第12話幼い思い出


 貴志は、風呂に入って綺麗になった浮浪児と一緒に江戸の町をぶらぶらした。綺麗になった浮浪児は、見た目がよくなったせいなのかまるで弟のようにも思えた。二人できゃきゃと江戸を遊びまることが何より楽しかった。


貴志には、友達がいなかった。

 道場の子供たちは友達では習った。他の習い事と一緒になった子供たちも友人ではなかった。弟のような浮浪児だけが、唯一のひそやかな友人であった。


 ただし、浮浪児には名前がなかったので貴志は「おい」とか「おまえ」とかいろいろな表現を使って彼を呼んでいた。浮浪児は相変わらず身軽で、色々なところを一息でよじ登った。


それは、人の家の壁であったり屋根であったりした。あまりにも身軽だったので、貴志は浮浪児のことを鴉と呼び始めた。


 彼は普段はゴミをあさっていたし、身軽な様子はカラスにとても似ていたのだ。どこでも一息で登ってしまう様子は、羽を広げて飛び上がる鴉そのものだった。


 貴志の父親が、自分の息子が浮浪児の一人と遊びまわっていることに気が付くのに時間はかからなかった。だが、彼はこの友人にたいして何かをいうことはなかった。息子の教育の厳しさは自覚していたので、その厳しさのうっぷんを晴らすのにはちょうどいいと考えていたのだ。


 しかし、ある日を境に父親の考えは一変した。


 貴志と鴉が遊んでいた近くで、火事が発生したのだ。子供二人は、逃げまどう人々に待ちこまれた。人にもまれてもみくちゃになる貴志。そんな貴志を助けたのは、鴉だった。鴉は岸の手を掴み、家の屋根へと飛び上がった。屋根に避難した貴志と鴉は、火事が収まったあとに定火消たちに保護された。父は、そのときに鴉の動きに気が付いた。


 身軽なその動き。


 その動きを定火消である貴志の父親も目をむいた。


 父親は、鴉に才能をみた。

 

――火消の才能を。


 父親は、その才能を欲しがった。


 家に欲しがった。


 その才能があれば、家の名声はもっと上がると考えたのだ。


 家に帰ると、父親は貴志に浮浪児のことを詰問した。貴志は眼を白黒させながらも父親の質問にすべて答えた。鴉と呼んでいる浮浪児。それ以外のことは、貴志は知らなかった。父親や母親は見たことがなかったので、おそらくはいない。頭は悪くない。それだけのことしか分からなかった。


分からなかったが、父親には十分だった。


次の日、父親と貴志は浮浪児を迎えに行った。そして、浮浪児を養子とした。貴志の弟となった浮浪児は、正式に鴉という名前をもらった。他の名前の候補もあったが、浮浪児が鴉と言う名をえらんだのだ。浮浪児はまだ七歳にもなっていなくて、一緒に暮らして初めて分かったが体が強い方ではなかった。特に季節の変わり目でよく咳をしていた。


母は、鴉に女の子の着物を着せた。


丈夫に育つようにという願掛けであった。


自分にはされなかた願掛けに、貴志は嫉妬しつつも妹の恰好をした弟を可愛がった。一緒に遊んでやり、喉を傷めれば飴を買ってやった。虐められれば守ってやり、食事や剣の作法も教えてやった。鴉はその一つ一つを覚えるためにも、常に兄と一緒にいた。母は突然増えた弟に四苦八苦していたが、それでも無事に大きくなってほしいと情をかけて育てていた。


それでも、鴉にとって兄が師でありすべてだった。


そのように鴉が兄にべったりだったので、兄はいつの間にか鴉を可愛がるようになった。嫉妬心も消えて、二人は本物の兄弟以上に仲がよくなっていた。どこにいくのも一緒で、貴志は弟ができるのも悪くはないなと感じた。二人は兄弟で、大親友だった。


鴉が七歳になると、彼は男の恰好に戻った。


さっぱりとした男物の着物を着て、唇にたわむれに紅を塗ることもなくなった。けれども、そうあっても鴉は凛として美しかった。兄はこの弟をさらに溺愛し、様々なところに弟を連れて歩いた。将来は、兄と弟の二人で定火消を背負って立つ存在になる。貴志は、そう考えていた。


だが、父の関心が完全に鴉に移っていった。


父は、鴉は貴志と同じぐらい――それ以上に厳しく接した。


礼儀作法から、剣術、あらゆることを鴉に叩き込んだ。貴志は、最初は鴉が何も知らないから厳しいのだと思った。だが、父は貴志に対しては甘くなった。


それで、貴志は理解した。


父は、もう自分に期待はしていないのだ。

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