第29話 どんなに嘘が上手くなっても

 店を後にした二人は深く息を吐き出した。鞄に二枚の紙を仕舞って、チーニは全身から力を抜く。


「うまくいったね」


 ルーナはチーニと目を見合わせて笑った。


「あんなにぺらぺら嘘ついたの初めてだよ、僕」

「ふふふっ、そうだろうねぇ。ちなみに前半の褒め殺しの部分はどのくらい嘘?」

「八割くらいかな」


 チーニはゆるく笑ってルーナに視線を返す。ルーナは驚いたような顔で瞬きをしてから、ずいっとチーニとの距離を詰め、顔を覗き込んだ。


「それは嘘」


 目を細め、微笑を浮かべるルーナにチーニの思考が一瞬止まった。瞬きの間に衝撃を抜けたチーニは顔の力を抜いて笑うと、両手を顔の横にあげる。


「降参」


 二人は止めていた足を動かして、街並みを進む。


「ふふふっ、嘘ついたの、ほんとは二つだけでしょ」


 チーニは一瞬目を見開いて、吐息のように笑った。


「よく分かるね」


 チーニに視線を向け、小さく笑ってルーナは前に目線を戻す。


「分かるよ、友達だもん」

「ちなみにどこだと思ってる?」


 貴族たちの間を抜けながら、チーニは笑いを含んだ声を返した。前に視線を向けたまま、ルーナが小さく笑う。


「店主の荒っぽい喋り方が落ち着くってところと、細々したものが好きってところ」

「だいせいかーい」

「細々したものそんなに好きじゃないでしょ」


 チーニはルーナのつむじに目を向けて、呟くように言葉を吐いた。


「貰うのは、好きだよ」

「それは細々したものが好きなんじゃなくて、大事な人から物を貰うのがすきなんでしょ」

「よく知ってるね」

「もう一つ、知ってるよ」


 ルーナが小さく笑って、チーニに視線を向ける。目の端でこちらを向いているルーナに気が付いて、チーニもルーナの方を向いた。二人の目線が絡む。ルーナの顔があんまり楽しそうで、眩しくて、チーニは視線を前に戻した。


「なにを知ってるの?」

「大事な人から貰うなら手紙が一番好き」


 ルーナは踊るように三歩進んで、チーニの前に回った。肩を震わせて笑いながら、チーニは楽しそうなルーナに言葉を返す。


「ふふ、だいせいかーい」


「楽しそうだね、デートかい? お二人さん」


 突然投げられた言葉に、ルーナが素早く後ろを振り返った。背が高く、髪の長い男性がひらひらと二人に手を振っている。ルーナは驚いたように目を見開いて、チーニに視線を向けた。


「チーニの知り合い?」


 警戒を色濃く語るルーナの瞳をまっすぐに見つめて、小さく笑いながらチーニは口を開く。


「うん」

「だれ?」

「さて、ここで問題です。あの人は誰でしょう?」


 ルーナが二度瞬きを繰り返す。


「私も知ってる人?」

「面識はないけど、認識はしてると思うよ」

「喋ったことはないけど、見かけた事はあるってこと?」

「うん」


 唸りながら考え込むルーナに小さく笑いをこぼす。大きな一歩で距離を詰めてきた男は、チーニに視線を向けた。


「私、自己紹介しない方がいい感じかな?」

「ちょっとだけ待ってくれますか?」


 男は笑って頷きながら、チーニの頭をなでる。髪の間に指を通すように、優しく、そっと。


「休日にお出かけとは、仲良しだね」

「デートじゃないですよ。友達のピンチを解決中です」


 チーニが男の方を向いて笑う。男は真面目な顔で「なるほど」と呟いて、指通りの良い髪を梳きながら言葉を続けた。


「それは確かにデートじゃないね。調査は順調かい?」

「はい。ゴールまではあと一歩です」

「頼もしい答えだね」


 二人のやり取りを観察しつつ、記憶を探っていたルーナは答えにたどり着いて笑みを浮かべる。


「分かったよ、チーニ」

「さて、この人は誰でしょう」

「チーニを拾ったハングさん、でしょ?」


 男はチーニを頭から手を離して、ルーナの足元に跪いた。男は微笑みを浮かべて、驚くルーナの右手を取ると、そのまま口を開く。


「初めまして。私はハング・カーマ。お会いできて幸栄です、レディ」


 ルーナは一瞬目を見開いたものの、すぐに気を取り直して綺麗な微笑を浮かべた。


「初めまして。わたしくの方こそ、お会いできて幸栄ですわ」


 状況を理解できずに居るのはどうやらチーニだけらしく、ぱちくり、と瞬きを繰り返す。どう口を挟むべきか迷って、行き場のない手を彷徨わるチーニに、二人分の笑い声が届く。


「ふふっふふふっ」


 立ち上がったハングとルーナは目を見合わせて、また肩を震わせた。チーニは眉を下げて悲しそうな顔を作ると、視線を下げる。


「仲間外れは寂しいよ」


 ハングの大きな手がチーニの頭を撫でた。


「ごめん、ごめん。久しぶりに会ったからちょっと揶揄いたくなってしまってね。貴族たちは初めて会ったとき、ああして挨拶することが多いんだ」


 珍しく焦ったような声が上から降ってきて、チーニは笑いながら顔を上げる。


「うそです」

「ふふっ、だと思った」


 ルーナはまだ肩を震わせている。驚いたように目を見開いたハングは、ゆっくりと微笑んで、吐息のように微かな笑い声を上げた。


「君は嘘が上手くなったね」


 チーニはじっとハングの目を見つめて、渡された言葉を飲み込んで、ゆっくりと視線を下げた。


「そうかもしれません」

「チーニの嘘がどんなに上手になっても、私はきっと、君の本当が分かるよ」


 ルーナの言葉にチーニは目を見開く。


「君の本当は、私がちゃんと知ってるよ」


 胸によぎった不安を丸ごと全部包み込んで、抱きしめてくれるような、そんな言葉だった。チーニの顔がゆっくりとほころぶ。柔らかく、力が抜けて、うまく笑えているのかも分からなかった。でも、幸せに見える顔をしていることは確かで、チーニはその顔のまま、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「ほんとうにルーナには敵わないなぁ」


 柔らかく日の光に照らされたルーナが綺麗で、チーニは目を細めた。


「君たちは仲良しだね」


 ハングの楽しそうな声が降ってきて、チーニは顔を上げる。ハングの微笑んだ顔が目に入って、チーニも頬を緩めた。他人に対して、いつも少し遠い場所にいる彼が、ルーナに優しい本当の笑顔を見せていることが嬉しかった。優しくて、幸せで、たまらなくなる。


 チーニの髪をなでていたハングが、不意に手を下ろした。


「じゃあ、私はそろそろ仕事に戻ろうかな。……っと、そうだ」


 背を向けかけたハングが振り返って、チーニと視線を合わせる。


「この間、麻薬の密売に関わっていたある宗教団体の幹部が脱獄してね。まだこの辺りに居るかもしれないから、気を付けて帰るんだよ」

「分かりました。充分、気をつけます」

「うん。じゃあ、元気でね」

「はい」


 ハングは今度こそ、チーニたちに背を向けて人並みの中に消えていった。


「じゃあ、僕らもお昼食べて、お土産買って、帰ろうか」

「うん。気を付けて、ね」


 ルーナが「くふふ」と笑い声をこぼす。チーニも笑みを返して、目的のレストランに向かって足を進めた。

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