第21話
黒のカーテンが閉められ、一切の光がなくなった体育館。
先頭の席を取ることが叶わなかった俺は、またしても体育館の上へと向かい、彼女の活躍を見守ることにしたのだ。
吹奏楽部の演奏が終了し、生徒たちは高揚していた。
残す演目は演劇部による演劇のみ。
準備は整ったと放送が入り、ステージの幕が上がっていく。
それと共に室内の熱気が高まっていることを肌で感じた。
毎年、演劇部の劇はクオリティが高く、誰もが注目しているのだ。
前方の演壇が照明に照らされ、闇の世界が切り裂かれる。
ステージの上に佇むのは一人の美しい女性だった。
純白のドレスを着こなした細身の体。
衣装から伸びるやわらかな肢体は眩しいほどに白かった。
照明の輝きを全て奪ってしまうような、彼女の存在に誰もが声を失い、見惚れてしまう。
腰まで伸びる黒髪は、彼女の透明さを際立たせる。
女神様という言葉が彼女には一番ふさわしいと思った。
舞台前に「こ……怖くなってきた」と両手で顔を抑え緊張をほぐしていたけれど、現在の姿からは一切感じられない。
次から次へと手足や声を使い、喜怒哀楽を表現していく。
一流の芸者と見紛うような質の高さだった。
再び幕が下りたとき、場の皆が喝采を送った。窓ガラスが振動し、今にも割れそうなほどだ。
Nさんの演技は圧巻しており、心の中が満たされた。
一本の映画を見たかのような気分になってしまう。
余韻に浸りたい気持ちも山々だが、問屋は卸さない。
あの主役の生徒は一体誰なのかと言う疑問。
その疑問は生徒から生徒へと感染し、そして——。
もう一度舞台の幕が上がった。舞台に出た役の生徒たちが一人、また一人と現れていく。まずは端役から、徐々に助演、最後には主役と言った感じに。
最後の一人が出てきた。
あの誰もの心を奪った圧倒的な存在感を放った彼女が。
一礼して、彼女は演壇の前で言葉を紡いだ。
もう演技は終わったのにも関わらず、相変わらず鈴虫が泣くような声だ。生き生きとして弾んでいるように聞こえた。
「本来ならわたしがこの場を任されることはありませんでした。本当にごめんなさい。わたしのような半端者がこんな舞台に立ってしまって……」
本来立つべきだった黒髪の女子生徒が舞台に現れた。
彼女の表情は晴れ渡っていた。そして感謝の言葉を言った。
それを聞き、Nさんは「ありがとう」と答え、もう一度真正面を見つめた。
演劇部の方々及び、劇を楽しんでくれた方への感謝。
全てを言い終わったと思った、まさにその瞬間だ。
「もう一人……どうしても感謝の言葉を伝えないといけない人がいます。
彼女の視線が体育館の上——つまりは、俺の方へと向いた。
「ありがとう、Cくん」
満面の笑みを浮かべ、彼女は周囲に幸せをばらまいた。
その人間味溢れる可憐な笑顔に俺の心は爆発寸前だ。
幕が下がっていく最中、一人でに俺は呟いてしまう。
「本当に文化祭ぶっ壊しましたね、微笑みの爆弾で」
そこからの話をしようか。
生徒ではない一般人を学校の敷地内に入れた。
別段、これに関するお咎めはなかった。演劇部が空気を読み、サプライズで代役を立てたことにしてくれたのだ。
今年の華を彩った舞台女優——Nさんは生徒たちに囲まれて楽しそうにしていた。次から次へと元気な生徒たちに引っ張りだこってわけだ。
この瞬間、元からあの人は違うんだなと改めて痛感した。
まぁーそういうわけで、俺は屋上へと戻ったわけだ。
邪魔者は邪魔者らしく自分の場所へと向かう。
これが大切だ。何よりも水を差したくなかった。
Nさんのことだ。俺を見つけ次第「Cくんも一緒に行こっー」などと誘ってくるに違いない。
俺みたいな奴がいても雰囲気が崩れるだけなのだ。
そう思いながら、俺は大の字に寝そべり目を瞑った。
次に気が付いたときには、空はオレンジ色に染まっていた。
首回りが生温かく感じてしまい、これは一体——。
「あっ……やっと、起きた」
Nさんだった。
彼女は俺の顔をぷにぷにと触れて、
「可愛い寝顔だったね」
「み、見ないでください。というか、この状況って……?」
「膝枕だぜぇー。男子なら誰もが憧れるシチュだろ?」
ニタァと彼女が口を歪める姿を見て、本当にぶれないなーと思ってしまう。
「膝枕というのは嬉しいですけど、オプション代とか取られませんよね? ちょっと不安です」
「ふっふっふ」
悪魔のような笑みを作って、
「それはもちろん取るに決まってるだろ?」
「酷いっ! もう詐欺だぁ!」
「と言っても、支払ってもらうのはお金じゃない」
「お金じゃない……?」
そう思った瞬間に、彼女が顔をこちらに近づけてきた。
