第28話 嘘に縋って

 「朝」というには遅く「昼」というには早い午前十時前。チーニとルーナはある金属加工店の前に立っていた。開店時間にはまだ早く、扉の奥には布のすだれが掛けられている。


「まだやってないねぇ」

「十時開店だからね」


 チーニが時計を取り出して、ルーナに見せる。十時までにはまだ、長針が三メモリほど動く必要があった。ルーナは小さくため息を吐く。


「待ってたら早く開けてくれたりするかな」

「どうだろう。開けてくれるといいね」


 チーニは扉をじっと見つめたまま、小さく笑みをこぼした。チーニの頬に指先を伸ばして、ルーナはそっと冷たい頬を撫でる。


「チーニ、緊張してる?」


 すだれをじっと見つめたまま頬に触れるルーナの指先を掴む。


「そうかもしれない」


 今までの嫌がらせは学院内で収まる程度の物だったから、学外の人に話を聞くのは初めの経験だった。初めての経験とその緊張から事の重大さを改めて理解して、心臓が早くなる。冷たい指先をルーナの手が包んで、柔らかな言葉が耳をくすぐる。


「大丈夫。上手くいかなくてディアが退学になっちゃったら、三人で家出しちゃえばいいよ」

「どこに住もうか」

「十四番地くらいがいいかなぁ」

「行ったことある?」

「ない」


 ルーナが「くふふ」と笑う。食堂のクッキーを三人でつまみ食いした時と同じ笑い方。いつも通りの日常と同じ笑顔。その柔らかな雰囲気にチーニも落ち着きを取り戻す。


「じゃあ、僕が案内するよ」

「うん。楽しみだね」


 チーニは小さく笑って「まずは成功することを祈ってよ」と呟いた。



 すだれが上がり、中の店主らしき男性と目が合う。先に会釈をしたのは向こうで、内側から扉が明けられる。


「すいませんね、開店を待ってる人がいるとは思いませんで」

「いえ、全然。今来たところですから」


 チーニは微笑んで店主に続いて中に入った。ルーナは店内に置かれた南京錠や金細工を見て回っている。


「今日はどんなご用件で?」


 作業机の奥に座った店主に問いかけられて、チーニは微笑みを深めた。


「学友にこのお店の金細工が素晴らしいと自慢されましてね? ぜひ一目見てみたいと思ってきてみたんです」

「へえ、それは有難い。ご学友というと、トゥレス学園ですかい?」


 壁の金細工に視線を向けていたチーニは、店主に視線を戻して照れくさそうに笑った。


「いえいえ、僕は平民の出ですから。王都のモナルク学院の生徒です」

「モナルク学院! そりゃすごい。あ、いや失礼しました。うちは先代の頃にようやく職人階級に上がった身でしてね、どうにも平民の言葉遣いが抜けんのです」


 職人階級とは、貴族街に住むことを許された平民のことだ。貴族の生活を支えるための歯車として、一族の血が途絶えるまで与えられた職を全うさせられる。洋服、時計、金細工、食器、従者──貴族たちの豊かで充実した生活は、平民の彼らによって支えられているのだ。


 チーニは柔らかく微笑んで、店主との距離を詰める。


「いえ。懐かしい感じがして、僕はそちらの話し方の方が好きですよ」

「そうですかい? いやぁどうにも貴族さんたちの角ばった話し方が苦手でしてね」

「綺麗なものは眩しく見えますからね」

「え? ええ、そうなんです」


 店主は一瞬戸惑ったような顔をしたが、すぐに笑みを浮かべてチーニの言葉に頷いた。


(なるほど。分からないことを分からないまま頷くタイプ、と) 


チーニはほほえみを浮かべたまま、店内をぐるりと見まわす。


「それにしても、このお店の金細工は素晴らしいですね。こんなに繊細な金細工、他ではとても見られない。彼が自慢したがるわけだ」


 ショーケースの奥で今にも羽ばたきそうに羽を広げる鳥の金細工を見ながら、チーニが声を低める。


「モナルク学院で彼って言いますと、エリム様ですかい? スリッパリー家の次男坊の」


 ショーケースを覗き込むために、曲げていた腰を伸ばしてチーニは薄く微笑みを浮かべた。


「よくお分かりになりましたね」

「エリム様にはいつもご贔屓にしてもらってますから」


 照れくさそうに頬を掻く店主をまっすぐに見つめ、チーニは言葉を返す。


「エリムはこの間ここで合鍵を作ったとか」

「ええ、ええ。寮の鍵だそうで。あ、お客さんも鍵のご相談ですかい?」


 先ほどの誉め言葉が効いたのか、店主が得意げな顔で首を傾げた。チーニは微笑みを深めて、店主の作業机に寄る。


「ええ、実はそうなんです」


 店主の耳元に顔をよせ、声を低めてチーニは言葉を続ける。


「実は、彼女に合鍵をプレゼントしたくて」


 チーニの視線を追って、ルーナを視界に移した店主はにやにやと笑って、チーニに視線を戻した。


「婚約者か何かですかい?」


 チーニは右手で口元を隠して、笑いながら視線を下げる。


「いえ、まだそんな段階ではないんですけど」

「じゃあ恋人?」


 チーニは笑みを深めて、何も言わずにルーナに視線を向けた。何も難しいことを考えなくても、彼女を見つめる視線が柔らかくなることを知っている。この世界で一番大事な、たった二つの宝物。


