宇宙人にされた男 十六


 俺は何度もチャイムを押した。

 

 何度も繰り返して……。しかし反応がなく、アパートの廊下は静まり返っている。しかしその中に突然、警官の訛声が響き渡った。


「そこから動くんじゃない! いいか動くな!!」


 その声に俺は反射的に向き直った。引きつった顔の警官が二人、俺に拳銃を向けていた。俺はもう疲れきっていたし、半分どうでもよくなっていた。もし人間に戻れないなら生きる意味さえないじゃないか。


「俺は怪物でも宇宙人でもないんだ。信じられないかもしれないけど俺は人間なんだ!」


 俺は必死にテレパシーを警官に飛ばしたが、反応はほとんどなかった。


「いいか抵抗するな、抵抗すれば撃つ。いいか!」


 階段の下を見るといつの間にか沢山のパトカーが集まってきている。バリケートも張られて物々しい警戒態勢だった。


 警官は拳銃を構えたまま俺にゆっくり近づいてきた。俺を拘束する気らしかった。俺は尚もドアを叩いていた。


「よせ! ドアから離れろ! おとなしくしろ」


 警官の銃が俺のすぐ近くにあった。その時いきなりドアが開いた。そして女性が顔を出した。


「誰ですか…」


 彼女が……  佐藤亜紀がそう言った。亜紀と俺は完全に向かい合っていた。呼吸さえ忘れてしまったような彼女の表情が目の前にあった。


 佐藤亜紀の絶叫はほんの二、三秒後に辺りの空気を切り裂いた。


 それはもう大気圏外にまで届きそうな絶叫だった。目の前に宇宙人の俺を見たのだから無理もない……。


 それと同時に警官が発砲した。弾が俺の首筋を貫通した。至近距離過ぎて避けられなかった。夢みたいだった。緑の血と俺の肉片が空中に散った。撃たれたのだと思った。撃たれるとはこういうことなのだと思った。


 警官は俺が彼女に襲いかかるとでも思ったのだろう。

 見るからに恐ろしい怪物のこの俺が……。足元がすぐに覚束なくなった。亜紀は恐怖に顔を歪めていたが、凄く悲しそうな表情をしていた。確かにそれはあの時の亜紀だった。


 俺はもう死ぬなと思った。それも仕方がないと思った。でも俺はもう逃げようとか、抵抗しようとか思わなかった。その気力もなかった。それより俺は嬉しかった。亜紀がここにいて俺はとりあえず生きて彼女に会うことが出来た。それだけで嬉しかった。


 そして俺のした事はまんざら捨てたものじゃないと思った。俺は亜紀を救った。そして家族もきっと無事にいてくれて俺を待っているんだろう。俺と曹長のした事は地球を、そして人類を救ったんだ。きっとそうに違いないんだ。そう思うと満足感が俺の心に満ちてきた。


「亜紀! 俺だよ。こんな格好をしているけど、俺は飯塚健人なんだ!」


 俺はテレパシーを彼女に飛ばした。彼女にはショックだろうから、黙って死んでしまおうと思ったが、俺はどうしても亜紀に伝えたかった。


「亜紀、俺は健人だよ。君にもう一度会って、プロポーズするつもりだったんだ。長い間、君を待たせて本当にごめんな。ごめんな」


「……」


 亜紀の表情が少し変わった。


「そりゃ、君に好きな人が出来たんなら仕方ないけど、任務内容を明かしもしないで君をほっといて今更言えた義理じゃないけど……」


 俺はもう立っていられなかった。その場に倒れこんで彼女を見上げていた。警官が飛んできて亜紀の肩を抱いた。彼女が実に不思議そうな顔をした。スローモーションで彼女の表情が変化していった。綺麗だった。亜紀は以前より女らしく、より美しい女性だった。


 亜紀がしゃがみこんで俺の顔を覗きこんだ。警官が彼女を立たせようとしたが、彼女がそれを拒んだ。


「あなた、まさか健人? 健人なの……」


 俺のテレパシーは通じていたようで亜紀がそう言った。


「そうだ、こんな格好をしているけど、俺は健人さ。任務で宇宙人になって敵の星に行ったんだ。そして今、帰ってきたんだ……」


 意識が霞んでいた。走馬灯のように彼女との思い出の日々が脳内を巡っていた。


「ほんとに健人なのね……」


 彼女の目に涙が溜まり、唇が小刻みに震えていた。


「ああ、わかってくれたんだね……」


「わたし、あなたを待っていた。ずっと待っていた。いつか任務を終えて帰ってくると信じてた」


「本当かい……。うれしいよ、うれし……」


 俺はもうそれ以上テレパシーを使えなかった。


「健人!」


 彼女が泣き叫んでいた。俺の身体は冷たくなって、ふっと意識が飛び去った……。


   

  

  ◇    ◇




「君は、本当にラッキーな男かもね。人間に戻れる確率は、本当はかなり低かったのね」


 俺は天国にでも居るのかと薄目を開けた。しかしそこは雲の上の世界ではなかった。そこは病院のベッドらしかった。

 

 なつかしい声だった。そうだ、聞き覚えのある声だ。その声は前田博士だった。だいぶ老けちゃってたけれど、それは間違えなく前田博士だった。博士は俺の横にいて俺を観察していた。


「おい、健人」


 その呼びかけは父だった。


「健ちゃん」


 母の声もした。


「兄ちゃん」


 そして妹。


「……」


 そして愛しい亜紀。


「健人」


 ばあちゃんはハスキーな声だった。


 俺はゆっくりと上体を起こして両手を見た。おお、それは人間の手、飯塚健人の手だった。とめどなく涙が洪水みたいに溢れた。ああ、俺は人間に戻れたんだ!!


「宇宙人を捕獲した。という情報をききつけて駆けつけたんだよ。飯塚」


 なんと俺の傍に内田陸将がいた。俺は陸将に報告しなければと思った。


「報告があります。任務完了いたしました。敵の星は破壊しました。ですが、広瀬曹長はそのう……」


 すると前田博士が言った。


「破壊? あたしは敵の星を破壊なんてさせませんよ、別次元に星ごと追放したんです。さすがにあたしもそこまでは出来ませんわな」

 

 前田博士の言葉は相変わらずおかしい。でもそれを聞いて俺は安心した。


「宇宙船も回収してある。広瀬曹長の葬儀は国を挙げて丁重に執り行う」


 内田陸将が引き締まった表情でそう言った。


「――ありがとうございます。本当に……」


 俺は誰に言うともなくそう言った。もちろんテレパシーなんかじゃない。


「でかしたぞ。大したもんだ、健人」


 涙の眼で親父がそう言った。


「改めて帰還おめでとう。健人君。やっぱりあたしは天才なのよ」


 前田博士がウインクしてそう言った……。





 

                  了



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

宇宙人にされた男 松長良樹 @yoshiki2020

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