長い髪がほおを掠めて、甘い香りが鼻腔をくすぐる。
途中で止まる、そう思っていた。彼女のことだ、俺をからかっているのだと。
だがしかし、止まることなく、躊躇することなく。
彼女は口付けしてきた。生まれて初めてのキス。
触れる唇の感触は柔らかいの一文字しか出てこなかった。
それ以外の言葉を、俺は持ち合わせてなどいなかった。
というか、頭が真っ白になってしまい、キスをしたという事実しか認識できなかったわけだ。
「Cくんのファーストキスもらったけど問題ないよね?」
名残惜しそうに自分の唇を触れ、彼女は顔を真っ赤にした。
「……………………」
「あのぉー聞いてるー? ねぇ、Cくん」
肩を揺さぶられ、挙句には顔をペチンペチンと叩かれる。
体勢を起き上がらせて、俺は大きな声で言った。
「……い、痛いです。Nさん! Sに目覚めたんですか?」
「あーよかった。ショック死したかなと思って」
「ショック死はしませんよ。というか、初キスで死んでたまるか!」
「キュン死した?」
「……そ、それは」
「ふーん。したんだぁー」
ニタニタと訳知り顔で言われてしまった。
うん、すげぇー大人のお姉さん感があるな。
「お、俺はNさんと違って、童貞なんです。経験豊富なNさんはキスの一回や二回はその程度かもしれませんけど、俺にとっては本当に重要なんです……だ、だから責任取ってください」
「責任って何?」
「だから、ファーストキスを奪った責任を」
「そっか」笑いながら彼女は強い口調で「責任取ってあげる」
でも、と彼女は無邪気に瞳を輝かせて。
「わたしの責任も取ってよね? わたしも初めてだったから」
「えっ……? は、初めてって?」
「……普通言わせる? 女の子の唇を奪ったくせにぃ……」
「自分から奪われに来ましたよね?」
「いやぁ、キミが強引に奪ってきた」
「真顔で嘘をつくなぁ! 堂々とぉ!」
「まぁー何はともあれ、お姉さんの心を盗んだ罪は大きいぜ」
「分かりましたよ、責任は取りますよ」
しかし、とこちら側から一つの条件を提示する。
「同等の価値があるものを差し出してもらいますよ」
「いいよ。それでCくんは何を差し出すの?」
「俺の残りの一生を全てNさんに差し出しますよ」
ブッ、と彼女は吹き出してしまった。
ツボにハマったのか、豪快に笑い出してしまう。
「……あまりにも突拍子すぎるでしょ。童貞って怖いね。一度のキスで、全てを差し出してくるって」
「自慢じゃないですが、男ってのは惚れた女性には何を犠牲にしても守りたい。そばにいたいと思うんですよ」
「ふーん」
適当に相槌を打った彼女は
「わたし……Cくんよりも年上だよ?」
「俺、年上が好きなんです」
「Cくんが二十歳になったとき、わたしもう二十六だよ?」
「何か問題があるんですか?」
「Cくんより先にわたし死んじゃうかもよ?」
「平均寿命って知ってます? 女性の方が高いんですよ。現在は男性が81、女性が87。ちょうどいいじゃないですか」
柄にもなく、Nさんは涙を流していた。ほおを伝い涙が零れ落ちていく。夕陽に光り輝く
「俺みたいな遅刻・欠席野郎でいいんですか?」
「高校は卒業しないと許しません。しっかりと働いてもらいます」
「俺と一生付き合うって大変ですよ?」
「お互い様だよ。わたしも口うるさいところあるし」
校庭の方から大きな花火が打ち上がった。後夜祭が始まりを告げたのだ。俺とNさんも気になって、フェンスからグラウンドを眺めることにした。
校庭に灯る炎の柱。キャンプファイヤーを囲むように、男女二人組の生徒たちが立っている。
陽気なケルト音楽みたいな曲が流れ始めた。
それに合わせて男女が踊り出す。
「俺たちも踊りませんか?」
と言って、俺は彼女に手を差し伸べた。
「いいけど、踊れるの?」
「踊れませんよ。でもNさんの手を握られると思って」
「全く……キミは」
言いながら、彼女は俺の手を握ってくれた。
そして思い出したかのように、彼女は言う。
「後夜祭で一緒に踊った男女は結ばれるんだってー」
「知ってますよ。だからこそ、手を伸ばしたんですよ」
誰もいない屋上で、俺たち二人は優雅に踊った。
最初は足がおぼつかなかったが、途中からは慣れてきて普通に踊れるようになった。Nさんの教え方が良かったのだ。
夕陽に染まった彼女は光沢のある長い髪を靡かせた。
綺麗な円を描くように回る姿は、蝶のように見えた。
***
あれから数年後。
高校を卒業した俺は無事に大学生になった。
と言っても、夜間大学生なのだけど。
昼間は仕事、夜は勉学の道へと突き進んでいるわけだ。