 チーニの思惑通り、店主は二人を恋人を勘違いしたらしく、にやにやと笑った。


「それじゃ、寮の鍵を預からせてもらって、今日中にはできると思いますけど、受け取りは後日にしますかい?」

「その間、鍵は預けっぱなしになるんですか?」

「いやいや、まさか。鍵はすぐにお返しします」

「へえ……」


 チーニが微笑みを抑えて少し首を傾げると、店主は金属の棒と紙の束を壁の棚から取り出した。


「うちはこの銅の棒を、お客さんの鍵の形に削って合鍵を作るんですね。これは特殊な紙でしてね」


 店主は銅の棒を紙に押し付けてから、チーニの方に差し出す。チーニは腰を屈めて、紙を覗き込み「へえ!」と感嘆の声を上げた。


「これはすごいですね。インクが押し付けた形に染みるようになってるんですか」

「いやぁ、ワタシには仕組みの方はさっぱりでして」


 チーニは胸元から寮の鍵を取り出すと、いつもより早く高い声を心がけて、言葉を返す。


「僕の鍵だとどんな風になるんですか?」


 店主はチーニの手から鍵を受け取って、次の紙にそれを押し付ける。くっきりと鍵の形が残って、チーニはまた高く声を上げた。店主から紙を受け取って、証明にかざしてみたり、鍵の跡を指先でなぞったり、と目を輝かせる。


「ルーナ。ルーナも見てごらんよ、すごいよ」


 チーニは壁の南京錠を見ていたルーナに視線を向け、紙を差し出した。


「わぁ、すごいね。これ、押し付けるだけで出来るの?」

「うん、そうみたいだよ」


 二人で一枚の紙を覗き込む二人に店主は、笑みを深める。チーニは顔を上げて、店主と視線を合わせた。緊張で指先が強張る。


「エリムの鍵だとどんな風になるんですか?」


 ルーナの手に紙を残して、チーニは店主の方に体を乗り出した。店主は得意げな顔で笑って、棚の中から一枚の紙を取り出す。


「エリム様の鍵だとこんな感じですかいね」


 チーニは紙を受け取って、笑みを深めた。


「すごいよ。ルーナ。こっちはちゃんと別の鍵だってわかる」

「へえ、ほんとだ……あれ? これって寮の鍵じゃなくて、植物園の鍵じゃない? ほら、この上のところの装飾、寮の鍵は丸だよね?」


 ルーナの指さす場所をじっくりと観察してからチーニは声を落とした。


「本当だ」


 店主は驚いた顔になって二人から紙をひったくるように奪い返す。ルーナはチーニの袖をつかんで、耳元に口を寄せた。


「大変だよ、チーニ」


 そして店主にも聞こえるように、言葉を続ける。


「この間、植物園の花壇が荒らされたばかりだし、こんな物が見つかったらエリムが犯人にされちゃうよ」


 店主の顔が強張る。チーニも頷いて、声を低めた。


「うん。それに、学院の施設の鍵を勝手に複製するのは重大な校則違反だ。バレたら退学になってもおかしくない」

「店主さんもこんなにいい人なのに。バレたらきっと……」


 ひそひそと話を続ける二人の間に店主の声が飛び込む。


「ど、どうなるんですかい」


 店主は怯えたような顔でチーニたちに線を向ける。チーニはルーナと目を合わせて、黙って視線を落とした。


「ワ、ワタシは寮の鍵だって言われて、作っただけですぜい? 何も悪い事なんか」


 チーニは視線を上げて、わずかに眉を寄せ、ぼそぼそと言葉を返す。


「知らなかったことを証明するのは難しいですから」

「そ、そんな」


 青ざめ、椅子に腰を落とした店主をみてルーナが眉を下げた。


「チーニ、どうにかならないかな」

「うーん」


 チーニは顎に手を当てて、考えるような仕草をとる。視線を彷徨わせ、じっくりと考えを巡らせていく。店主の様子を視界の端で観察しながら、タイミングを計る。


 動揺、混乱、恐怖、不安。店主の中の感情が揺れる。店主は縋りつくように、机の上にあった金棒に手を伸ばす。


「そうだ」


 店主の肩が揺れる。チーニは店主の指先を掴んで、まっすぐに目を合わせる。


「僕が注文書と鍵の写しを処分しておきますよ」

「え、ええと、でも」


 店主は視線を左右に振った。


「僕が責任をもって処分しておきますから」


 声を低め、囁くように、チーニは言葉を続けた。


「悪くないのに罰を受けるのは嫌でしょう?」


 店主のこめかみから冷や汗が伝う。チーニは手をそっと握りなおして、微笑みを作るとさらに言葉を重ねた。


「僕を、信じてください」


 店主は唾を飲み込んで、手を引くと背後の棚を漁って注文書と鍵の写しをチーニに手渡す。チーニは両手でそれを受け取って、店主を目を合わせる。


「安心してください。僕が必ずだれにも見つからない方法で、処分しますから」


 チーニは柔らかく微笑んで、店主の肩に手を置く。ルーナを促し、二人は店内を後にした。

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