚。刹那、目を開くとそこはグラウンド。転移が完了したのだ。つまりここはもう戦場の真ん中。辻本はアネットの手を離すと同時に、貴女は退避という意を込めた目配せを送る。アネットもそれに応える。
「死んじゃだめですからね!危なくなったらすぐに合図を!秒で助けに行っちゃいますから!」
「……はい!必ず乗り越えてみせます、デリスがひとつになるための機関の始まりを―――」
「―――邪魔はさせない!!」
鞘から引き抜いた得物、《黄昏の太刀》の輝ける刀身を巨影に向け辻本は決意を叫ぶ。アネットもその言葉を聴いて黙って頷くと、もといたフロンティアのある高所の安全地帯へ転移術で帰還した。
「貴方は……機関の指揮官の方ですか!?」
「その顔は、もしや朱雀国の英雄の」
辻本の参戦に気が付いた先遣隊の兵士達が負傷した身体を庇いながらに数名で押し寄せる。未だ鳴り響く前方の機関銃や魔法発動の音。そしてネメシスの圧倒的破壊力の攻撃によって生まれる地響き、ヒトの悲鳴。
それに掻き消されない程の声で辻本は兵士らに、
「ここは俺が引き受けます!その間になるべく後方に退避していて下さい!」
「っ……分かりました、どうかご武運を!」
一人の若者に全てを託した兵士達は、生き残りを連れて戦場より離脱を開始する。
しかしそれでも……辻本の目の前には数十もの死体が無惨に転がっていた。
巨人の拳や脚によって潰された者。
鋭利な爪によって内臓を抉られた者。
混沌にも似た魔力の光線で穿たれた者。
(……間に合わなかった……もっと早く動いていれば救えたかもしれないのに……!)
辻本がそう感じ、悔やむなかで巨影は地面に聳える脚に力を貯め始める。
「ググググ―――――――――!!!!!!」
ちょうどグラウンドの中間位置で硬質な地響きと唸りを轟かせるネメシス。直後、まるで大地を通じて死体から魔力を抽出するように生命力のようなものが巨人に集いだす。その光景は「発芽」、「成長」、「開花」のような……。
(人体エネルギーを吸収しているのか……!)
《深紅の零》からセカイに蔓延る『ネクサスウィスプ』と『ネメシス』。まだ情報が不足しすぎる部分はあるが、それでもこの3ヶ月、徹底された四大国の調査で幾つか解明されているデータがあった。
その1つがこの、死したヒトに残った魂を喰らうような“吸収行為”。
辻本は直感で、こいつを今止めなければセントラルを含めたこの街は滅びる、という最悪の結末を悟ってしまう。そんな邪念を払うよう太刀を眼前でひとつ振るう。
そして静かに問い掛けた。瞳に光はなく、全身は虚で創られた化物に、この世界で幾つもの過ちを犯してきた俺だからこそ……、
「なぜお前は世界を襲う……?」
「お前は一体、何なんだ!!?」
問いに対する答えは、確信はあった。
こいつらはゼロの呪いから生まれた残滓。
ロゼという世界の管理者の復活によってデリス大陸に散り蒔かれた―――種。
(……手掛かりはこの闇の先にある、ユナを取り戻すための―――)
「……オオオオオオッ!!!!!!」
重い太刀に宿る強い意志。辻本は溜めていた息を全て気合に変えながらに咆哮を迸らせ、猛然と地面を蹴り飛ばす。
一方ネメシスは中段に構えたまま動かず、辻本の撃ち込みを待ち受ける。
俺が『ネメシス』と戦うのはこれが初めてだ。それどころかこの巨体、威圧感をこうして体感したこと自体が初体験だった。
朱雀内戦、深紅の零後俺は目覚めて、失ったものの大きさに気付かされ、それでも前に進むことを決めたのは“君”がいるから―――。
―――今行くからな、ユナ!!