進学か就職か迷うならどっちの道も歩めばいいじゃん、という、お嫁さんの助言に促された結果だ。
「それじゃあ、行ってくる」
「今日の帰りは?」
エプロン姿に身を包んだ黒髪ロングのお嫁さんが言う。
「今日は遅くなると思う」
「最近頑張りすぎじゃないー? もっと休んでもいいんだよ」
「ダメだダメだ。中高時代に散々サボってきたんだ。そのツケを現在払ってるんだからさ」
「それはそうだけど……お金には余裕あるよ?」
「これからは二人だけじゃないだろ?」
お嫁さんのお腹は少しだけ膨れていた。
その理由は妊娠したからだ。
子供を育てるためにはお金がかかる。だからこそ必死に働いて、俺はお金を稼がないといけないのだ。
「そうだね……もう、赤ちゃんがいるもんね」
優しくお腹をさすりながら、お嫁さんが言った。
その仕草からは上品さと母性感が溢れてくる。
ただし、中身は依然としてあまり変わってないけど。
「ねぇーお姉さんと一緒にサボっちゃおうか?」
「結婚してもお姉さん面はやめろよ」
「なら、お嫁さんと一緒にサボっちゃおうか?」
「仕事はサボれないよ」
何よりも、と強めに呟いて、俺は答える。
「一生を捧げるって約束したろ?」
「…………う、うん」
耳まで顔を真っ赤に染めた彼女はコクリと頷いて、
「行く前に、ほらぁいつものやって」
「はいはい。分かった分かった」
恥ずかしい気持ちがあるものの、俺は彼女を優しく抱きしめる。これが俺たち夫婦の毎朝の日課なのだ。
「もう、これでいいか?」
「今日はサボっちゃおうよー」
「だから、ダメだって言ってんだろぉ!」
「ええええっーー」
子供みたいに拗ねる彼女を見て、俺は優しく言う。
「今週末に一緒にどっか食べに行こう」
「それならゲテモノ料理でいいよね?」
「前も行っただろ。全部コンプリートしただろ?」
「いいや、新たな新メニューが追加されてた。ユムシって言うんだけどこの刺身が美味しいんだってさぁ!」
ウキウキ気分の彼女を見れて、俺は良かったと思った。
彼女の笑顔を見るだけで活力がみなぎるのだ。
今日も明日も明後日も俺は彼女のために生きていく。
彼女さえいれば、それだけでいい。それだけで幸せなのだ。
ま、週末……俺は地獄を見るハメになったけど。
——
これにて完結。
最後まで楽しんで書けました。(19話は若干やりすぎた)
今回の作品は会話中心、時々ヒロイン描写。
まぁーこの流れでがががぁと全部書いちゃった。
個人的に最高の終わり方だったのではと思ってる。
先に言いますが、続きを書く気はありません。
理由を述べると駄作になってしまうから。
終わらせる場所できちんと終わらせる。
これが大切だなと思う側の人間なので。
CくんとNさんの由来。
一応説明すると「C=Cherry」「N=Needless」でした。
ま、ただの裏話だよねー。
この作品は、夢がない高校生と夢敗れたお姉さんの物語。
高校時代を振り返って、自分自身も夢を持っていなかった。
将来自分がどんな職業に就きたいか、なんて考えてもなかった。それでも進路を決めなければならなくて……うん、難しいよね。そもそも高校生段階で将来を決めろというのは酷な話で、進学した場所によっては「なれる職業」「なれない職業」などが決まりますし……もっと真面目に考えればよかったなと後悔してます。
お次は、夢敗れたお姉さん。夢が見つかっても成就することがない、もしくは満足のいく結果を手に入れられない限りは、自分自身が苦しむことになりますよね。
『自己満足』という言葉は悪い意味で使われ気味ですが、私自身は良いことだと思います。そもそも自己満足できない限り、自分で自分を認めてあげない限りは、苦しむことになる。
夢というものは簡単には叶わないことが多いです。
そのためにも諦める勇気を持つことが大切。
この諦めが中途半端なものだと、夢は呪いに変わります。
夢というのは恐ろしいもので、目標を叶えない限りはいつまでも自分を苦しめる呪縛となる。
本作を通してのNさんはこの状態でした。
女優になろうと決意したものの、結果を残していない。また自己満足する結果を残したわけでもなく、半端な気持ちで諦めてしまった。そのために今でも苦しみ続けている。
お金は持っているので一般的には幸せと思われるかもしれない。でも、彼女は夢という名の呪いにかけられていたと。
最後までお読みいただきありがとうございました。
本作はここで終了ですが、また他の作品で皆様にお会いできることを私は楽しみにしております。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます