ボーナストラック『二人が幸せを掴むまで』

 文化祭が終わった後、俺は自分の生活を振り返った。

 遅刻・欠席の連続。高校三年生という身分。留年の危機もあるのだという。このままではまずいと、担任に発破をかけられてしまった。俺みたいな生徒を見放さずに今まで面倒を見てくれたことは感謝しかない。


「あのー如月先生。俺、これからは学校に来ます」


 頭を下げて俺は担任へと意思を表明した。

 如月紗夜先生はお堅い感じの若い美人教師だ。

 長い黒髪をリボンで結んだポニーテール。普段から黒のスーツ姿で中には薄手のカッターシャツ。律儀な人である。


「表情が明るくなったわね。何か良いことでもあったの?」


 ふふっと微笑みながら先生は訊ねてきた。片手にはカフェオレの入ったカップを持ち、音を立てずに口を付けた。


「はい。ちょっと色々とありましてね」


 文化祭が終わってから、俺の人生は変わった。

 歯車が回り始めたと言っても過言ではない。

 これもそれも全てはNさんのおかげだ。


「あのーどうして俺みたいな生徒を見放さなかったんですか? 正直俺って面倒な奴じゃないですか」


 如月先生はキョトンとした表情で、こちらを見てきた。

 何を言っているのか、さっぱり分からないという意味を踏まえている。驚きの表情がいつもの無愛想な顔へと変わり、如月先生は言った。当たり前のことを聞くなとでも言うように。


「先生だからよ。先生は生徒を見守る義務がある。どんなに愛想が悪くても、どんなに遅刻・欠席を繰り返しても」


 続けるように、彼女は遠い目をして饒舌に話した。

 普段はあまり喋る先生ではないのにもかかわらず。


「昔ね、ワタシと同学年の生徒が遅刻・欠席を繰り返していたの。彼は入学直後に暴力沙汰を起こして、『遅刻魔』とか『問題児』と呼ばれていたわ。正直ワタシ自身も彼のことを軽蔑してた。でもね、彼はワタシが考えていたような人じゃなかったわ」


 彼女は懐かしむように、彼の話を続けた。

 まるで初恋を思い出す乙女のような表情で。

 そこには厳格な先生というイメージは一切ない。


「ごめんなさい。彼のことを思い出したら、ついつい口数が増えてしまったわ」

「面白かったです。もっと聞かせてください。で、その人は今どこで何をしているですか?」

「それがワタシの夫よ」

「えええっ!? 先生、結婚していたんですかぁ!?」

「うん。そうだけど……何か問題が?」

「な、何もありませんが……し、知らなかった」

「だって今まで誰にも言ったことないもの。誰からも聞かれなかったし」


***


 夜間大学への進学が決まり、高校の卒業式となった。

 人生で最初で最後の高校の卒業式。もう二度と来ないと思うと、胸がチクリと痛んだ。本当俺、何をやっていたんだろうなと。でも、最後の半年間で全てを取り戻せた気がする。

 まぁーひたすらに勉強を続ける日々だったけど。

 もう思い残すことはない校舎に別れを告げ、俺は恩師にへと頭を下げに向かった。


「如月先生、本当にありがとうございました」

「良いのよ。これからも頑張ってね、期待しているわ。今から彼女さんのところだっけ?」

「あーはい……。卒業するまでは合わないと約束してたので」

「普通大学に合格するまでじゃない?」

「俺、遅刻・欠席が多いでしょ? 留年したら困るからってことで、今まで会わないようにしていたんですよ」


 通学路を歩きながら、俺はふと思う。

 もう二度とこの校舎に足を踏み入れることも。この道を通ることもないのかと。何だか、物凄く寂しい気持ちになる。

 友達がいたわけではない。俺はいつも一人だった。

 それでもイヤホンを耳に突っ込んで歩いた日々はもう来ないのだ。


 桜の綺麗な公園を通り、俺は彼女のアパートへと向かっていた。と、目の前に彼女と思しき姿があった。でも黒く伸びた髪はどこにもなかった。肩に当たる程度の長さに綺麗に切り揃えられた髪が風に吹かれて無数の粒子を放った。辺りを埋め尽くすような桜並木からは桜の花びらが舞い散り、彼女の存在を儚げに演出する。見間違うはずがない。彼女はNさんだ。


 俺は走って、彼女の元へと急いだ。

 彼女は俺の顔を見るなり、人差し指を突き立てて、


「おいおい、大遅刻だぜ。こっちはもう待ちくたびれたよ。半年間も彼女も一人ぼっちにするなんてさ」


 拗ねているのか、それとも嬉しいのか、朱色に染まった顔で彼女はこちらを凝視してくる。彼女の姿を見ただけで、彼女に会えただけで、俺の胸がドクドクと高鳴るのを感じる。


 あぁーこれが好きってことか。あーこれが愛しいってことか。今まで知らなかった感情だ。いつもいつもクラスでイチャイチャしてるカップルを見て、「馬鹿らしい」とか思っていたけど……その気持ちが今なら物凄く分かる。


 彼女を抱きしめたい。その感情が原動力になって、身体が勝手に動いてしまった。そうだ、俺は彼女を強く抱きしめた。


「あ、会いたかった……ずっと、ずっとあ、ああ、会いたかったです」


 嬉しい気持ちが爆発して、涙が出ることってあるんだな。

 生まれて初めて知ったよ。もう涙が止まらなかった。

 そんな俺の頭を優しくゆっくりと、彼女は撫でてくれた。

 公園のど真ん中で、公衆の面前で子供みたいにあやされているのに、全然嫌な気持ちにはならなかった。


「もうー本当にCくんはダメな奴だなぁー。わたしがいないと」

「はい……お、俺……Nさんがいないと生きられないです」

「ちょっと真面目なトーンで言うなよ。て、照れるでしょ?」


 照れる顔が見たい。その一心で彼女の表情を見てみる。真っ赤になっていた。目が合った途端に、手のひらで顔をグイと押されてしまう。


「あ、あんまりみ、見るなっ! は、恥ずかしいでしょうが」

「それで……あ、あのや、約束守ってくれますよね?」


***


 三月の下旬。新生活が始まる前の準備段階になる期間。

 俺の引っ越し先が決定した。というか、そもそも文化祭が終わった段階で半分決まっていたことなのだが。


「今日から一つ屋根の下で暮らすことになったね」


 満面の笑みを浮かべて、Nさんは言ってくれた。

 嬉しいには嬉しい気持ちがあるものの、俺は複雑な気持ちでいっぱいだった。


「と言っても、同じアパートに暮らすだけでNさんと同じ部屋ではないですけどね。どうしてですかー。もう同棲ってことで良いじゃないですかぁ!」


 Nさんが経営するアパートに住まわてもらうことになったのだ。少しでも長い時間一緒にいたいから。それだけの理由だ。初々しい彼氏彼女っぽくて良いと思いませんか?


「あのさーCくん。同棲って割と大変だよ? 相手の嫌な部分が目に見えて分かるから」

「結婚するんですよね? お、俺たちって」

「将来的にはねー。でも、まずはお互いのことをもっと知るべきだと思うんだよ。何よりもCくんはわたしと生活が全然違うでしょ? だから……迷惑はかけられないんだよ」


 アパート経営で収益を得るNさん。

 逆に俺は朝は仕事へ、夜は大学へ通う身。

 たしかにこれではお互いの生活はグチャグチャになるな。


「Nさん……お、俺のことを思ってくれていたんですね」

「結婚と一概に言っても、別居してる夫婦って割といるみたいだし。こっちの方がいいかなと思っただけだから」


 本当か嘘か、分からないことを言われてしまった。

 冗談だと思いたい。いや、思わせてください。


「何よりも、このアパートって狭いんだよね。六畳一間だよ? 二人で住めると思ってるの?」

「いいじゃないですか。同じベッドに寝るだなんて」

「あーわたしは布団派なんだよねー。はい、この段階でもう無理だね。それにベッドって落ちちゃうかもしれないでしょ?」

「そのセリフは、寝相が悪い人の言い分ですね」

「……寝相が悪いわけじゃないよ。身体が勝手に動くんだよ」


 ま、そんなことは置いといて、と彼女は言って、


「最悪でも半年間ぐらいは同棲は無理かなぁー」

「寝相を治すんですね」

「違うからぁ! お互いのことをもっと知るためだし」


 顔を赤く染めて、彼女はムキになって答えた。

 怒っている姿もやっぱり可愛いなと思える。年上なのに。


「分かりました。実は、俺お尻のところにほくろがあるんです。次は、Nさんどうぞ!」

「どうぞって振られても……と言うか、別に聞きたい情報ではなかったんだけど」

「お互いのことをもっと知るためだと言ったのにー」

「それじゃあねー」彼女は口に指を当て得意気に言った。

「手を貸して」

 どんな意味を持っているのか、と思っていたら、痺れを切らした彼女が俺の手をいきなり掴んできた。そのまま促されるように、俺の手は彼女の胸元へと向かい、彼女の肌に触れてしまった。

 柔らかな感触とともに、心臓の鼓動が手のひらいっぱいに感じてしまう。彼女が生きている証拠。さっきよりも早くなった気がするけど、ただの気のせいだろうか。


「バクバクって心臓が高鳴ってるでしょ? キミが思っている以上に、わたしはキミのことを思っているよ。分かってくれた?」


 顔色を赤に染めて微笑む彼女を見て、俺は幸せを感じた。

 その鼓動に答えるように、彼女の手を取って俺は心の底から本音を伝える。ギュッと握りしめた俺の手よりも小さな手は、可愛らしかった。


「絶対に俺があなたを幸せにしますっ!」

「もしも幸せにできなかったどうするー?」

「そ、そのときには生まれ変わって、またあなたに出会って、あなたに恋をして、あなたをまた幸せにしますよ」

「ふーん」照れてしまい、彼女は顔を背けてしまう。自分から言わせたくせに逃げるとはな。


「なら、わたしもキミを幸せにしてあげる。ううん、させて」


 その言葉と同時に、彼女は俺に抱きついて魔法の言葉を唱えた。


 ——大好き、と。


 その一言を聞くだけで、俺はまた今日も頑張ろうと思ってしまう。彼女の笑顔を見るために。彼女を幸せにするために。



——


 ボーナストラック終了です。

 散々最終回で続きを書かないと言ったけど、書いちゃった。

 蛇足にならない程度に頑張ったと思う。本編完結後、私が思っていた以上の反響がありました。ひとえにこれも読者の皆様のおかげです。本当にありがとうございました。


 気付いた人は気付いたかもしれませんが、如月紗夜先生と言うのは、私が書いている他作品のヒロインの一人が成長した姿。


 これで今作は完全に終わったと思います。


 それでは皆様お疲れ様でした。またどこかで。

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文化祭をサボった俺と、人生をサボった彼女 平日黒髪お姉さん @ruto7

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