ネメシス相手に小細工は通用しない。25メートルの距離を瞬時に駆け抜け、突進のスピードに乗せた勢いを余さずに、太刀で右上段斬りを力一杯に放つ。
対するネメシス。巨人の拳が唸りを上げ肌に突き刺さる。大地を割り砕かんばかりの踏み込みから巨腕を振り降ろした。
紅と黒の力が激突し、眩い閃光を放ち跳ね返る。
その瞬間、辻本は“
「(まだやれる……)……天紅月光流、奥義!」
辻本が超人的な反応でネメシスの攻撃の軌道をずらし、まるで岩盤のような腕に沿わせるように跳躍すると共に太刀を振り翳す。
続けざまに体を軸として猛烈な勢いで回転、そこに
「“弐の型・鳳凰旋風”―――鵬翼!!!!」
炎車は巨人の外皮と筋肉を砕き、その余波が無人の建物や辺りの山岳を揺るがす。不死鳥の燃ゆる両翼を模した天紅の連撃でネメシスの頭部にまで駈け昇った辻本、新たな体内魔力を捻出して体勢を1度上空で立て直す。この洗練された動きは数秒で行われ、巨大ゆえネメシスは灰衣の剣士のスピードにまったく追い付けていなかった。
善戦。そのように誰もが思えた。
丘の上にあるフロンティアの建物前から、英雄の戦いを見守っていた四聖秩序機関の職員らや候補生達は声援半ばに、殆どが初見であった辻本の戦闘力の高さに目を丸くして。
「す、凄い……」
「これが僕たちの担当指揮官のチカラ……」
「流石……っ?いや、待て―――あれは!」
朱雀の若き英雄の活躍を傍観しつつ彼の力に圧されてもいたロストゼロの白虎出身、シャルロッテと朔夜……から辻本ダイキの扱う武術について詳しく知る青龍出身のアーシャが気配を察知して口を開く。
巨人の損傷箇所が巻き戻るよう塞がる……。
飛び込んできた光景に一同は声も出せず凝視した。
絶望は更なる絶望を呼び寄せ―――
「ッ―――超速再生か……!?(だが後ろは取らせて貰った、次の一撃で決めてやる!)」
辻本が巨人の頭部の後ろで反応。回り込むような形で背後を取っていた。腕を振り払った直後のネメシス、防御するすべはないはずだと読みここが隙だと空を蹴った。
だが、辻本の剣が動き始めた、その刹那。
巨人の上半身が、背骨辺りを軸とし回転した。まるで先の鳳凰旋風を見て“こっちの方が強い”と嘲笑うような……。辻本の研ぎ澄まされ無駄のない回転技と較べてそれは子どもの遊びのようなクルっとしたただの横スピン1回転だった。
ただひとつ、人間には不可能な動きで真横を向いたという点。予期せぬ動きに辻本は対処が仕切れず、巨人の左腕が、横薙ぎに辻本を天空で襲った。
「しまッ……ぐああああ!!!!!」
どがっ! と鈍い音が響く。辻本は真横に吹き飛ばされグラウンド東側の端に激突した。
恐ろしいほど大量の鮮血で外壁を染めてから、灰衣の剣士はずるりと地面に崩れ落ちた。
「ぅ……ぁ…………(こんな……ところで……)」
脚も、腕も、まったく感覚がない。自分の体ではなくなってしまったかのように小刻みな震えを止めることが出来なくなっていた。
唯一動かせる顔を、辻本はゆっくり巡らせる。ほんの数メートル離れた場所に立ちはだかるネメシスを見上げた。
怪物もまた、真っ直ぐに辻本を見下ろす。倒れた虚構の英雄を、虚構の侵略体が見つめていた。
「このままじゃ辻本さんが……!」
「ええい!大口を叩いて先走った結果がこれとは!……せめて魔法での援護や召喚獣を使った撹乱を!」
青ざめた表情のカグヤにモーガンが怒りの形相で動けそうな候補生に指示する。
安全地帯からの陽動、牽制。それくらいならば新兵にもこなせるだろうとモーガンの指示であったが、そこに待ったをかけたのは機関を任された所長、クラリス・ロクサーヌだった。
「止めておけ、魔法はともかく
まるで陰と陽のようだ、とロクサーヌの見解。
入隊式で所長本人が話していた「創世記1章、天地創造」を思い出す候補生らに、ロクサーヌは腕を組んだまま不敵に顔を向けた。
「クク……よく見ておきたまえよ雛鳥たち。あれが未来、諸君らの戦う相手だ」
まるで他人事のように。魔物でも奇蹟の獣でもない“デリスの理”に反した新たな敵を再度この場で明確にする。
候補生700名の最前列で並んでいた《ロストゼロ》の6人。じーっと遠くの戦況を睨み付けているメアラミスの横で、金髪ツインテールを揺らしたシャルロッテが若干緊張した面持ちで意見を述べた。
「あの……!ロクサーヌ所長、なんで貴女は“動かない”のですか……?!」
意見、というよりかは率直な疑問。問いかけ。そしてそれはシャルロッテだけでなく候補生全員が、機関職員らもが抱いていた“謎”だった。
「貴女、朱雀で有名な魔術師なんでしょ!?私は白虎の人間だからそこまで詳しくはないけど……少なくとも世界初の連合軍のトップを任されるくらいの“何か”があるはず!」
「認めたくはない……でもっ確かに私らをこれから率いる
「そんな“英雄”が、手も足も出ないくらいに追い詰められている!!」
「早く……助けてあげて下さいよ!!!」
シャルロッテは、震え声で言い立てる。
しかし所長は微動たりせず、仄かに微笑みながら音もなく組んでいた腕をほどいた。そして解答。
「私は天才だ、だが完璧ではない」
「まだ動けないさ、ここではまだ。」
真珠色の波動で唇を吊り上げ、あらゆる光を跳ね返す鏡の瞳でクラリス・ロクサーヌは自らがデザインを考案した白基調のコート「英雄の誓い《ヒロイックオース》」を揺らしながら、新兵にそう告げた。
(どうして…………やっぱり朱雀の人は)
冷酷なの―――?あの時のあの人のように。
私はロクサーヌ所長が「救わない」という選択を無慈悲に下した事実に、何故か無性に腹が立ってしまっていた。“朱雀民”は酷い。と。
別に私だって心底で辻本指揮官を救いたい!なんて気持ちは無いのかも知れない。そもそも私はあの人の事が今日出会う前からキライなのだから。
……でも、あの人は要塞でのテストで私とオズ君を救ってくれた。
その恩返しってワケじゃないけど、それでもああやって懸命に……自分の命を賭けて私達を、機関の未来を守ろうとしている。
あの人を助けたい。でも怖かった、あんな20Mはある巨人に立ち向かえる勇気なんてなかった。皆に囲まれて何とか立ててるけど、ホントは脚の震えだって止まらない。気を抜けばへたりこんでしまいそうだ。
(怖い…………私ってばいっつもそう、大事なところでなにも出来ずにいるだけ。)
シャルロッテは全身を貫くような冷気、そして内から涌き出る怒りに耐えながら、数十Mほど離れた場所、ネメシスが蹂躙するグラウンドで、ゆるりと身を起こした辻本を目にする。
(…………ぁ)
彼は哀切の笑みを滲ませたまま、“
「……まだ……終わらせない…………。」
その言葉は多分、辻本が自分自身を奮い立たせるためのものだったであろう。
しかしそれを偶然、高台から《ロストゼロ》の6名全員がしっかりと目撃していた。
シャルロッテ。
オズ・クロイツ。
雨月玲。
朔夜。
アーシャ。
そしてメアラミス。
誰よりも辻本の言葉に、懸命に声を絞り出したその終わらせないに、これまで朦朧とした希薄な意識、興味のない世界が一気に醒めた。
「―――!!!」
周りと同じ黒金の制服に身を包んだ
「フフ、どうした《羅刹》の。」
メアラミスの素性を知るロクサーヌが訊ねるも少女の耳には入っていなかった。
そして小柄な体を使いバネのような勢いで、
ただ、心が命ずるままに―――跳んだ。
(まだ……俺は…………ッ)
辻本は意識を朦朧とさせながら呟く。
今和の際、彼の脳裏にこれまでの思い出が走馬灯のように流れ、視界が霞んでゆく。
1度は起こした身体だったが、再び押し寄せてきた痛みに片膝をついてしまう。
虚ろに眼を開いたまま、両腕に残る太刀の重みにすがりつくよう身を預け……自分の身体を抱き締める。
“奇蹟の”混沌はない―――。
“ディクロスの”ゼロは奪われた―――。
唯一ある剣技も、この怪物には効かない。
俺の内側に広がる虚構。
意識も、肉体も、魂までもが離れていく感覚。
空っぽだ。
そんな思考が、虚構の奥から水泡のよう浮かび弾けた。俺がいまこの場所にいて、機関の指揮官に就いた理由はただひとつ、ユナの魂をこのデリスへと解き放つためではなかったのか。
今もなお苦しみ続けているであろう彼女を。
(だが…………もう…………)
―――もうこれ以上、俺に在るチカラなんて。
迫り来るネメシス、巨体から踏み出された足の先端がずしりと地面を突き動かす。その目指す先にはもはや戦意の欠片くらいしか残されてはいない辻本ダイキの姿。
―――その時だった。
突如生まれた深紅の閃光、大きな“赤の鬼”を宿した少女の小さな後ろ姿が視界を塗り潰した。
鬼神。かつて一度だけ、最果ての地でまみえた時に見たことがある輝きだった。グラウンドに吹き荒れる巨影の闇を全て呑み込み、喰らい尽くす勢いの―――魔圧。
“人形”に唯一与えられた“
「……メア、ラミス」
俺の喉から、余りに弱々しい音が漏れた。
《羅刹》のメアラミスは背中を向けたまま、眠たげというよりは不機嫌そうな横顔で、しかしどこか安堵したような口調で。
「……まだ生きてるね?」
メアラミスは不敵に口を弛ませ、候補生用の黒金の制服、スカートから伸び黒タイツに包まれた脚で地面を叩きながら。少し間を空けて、身体はネメシスの方を向きながらに左手だけをスッと、俺の顔の前に差し出した。
小さくて、細くて、綺麗な、掌だった。
「今のキミには、ウチがいる。」
ただその短い言葉だけで、再び立ち上がるには十分過ぎるほどの力を貰えた気がした。
全身の傷の痛みが消えた。
胸の奥の冷たい虚構が、闇の底から燃え上がるような熱のなか蒸発する。
直後、辻本ダイキ、そしてメアラミス。
同じく《ロストゼロ》の少年少女ら。
機関で7人だけの特務部隊が繋がるよう―――それぞれの左胸が輝きを放つ。
互いがそれらの重心になる感覚に襲われながら、辻本ダイキとメアラミスは掌を重ね合った。
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